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2025年8月31日日曜日

でも、見破られるでしょうね・・・

 ここでAI絵本について書きましたが、やっぱり冒涜的でもないような気もします。あれは感情的になり過ぎた・・・まぁ、ちょろっと見てもAI絵本ってああいう感じだったし、金儲けの為にクオリティやその責任より、他者や社会をATMとしてどう独占するかみたいなやり口は、子供でも見破るでしょう。やっぱり勝つのは、商業的責任と品格の上に成り立っているビジネスだと思うのですよ・・・。同じく収益を目的とすればの話ですが・・・。

これって憶測ですが、noteを見た限りでも本当に絵本や児童書をリスペクトしており(または愛しており)、好きだからこそ職業としてコミットしたいと思ってる人って、かなり少ないと思います。ただ絵を数枚生成して文章が短くて楽そうだし、そういう所で大金が稼げてワナビになれるという事しか考えておらず、結果として何でもAIの出した答えに頼り、(かなり人をバカにした話になりますが)創作の勉強を1つもしていない感じでしょう。先人への敬意もなさそうだし。だからこそ、そんな機能を提供しているプラットフォームや彼らの創作意欲をビジネスとして扇動する企業の存在も、ギルティだなぁ・・・と・・・。

まぁ、私も絵を描いている時に色々「不勉強だなぁ」と思う事はあるし、無知を晒してしまった事はありました。今だって現代アートのトレンドに乗れず、独り善がりのテーマをチマチマいじっているに過ぎませんし・・・。

それに、美術史については正直疎い所もあるので、おなじ脆さはあるんですが(汗) 

2025年8月30日土曜日

もう夏が終わる

 もう・・・今日を入れてあと2日後には、9月がやってきますね・・・。

そういえば、昨日『おとぎ話はなぜ残酷でハッピーエンドなのか?』を読みました。サトウテン氏の表紙イラストが、結構印象に残りました。特に髪がブワーって舞ってる所が・・・。 

2025年8月29日金曜日

これから9月・・・!

 これから9月に入れば、多少は気温が低くなると・・・思います・・・!

今日は小説ばかり書いていました。色々風呂敷を広げたんで、どう収束させようか迷っています(笑) 

2025年8月28日木曜日

簡単に儲ける方法

 昨日の記事で、お母さんの絵本とか子供の漫画制作についてアレコレ書いたと思いますが、何か最近、それをAIに全部やらせて、マネタイズに繋げて儲けましょう!みたいな感じの記事をいくつかnoteの記事で見ました。そうですか・・・続きは金を払えと・・・。典型的じゃん・・・。

・・・はっきりいって、冒涜的ですよ・・・これは・・・。私だって、自作小説のアドバイスをAIに聞いたりとかするから同じ穴のムジナだという事は承知の上で書きます。ですが、イラスト系情報商材みたいな理論を、より慎重な倫理観と責任感が必要とされる、子供相手の商売で露骨に流そうとするのって、果たしてどうなのかと感じています・・・。 AIイラスト自体が問題じゃないんですよ・・・私も好きなのあるし・・・ですがね・・・子供の前でそんな商法をやるなんて事が、冒涜的だといいたいんですよ・・・。

 自分だって絵はまだまだ下手糞ですが、元からできる人がAIを活用するのはともかく、できない人が努力を回避してワナビになりたがったり、この記事で書いたように無責任な金儲けとして絵本をダシにするような事が続いていれば、それはしっぺ返しとしていつかは当事者達に降りかかってくると思います。まぁ、自分はAIにあんまり手を出してないけどそういう部分があるから他人事じゃない(汗)

何かね・・・『なんでも魔女商会』シリーズのコピー魔法の話を思い出すよねぇ・・・。 

2025年8月27日水曜日

どっちが本気か

 昨日の文章で、女の子がどーたら・・・みたいな話をしてたと思うので、それについて書いてみたいと思います。

なんか電車の中で、少女漫画の付録らしきノートに小学生くらいの女の子が、真剣な表情で何やらラフみたいなものを一心に描いていました。で、なんか・・・『マコちゃん絵日記』という漫画に出てくる剛田 知根という少女が出てくるのですが、彼女と同じようにもしかすれば漫画家志望で、せっせとコンペに投稿しているんじゃないかと想像しました。

