みなさん・・・覚悟はいいですか・・・?
これから節分です・・・。皆様の楽しみのために、頑張ります・・・。
ていうか現世には色々鬼がおりすぎて、どこに豆を撒けばいいのかわかりません・・・。安っぽいいい方で自分でも嫌になりますが、とりあえず投票という豆を撒く事にします・・・。
画家、藤高昇太の公開日記(ブログ)です。主に出展のお知らせや、近況などを書いていきたいと思います。なお、整理のために一部の記事が削除される事がありますので、ご了承ください。 ◎本ブログの文章の一部引用および画像の無断転載を許可いたしますが、以下の注意を守ったうえで、自己責任でお使いください。1.営利目的・非営利目的(何らかの収入を伴わない)に関わらず、出典の明記は大体わかる形でもかまいません。そちらのご都合に任せます。 2.政治的・社会的な信条にかかわらず、いかなる表現も許可いたしますが、最低限のTPOとモラルを守ったうえでご使用お願いいたします。なお、タイトルに◎がついた作品は、版権ネタですので無断転載をご遠慮ください。
で、今7話をコミックアライブにて読みました。展開としてはアレで良かったんじゃないかと思います。6話ではウィルが娼妓達の現実を知り、涙するというシリアス展開でした。で、「アレ」に繋がっていくんですが、そこからストーリーが生々しい復讐とギスギス展開の刃を持たなかった事を指しています。まぁ・・・ストーリーの基幹に主人公達がそれをやるに値する土壌があれば・・・という感じなんですが・・・。
今日はサンモールに行きました。
そういえば・・・オバマ氏が広島に来た時も、あそこで昼食を食べとったなぁ・・・。辣蕎麦なんですが・・・。
そういや衆院選のせいか、市役所前にアレな人がおったよ・・・色々批判したいのはわかるが、敬称くらいはつけなよ・・・と思いました・・・。
今、キャンバス画をやるべきなのに、ちょっと滞っています・・・。
アレを2月中にやらなきゃいけないので・・・。色々プリントしなければ・・・。
そういえば、今日はハンバーグを食べました。そんなに子供っぽいんでしょうか・・・?
「ハンバーグが好き」っていうのは・・・。
この度、「Contaminated ocean」を制作したので、上にその画像をアップします。
実は・・・拙作は2026年にて初めて完成したキャンバス画です・・・。
で、拙作はビキニの語源をテーマにしています。 水着のやつですけど・・・。
まぁ、何か痛覚の欠落した人間の言葉がそのまま社会に定着している現実は、何とも言い難いし、ビキニ以外にもたくさんあるよね・・・と感じながらこの作品を描いていました。
放射能汚染による当事者の苦痛が、(安全圏にいると信じて疑わない強者の立場から)軽薄な冗談として使われる現実には、こういう記事と地続きのような気がしてなりません。
記事の指摘通り、表現の自由を金科玉条の如く振りかざし、他人のセンシティブな領域に侮辱と冒涜を繰り返し、いざ自分がそういう立場になれば、「私はシャルリ―」という「開き直り」で当事者を押し流す。あのセパレートタイプの水着の効果を「核爆発」になぞらえるスピリットもそうしたダブルスタンダードや脆弱性によるものだと思うのです。
自分だってそうした悪の一環ではないか・・・という自省があるから敢えて書きますが、自分が富や利便性を享受する為に、リスクを関係ない誰かに押し付けて、その被害を笑うという醜悪さは今の社会にゴロゴロ存在しとるしなぁ・・・。
トランプ氏が、ノーベル平和賞を貰いたいという話ですが・・・。
実際にノーベル平和賞を受賞したオバマ氏だって、ドローン爆撃による民間人巻き添えや、特殊部隊による暗殺作戦を繰り返してきましたので、それが「欲しい」という心理と実態は五十歩百歩かもしれません。
ですがオバマ氏に比べると、正直アレなものを感じてしまいます・・・。
粗暴で公共の概念を蔑み、それを現実の政策に移してきたような人間が、ノーベル平和賞が欲しいというのは、小学生の駄々を見ているような感じがせんでもないなと・・・。
日本も少しヤバいなと感じるので、自制していかないと・・・。
自宅関係でアレもあったので、急いでサインをしました。
まぁ・・・来週くらいにまた(私用で)東京に行くわけですが、その交通費の支払いが50パーセントほど残ってる・・・急がねば・・・。行きはバス、帰りは新幹線か飛行機ですね・・・。1泊2日で・・・。
まぁ、まだ1月後半とはいえ、アレ・・・つまり確定申告の準備をする事にしました。
かなり溜まっとるよ・・・(泣)
そういやカドコミで、「りゅうとあまがみ」の6話後半を読みました。まぁ・・・楼主が流作(と娼妓達)を虐げるだけの存在だと思ってたら、意外とそういう人だったのね・・・と感じました・・・。でも結末があれだから・・・油断はできません・・・。
外国人でも、ウィルがイギリス人で良かった部分も、かなりあるじゃない・・・?
