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2024年9月14日土曜日

Xについて2つの話

 最近、X上で性犯罪の漫画を読みました。多くの引用リポストの通り、そういうことだなと感じました。どうして加害者が知的障害者なのか、そこら辺が雑でSNS受けする知的障害者叩きに「忖度」したものでしかないと思ったし、それで女児が犠牲になることを批判するというのなら、もっとまともで誠実な作品があると思います。障害者の犯罪=無罪放免というわけじゃないですし。

それと、一番共感したのがBlueskyのポストです。自分だってそれを守れてるかどうかわからないし、同様の失敗をしているかもしれないという自戒で書くのですが、「結果として作品の面白さを損なうにしても、「社会」を扱うのなら、しっかりとした取材を重ねてそれを反映させるべき」というのは、もっともな指摘だと思います。

ですが、この作品ばかりではなく、日本のポップカルチャーにおいて福祉バッシングや底辺嘲笑など「正しさ」と「俗情」の結託に基づく作品は散見されているわけですが・・・。ああ、そうそう、引用リポストの中にも批判だけではなく、悪平等のもとに障害者差別を正当化しているポストがありました・・・。なんか「障害者を聖人君子視することの方が差別だ!」みたいな、お粗末なノーマライゼーション観というか・・・。

 それからまたX上の話ですが、川上 幸之介氏の『パンクの系譜学』が批判されているというので、興味を持って『DEBACLE PATH』というミニ雑誌を買いました。『パンクの系譜学』を持っている身なので、敢えてという感じでした・・・。

まあ・・・感想としては「どっちも正しい」という感じでした。正直、バンクスでもないので恐縮ながら、だからといって当事者性ありきで外部のアプローチを排他するだけでいいのか、アカデミズムが論じるからこそ、必要悪として文化が育ってきた所もあるとは思いますし・・・。 ですが、フィールドワークや一方的な美化の面に関しては、そりゃ私達が陥りがちな部分ですよね・・・耳が痛かったです・・・。



2024年9月13日金曜日

浜たかや氏が・・・ですか

 昨日Xを見ていると、児童文学作家の浜たかや氏が亡くなられた・・・というニュースを見ました。私が特に浜氏の作品で影響を受けたのは『先生なんか消えちまえ』と『ぼくんちのゆうれい』でした。やっぱりフォローしていた人が亡くなるのは、やっぱり・・・と思います。人は永遠に生きられない・・・ということは理解しているはずなのですが・・・。

だからこそ、「アンドリューNDR114」とか「グリーンマイル」とかいう映画を思い出したりするんですよね・・・。 永遠の生に近いものを得て、それがない知人がどんどんこの世を去っていく悲しみというか・・・。それすらもひたすら続く役所手続きと金に左右されるという、現代社会と資本主義の呪いみたいなものを、最近灰になった身内を見て思い知っています。

で、最近は500円で定食が食べられるところによく行っています。ですが・・・あんまし客層が(個人的に見て)よくないんで、行くのは今まで控えてたんですが、しゃーないね・・・。

2024年9月12日木曜日

「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」を観ました

 「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」、略して「FNAF」の映画版を観ました。

ゲーム本編は全部(!)やったことがないので恐縮ですが、やっぱりこういうホラー映画と私はつくづく相性がいいんだな・・・と思いました。相手を不快にさせることと恐怖を履き違えた流血残虐シーンがなく(あっても間接的)、シチュエーションをメインに恐怖を演出する。私が「FNAF」だけでなく、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とか「ホーンティング」、そして「クリスティーン」とかが好きな理由なのですが・・・。

やっぱり、主人公という「大人」が超常現象に立ち向かう時に、感受性の強い子供が重要なファクターを示すホラー映画はいくつかありますが、 本作もその一つだと思います。だからこそ、ジョン・ソール氏が好きだったりするのですが・・・。

で、怪奇現象を通じて、忌まわしい過去に囚われているだけの主人公が、色々な試練の上に子供を守る大人へと成長していく・・・そういう要素もあり、「FNAF」は単にアニマトロニクスの殺戮劇にとどまらないポジティブな気持ちも味わえる映画でした。

2024年9月11日水曜日

インクを補充しました

 今日を含め、二日続けてプリンタのインクを補充しました。

キャンバス画にも取り組みたい・・・のですがいかんせんホワイト修正がめんどいです・・・・。ホワイト修正・・・ホワイト革命・・・あそこら辺にはちょっと批判的な目で見ていました・・・。

2024年9月10日火曜日

◎「ファランジェ」にお邪魔いたしました

 先日、川上 幸之介氏が開催されている企画展「ファランジェ」にお邪魔いたしました。

基本的に、生きていくためにはカネにも行政にも頼らざるを得ない現状がありますが、一定の社会批判が何らかの媒体でないと不健全であると考えています。こういう所から、自分の政治的な心情と現代アートのスタンス・・・とでは相容れない部分もちょろちょろとあるのですが、学生時代を過ごした街に再び行けたということと併せ、最高の日となりました。 

