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2025年8月10日日曜日

コラムの問題

 何か週刊新潮のコラムが創氏改名という事で大炎上していましたが、何か私としては「またか・・・」という感じでした。『言論のテロリズムⅡ:「捏造雑誌」週刊新潮を解剖する」という本を高校時代に読んだ身としては、水俣病患者を「ニセ患者」呼ばわりしたり、沖縄で米兵に暴行された少女を嘲笑したりするような記事がその本で糾弾されていたし、松本サリン事件でも冤罪被害者である河野 義行氏の家系図を面白おかしく暴露したりするような雑誌でしたから・・・。

最も、こういうのは週刊新潮だけの異常性や問題ではないと思います。 週刊誌はともかく、PV獲得優先のニュースサイトやバイラルメディア、まとめサイトなどのイエロージャーナリズム全般に通ずる話であり、個人的には社会派ぶった悪意や害意をガス抜き(つまり私刑感情を煽る)として提供しているに過ぎない・・・と思うのです。だからイエロージャーナリズムは等しくイエロージャーナリズムであり、まともな良識を持っているなら信頼などすべきではないと・・・。

ですが、私も時折実話ナックルズやアサヒ芸能、週刊大衆とか買ってるんですがね(笑)矛盾の極みじゃ~(汗) 

2025年8月9日土曜日

抗議文を見ました

 何かちょろっとネット経由であの抗議文を見たんですよ・・・。川内村のやつですが・・・。

で、あの関電による原発新設の話で、あの年齢(小学生)でああいう事をいわせてしまう状況に、懲りてないのかな・・・という感じがしました。こうした「子供の声」にまつわる大人の反応については、また時間があえば書いてみたいな・・・と感じています。まぁ・・・自分達がいわれても仕方ない状況かも知れんしなぁ・・・。広島に住んでいながら、再稼働だしね・・・。

2025年8月8日金曜日

なんたらの悪魔化

 今日は記念すべき・・・『ふたごチャレンジ!』シリーズの10巻を買って、その感想を・・・というつもりでしたが、Xでまたああいう話系の話が話題になっていたので、そっちの方を優先したいと思います。

私自身、特定の科目(当然理数系)が結構苦手だったので、それを併せて敢えて書きますが、学生時代に勉強はできたけど目立たず、DQNっぽい人達にいじめられた(と主張している)人達が体育会系の問題点を鬼の首でも取ったかのように指摘して、メリトクラシー系のナショナリズムを振りかざすのを見て、色々と腹の底から疑問が湧きあがってきます。

これは、『ファスト教養:10分で答えが欲しい人たち』や『実力も運のうち:能力主義は正義か?』でちょこちょこ指摘されているとは思いますし、(再びリンクを貼りますが)こういう記事もある中で、前述した被害者意識に基づく勉学の神聖視や絶対視で見落としていることはあるんじゃないか・・・?そう思うのです。今もXでちょっと検索すれば、(特に小~中学生くらいのあたりで)勉強ができて教養があるのに正当に評価されなかったという、恨みつらみを含んだポストが今もバズを稼いでいます。ですが、そこには勉強が嫌いなのはともかく、勉強が苦手だったり、LD(学習障害)だったり、受験に失敗したりする子への想像力が無いという点で、彼らが受けてきたという体育会系のいじめと同じじゃん・・・という考えがうっすらと浮かんでいます。ポストによれば、体操ができなかったとか逆上がりができなかったとかで恥をかいたということですが、今まで学力や学歴で相手に恥をかかせるような言動がどれほどネットの大海で行われてきたのか・・・そういう話なんですよ・・・。そこに目を逸らして、何故体育会系ばかりが悪魔化されるのかという・・・。

で、私は決して昔の安いドラマみたいに、エリート=悪、庶民=清らかみたいな幻想を披露したいわけじゃないし、教育による序列(とそれに伴う競争)も必要悪としてある程度は必要だという立場です。ですが、なんかそこら辺の成功者による(林 志弦氏がいう所の)「犠牲者意識ナショナリズム」にはちょっとな・・・と思ってたので・・・。

それと、なぜアスリートや体育会系と呼ばれる人からは、前者のようにネットで「お前はそんなこともできないのか」とか「 できないやつは落ちぶれて当然」みたいな話が余り出てこないのも、不思議な話だよね・・・とも・・・。

2025年8月7日木曜日

灯篭流し

灯篭流しは・・・行ってません。それでも何か奇声が聞こえてたみたいですね・・・。

今日はこれだけです・・・すみません・・・。 

2025年8月6日水曜日

暴走する○○

 まずは・・・この記事を見てください。私もネットでちょくちょく事例を見てるので、記事における60%位の内容は正しいと思います。特に、最後の章はマジでそうだよなと・・・。