個人的にはそう感じています・・・。そうじゃなけりゃもっと酷い差別や虐殺のターゲットになっていたわけで・・・。センシティブな話題を持ち出して恐縮ながら・・・。
気がつけば、もう夜で1月も終わりに・・・。
山上被告のアレは、ここで「温情」何かを求める民意なんかが機能すれば、司法は何ぞや?という事になりかねなかったと・・・。だからこそ、外部のノイズに迎合しない判決は必然だったと思います。もし犯人を減刑したとして、社会に戻した時に減刑嘆願を叫んでいた人達はちゃんと山上被告を受け入れて責を負う覚悟って持ってるんですかね・・・?仮に再犯しても、したり顔で「社会が悪い!」と転嫁しそうな気がするんですが・・・。
まぁ・・・性懲りもなく犯人と自分をダブらせて、山上被告に減刑嘆願している人がいるようです。個人的な考えをいわせてもらえれば、凶悪犯罪者という虎の威を借りて、被害者意識を主張するような意見には、殆どまともに付き合う価値の無いものばかりだと感じています・・・。
カドコミで『りゅうとあまがみ』の6話の前半を読みました。
やはり・・・避けては通れんことを誤魔化さずに描かれたなと感じています。だからこその時代ものです・・・。
まぁ・・・同じ女性だからこそ、ウィルは自分に優しくしてくれていた「いと」や「じゅん」達の置かれている現実にショックを受けるわけですが・・・。こりゃ子供が知るにはキツいわ・・・だから、それを美談にするような「ミルク・マネー」みたいな映画は嫌なんだよなぁ・・・。
実際に、弱者やマイノリティの置かれた現実に対し、ウィルのようにきちんと「まとも」な反応ができる人間もいれば、そうでない人間もこの社会では存在すると思います。
この文章でも書いたように、 世の中には他人の苦境を安全圏から美化し、それどころか憧れるような人間が沢山いるし、自分の「善意」ファーストで相手を傷つける事すら無頓着なアクティビストだって存在するわけです。前者に限っていえば、衣食住に恵まれず、過酷な生活を送っているホームレスをそういう生活を送るわけでもない、送るつもりなど想定していない成功者が、死と隣り合わせの相手に「多様性」とか「豊かさ」とかを見出すような某文学賞は正にそれでしょう。ですが、人間(それも女性!!)が金で買われる現実を知ったウィルは、「上流社会で常に規律や正しさで縛られている私より、『いと』や『きく』みたいな娼妓達の方が幸せに生きてるじゃない?」と流作にいい放つような事はありませんでした。
だからこそ、ウィルが娼妓達と自分の生い立ちを合わせて涙する事は、常識的で当たり前なのですが、ネットにおいて弱者を天然で差別したり、好き勝手に美化するような言辞が成功を収める今日、ウィルの真っ当な態度がレアに感じるという事自体、現代の(正に)日本社会が抱えている病巣の表れなのかもしれません。いや・・・そういう事が悪目立ちしているのかもしれんし、自分がネガティブなものを見過ぎている嫌いもあるかもしれないし・・・。
この度は、皆様のおかげで「ACT新春小品展 2026」(主催・会場:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂く事ができました。この場をお借りして、御多忙中にもかかわらず拙作をご覧頂いたお客様、拙作を出展させて頂くにあたり、大変お世話になったアートコンプレックスセンターのスタッフの方々に、厚くお礼を申し上げます。
まだ、2026年における活動は始まったばかりですが、私なりにベストを尽くしていきたいと思います。
何か、「中道改革連合」というのが誕生したみたいで・・・。
