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2025年7月31日木曜日

「ZENSOKU」を制作しました

 

「ZENSOKU」という作品を制作したので、その画像を上にアップしておきます。手のひらに乗る、ミニサイズです。何か、阪堺電車沿線っぽい絵が描きたいな・・・とか思って、その電停みたいな所を中心として描きました。そして・・・背景は・・・水沢 悦子先生の漫画『もしもし、てるみです。』みたいなものをイメージしています。普通の住宅地や商店街の後ろに広がる工場が、かなり印象的だったので・・・。

なお、今回の作品にはあまりメッセージみたいなものはありません。なんか電車を描いてみたかったという動機だけがありました。ただ・・・これはいずれ制作するだろうグラフィックノベルに使う予定なので、その際はストーリーを付け加えるだろうなとか考えています・・・。

2025年7月30日水曜日

かなりヤバめな話ですね

 帰宅してからBlueskyをチェックしたら・・・まぁ・・・地震とのことで・・・かなりヤバ目ですね・・・これ・・・。カムチャッカ半島か・・・。

それでも、明日くらいに新作のアップはしとこうかと思います。ここで・・・。 

 

 

2025年7月29日火曜日

フルスイングのアニメ

 何かXを覗いていると、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」という言葉が何度も出てきて、強制的に幼稚園の時に時空が戻されるような衝撃を覚えました。いや・・・全部じゃないけど、「おにぎりころりん/うらしま太郎」「あかずきんちゃん/マッチ売りの少女」が収録されたものだったら観ましたよ・・・何度も・・・。しかも、一部の脚本を務めているのがあの舟崎 克彦氏じゃないですか・・・!再確認したら・・・!

で、一番印象に残ってるのが、「マッチ売りの少女」と「うらしま太郎」なんですよね。ちょっと調べればわかるかもしれないですが、両作ともバッドエンドじゃないですか。女の子は最後死ぬし、浦島太郎も玉手箱を開けると、凛々しい若者からおじいさんになってしまうし・・・。だからこそ、良作としてインパクトに刻まれたんだと思います。

 なぜ、バッドエンドなのに良作なのか?(また例に挙げますが)「インサイド・ヘッド」というアニメ映画では「悲しみなくして人生の恵み無し」というメッセージが発せられていましたが、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」も半端なアニメ作品だったらみんな不幸を回避してハッピーエンドにすると思うんですよ。実際、マッチ売りの少女もこちらの記事みたいに、死なずに済むという改変がなされている作品があるみたいですし。

 基本的には、児童書や絵本で「死」を扱うことは基本的にタブーではありません。ですが、扱い方を間違えると要らん傷を負わせる悪書に堕す事もあります。それに、キャラクターの死に関して同情して感涙することは、日本人特有の悪癖と処理する余地だってあります。「フランダースの犬」に対する現地の反応を見ればわかるように。

それでも敢えて書きますが、こうしたバッドエンドによる作品も、タイミングが合えば多少は・・・という感じはします。あまり賛同できる部分は少なかったですが『国家の品格』という新書でも、「人の命は儚いから大事」 という趣旨の文章があったと思うし、結果として繊細な「死」の描写(それは白血病や癌、そして関係者をいい加減に描くような、難病ものやケータイ小説とは違います)が、どこかで他者尊重や同情の感情を醸成する良い機会になったりしていると思うんです。自分の言葉が生存バイアスなのは承知してるし、興味本位やタブー破り目的で文芸的価値を免罪符にした無責任な表現は論外だと認識した上で・・・ですが・・・。しかも、名作童話を粗製乱造ではなく、一流のスタッフが持てる力を注ぎこみ、至高のアニメ作品として昇華させた事も私の記憶に本作が残った一因だなと・・・。

 こういう所から、まぁ・・・これ何度か書いてるだろうけど、私は「アニメ然」としたアニメ、つまりオタク向けの内向的で矢鱈ととんがった作品や、類型的なエモさだけで構成されているような作品ではなく、子供向けといわれるジャンルで一流のスタッフ達がフルスイングをかましてるような作品と本当に相性がいいんだなと思います。

最近・・・といってもかなり前(10年前くらい)だけど、「大きい1年生と小さな2年生」とか「日なたのアオシグレ」とかマジで好きだったし・・・。 もっと過去の例でいえば、「ベイベーばあちゃん」だったりするんだよね・・・あれも死者がテーマだったっけか・・・。あ、それと「窓際のトットちゃん」もね・・・あれも死別のシーンがあるよね・・・。

2025年7月28日月曜日

セカンドレイプ

 昨日、かなり長めのお気持ち表明で「セカンドレイプ」という言葉を使いましたが、こないだバスで移動してる時に、正にそういう言葉がマッチするような事態に遭遇しました。

バスが八丁堀の交差点にさしかかった時です。歩道で、右派みたいな人がデモをやってました。まぁ、もうすぐ8月6日だから、色々とそういう人達が集まって来るなーと思いながら、窓の外を見てました。で・・・なんか幟に「日本は核武装を!」みたいな言葉が書かれてました。

・・・自分も人の事はいえませんけど、これで何かあったら責任とれるの?君達・・・みたいな感想が正直、腹の底から湧きあがりました。スタンスが違うからこっちの表現の方が正当、みたいな言い訳に逃げるつもりはありません。ただ、公の場所で安直にそんな主張を叫ぶ事が、今も存命されている被爆者の方(及びその子孫)へのセカンドレイプに大きく寄与してるなという感じがしました。ありていにいえば、無秩序に相手を包丁で刺してるという感じでしょうか。
例えるなら、福島で「原発に反対する祝島の奴らはバカ!」とか 「低線量被曝は寧ろ健康にいい!心配ない!」と拡声器で喚くのと同じ感じなんですよ・・・。思いうかべたイメージが・・・ね・・・。

 まぁ・・・上にも書いた通り、スタンスの違いで表現の自由が正当化されるなんて甘い話は無いと思います。でも、一般常識に基づくアプローチやTPOを選ばない表現は、ただの通り魔じゃん・・・みたいな考えもあるんですよね・・・。

2025年7月27日日曜日

『えんじぇるめいと』・・・について語ろうかな・・・?

