そういや以前、よく東京への移動に飛行機を利用していましたが、ちょっと考えた時にプロペラ機って乗ったことがないな・・・と思ったりしました。
まあ・・・羽田へ行く便はみなジェット機ばかりだったしな・・・。
ということで、明日はもう11月ですね。郵送の準備をそろそろ・・・といった感じです・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
そういや以前、よく東京への移動に飛行機を利用していましたが、ちょっと考えた時にプロペラ機って乗ったことがないな・・・と思ったりしました。
まあ・・・羽田へ行く便はみなジェット機ばかりだったしな・・・。
ということで、明日はもう11月ですね。郵送の準備をそろそろ・・・といった感じです・・・。
今日はちょっと寝ていました。バイトの疲労かもしれん・・・。いや、これは甘えでしょう。フルタイムと比べたら、ちょっとしか働いてないわけだから・・・。昼食にちょっとソース系のものを食べたからかもしれん・・・。
で、こんな記事を見ました。 Blueskyが目指すものが、Xと化したTwitterの、滅茶苦茶で近視眼的な(改悪という)機能変更、そして悪化する治安に対する鉄槌になれば・・・と、Blueskyのアカウントを持つ私は考えています。
まあ・・・一つなんか話題にしようかと思うことはあったけど・・・もういいです。問題にしてもこっちがお気持ち表明するだけ無駄って話はありますから・・・。
「インサイド・ヘッド」や「エディ・マーフィの劇的1週間」等、多くの作品で空想の友達、つまりイマジナリー・フレンドが題材になっていますが、終盤で消滅したりお別れをしたり、そこで友達だった相手の精神的自立を謳うような表現で締めくくられています。「パンズ・ラビリンス」という映画でも、苛烈な現実だからこそ、甘い幻想でも逃げたくなるような世界が冷厳に描かれていました。
ですが、最近観た「ブルー きみは大丈夫」はそうではありませんでした。いささかネタバレになって恐縮ながら、最初に書いたような感じみたいに空想の友達を持つことは、子供だからこそ許されることであり、そうした世界を大人になっても有していることは能天気な楽観であり、甘えともとらえられがちです。だからこそ、最後に「捨てる」ことが自立の選択肢として呈されるわけですが、本作ではきちんとした説得のもとに、自立した大人だからこそ、その為に捨ててしまった概念は必要になるというメッセージが描かれていました。そして、空想は決して逃避の為の幻想じゃないという、作り手の強い意志も感じられました。
まあ、私が(ブルーの声を担当した)スティーブ・カレル氏が好きだったこともありますし、空想の友達が見えるカルというキャラクターに関しても、シックス・センス寄りの巧みな伏線が張りめぐらされていて、「なるほど!」と思いました・・・。
ですが、こうした「生きづらさ」 や「強さ」に対するアンチテーゼ的な作品は近年でかなり増えてきたように思われます。ですが、敢えて逆張り的な発言になりますが、こうしたメッセージは甘えを捨て、自立心を持って生きてきた人間だからこそ機能するものであり、もとからそれがない、育てようとしない人間には慰撫という害毒にしかならない、そういうリスクも孕んでいると感じています。実際、慰撫ありきの作品もあるわけだしね・・・。邦画なんかそうじゃないか・・・。
昨日はてっきり公開日記を更新したと思っていたのに、更新していませんでした・・・。
その埋め合わせとして、メカのポーズ集を描きました。 下にアップしておきます。
これは、水沢 悦子先生の漫画『ヤコとポコ』の二次創作小説に登場するメカという設定で、なんか女の子っぽいポーズをとらせたら面白いだろうなとか考えて描きました。後はイベントで売ればいい・・・という感じですが、加筆修正したものも出したい・・・そんな感じです。そして、中央の英文字は、「テトラポール」と読みます。ロボットのメーカー・・・という設定です・・・。
由来はニール・ブロムカンプ氏の映画「チャッピー」に出てくる企業、テトラバールと「デモニック」に出てくる企業、セラポールをあわせたものです。
闇バイトについて蔑称で呼ぶべきというポストがXでバズっていて、一連のソレを読んで見たんですけど、要らん差別感情を煽って拒絶感を育てるのはよろしくないんじゃない・・・?と思いました。そうした発想にも絶句しましたし・・・。大事なのは呼び名とか表層的なものではなく、地道な対応と実態把握だとは思います。でも、そういう支援者ほどネットではバズらないしな・・・。有名になったとしても、神輿に担がれるような増長はしないし・・・。
何かこういう混同はいけないとは思いますが、蔑称を舐めてはいけないと思います。 ルワンダの虐殺においてもツチ族を「ゴキブリ」と罵倒するラジオ放送の存在がありましたし、(敢えて書きますが)「不逞鮮人」という言葉が関東大震災後の首都圏でどのように機能したか・・・。虐殺ではありませんが、蔑称が実際に人権を阻害する正当化の手段になっていた例だってあるんですし・・・。