まぁ、自民は指示していませんが、それなりに見守っていきたいと思います・・・。
今日、東京から帰ってきたわけですが、新幹線(厚狭駅)で接触事故があったという事で、1時間くらい遅れました。でも・・・ここで不満を漏らしたら外道に堕ちるので、一切合切「オメ―のせいで、家に帰るのが遅れたんだよ!!」みたいな私欲は考えませんでした・・・。 いつもはフルスロットルで通過する姫路や東広島も、ノロノロ通過だったしなぁ・・・。
郷田マモラ先生の漫画『きらきらひかる』って、監察医という結構苛烈な世界(性質上生々しい殺人の描写や死体もバンバン出てきます)で人間の愛情や良識を描き切った名作なんですけど、ただの人情じゃなくて、人間のダークサイドを後味が悪い形で描いたエピソードも結構あるんですね・・・あの絵柄で・・・。
個人的に印象に残っているのが 『狐憑きの女』と『正義の味方殺人事件』です。『猟奇殺人事件』みたいに、元から悪い奴が犯罪に手を染めるといういうんじゃなくて、ちょっとしたすれ違いで平凡な人生を送っていた人間が、殺人犯になっていく・・・という描き方がホントに怖いというか・・・。あの絵柄で・・・。特に、『狐憑きの女』ではラストで読者を安心させかけておいて・・・そうじゃなかったという結末はかなり・・・と思いました・・・。
そういう部分があるから、『きらきらひかる』って結構好きなんですよね・・・。
(ちょっと内容を大幅に変えました)
今日はスリランカ料理を食べました。結構辛くて高かったですが、その分美味しかったです。やっぱり高いのには理由があるし、(これは石田 衣良氏もいってたと思いますが)安いは怖いってこともあるからなぁ・・・。
この文章でアップしている画像は、少しセンシティブなものを含んでいるので、ワンクッション置いときますね。それでも構わないという方は、「続きを読む」をクリックしてください。
角丸 柴朗先生の漫画『りゅうとあまがみ』を読みました。
まぁ・・・自炊だって苦手で、新潟なんて行った事も無いような私が、わかったような言葉で感想なんか描いてもいいのか・・・と思いますが、英国(イギリス)少女のウィルが余りにも至る所で可愛かったので・・・。
舞台は明治で、ウィルが新潟までやってくるんですね。イギリスにおける規律ばかりの生活に嫌気が差して母親と対立、父親や付き添いのメイドと共に日本にやって来たものの、肉料理がメインだったイギリスとは違い、出てくるのはウィルの嫌いな魚料理ばかり。ついに不満が爆発して新潟の町に飛び出したウィル。ですが、(お嬢様ゆえの)危機管理の無さで早速客引き関係のトラブルに巻き込まれそうになりますが、それを救ったのが地元で料理人をしている流作でした。どっちも気が強くて対立するものの、ウィルは流作の料理にいつの間にか舌鼓を打つようになり、初めは貶していた新潟の地や魚料理に対して、徐々に打ち解けていくんですが・・・。最後がちょっと不穏でしたので、続きが気になります(汗)
で・・・何か主人公達が気が強くて(ウィル)不愛想(流作)、互いの属性やライフスタイル等をディスったりする所はあるんですが、そこら辺に対する不快感は無く、寧ろ微笑ましいものがありました。こういう毒舌系の漫画やアニメの中には、ただ(ネットの炎上案件や2chのまとめサイトを焼き直したような)人格攻撃や差別ネタを羅列して、ただただ不快にしかならないような作品もありますが、『りゅうとあまがみ』では、ウィルと流作の関係における異国人故の対立が、まっとうな良識と社交性という作者のプロテクトのもと、キャラクターがまともな人間として成長する礎として描かれている所に、好感を感じました。要するにウィルのような内面に燻る(ライトな)悪意や怒り、エゴイズムは描かれていても、そういう事をヘイトコンテンツの一環としてすぐ溜飲を下げさせる方向に持っていくさもしい展開を、時代劇故にバッサリ拒絶している所が素晴らしいです。