で、翻って・・・なんかこれって全然関係ないかもしれませんが、自分の中で対照的に結びついていたので、書いておきたいです。図書館で何か、お母さんの手作り絵本ガイドみたいな本を見かけました。で・・・寺村 輝夫氏が自著で、お母さんが自分の子供に向けて作るような童話をケチョンケチョンに貶しよったな・・・という事を思い出しました。この文章の最初で漫画家志望(じゃないか)という子供を見たと書きましたが、やっぱり向きあい方が違うのです。

お母さんが子供に対して作る童話や絵本の場合、どうしてもわが子が対象(商業的責任も伴わない)という事で必要以上の妥協や独り善がりの愛情表現が先走り、結果として子供を見くびるものができ上るし、そういう事を推奨する人も一定の数で存在します。 だからといって冷厳で残酷なものを作れというわけじゃないですが、血縁関係だからある程度許されるという甘えに基づく創作もどうなのかと感じています。翻って、知根のような漫画家志望の子供達はどうでしょうか?評論する相手は親じゃなくて、子供だからといって配慮せずに対等に扱う容赦のない大人なので、自然と責任感が生まれますし、その分本気になっていますよね?子供がああなんだから、もう少しシャキッとしんさい!と、正直思いました・・・。

そういえば、今日は夕立がすごかったです。雷も鳴ってたし・・・ミナモアに避難してました・・・。 

2025年8月26日火曜日

今、構想を練っています

 今、大学ノートに絵の構想を描き散らしています。で・・・まぁ、同じ事しよった女の子を電車の中で見かけたので、明日くらいにそれについて描こうかね・・・と思います・・・。

2025年8月25日月曜日

◎「ドゥ・ゼイ・オウ・アス・ア・リヴィング?」にお邪魔いたしました

 この度、倉敷にあるギャラリーKAG様で行われている企画展、「ドゥ・ゼイ・オウ・アス・ア・リヴィング?」(企画・開催:川上 幸之介氏)にお邪魔いたしました。下にその様子をアップいたします。


こうした、「生きる権利」という言葉が作品の中に巡っている展覧会を見て、拙い私見ながら、ちょっと感じた事を書いていきたいと思います。

本展で指摘されていた、権力や社会自体がなす抑圧以外にも、ネットにおいて人権や福祉などに対して恣意的な科学的正しさを持ち出し、弱者を選別してその死体蹴りに酔うような言説をチラホラと見かけます。そして、本展が主張する人間が「生きる権利」自体にまでインセンティブや排他的なトリアージ的選択を迫るような話がある中で、アートは更にどれだけ対峙できるか・・・みたいな思いが頭をよぎりました。もともと、そういう人達はこちらの真面目な怒りや問題提起を「サヨクのヒステリー」として冷笑しながら仲間と一緒に片すのが普通ですが、やっぱりヤバさはヤバさとして、地道に続けていかなければ・・・と感じます。

それと・・・これはちょっと気になったことですが、オレグ・クリーク氏のパフォーマンス映像なんですが、(モザイクありだとしも)男性器が視認できるような状況なら、年齢制限は必要なのでは・・・と正直思いました。やっぱり、いくら反権力でも子供でも見れるとしたらそれは虐待であり、パンク以前の問題であると感じました・・・。 

2025年8月24日日曜日

今小説を書いています。

 今作品の世界観を固めるために、小説を書いています。

ヨーロッパの国が舞台・・・という事なので、ある程度参考資料を図書館で借りました。

どんだけ反映できるかな・・・。 

2025年8月23日土曜日

「花電車が通る」を制作しました

 ここで作品が完成したと書きましたが、下にてその画像をアップしたいと思います。ただ、センシティブなものが含まれているため、それでもという方は「続きを読む」をクリックして見てください。

2025年8月22日金曜日

倉敷に行きました

 今日は・・・昨日の文章通りに・・・遠出しました・・・。

倉敷です・・・。これについては後日書きますね・・・。 

2025年8月21日木曜日

明日はどっか行こうかな

 明日はどっかに行く・・・つもりです。だって高速バスのチケット買ってるし・・・。

チケット・・・切符・・・使い分けってどうしたらいいんでしょうか(汗) 

2025年8月20日水曜日

『波あとが白く輝いている』再び

 ここで、『波あとが白く輝いている』という児童書の感想を書いたと思いますが・・・まだ、書き足りない所があったので、ここで書こうかと思います。また読んでるのでね・・・。