だからこそ、蔑称を安易に公共空間で使うべきではないし、闇バイトのいい換えであるウンコ役バイトにせよ、トー横キッズのいい換えであるこどもホームレス連合(!!)にせよ、蔑称でどうにかしようという発想は前者と地続きだと思うのです。ていうか、ホームレスに対する差別じゃないの・・・。なっちゃいけないというのであればねぇ・・・。それと、ウンコ役バイトにせよ、実際に排泄物を扱う仕事って、あるでしょう・・・。
こういう支援者みたいな存在が、反倫理的で過激な言動でネット民にチヤホヤされるのを度々見ていますが、弱者を使い捨てにしてインフルエンサーとして(君臨したいがために)振舞うような存在には本当に愛想がつきそうな気分ですし、そんな軽薄な態度で被支援者に優越感を覚えるような言動を繰り返していると、いずれどこかでツケをはらわされることになるのではないか・・・そう思うのです・・・。
そうそう、こういう所からアヌビスというゲームのワンシーンについて思い出しました。火星の街であるバシリアで、まだ民間人がいるという状況で戦闘が始まった時、ディンゴにそれを詰られたLEVのパイロットが「構ってられるか!どうせバシリアのクズどもだ」といい返すんですね。そして、「バシリアの人間がどうなろうと知るか!!奴らはクズだ」とも。
まあ・・・平等に人権が保障されているはずの存在が、「クズ」という言葉で矮小化され、差別どころか殺していい存在になってしまう・・・ なんかこれをやったのは中学生の時でしたが、色々考えさせられてしまう台詞でしたね・・・。前作の「エンダーの盗っ人どもが!」という台詞とあわせて・・・。
まあ・・・私もちょくちょく百科事典サイトは覗きますが、なんか(悪意のある)ヘイト記事とかいい加減な記事、それからコメント欄が・・・と感じています。
何かもう、正直百科事典サイトはWikipediaだけでいいんじゃない?と思います。あれも色々と問題があるにしても、断然他の百科事典サイトと比べたら治安がいいし・・・。
で、こんなポストを見ました。Blueskyです。 そりゃあそれで賃金上げろ論には私も賛成している部分はありますが、まさにそんな状況だと思います。
でも、『ハ○かわ』みたいな本がバズる背景を見ながら感じたんですが、 小学生にすら営業課の大卒サラリーマンのような、完璧なコミュ力と明るさ(といい印象を与える努力)を暗に要求しているのがこの社会であり、だからこそ「普通に働く」の基準はそりゃ高止まりするし、基準は厳しくなったんでしょうね・・・とも・・・。
それと、資本主義経済の外にいる人が声を上げる&企業や労働者が普通に働くことができない人の為に行動するというのも、この状況では絶望的かと悲観しています。
某六つ子のアニメや某農耕シミュレーションRPGのように、実態はそうじゃないのに、自堕落で働かない若者(つまり俗流ニート論)という藁人形を叩くことが地道な問題提起(と実態把握)より福祉や職探しの認識として受けやすい現実があるわけで、やっぱし自分も非正規雇用だし、バイトも色々変わってるから不安はかなりありますね・・・。
ああ、そうそう。木澤 佐登志氏の『終わるまではすべてが永遠』という本を読んでいて、なんかテレビ番組経由で紹介されていた、障害者の作業所に対して意見が書かれていましたが、あれ、絶対福祉ゴロだと思います・・・。
東京で電車に乗っていると、ドアの上にある(広告や駅名を表示する)液晶ディスプレイに、闇バイトに対する啓発広告が流れてきました。バイト生活一筋ながら、「こりゃ気をつけな・・・」と思ったりして・・・。ハローワークはともかく、ネット経由の職探しだとホンマ保証が無いからな・・・。
で、Xの観測範囲ですが、闇バイトを巡って雑な若者語りが横行しているのを見て、ちょっとブラックな気持ちになりました。高齢化するネットユーザーが 、尤もらしく若年層という藁人形を好きに叩いて、「若者フォビア」というコンテンツにおける相互承認のダシにしているという側面がないでしょうか?なんかあの手の議論って、他人事で自分はそうならんという変な優越感があるからアレだなぁと・・・。繰り返しますが、私も他人事じゃないのですよ・・・。
で、これもX経由の話ですが、もう1つ気持ちがブラックになったことがあります。
「左派政党支持の人達の投票呼びかけイラストはホント質が高い」とか書いて、右派支持でこういうのは見たことが無いと腐していたポストを見ました。今日ですが。自分も絵を描いてるので本当にブラックな気持ちになってしまって・・・ね・・・。リポスト先をアレを見たけど、(個人的な感想ですが)財源は造幣局で刷れば出てくるみたいな人が考えてるような発想だねと思いました・・・。
私も一応野党支持ですが、こういう自分たちのやってることを変に美化したり、歪な悪魔化をやってるから反権力とか反差別が絵に描いた餅、というかエコーチェンバーの燃料に成り下がってるんでしょうが・・・と正直感じました。大体、自分やその賛同勢力のやってることに無批判で賛成するのって、右派と同じじゃん・・・。ていうか同じ考えだからこそ、嫌いなものだったら惜しまずに理論を尽くして批判することも大事なんじゃないですか・・・?