ここから、日本でしばらく過ごすことになるウィルが、イギリスに帰ってどのような選択をして、、成長していくのか。今後の展開が楽しみです。2巻が早く発売されれば・・・。
今日、こちらで興味深い記事を読みました。
まぁ・・・日本じゃメンタルヘルスのいい加減な知識が野放しになっているぶん、そうなるわな・・・と思うんですね。私は反自民の立場ですが、過去にFacebookを見た時に、安倍氏がサイコパスと罵倒されていました。でも、そこまでヤバい人間か?と思うんですよ・・・正直・・・叩きゃボロが出るようなズルを沢山やって来た人、その程度の政治家だったんじゃないかな・・・と・・・。
まぁ、サイコパスはともかく、安倍氏の家系を揶揄して「あそこには人間の血が流れていないから、選ばれるとヤバい事になる」みたいな話の方がショッキングでしたね・・・自分は・・・。
14年とちょっと前、つまり東日本大震災が発生して間もない時に、右派左派問わず原発や被災地を巡って罵詈雑言の応酬が(主に)ネット上でなされていたと思いますが、 こうした病理は現在も地続きである・・・リンク先の記事を読んで、そんな感じがしました・・・。
「(前略)まともに扱ってもらうこと。社会があるって大事でしょ?」
―カズオ・イシグロ『クララとお日さま』より
今、雪森 寧々先生の漫画『久保さんは僕を許さない』を読んでいます。
まぁ・・・『おさななななじみ』から雪森先生を知ったし、まだアニメ版も観ていないので所詮はミーハー的なもので感想・・・という事はお許しください・・・。
で、『久保さんは僕を許さない』のストーリーなんですが、主人公の白石 純太はかなり影が薄く、人には気づいて貰えない存在なんですが、クラスメイトの久保 渚咲はきっちり彼を見つける事ができ、そこから色々純太の周りでも人との関りができていき・・・というラブコメなんですよね。
こうした、「クラスで浮いている奴がちょっとしたきっかけで、他者と繋がって幸せになっていく」という系のラブコメ漫画や美少女ゲーム(例:『僕の心のヤバいやつ』とか『事情を知らない転校生がグイグイくる。』みたいな)はちらほらと見かけますが、中には考えもせずに純太のようなキャラを不快で迷惑な存在として描き、職場や学校に蔓延るいじめやイジりの文脈で矯正していくような作品もある中、孤立していた子供をどう救済していくか?という、作者の思いやりが感じられました。
上に書いた、いじめとかイジりの文脈ですが、実際にこうした所から(少し前の話ですが)神戸で教員がハラスメントを受けるような事件があったりするわけで、その辺の仕草と地続きの漫画は結構見かけます。ドンくさい奴はいくらでも集団心理で叩いても構わない・・・みたいな・・・。 ですが、本作は「許さない」というタイトルにあるように、それを許していません。あるっちゃあるんですが、そんな悪意や差別をメインとした作品じゃないし・・・。
寧ろ、そんな人間も人権を尊重され、公平に扱われて当たり前じゃないかという理念のもと、ストーリーが進行するので安心して読む事ができました。
人は本質的に、100%孤立して生きていけるわけではありません。個人主義の時代とはいいますが、どこかで他者への敬意やマナー、コミュニケーションは絶対に発生しますし、それらへの尊重があってこそ、人は人足り得るのだと思います。