本作品は、読めばわかると思いますが、結構震災遺児の七海をメインとして、コロナに祖父のガン等、色々な問題が詰め込まれています。ですが、それが『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』のように、海光祭の復活という一つのテーマにしっかりと収束されているので、出しっぱなしで終わらない強さがありました。

そういう所で、コロナに震災というといくらでも悲惨に出来そうなテーマを、きっちりブレーキをかけて運転させている所が本作の最大のいい所だとおもうんです。抑速ブレーキを使った安全運転といえばいいのかな?七海が震災遺児ながら当時1歳で母親の記憶が無いというのも、かなり新しい設定ですし。

実際、家族の遺体(性質上、詳しい描写はない)とか直接的な被災の描写、悲痛なサバイバーズギルドの表現は出てくるといえば出てきますが、それを(よくある「震災もの」みたいに)辛さに共感できる強さでこっちが知らないことを責めるように殴るようなものではなく、寧ろそういうキャパがない(うさくん先生がよく主張されている「こち繊」みたいな感じ)人への配慮も行き届いている点に、作者の優しさを感じました。被災者でもないのにこんなことを書くのは気が引けますし(ついでに資格もないのも承知です)、上の方で辛さに共感できる強さで殴ると書きましたが、どうもそういう所から、震災やコロナ関係のドキュメンタリー番組や書籍は、作り手の怒りや使命感が先行し過ぎて、どうやったら受け手に対象が感じた現実を心理的負担として背負わせることができるかというゼロサムゲームになりがちだと感じています。

例えるなら、※原爆投下においても、みんながみんなそういう耐性(つまり、『はだしのゲン』の残酷描写や平和記念資料館の展示など)があるわけではなく、苦手な人の感性に合わせた配慮に基づく表現はあるべきだし、苛烈な現実に対する優しさは甘さや逃避ではないといえます。

 それと、『波あとが白く輝いている』のストーリーは多くのコロナ系の話で語られていたような、典型的な「部活や行事が中止になったから、それを立て直すいい子」を描いたものです。ですが、そこにも押しつけがましさはなく、現実への剔抉という形で、震災を知らない子供達を罪や義務を背負わせるような書き方じゃないのが良かったです。

 

※水沢 悦子先生の『ヤコとポコ』における大家さんの少数派の話ではないですが、実際に中学生の時に、コーラス大会で「消えた八月」を歌わされることになり、その下準備として原爆関係のドキュメンタリーを教室で観る事になりました。すると遺体の写真が映されてそれにショックを受けた女子が寝れなくなりました。再び、辛さに共感できる強さの話になりますが、こういう概念が寝れないようなショックを受ける事すら評価として回収されることに危機感を持っています。せめて、(『ニングル』の「知ラン権利」ではないですが)ナイーブな人間がキャパの相性にあった知り方をする、もしくは精神的健康を守る権利も事実を剔抉するスタンスと同じくらい大事だと思います。

2025年8月19日火曜日

『灰とダイヤモンド』を読みました

最近読んだ戦時中の食生活を扱ったグルメ漫画で、日本統治下で近代化が進み、現地住民に今でも感謝されているという加害の矮小化と正当化に近い描写が行われていたのを思い出しながら、戦後の東京の闇市を舞台にした児童書『灰とダイヤモンド』を読みました。

なんか宣伝とかXのレビュー等を見た上で読んだのですが、この小説はただ登場人物を「かわいそうな被害者」として描き、あやふやな「戦争の悲惨さ」として語るような事をしていません。日本をちゃんとアメリカと同じ「戦争加害国」として、その責任追及ともいえる描写が数多くあり、今まで(東京大空襲に代表されるような)無差別爆撃や原爆投下において、中韓を始めとした周辺アジア諸国に対しての蛮行を「免罪符」にしているような作品がある中で、『灰とダイヤモンド』は日本をきちんと戦争加害国として描いた数少ない児童書だと思いました。私の住む広島でも原爆投下後のポスト8・6ばかりが語られがちですが、その前を辿ると、(今は無き国鉄宇品線や大本営の設置を見るにあたり)戦争加害の一翼を担っていた歴史があるわけです。

しかも、その書き方も主人公サイドが(よくある反戦もののように)「無垢な市民を騙した権力者が悪い」という様な逃げも許していないので、著者の戦禍に対する誠実な視線を感じました。

