何か、Xで津波の観測装置を親の仇の如く敷設したので、すぐに警報を出せるようになったという趣旨のポストがバズっていました。一瞬、関係者のポストかと思いましたが違ったので、こういう比喩が独り歩きするのも・・・と正直感じています。被災者でもない自分がいうのも何ですが、こういう時に引用リポストが(テクノ・ナショナリズム寄りの)「感動」とか「誇り」で埋め尽くされるのも、どうなんかな・・・と・・・。何らかの対策みたいなものが、過剰な物語付けをされてバズるような事に、弊害はないのか・・・という疑問がうっすらとあります・・・。
それとこれとは性質が180度違うし、あんな結果をもたらしたイラク戦争を引き合いに持ち出すのはどうなんかね~というのは承知の上ですが、観測装置にまつわるTogetterの熱狂は、まさに同時多発テロが起きた直後のアメリカの様でした。あの刑事事件の処理能力を上回るような事件に晒され、パニック状態に陥っていたアメリカが、徐々にブッシュ大統領への信奉と、戦争(とビンラディンへの復讐感情)への熱狂にシフトしていく様子と、結構一致してるな・・・とか感じたり・・・。付け加えるなら、東日本大震災発生からちょっと経った時に、パキスタンに潜伏していたビンラディンが、アメリカの派遣した特殊部隊により殺されましたが、あの時の熱狂にも似たようなものを感じるというか・・・。
まぁ・・・あんましああいう※熱狂が気に食わんのは、実際エンジニアにに親の仇かどうかも聞いてないのに、人の努力を自分の物語として意味づけをして、(ネットの性質上)独り歩きさせてしまうような所があるからだ・・・と思ってます。
確かに観測装置の設置は称賛すべき話ではありますが、「親の仇」というキャッチ―な言葉に代表されるような過剰な物語化は、逆に観測装置における精度や限界とされるデータ、維持管理はどうなのか?などといった感情を排して向き合わなければいけない問題の本質を漂白し、劣化版プロジェクトXのような美談としての解像度しか対象に与えないという弊害があるんじゃないか・・・そう考えています・・・。今回のカムチャッカ半島の地震の際は上手く行きましたが、次の震災の時は・・・という事を冷静に、厳しく考えていかなければならないのだと思います・・・。
※そうそう、こうした英雄化に基づく、当事者無視の物語化された熱狂は、福島第一原発の作業員達にも向けられていましたっけ・・・。