ですが、そうじゃない人にヘイトを向けるのも間違っていると思います。『久保さんは僕を許さない』は、『コミュ症』とか『ぼっち』みたいな一括りで矮小化されている個人が、相手から人間扱いされる事により「しょうがない」から脱出していく自立の物語ともいえます。私もこれだけ扱われて純太は何故怒らないのかと感じた事がちょくちょくありましたし・・・。個人的に、掌返しですが写真合成の件は、『ワンダー』という児童書で顔面に重度の障害を持つ主人公の写真を、(いじめの加害者の母親が)フォトショで消す位の暴力性があったと思います・・・。
例えば、この公開日記では何度も挙げていますが、青木 和雄氏の『ハートボイス:いつか翔べる日』という児童書では、序盤でいじめに遭っている子に対して追い打ちをかけるような教師が登場し、その姉から「あんな人、先生なんかじゃない」と吐き捨てられます。そして、同氏の『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』でも、いじめへの無関心どころか、加担すらする教師が辛辣なタッチで描かれています。こういう所からトータルし、「いじめられる側にも問題はある」という石原慎太郎氏ライクな強者の理論で、被害者に死体蹴りをかますような対応が問題になる事は現実でもちょくちょくあります。そして、ロシアのウクライナ侵攻で一部の左派系知識人が、ロシア軍に応戦するウクライナにも問題があるように語り、停戦要求をする事にも同様のロジックは当てはまるのではないか・・・そんな考えがうっすらと浮かんでいます。
このリンク先の記事を見るにあたり、正にロシアがウクライナで行った残虐行為に対して、反戦を宣言するゼレンスキー大統領(記事執筆者の志葉 玲氏のいう通り、ブッシュ氏は侵攻側でした)にも責任があるかのように主張したり、その口で原発攻撃に無辜の民への虐殺など、他国でやりたい放題を重ねているプーチン大統領にはノータッチなど、日本の極めてローカルな出来事と世界史に残る惨事を比べるのは天と地ほど差がある・・・という認識はありますが、やっぱり被害者を責めるという点で共通点はあると思うのです。いじめだけじゃありません。(これは『鬼畜の街』という漫画でも指摘されてましたが)性犯罪の被害者に対して、誘うような恰好をしてるのが悪いとか、本当は(やられて)気持ちよかったんじゃないかみたいないい方をする人だっているわけで・・・。
そして、話を変えますが「第二次世界大戦」とウクライナ侵攻をダブらせて被害国のウクライナに責任があるかのようにいい放つ事は、ドイツと同じく敗戦国の宿痾のようなものかも知れないと感じています。「悪いのは戦争そのもの」みたいな加害責任不在の被害者意識で醸成された戦争観と反戦意識で、他国が侵略されるとなぜ戦わなければならない(ここでいっておきたいのは、私は戦争肯定者ではないという事です)のかという心理を推し量るのは限界があるのでしょう。第一、反戦系の児童書や絵本を見ても、アジアの戦争被害者にも「赦しと同情」を求めるような傲慢さが感じ取れるような作品は多々見かけるし、民主主義や自由は願っていれば天から降ってくるものと勘違いしている作品もあります。そんな所から、被害者を冷笑して敵国に優しい眼差しを向けるような論は、ある程度は地続きかと・・・。
それに、日本が経験した有事といっても大体相手が天災ですし。だからこそ、最悪の事態が訪れた時にちゃんと日本は対処できるのか・・・?そんな不安があります。最も、戦争回避への努力はすべきという事は大前提なのですが・・・。