そしてラストに「殺す側」に関与してしまった主人公の決意が描かれていますが、戦争加害者だけではなく、家族が事件を起こしたり、広陵高校のように自分が通う学校が重大な不祥事を起こしたりと、主人公のような環境に晒されてしまう子供達はいるわけです。加害がテーマである故に、過去の話だけではなく、現在の問題にも刃が突きつけられているように思えました。 

 

2025年8月18日月曜日

今日はキャンバスを買いました

 今日はキャンバスを買いました。F12号のやつです。まぁ・・・交通費の無駄だし・・・そんな時間があるなら絵を描けよって話ですけど・・・夕方になったらまた、バスで北上したいと思います・・・外出しないかも知れないけど・・・。

そういやグラフィックノベル・・・そろそろ絵だけじゃなく、本文もセットでやらな・・・と考えています・・・。 

2025年8月17日日曜日

〇〇を論破する話

 ここで書いた話をまた蒸し返すようですが、このポストを見てようやくその謎が解明・・・できそうな感じです。でも、リンク先の記事でターゲットにしていたフリゲ製作者は、本当に大学で逆張り冷笑を(教授に対して)やってイキっとった所はあるんで・・・。で、怒られたことをXで武勇伝みたいに語っててね・・・。

そういえば、完成したと思った絵にまた加筆しています。ストリップ劇場の「花電車」をモチーフにした作品にするつもりです・・・。これは隠した方が良かったかな・・・?でもそこまで露骨に書いてるわけじゃないんで・・・これ位いいか・・・。 

2025年8月16日土曜日

作品が完成しました

 作品が完成しました。

状況が整い次第、こことか公式サイトでアップしたいと思います。

 花電車・・・そういう意味があったのね・・・。

 

2025年8月15日金曜日

「正しさ」を疑え?

いまどきのアレコレで、「正しさを疑え」っていう言葉があるじゃないですか。

ですが、まだ正しさや規範すら理解できていない子供に、そういう事から教えるのは却って逆効果であると思います。そういう大人は子供を対等に扱うことが、適切な子供扱いより優れていると思っているフシがありますが、悪平等のいい換えだと思います。

ああ、そうそう。正しさでいえば今日、煽り運転の現場を見ました。決定的瞬間ですよ。

ポルシェに無理な割り込みをしようとして、国産車のワゴン(デリカでした)に乗った奴がクラクションを何度も鳴らして・・・なんで国産車のクラクションの大半は、あんな不快な音程なのか・・・そういう奴ほどあんな音を好むという事でしょうかね・・・。個人的には外国の車や一部の高級車ブランド、バスやトラックみたいにちゃんと都市環境に適応した低音にしてくれ!と思うんですよ・・・。最近のマツダも低音でしたよね・・・。車高が高いから無敵だと思ったのか・・・それ故にポルシェが高級車であることを理解できなかったのか・・・。

ハードばかり取り繕い、ソフトにちゃんとコストをかけないからこんなことになるんですよ・・・。 まぁ、私も絵を描く時にケチることあるから、人のこといえんか(汗)

 

2025年8月14日木曜日

グリーン・マイルのパーシー

私は『グリーン・マイル』を映画・原作両方見ていますが、やっぱり印象に残っているのはポールやブルータス、ジョン・コーフィ等と併せて、パーシーなんですよね・・・あの性格と共にやった事が強烈な印象として残っているので・・・。ドラクロアの死に方・・・みんな覚えてると思います・・・。だからパーシーがぶん殴られたのは、正直よかったと思います。ああ・・・これも私刑の肯定じゃ・・・情けない・・・。

で・・・現実世界においても、また広陵高校の話になりますがそういう展開ってあると思うんですよね・・・。パーシーは看守という立場で、死刑囚が反論できない立場につけこみ、日頃から囚人への虐めを行ってきました。そして、幼稚な恨みでドラクロアの処刑をあんな風にして・・・。こうした「社会正義」を隠れ蓑にして、自分の日頃から感じているストレスや恨みを犯罪の加害者に使う構造・・・これも「加害」の一種じゃないかと思います。

で・・・何かXのポストを見たんですが、その通りで被害者の親族が本当にそれを望んでるのかってことなんですよ。こうした「虎の威」を借りた身勝手なバッシングなら他にもあります。自身も原発の電気を使っていたという自省(これは私も反省せねば・・・と日々思っています)なく、被災者をダシにして行われていた反原発デモ、同じく、被爆者をダシにして8月6日・8月9日に大挙して押し寄せるデモ団体、敗戦と同時に天皇陛下を「天ちゃん」とか「天公」とか呼び捨てにし始めた人々・・・。

