かなり前の話ですが、中学生の時に愛知万博へと連れて行って貰った事がありました。家族旅行なんですけどね・・・。それがちょっと20年位前なんでうろ覚えで申し訳ありませんが、ロボット系のパビリオンに入ったんですよ。で、何か世界中の子供達が考えた、ロボットの絵があって、その中にハッとする作品がありました。
それは、マントのようなものをいっぱいに広げて、津波を押しとどめようとする赤いロボットで、楽しい旅行気分から、そういやスマトラ島沖地震発生1年目だったな・・・という生々しい現実に、冷水を浴びせられる思いでした。多分、当時の被災地あたりの子が描いたやつだったと思います。憶測ながら、アチェやピピ島あたりじゃないかと・・・。
これはあくまでも個人的な感想になりますが、その規模と死者数で2004年のクリスマスシーズンを蹴り上げるような衝撃を社会に与えたスマトラ島沖地震は、全体的に見ると現在は記憶の彼方に追いやられているように見え、どっちかといえば(同じ津波災害である)東日本大震災へのフォーカスが強いな・・・と感じています。原発事故も併せれば、当然っちゃ当然なんですが・・・。まぁ・・・1国どころか国際的な被害規模で、22万人の死者が出てるのに「地震」だもんなぁ・・・。
そこで・・・震災を題材にした漫画もかなり刊行されていますが、どうも多くの描き方に居心地の悪さを感じるというか・・・それは、今日 マチ子先生の『るすばん猫きなこ』を読んだ時でも感じたんですが、何か自然と東京が起点になってはしないか・・・と・・・。勿論、そこには真っ当な良作もあるという事を、大前提にして語りたいんですけど・・・。
例えるなら、登場人物を被災地に行かせて、被災者の思いをぶつける事で本人が打ちひしがれ、或いは、被災者そのものを描き、作者自身を被災地(被災者)へ殉教させるような感じで、東日本大震災がもたらした被害と特異性ばかりに、東京(あるいは、首都圏)寄りの構造から福島への贖罪や使命感、岩手、宮城等への情動をどう浄化するか?という事ばかり考えてるような作品を、かなり見てきたというか・・・。
だから、10年とか15年とかいうみんなの耳目を集めやすいタイミングで、震災と向き合う準備ができたと声を上げるクリエイターたちを見て、私はあの、津波を止めるロボットの絵と、それを描いた子供を思い出すというか・・・。
で・・・前者ですが、他者への善意とか正義への努力というのは・・・これは、恩師に当たる人の努力論を借用しちゃいますが、 本来自分から積極的に表明するものではなく、地道に粛々とやっているのを、他者が見て初めて評価するものじゃないか・・・という思いがうっすらあって・・・。だからこそ、ああいうのを作品で浄化する事に、かすかな違和感を感じてました。
すません・・・うろ覚えの記憶で、こんな事書いちゃって(汗)