何か、生活保護受給者バッシングのカウンターとして、一時J・K・ローリング氏の生い立ちが使われてましたよね?彼女も生活保護を受給していたシングルマザーだったけど、ああやって(『ハリー・ポッター』シリーズが大ヒットした事により)大成したじゃないかと・・・。ですが、現在において、ローリング氏はトランスジェンダーへの差別ともとれる発言を行っており、そういった論の効力は過去に比べれば無いと思いますし、そういった(ごく一部の成功者みたいな)例に頼るのも・・・と感じています・・・。
そして・・・今日のお話ですが、私の勘違いによりチョコレートとエナジードリンクを無駄にしたかもしれません・・・そして交通費も・・・(泣)
最近、むらしょう氏のnoteをよく読んでいます。そして、こういう記事を読みました。
正直、AIについては消極的な否定しかできません。私も最初、「なんだあんなもん」と思っていましたが、いざ触ってみるとみんながハマる理由がわかりました・・・。電力や水の問題という後ろめたさを抱えながら・・・。
確かに、ヤバいっちゃヤバいんですよ・・・。あの自由度がどれだけ加害に使われてるかを考えれば、規制止む無しというのも一理あります・・・。大体Chat GPTでもGeminiでも、年齢制限が一応かけられてますよね・・・?むらしょう氏の記事が指摘している通り、Grokがあのザマで子供に生成AIを使わせることを推奨するような本が(児童書として)流通している現状は、ホント狂っているとしかいいようがないです・・・。
そういう所から、生成AIの他にも、投資とか闇バイトとかリテラシーの鍛え方といった児童書がどんどん刊行されている状況ですが、所詮は対症療法じゃないか?という疑問がぬぐえません。もちろんテキストから世界を理解するという事も大事ですが、ああした類の本は所詮大人目線のものが殆どなので、まだ世の中を知らない子供には限界があるでしょう。だからこそ、むらしょう氏のいう通り、ドメスティックな環境で不道徳を戒める話をする事が最も効果的だと思います。ただ、私見としては技術も市場競争に丸投げするのではなく、何をもって不道徳になるかという議論と共に連動し、何らかの規制もかけなければいけないのではないか・・・?という思いもあるわけですが・・・。
今年、つまり2026年に入ってから初めてのキャンバス作品ができました。
ゆくゆくはネットで公開・・・という形にしたいと思います・・・!
ていうか最近、NIMBYという言葉をアレとのやり取りで知りました。ああ・・・そうね・・・色々燻っていたものがストンと腑に落ちたというか・・・。火葬場とか障害者施設とか必要だけどウチの近くには建てないでくださいっていうか・・・。Xでも弱者の権利について声高にいうけどコロコロ態度を変える人(根無し草みたいな)っているもんねぇ・・・。
自分もそういう覚悟を問われたら・・・正直自信ないです・・・。ここでも散々弱者の権利について語り、社会を腐していますがやっぱりリアルにおいて、コンビニの前にたむろして大騒ぎしてる人達を見たら腹が立ちますし、過去のバイト先やハローワークでも「そういう人間」はいたわけで、そこら辺の嫌悪感もあるわけで・・・。
ですが、差別や排他にはちゃんとブレーキをかけて生きていきたいと思います。それとこれとは違うし、仕打ちにせんように・・・。それに、自分だって実話ナックルズとか週刊大衆買ったりすることもあるんで・・・ね・・・(汗)
昨日バイト中に地震があって、すぐ上司に相談してから実家に安否確認しました。みんな無事で良かったです・・・。今年で熊本地震10年目ですが、東日本大震災と同じように全国レベルで騒ぐ力は、みなさんありますか・・・?