だからこそ、被害者を盾にした炎上やバッシングほど、ロクなものはないな・・・と感じています・・・。 

『キムの十字架』・・・の感想じゃなくて・・・

 最近、和田 登氏の児童書『キムの十字架』を読みました。『ほろびた国の旅』とか『大久野島からのバトン』と同じく数少ない、戦争加害国としての日本を描いた作品でしたが、(滅茶苦茶な計画による)朝鮮人の強制労働がメインテーマという事で、私はふと、中学生の時に『嫌韓流』という漫画がベストセラーになっていた事を思い出しました。

まぁ・・・で、当時のネットを見ると、その時はTwitterやYoutube等が無かったので、個人ブログや2chで韓国・中国叩きが結構あったな・・・と記憶しています。

そして、高校になってからアメリカの大学で銃乱射事件が起き、犯人が韓国からの移民という事で、事件に便乗して「韓国人だからそうなる」みたいなブログ記事も結構ありました。

何ていうのか・・・一昨年位に(こういう読み方は結構情けないと思いますが)ウェブ上で岡田 索雲先生の『追燈』という漫画をちょろっと読んだのですが、今日では殺人まではいかなくともレイシストはそうする理由をどこからでも紐づけるような存在だし、私達にもそういう悪は燻っていると思うので、気をつけなきゃいけんな・・・と感じています。 

最も、私は※9月1日(と3月11日)だけ防災やメディアリテラシーについて真剣に考える事を演出する風潮が、あまり好きではありませんが・・・。

※9月1日は「防災の日」ですが、そこに東京目線をうっすらと感じています・・・。 

 

2025年8月13日水曜日

今日は暑いですね

 今日は暑いですね・・・。

まぁ・・・あと3週間くらいの辛抱です・・・。

何か広陵高校関係で思い出したのは、何か石田 衣良氏の『うつくしい子ども』ですね。

あの時犯罪被害者の心情にただ乗り(そういうのはレッドオーシャンでしたし、今でもそうですが)し、加害者と加害者家族を糾弾すれば確実に金になっていたのに、そういう「英雄譚」を退けて敢えてその「英雄譚」を生み出す者、享受する者を辛辣に、痛切に斬った石田氏は本当に勇気がある作家だと思います。自分自身も天邪鬼なんで、こういう時に専門外のタレントとか俳優に(世論の一環という認識で)意見をいわせるメディアもどうかしてると思いますし、敢えて何かバッシングの嵐に一石を投じる意見の方がまともじゃないのか・・・と感じています・・・。これとかこれが一番共感したな・・・今回の騒動では・・・。
ここでも同じこというとったなぁ・・・。記事の使いまわしみたいですが、許してください・・・。

2025年8月12日火曜日

問題は何なのか

 広陵高校のアレ・・・ですけど、もうXとかBlueskyとか、お察しの結末になりそうですね・・・。公的な裁きが待てん、もしくは嫌ならそういう国に引っ越せばいいのに・・・そんな気持ちが頭をよぎりました・・・。

何かロシア人への嫌がらせとか、木村 花氏の自殺、東電やJR西日本への無責任なバッシングなど、私刑感情を満たしたいという意見に対し、ネットが冷淡な評決を下してもいい話になってきてるのでは・・・そう感じています。

 ああ・・・そうそう、私は今回の事件を矮小化したり、加害者を擁護する気はさらさらないです。ただ、私刑感情をネットで行使することは問題をさらにややこしくして、治安をさらに下げるだけなので意味はないといいたいだけです・・・。noteを見たけど、あっちの方がXより100倍マシなこというとるよ・・・。

 

 


 

2025年8月11日月曜日

「命を食べる」を制作しました。

 今回アップする画像は、センシティブなものなので、ワンクッション置いています。それでもという方は、「続きを読む」をクリックして続きを読んでください。

2025年8月10日日曜日

コラムの問題

 何か週刊新潮のコラムが創氏改名という事で大炎上していましたが、何か私としては「またか・・・」という感じでした。『言論のテロリズムⅡ:「捏造雑誌」週刊新潮を解剖する」という本を高校時代に読んだ身としては、水俣病患者を「ニセ患者」呼ばわりしたり、沖縄で米兵に暴行された少女を嘲笑したりするような記事がその本で糾弾されていたし、松本サリン事件でも冤罪被害者である河野 義行氏の家系図を面白おかしく暴露したりするような雑誌でしたから・・・。