アートという冠がついた瞬間、敷居の高い場所でボス猿みたいに振舞う人はごく一部の極端な事例でしょう。まぁ・・・ああいう分野ってあんまし批判者もいないし、いってることが正しい事もあるんで発言者が更に(リンク先のタイトル通りに)暴走するという話は、結構あるかなと・・・。

まぁ・・・私だって会社(正規雇用という意味で)で働いていないのをいい事に、この公開日記で好き放題書いていますし、人にはそんなこというのかという自覚の上で敢えて書きますが、やっぱり同じレベルなら(特に)SNSにおける発信が安定しているギャラリーがいいよな・・・と個人的に感じています。

ここら辺・・・『謝るなら、いつでもおいで』と併せてもっと詳しく論じてみたい気がする・・・。 

2025年8月5日火曜日

親の仇

 何か、Xで津波の観測装置を親の仇の如く敷設したので、すぐに警報を出せるようになったという趣旨のポストがバズっていました。一瞬、関係者のポストかと思いましたが違ったので、こういう比喩が独り歩きするのも・・・と正直感じています。被災者でもない自分がいうのも何ですが、こういう時に引用リポストが(テクノ・ナショナリズム寄りの)「感動」とか「誇り」で埋め尽くされるのも、どうなんかな・・・と・・・。何らかの対策みたいなものが、過剰な物語付けをされてバズるような事に、弊害はないのか・・・という疑問がうっすらとあります・・・。

それとこれとは性質が180度違うし、あんな結果をもたらしたイラク戦争を引き合いに持ち出すのはどうなんかね~というのは承知の上ですが、観測装置にまつわるTogetterの熱狂は、まさに同時多発テロが起きた直後のアメリカの様でした。あの刑事事件の処理能力を上回るような事件に晒され、パニック状態に陥っていたアメリカが、徐々にブッシュ大統領への信奉と、戦争(とビンラディンへの復讐感情)への熱狂にシフトしていく様子と、結構一致してるな・・・とか感じたり・・・。付け加えるなら、東日本大震災発生からちょっと経った時に、パキスタンに潜伏していたビンラディンが、アメリカの派遣した特殊部隊により殺されましたが、あの時の熱狂にも似たようなものを感じるというか・・・。

まぁ・・・あんましああいう※熱狂が気に食わんのは、実際エンジニアにに親の仇かどうかも聞いてないのに、人の努力を自分の物語として意味づけをして、(ネットの性質上)独り歩きさせてしまうような所があるからだ・・・と思ってます。

確かに観測装置の設置は称賛すべき話ではありますが、「親の仇」というキャッチ―な言葉に代表されるような過剰な物語化は、逆に観測装置における精度や限界とされるデータ、維持管理はどうなのか?などといった感情を排して向き合わなければいけない問題の本質を漂白し、劣化版プロジェクトXのような美談としての解像度しか対象に与えないという弊害があるんじゃないか・・・そう考えています・・・。今回のカムチャッカ半島の地震の際は上手く行きましたが、次の震災の時は・・・という事を冷静に、厳しく考えていかなければならないのだと思います・・・。

 

※そうそう、こうした英雄化に基づく、当事者無視の物語化された熱狂は、福島第一原発の作業員達にも向けられていましたっけ・・・。 

2025年8月4日月曜日

「Shooting star」を制作しました


 「Shooting star」というタイトルの作品を制作しました。

このままシリーズ化するつもり・・・いや、したいです。こうやって、一つの世界観の基に複数の作品を作って、後から物語を付け足していこうと思ってるのですが・・・あんましできてない・・・いや、全然できてない状況です。プロットは組み上がってるので、後は12ページくらいで書けばいいんですけど・・・ね・・・。

 まぁ・・・次回は敷居かなんかについて書いていこうかね・・・再び・・・。

2025年8月3日日曜日

実家関係のアレコレ

 今日は実家関係のアレコレを済ませました。

そうね・・・あれから13年目だもんね・・・。

 ですが、虫の居所とはいっても、その場で発言していい事と悪い事はあると思います。例えるなら、レイプ被害者を知人に持つ人間に、「条件さえ揃えば、人間って襲いたくもなるでしょ?」みたいな話をされると、どういう気持ちがするのかと・・・。