結構意地の悪い質問したけど・・・ずっと感じてた事なんでね・・・。
自分も行こう行こう思いながら、熊本に行けてなかったから同罪だ・・・という思いがあるからこそ・・・なんですが・・・。
そういえば、自分の仕事に関わる事で必要な技術情報やノウハウ等を、Xですぐ不特定多数に聞こうとする人がいます。まぁ・・・AI(特にGPTは参考文献関係で結構嘘をつきます)はともかく、あれはよーないな・・・と思います・・・。 書店に行くとか、自分でリサーチする、(リアルで)信用できる人に教えを乞う・・・みたいな方がコストと手間かかるけど、確実だよ・・・?と思ったりして・・・。
公開当時から、かなり迷いに迷って・・・遂に、藤井 道人氏の映画「新聞記者」を観ました。自分も、こういう事に関係したOBとして、このような問題になる程の迷惑をかけた事に対して、非常に申し訳ないという気持ちと罪悪感があります。だからこそ、知人には「セカンドレイプになるから(観るのは)止めろ」といわれていたわけですが、やっぱり・・・向き合われた分、向き合わなければいけないという気持ちが、2019年の時からずっと燻っていたので、遂に覚悟を決めて・・・という感じです。
まぁ・・・エンディングのスタッフロールが流れてからこの文章を書いているわけですが、全体的には宣伝と評判通り、「森友・加計学園問題」をミックスしたような感じでした。邦画にありがちなよく怒鳴り散らすような演技ではなく、丁寧でしっかりとした演技のおかげで、そうしたストレスを負わされず、「ちゃんと観る」事ができるマスコミ系エンターテイメントでした。 それと、みんなの問題意識というのが、あの問題で噴出していた感情論(自分より馬鹿な存在が特権を享受しているから、廃校にしろ!的な)より、もっと民度が高くて上品な形で表現されていると思いました。下が下の存在を叩いて反権力ぶりながら留飲を下げるという貧乏くさい迎合(それこそ、劇中の内調がやっていたように)をせず、内調の官僚と若手新聞記者という当事者同士のジレンマを「きちんと躾けられた大人の感情」としてしっかり描く事で、全体的にしっかりした作りの、例えるなら(最近亡くなられた)ロブ・ライナー氏の「記者たち:衝撃と畏怖の真実」に近い良質なインパクトが残る作品だと感じています。
ですが・・・メインテーマである「権力の闇」・・・みたいなものに関しては、所詮フィクションに甘えた妄想であり、暗い部屋の中でパソコンのキーボードをパチパチやりながらネット民を扇動して世論工作をする(あんな暗い中で)内調のオフィスや、首相の友人が経営する大学の新設が生物学兵器開発という事実だった・・・という所には、正直唖然としました。それが問題だというのなら、正直に問題自体をベースにすればいいのに、陰謀論じみた「事実」で新聞記者の吉岡と若手官僚の杉原の正当性を主張しているので、結果として(特に原発の無い都市圏で活動していた)自分の立ち位置を理解せず、他人事で電力会社や政府を罵倒していたインスタントな反原発団体がやってた事と変わりないんじゃないかと思いました。だってですよ・・・?実際の企業はともかく学校法人の不祥事というと、学生や教職員も関わってくるようなセンシティブな問題も含まれる中で、正しささえあれば風評被害をバラまいてもいいのか・・・という命題が、「新聞記者」には厳としてあります。こうした事も本作を絶賛している層には(無批判で)受けていますが、あなた方は関東大震災における朝鮮人虐殺否定論や南京大虐殺否定論、歴史修正主義に対してどんな態度を取っていたんでしょうか?と・・・。
上に書いた「記者たち」だって、嘘はついてなかったでしょう・・・。
だから、トータルした意見でいえば、これが一番近かったりするんです・・・。 映画全体としてはすごく良かったんですが、この文章でも書いているように、外野におけるマスコミ(と特定のジャーナリスト)へのスクープ礼賛や調査報道への英雄視は、太平洋戦争終結後に「私達を騙した軍部が悪い!」という国民の被害者意識に基づく逆ギレと地続きだったりすると思うのです・・・。
で、劇中にちょくちょく望月 衣塑子氏とマーティン・ファクラー氏、前川 喜平氏の鼎談が流されてくるわけですが、あれも映画で何がいいたいかを露骨にいい過ぎてないか?とも・・・。まぁ、こっちが間接的に加担した分、ああいう人達に怒られてもしゃーない・・・そういう気持ちだってあるんですがね・・・。