最も、こういうのは週刊新潮だけの異常性や問題ではないと思います。 週刊誌はともかく、PV獲得優先のニュースサイトやバイラルメディア、まとめサイトなどのイエロージャーナリズム全般に通ずる話であり、個人的には社会派ぶった悪意や害意をガス抜き(つまり私刑感情を煽る)として提供しているに過ぎない・・・と思うのです。だからイエロージャーナリズムは等しくイエロージャーナリズムであり、まともな良識を持っているなら信頼などすべきではないと・・・。

ですが、私も時折実話ナックルズやアサヒ芸能、週刊大衆とか買ってるんですがね(笑)矛盾の極みじゃ~(汗) 

2025年8月9日土曜日

抗議文を見ました

 何かちょろっとネット経由であの抗議文を見たんですよ・・・。川内村のやつですが・・・。

で、あの関電による原発新設の話で、あの年齢(小学生)でああいう事をいわせてしまう状況に、懲りてないのかな・・・という感じがしました。こうした「子供の声」にまつわる大人の反応については、また時間があえば書いてみたいな・・・と感じています。まぁ・・・自分達がいわれても仕方ない状況かも知れんしなぁ・・・。広島に住んでいながら、再稼働だしね・・・。

2025年8月8日金曜日

なんたらの悪魔化

 今日は記念すべき・・・『ふたごチャレンジ!』シリーズの10巻を買って、その感想を・・・というつもりでしたが、Xでまたああいう話系の話が話題になっていたので、そっちの方を優先したいと思います。

私自身、特定の科目(当然理数系)が結構苦手だったので、それを併せて敢えて書きますが、学生時代に勉強はできたけど目立たず、DQNっぽい人達にいじめられた(と主張している)人達が体育会系の問題点を鬼の首でも取ったかのように指摘して、メリトクラシー系のナショナリズムを振りかざすのを見て、色々と腹の底から疑問が湧きあがってきます。

これは、『ファスト教養:10分で答えが欲しい人たち』や『実力も運のうち:能力主義は正義か?』でちょこちょこ指摘されているとは思いますし、(再びリンクを貼りますが)こういう記事もある中で、前述した被害者意識に基づく勉学の神聖視や絶対視で見落としていることはあるんじゃないか・・・?そう思うのです。今もXでちょっと検索すれば、(特に小~中学生くらいのあたりで)勉強ができて教養があるのに正当に評価されなかったという、恨みつらみを含んだポストが今もバズを稼いでいます。ですが、そこには勉強が嫌いなのはともかく、勉強が苦手だったり、LD(学習障害)だったり、受験に失敗したりする子への想像力が無いという点で、彼らが受けてきたという体育会系のいじめと同じじゃん・・・という考えがうっすらと浮かんでいます。ポストによれば、体操ができなかったとか逆上がりができなかったとかで恥をかいたということですが、今まで学力や学歴で相手に恥をかかせるような言動がどれほどネットの大海で行われてきたのか・・・そういう話なんですよ・・・。そこに目を逸らして、何故体育会系ばかりが悪魔化されるのかという・・・。

で、私は決して昔の安いドラマみたいに、エリート=悪、庶民=清らかみたいな幻想を披露したいわけじゃないし、教育による序列(とそれに伴う競争)も必要悪としてある程度は必要だという立場です。ですが、なんかそこら辺の成功者による(林 志弦氏がいう所の)「犠牲者意識ナショナリズム」にはちょっとな・・・と思ってたので・・・。

それと、なぜアスリートや体育会系と呼ばれる人からは、前者のようにネットで「お前はそんなこともできないのか」とか「 できないやつは落ちぶれて当然」みたいな話が余り出てこないのも、不思議な話だよね・・・とも・・・。

2025年8月7日木曜日

灯篭流し

灯篭流しは・・・行ってません。それでも何か奇声が聞こえてたみたいですね・・・。

今日はこれだけです・・・すみません・・・。 

2025年8月6日水曜日

暴走する○○

 まずは・・・この記事を見てください。私もネットでちょくちょく事例を見てるので、記事における60%位の内容は正しいと思います。特に、最後の章はマジでそうだよなと・・・。

