白矢 三恵氏の児童書『ぼくらの教室RPG』を読みました。何か、(タイトルが示唆する通り)ひょんなことからゲームに登場するキャラのあだ名をつけられ、ノリのいいクラスメイトのスバルにネタにされ始める少年、秋人を中心にして、「イジり」という行為を考えさせるようなストーリーなのですが、私が真っ先に思い出したのは、安田 夏菜氏の『なんでやねーん!』という作品、つまり同じ児童書でした。
『なんでやねーん!』でもお笑い芸人を両親に持つ少年が、生真面目なクラスメイトの些細な行動や態度をあげつらって、お笑い芸人の相方になって欲しいとしつこくつきまとうシーンがありました。結果、こちらの方はハッピーエンドになっていましたが『ぼくらの教室RPG』はそうした世に蔓延る「お笑いセオリー」が状況によっては加害になり得ることを、きちんと書いていました。こちらのリンクはかなり前の文章でも貼りましたが、こうして人を躊躇なくお笑いのネタにするという事は、(表層的な)コミュ力の高さはあれどもハラスメントの温床となりうるわけです。
で、本題に入りましょう。『ぼくらの教室RPG』では、物語が進行するにつれてどんどんイジりがエスカレートしていきます。そして、この話がいいと思ったのは、ただ加害者であるスバルを成敗するという単純な話にしていない所です。今まで散々スバルと一緒にイジりを持ち上げてきたクラスメイト達が、秋人に理があるとわかった瞬間、スバルを叩き始めるという群集心理のどうしようもなさも描いています。そこで、物語のテーマの一つである「空気を読む」という事に一撃が下されるわけですが、 根無し草のような人間が生み出す加害の構造から抜け出し、真の精神的自立を歩み始める事こそ、薄っぺらな「コミュ力」に流されていくより大事なのだという事が感じられました。
近年、そうしたコミュ力礼賛の風潮のもと、大人しくて浮いている(もしくは、ノリが悪い)人を「ぼっち」とか「コミュ障(症)」みたいなスラングで死体蹴りをするような漫画とかライトノベルが流通していますが、そうしたハラスメント仕草については、もっと批判が加えられてもいいのではないかと思います。 リンク先の記事でも、精神科医の斎藤 環氏が「スクールカースト上位者はコミュ力は高いが共感力は低い」と書いていましたが、まさにそうだと思います。
じゃなければ、人を笑いものにしてイジれるわけがないです。 『ぼくらの教室RPG』ではそうした構造がラストできちんと解体されていましたが、現実では何らかの強者が弱者を一方的にいたぶるというユーモアが、子供向けの作品でも氾濫しているというのが現実なので、『ぼくらの教室RPG』のように、「イジり」の被害にあっている子や、それをよしとしない子達へ地道に武器を配っていくしかないのかもしれません・・・。