去年の12月くらい、つまりこないだの話なんですが、自宅近くでなんかすごいクラシックな感じの車が赤信号を待っていたので、珍しいな・・・と思って見ていたら、モーガンだという事がわかりました。モーガン・・・結構日本ではレアって感じですよね・・・。エンジンの音も結構重厚だったし・・・。
なんかああいう車ってデリケートな作りなんで、きっとオーナーさんも大事に使ってるんだろうなと想像しました。まぁ・・・これは画材にもいえる事で、買った分大切に使わなきゃならないんですが・・・自分の場合は無駄に使って(絵具をです。しかも今は冬なので)カチンコチンにしたり、納得いかずに描き直したりする事が多々あるからなぁ・・・(泣)
これで三賀日も終わりで、徐々に日常モードへとシフトしていく事になり・・・という感じですかね・・・。実は実家に帰っていたのですが、かなりの降雪で、バスもタイヤにチェーンを巻いていました・・・。
で、他の家の前に雪だるまが(たぶん子供が作ったのでしょう)作られていたのは、微笑ましかったです。 何かレイモンド・ブリッグズ氏の『スノーマン』という絵本を思い出さずにはいられませんでした・・・で・・・彼はそういう作風で『風が吹くとき』みたいなエグイい作品を描くものだから・・・。でも、『スノーマン』も切ないラストでしたよ・・・。
ちょっと新年早々から、見当違いの事を書いていきたいなと思います・・・。前もって、あけましておめでとうございますとは書いておきますが・・・。
映画「ディープ・インパクト」では野心家のリポーターが主人公の一人で、『記者たち:衝撃と畏れの真実』でも、(9.11をダシにした)イラクの大量破壊兵器所持の疑いがガセネタだという事を知らせるために奔走する、新聞記者たちの姿が描かれていました。
最近、そういう所だけではなく「報道」・・・みたいな事を考えています。こっからは門外漢の話になるので、間違った部分もあるかもしれませんが、ちょっと書かせてくださいね・・・。
そのきっかけの一つが、『〈犯罪被害者〉が報道を変える』という本だったのですが、その中で、「ウォーターゲート事件」が挙げられた上で、追求型の報道だけではなくセンシティブなものも求められるというような事が書かれていて、私は「ダート賞」なるものを知りました。 英語版の記事しかなかったので、ブラウザの翻訳機能を使って何とか読んだ所、何でも、災害や戦争における心理的外傷に関係した報道やジャーナリストに贈られる賞みたいですね・・・。
個人的に、(日本のみならず、どこの国でもそうかもしれませんが)特定のジャーナリストを過剰に神聖視して、※「巨悪VS弱者である市民」という図式で対立構造を煽る人達がいます。マスメディアが権力を監視する事、つまりウォッチドッグであるべきなのは当然だし、彼らに糺されるべき不正が、永田町や立派なオフィスビルの中に蠢いているのは事実です。 ですがね・・・。
その永田町を中心として、マスコミが「第4の権力」といわれており、ある程度はそれも事実だと思います。「ペンは剣よりも強し」といいますが、それは文字だけで人を殺せたり、人生を左右したりする恐ろしさもあるわけです。そこからトータルして、上で書いた「巨悪VS弱者である市民」という対立構造が「物語化」されがちですが、どこを見ても剣より強いものを向けた裏には必ずセンシティブなものはあると思います。
多分、私が川名 壮志氏の『謝るなら、いつでもおいで』という本にすごく影響を受けているからでしょうし、捻くれた人間観を持っているせいか、ああいう物語化された、或いは物語化されやすい対立構造にイマイチ乗れていません。どっちかというと、日常レベルでのセンシティブな分野に基づく言葉の方が、かなり信用できるという根拠のない自信があるからです。
それと、前者はスケールが大きくてわかりやすいですが、日本人の性質を鑑みるにあたり、「他責的な確証バイアス(ここで都合よく霞が関みたいなものを利用する)に囚われた、受動的な個人を慰撫」していると感じています。確かに、追求型の報道や調査報道が民主主義の守護者であり、実際に社会の変えるべき部分を変えてきた事実も見逃せません。ですが、スクープや調査報道で官僚スキャンダルが発覚というような「美談」の重用は太平洋戦争が終わり、自分達の立場をすべて軍部に転嫁し、「自分達は騙されたのだ」と開き直り、アジア周辺諸国の戦争被害者の訴えに「こっちも被害者なのに」と舌打ちすらしていたような国民性と地続きの部分がないか?と思うのです。
だからこそ、「美談」に対する分かりやすさや甘みがない分、センシティブな報道にも基づく言葉は重みがあるし、制作の糧になっているなと感じています・・・。