ちょっと空気を読めよと・・・。

で、明日くらいにまた新作をアップしたいと思います。余裕があれば、の話ですが・・・。 

2025年8月2日土曜日

闇系の話の続き

 今日も、過去話の蒸し返しになりますが、リンク先の文章にあるように一部のギャラリー経営者が勧誘系ギャラリーはともかく、その出展者まで悪しざまにいうのは何だかなーという趣旨の事を書いたと思います。まぁ・・・あんまし特定はしたくないですけど、勧誘系ギャラリーへの出展歴がある作家まで、自分が主催してるコンペや展覧会に出すなというのは、批判の度を越した排斥主義だし、結局カタギのアートビジネスも含め、みんなが不幸になるだけじゃないのか・・・?とひっそり感じています。

例えるなら、「あの人は事件を起こした宗教団体の信者でしょ?まともな人間として、あの人には住民票なんか発行してほしくないし、この町に住んでほしくない!」とか「ウチらは信者じゃないんで、脱会する気が無いならさっさと出ていって、信者と仲良く毒ガスでも作ってろ!」みたいな暴力性を感じるというか・・・。まぁ・・・そういうギャラリーにわざわざ出展しなくても・・・みたいな感じはあるんですが・・・。

こうした一部の美術関係者が、排他的な選民思想をSNSで発信することは時々見かけます。 以前の文章でも敷居みたいな話は書いたと思いますが、敷居が高ければ高いほど、その集団の治安や純度が保たれるというメリットはありますが、逆に閉鎖性や(上に書いたような)排他性が強まり、要らん加害欲求を煽ってしまうというデメリットが存在する・・・そんな感じがするのです。ガンプラ説教おじさんみたいに・・・。

まぁ・・・勧誘系ギャラリーというのはどう見たって倫理的正義に照らしあわせて、100パーセント落ち度があるので批判は容易だし、「あんまし出展せん方がいいよ」という警告も有効なわけです。ですが、こちらが100パーセント正しい側にいるからといって、出展者まで口汚く罵るやり方は、逆に勧誘系ギャラリーのカモを増やすことにならないか・・・そう感じています・・・。 

2025年8月1日金曜日

誰かの役に立ちたい?

 約1ケ月前のお話になりますが、この続きをしたいと思います。

 かなり場違いな例えですが、池田小学校事件の遺族である本郷 由美子氏の本『かなしみとともに生きる:~悲しみのグラデーション~』において、東日本大震災の避難所で「こころのケアお断り」という貼り紙があったことを例に出し、自称専門家やボランティアの人達が一方的な善意で被害者に押しかけて、それが結局当事者を無視した押しつけにしかなっていないという痛切な問題提起がなされていました。まぁ・・・今から私が本題に出したいのは、絵師応援という全く類の違うものなのですが・・・。

私だって、誰かにプレゼントするのは好きです。知人にお菓子を上げたり、両親に誕生日やクリスマスなどに映画のDVDとか漫画とかをしょっちゅう送っています。で、問題とされるのは結果なんですよ。こんないい方は好きではありませんが、私がこれまでやったことは余り人の人生を背負うという責任が伴わない気楽なものですが、前リンクにおけるあの観賞魚の人が絵師さんに対してやろうとしている事は、必要とされる責任や配慮というものが、余りにも欠けていると感じます。

なんかnoteを見たんですが、好きな漫画家さんとタッグを組んでからコミックエッセイを作りたい・・・みたいな記事を見ました。どうも観賞魚の人は、応援する目的で絵師さんに依頼をして、有名にしたいという気持ちがすごく強く見えます。何か『七つの習慣:人格主義の回復』みたいにWin-Winを狙ってるかのような感じでしたし。でも・・・そういうのって、有名にしてハイ終わりじゃなくて、有名にした分その人の人生を負うような責任が生じると思うんですよ。プロの世界ならなおさら・・・それに、趣味で静かにやっていたいし、そんな時間もない(本業に忙殺されてる)絵師さんだっているかもしれません。だからこそ、最初に『かなしみとともに生きる』を引き合いに出して書いたように「有名にしたい」という自分の都合、つまり善意だけを押しつけていませんか・・・?みたいな感情が頭をちらりとよぎりました。それに、「有名になることや、それに伴う莫大な収入」が必ずしも作家にプラスになるとは限らない場合だってあるわけで・・・私の美大の若い先生も、そんな事をいってましたっけ・・・。

まぁ、善意でやっていることに冷水を浴びせることはあまり書きたくないし、観賞魚さんの心理も結構わかります。でも、善意だからこそ、「有名にしたい」という気持ちに、相手がどういうこたえを用意してるかも、きちんと耳を傾けておくべき・・・そう感じるのです。