アートという冠がついた瞬間、敷居の高い場所でボス猿みたいに振舞う人はごく一部の極端な事例でしょう。まぁ・・・ああいう分野ってあんまし批判者もいないし、いってることが正しい事もあるんで発言者が更に(リンク先のタイトル通りに)暴走するという話は、結構あるかなと・・・。

まぁ・・・私だって会社(正規雇用という意味で)で働いていないのをいい事に、この公開日記で好き放題書いていますし、人にはそんなこというのかという自覚の上で敢えて書きますが、やっぱり同じレベルなら(特に)SNSにおける発信が安定しているギャラリーがいいよな・・・と個人的に感じています。

ここら辺・・・『謝るなら、いつでもおいで』と併せてもっと詳しく論じてみたい気がする・・・。 

2025年8月5日火曜日

親の仇

 何か、Xで津波の観測装置を親の仇の如く敷設したので、すぐに警報を出せるようになったという趣旨のポストがバズっていました。一瞬、関係者のポストかと思いましたが違ったので、こういう比喩が独り歩きするのも・・・と正直感じています。被災者でもない自分がいうのも何ですが、こういう時に引用リポストが(テクノ・ナショナリズム寄りの)「感動」とか「誇り」で埋め尽くされるのも、どうなんかな・・・と・・・。何らかの対策みたいなものが、過剰な物語付けをされてバズるような事に、弊害はないのか・・・という疑問がうっすらとあります・・・。

それとこれとは性質が180度違うし、あんな結果をもたらしたイラク戦争を引き合いに持ち出すのはどうなんかね~というのは承知の上ですが、観測装置にまつわるTogetterの熱狂は、まさに同時多発テロが起きた直後のアメリカの様でした。あの刑事事件の処理能力を上回るような事件に晒され、パニック状態に陥っていたアメリカが、徐々にブッシュ大統領への信奉と、戦争(とビンラディンへの復讐感情)への熱狂にシフトしていく様子と、結構一致してるな・・・とか感じたり・・・。付け加えるなら、東日本大震災発生からちょっと経った時に、パキスタンに潜伏していたビンラディンが、アメリカの派遣した特殊部隊により殺されましたが、あの時の熱狂にも似たようなものを感じるというか・・・。

まぁ・・・あんましああいう※熱狂が気に食わんのは、実際エンジニアにに親の仇かどうかも聞いてないのに、人の努力を自分の物語として意味づけをして、(ネットの性質上)独り歩きさせてしまうような所があるからだ・・・と思ってます。

確かに観測装置の設置は称賛すべき話ではありますが、「親の仇」というキャッチ―な言葉に代表されるような過剰な物語化は、逆に観測装置における精度や限界とされるデータ、維持管理はどうなのか?などといった感情を排して向き合わなければいけない問題の本質を漂白し、劣化版プロジェクトXのような美談としての解像度しか対象に与えないという弊害があるんじゃないか・・・そう考えています・・・。今回のカムチャッカ半島の地震の際は上手く行きましたが、次の震災の時は・・・という事を冷静に、厳しく考えていかなければならないのだと思います・・・。

 

※そうそう、こうした英雄化に基づく、当事者無視の物語化された熱狂は、福島第一原発の作業員達にも向けられていましたっけ・・・。 

2025年8月4日月曜日

「Shooting star」を制作しました


 「Shooting star」というタイトルの作品を制作しました。

このままシリーズ化するつもり・・・いや、したいです。こうやって、一つの世界観の基に複数の作品を作って、後から物語を付け足していこうと思ってるのですが・・・あんましできてない・・・いや、全然できてない状況です。プロットは組み上がってるので、後は12ページくらいで書けばいいんですけど・・・ね・・・。

 まぁ・・・次回は敷居かなんかについて書いていこうかね・・・再び・・・。

2025年8月3日日曜日

実家関係のアレコレ

 今日は実家関係のアレコレを済ませました。

そうね・・・あれから13年目だもんね・・・。

 ですが、虫の居所とはいっても、その場で発言していい事と悪い事はあると思います。例えるなら、レイプ被害者を知人に持つ人間に、「条件さえ揃えば、人間って襲いたくもなるでしょ?」みたいな話をされると、どういう気持ちがするのかと・・・。

