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2025年12月11日木曜日

『エレベーターが止まったら』を読みました

今日は何となく、2回目の更新をしました。新井 けいこ氏の児童書『エレベーターが止まったら』という作品を読んだので・・・。 

新井 けいこ氏は、こちらでも共助の美徳について語られていますが、『エレベーターが止まったら』もその一つだと思います。私はタワマンに住んだことがないので、その実情(家賃とか住民同士のアレコレ等)については全くわかりません。だから口出しをするのはどうかと考えますが、一応は感想は書いておこうかと・・・。

まぁ、33階建てのタワマンに住む2人の少年が、エレベーターが故障で止まってから、屋上で開催されるクリスマスパーティーをメインにして、人助けに奔走するというお話なんですが、個人的には「ちょっと・・・」と感じています。想像してください。33階建ての高層建築物を、階段で上り下りする事は大人でも重労働だし、小学生なら猶更でしょう。

私だってそれなりに稼いで生きていければ、お互いに干渉せずに生きられる生活を夢想した事が何度かあります。ですが、現実は人とのかかわりや尊重を自覚しなければ生きていけません。社会に馴致されずとも生きていける(もしくは、そういう権利があると)と宣うのは、普段から自分が腐している「普通の人」 の連帯に守られていると気づきもしない、身勝手なインテリ気取りでしょう。

だからこそ敢えて書きますが、 本来なら(結構嫌な書き方ですが)大人同士が負担と責任を分け合わなければいけない事を、小学生の子供の耐久力を無視して与える事を、果たして一方的な美談として片付ける事が正しいのでしょうか?そんな重労働を、小さな子供の身体に期待として背負わせる事は、寧ろ独善ではないのかという疑問が頭をよぎりました。

新井氏の善意のギヴ&テイクに対する理念は真っ当だし、社会問題に対して独り善がりであざとい説教やアイデンティティ闘争ばかりが先行しがちな今日の児童文学界に対し、まっとうで地道なメッセージは必要とされるものでしょう。だからこそ、人助けや手伝いといっても、大人が耐えられる負荷を子供にそのまま与えるのではなく、年齢や発達段階に沿ったキャパに調整すべきだったのではないか・・・そう感じています。じゃないと、児〇書読〇日記というブログが『ステイホーム』の感想で書いてたような、※「共助という甘い幻想を叩き潰す」という所から社会の基幹に難癖をつけ、その破壊すら望んでいるような無責任な自説にお墨付きがつく事になるのでは・・・とも思います・・・。

 

※そういう状況で生きていけるのはこの文章で書いた通り、一部の富と権力に恵まれた勝ち組だけで、散々自分が諂ってきた弱者にとっては修羅の国になる事への想像って、あるんでしょうか?多分ないでしょう・・・。