―どういう文化的なかたちであろうと、社会に発せられたメッセージには、現実に対する暴力的作用の可能性がふくまれている。

中西 新太郎『現代日本の「戦争」感覚:「ゴーマニズム」に揺れるこころ

(収録:『戦争論妄想論』)』より
 

今回は結構とある漫画のネタバレ・・・になっちゃいますが、やっぱり書かなきゃ気が済まん・・・という状態なんで、敢えて書かしてください・・・。 

最近、こきち先生の『るるてる:ルル魔法学校においでよ』が面白かったので、新作の『えんじぇるめいと』の単行本を2巻まで買っています。で、それだけでは間に合わないので、リマコミを読んだりりぼんを読んだりしています。で・・・『るるてる』はよかったし、『えんじぇるめいと』も、のわの死因が病死で、そこら辺に起因する(んとの助力で)無力感と克服とかが結構繊細に書かれてたから、続きも・・・という感じでした。ですが、きらの過去とかんとの過去とかが描かれ始めて、「ちょっと・・・これは・・・」と正直に思いました。

何か個人的な意見ですが、特にんとを巡るアレコレで、子供の自殺とか虐待がかなりアバウトな形で描かれてるなと感じました。一般的に、※1巷には様々なステロタイプがあって、毒親とか児童虐待とか、それなりに描いても涙やインパクトを誘える風潮ってないですか?それと同じように、『えんじぇるめいと』でも「義理の親とか、複雑な家庭環境=不幸+虐待=それによる自殺」みたいな先入観で、こちき先生はんとを死なせたんだと思います。りぼんを読んでいてそういう感じがしました。

大前提として、表現の自由があるんだから、やる気と責任能力があるならセンシティブな問題、例えば原発事故でもいじめ自殺でもガンガン書けばいいと思います。※2表現の自由を行使することは、必ず誰かを傷つける事は宿命といってもいいですから。

ですが、センシティブな問題をいい加減に描けば、当事者へのセカンドレイプはともかく、受け手を誤解させた上に、ただでさえ漂っている問題や当事者への風評被害を煽ることに繋がると懸念しています。『美味しんぼ』の鼻血描写みたいに。

だからこそ、『えんじぇるめいと』でも同じ危険性はあると思うんです。親の再婚だったり義理の両親とかいった事を、感覚だけで不幸や虐待に繋げるような表現で、実際のそうした家庭環境における子供達への誤解が広がらんかなー・・・みたいな心配が(余計なお世話ということは承知ですが)あるんですよね・・・。

で、今日もりぼんの最新号を読みましたが、きらが「殺された」といってましたけど、ホントに上のお気持ちからトータルして、殺人事件の被害者としての子供や、その痛みを感覚だけの露悪ギスギスや感動として描いてほしくない・・・そう願っています・・・。 
何か色々身の程を弁えんことを沢山書いてしまいましたが、『えんじぇるめいと』を読んでて色々溜まっていたので・・・。何か批判や意見があったら可能な限り対応するつもりなので・・・。

 

 ※1例えば、偏差値の低い大学は(全て)義務教育レベルの授業を行っており、講義でYoutubeを垂れ流しにしているとか、精神疾患は主に女性が発症するもので、奇声を上げてカッターを振り回して自傷行為に及ぶ迷惑な存在とか、そんな感じでしょうか・・・?実際、(また余計な事を書くかもしれませんが)『えんじぇるめいと』でもわむの死因が共依存みたいな精神病理を結構適当に描いてたなぁと・・・。

 ※2例えば、サーフィンの絵を描けば東日本大震災の被災者を傷つけるかもしれないし、電車の絵を描けば福知山線で起きた事故の遺族を傷つけるかもしれない。アーマード・コアみたいな作品ですら、ウクライナから避難してきた人達にはフラッシュバックとなり得る可能性がある。だからこそ、良識はともかく実在する問題をテーマとする時にしっかりと(文献調査なりネットで調べるなりして)リアリティを持ち込むことは、そのセカンドレイプを最小限にとどめ、二次被害を防止するという意味でかなり有効だと強く感じています。最も、これは私への自戒として感じているのですが・・・。私の多くの作品でも、チョロチョロっと済ませてるもんなぁ(泣)

2025年7月26日土曜日

ロボットが完成しました

 ロボットの方が完成しました。

今度は背景です。ちょっと画集とか写真をを見ながら参考にしたいと思います。 

2025年7月25日金曜日

原発新設

 何か・・・関電が原発新設ということらしいですが・・・。

まぁ、自分だって電気に溺れてる生活をしてるから人の事なんて到底いえませんが 、中学生当時の理科の先生がいってた事を思い出しました。どういった経緯かは忘れましたが、先生が原発に言及してたんですね。

「そんなに安全というなら、東京の中心地に作ればいい!」と・・・。 

だからこそ、原発を新設するなら田舎じゃなくて、万博が終わった後の夢洲に作ればいいんじゃないか?みたいな、自分でも嫌になるようなブラックジョークが浮かびあがったのです・・・。

そういえば、作品の80パーセント位ができあがりました。あとはちょっと着色するだけで・・・。