ちょっと空気を読めよと・・・。

で、明日くらいにまた新作をアップしたいと思います。余裕があれば、の話ですが・・・。 

2025年8月2日土曜日

闇系の話の続き

 今日も、過去話の蒸し返しになりますが、リンク先の文章にあるように一部のギャラリー経営者が勧誘系ギャラリーはともかく、その出展者まで悪しざまにいうのは何だかなーという趣旨の事を書いたと思います。まぁ・・・あんまし特定はしたくないですけど、勧誘系ギャラリーへの出展歴がある作家まで、自分が主催してるコンペや展覧会に出すなというのは、批判の度を越した排斥主義だし、結局カタギのアートビジネスも含め、みんなが不幸になるだけじゃないのか・・・?とひっそり感じています。

例えるなら、「あの人は事件を起こした宗教団体の信者でしょ?まともな人間として、あの人には住民票なんか発行してほしくないし、この町に住んでほしくない!」とか「ウチらは信者じゃないんで、脱会する気が無いならさっさと出ていって、信者と仲良く毒ガスでも作ってろ!」みたいな暴力性を感じるというか・・・。まぁ・・・そういうギャラリーにわざわざ出展しなくても・・・みたいな感じはあるんですが・・・。

こうした一部の美術関係者が、排他的な選民思想をSNSで発信することは時々見かけます。 以前の文章でも敷居みたいな話は書いたと思いますが、敷居が高ければ高いほど、その集団の治安や純度が保たれるというメリットはありますが、逆に閉鎖性や(上に書いたような)排他性が強まり、要らん加害欲求を煽ってしまうというデメリットが存在する・・・そんな感じがするのです。ガンプラ説教おじさんみたいに・・・。

まぁ・・・勧誘系ギャラリーというのはどう見たって倫理的正義に照らしあわせて、100パーセント落ち度があるので批判は容易だし、「あんまし出展せん方がいいよ」という警告も有効なわけです。ですが、こちらが100パーセント正しい側にいるからといって、出展者まで口汚く罵るやり方は、逆に勧誘系ギャラリーのカモを増やすことにならないか・・・そう感じています・・・。 

2025年8月1日金曜日

誰かの役に立ちたい?

 約1ケ月前のお話になりますが、この続きをしたいと思います。

 かなり場違いな例えですが、池田小学校事件の遺族である本郷 由美子氏の本『かなしみとともに生きる:~悲しみのグラデーション~』において、東日本大震災の避難所で「こころのケアお断り」という貼り紙があったことを例に出し、自称専門家やボランティアの人達が一方的な善意で被害者に押しかけて、それが結局当事者を無視した押しつけにしかなっていないという痛切な問題提起がなされていました。まぁ・・・今から私が本題に出したいのは、絵師応援という全く類の違うものなのですが・・・。

私だって、誰かにプレゼントするのは好きです。知人にお菓子を上げたり、両親に誕生日やクリスマスなどに映画のDVDとか漫画とかをしょっちゅう送っています。で、問題とされるのは結果なんですよ。こんないい方は好きではありませんが、私がこれまでやったことは余り人の人生を背負うという責任が伴わない気楽なものですが、前リンクにおけるあの観賞魚の人が絵師さんに対してやろうとしている事は、必要とされる責任や配慮というものが、余りにも欠けていると感じます。

なんかnoteを見たんですが、好きな漫画家さんとタッグを組んでからコミックエッセイを作りたい・・・みたいな記事を見ました。どうも観賞魚の人は、応援する目的で絵師さんに依頼をして、有名にしたいという気持ちがすごく強く見えます。何か『七つの習慣:人格主義の回復』みたいにWin-Winを狙ってるかのような感じでしたし。でも・・・そういうのって、有名にしてハイ終わりじゃなくて、有名にした分その人の人生を負うような責任が生じると思うんですよ。プロの世界ならなおさら・・・それに、趣味で静かにやっていたいし、そんな時間もない(本業に忙殺されてる)絵師さんだっているかもしれません。だからこそ、最初に『かなしみとともに生きる』を引き合いに出して書いたように「有名にしたい」という自分の都合、つまり善意だけを押しつけていませんか・・・?みたいな感情が頭をちらりとよぎりました。それに、「有名になることや、それに伴う莫大な収入」が必ずしも作家にプラスになるとは限らない場合だってあるわけで・・・私の美大の若い先生も、そんな事をいってましたっけ・・・。

まぁ、善意でやっていることに冷水を浴びせることはあまり書きたくないし、観賞魚さんの心理も結構わかります。でも、善意だからこそ、「有名にしたい」という気持ちに、相手がどういうこたえを用意してるかも、きちんと耳を傾けておくべき・・・そう感じるのです。