会場はKAG様で、倉敷駅近くにある古くて小さなビルの3階にありました。基本的に、私はこうした雰囲気の場所にあるギャラリーも好きでして・・・。多分、銀座の奥野ビルに2回ほどお世話になってきたからでしょうか・・・。広島の廃墟ギャラリー様にお邪魔したこともありますし・・・。

では、下の方に会場の写真をアップいたします。



色々と展示された作品を見てから、やっぱり感じたのはファシズムとか資本主義の弊害、歴史修正主義とかいった「いま」(の悪い部分)を構成している断片を、いかにうまく作品として抽出できているのかがカギとなっているように思われました。そこだけをただ強調していくと、独りよがりで適当なものになりがちですが、作品として成立させなければいけない分、皮相な反権力や震災観やコロナ観にも疑念の眼は向けていきたいな・・・と個人的には考えています。最も、会田 誠氏の作品でゲラゲラ爆笑していた自分にいえる道理などないのかもしれませんが・・・。

特に印象に残ったのは、DASの作品でした。サイケな絵柄が目を引いたのかもしれませんが、毒気のこもった初代シムシティ・・・みたいな感じがしました。そこにあるのは街をパソコンにインストールしたソフトウェアが生み出す電子空間で構築していく楽しみではありません。上から見下ろした視点で描かれた、きめ細かい町の絵を見ていると、寧ろ、そんな狭い空間に押し込まれてアクセクしている(そういうものを作った方の掌で見事に遊ばれている)現代人への冷たい視線を浴びているようでした。

それと、マルコ・ラコウィッツ氏のパラサイト・シェルターでしょうか。私も大して社会的弱者にロクな助けができていない分敢えて書くのですが、当事者を置いてけぼりにして、評論家と作者の言葉遊びで弱者をダシにしている作品(パフォーマンス)もある中で、こうした取り組みは本当にまともだなと思いました。

SNSのぬるま湯でホームレスを始め、社会的弱者を「志〇どうぶ〇園」のような感覚で消費し、好き勝手に社会を腐しているようなオンラインユーザーがいる中で、当事者を対等に見ているからこそ、アートという安全圏に逃げることなく、問題に現実的なアプローチができていると感じました。

それに比べれば、本当に自分が作品の文脈としているものは弱い・・・のかなとか思ったり・・・。今の自分の立場で、こんなことは絶対に書くべきじゃないですが、まあ児童書原作のアニメだってすごくあるんだから、児童書でも・・・みたいな考えがあります。でも、なんかどっかでアプローチに失敗し続けているというか・・・。これは自分が世間知らずなのが悪いってことでいいでしょうか?色々と悩んでいます・・・。

で、話は変わりますが某本を読んでいて結構ムカつくことがありました。道徳について書かれた本だったと思いますが、なんか現代アートを思い付きで叩いているような箇所があって、真面目に向き合っていることを知りもせずに、感覚のズレた社会不適合者のなれ合いみたいないい方をされると、「ちょっと待てや!」と思ったり・・・。確かに、そう取られても仕方のない作品があるのは事実です。ですが、みんな楽々とやってるわけじゃないです。

例えるなら、ピアニストや指揮者と違って、DJというのは適当にターンテーブル回すだけで大金貰えるし、リスナーと併せて音楽的素養のない人達の方が評価されがちでしょ?というのと同じかと・・・。

2024年9月9日月曜日

遅くの更新になりますが・・・

 最近の時間帯に比べれば遅くの更新になりますが、今日に描いておきたかったことは先延ばしにします。プリンター関係で色々せんといけないことがあるので・・・。

まあ、昨日は倉敷に行くと書いてましたが、実際に倉敷のギャラリーKAG様にて、川上 幸之介氏が開催されていた企画展「ファランジェ」にお邪魔いたしました。ああした古いビルの中にある小さなギャラリースペースって、雰囲気がいいなと個人的には思います。

くわしい感想はリアルのことを優先させたいので、明日にでも・・・。

2024年9月8日日曜日

赤ちゃん返り

 『デンキ街の本屋さん』で、先生の漫画制作を(カメ子や腐ガール等、いつものメンバーと一緒に)手伝っていたひおたんが、うっかりミスでインクを先生のペン入れが終わった原稿にぶちまけてしまうシーンがあります。で、それを見た先生が赤ちゃん返りをして癇癪を起こし、みんなにそれが伝染していくんですが、カントクに期待されていた海雄まで赤ちゃんになってしまい、ひおたんや先生達が正気に戻ります。

私がこの一連の流れを見て思い出したのは、『おばけのコッチ あかちゃんのまき』 でした。『魔女の宅急便』や『わたしのママはしずかさん』等で知られる角野 栄子氏を代表する児童書シリーズのひとつですが、赤ちゃんの世話をしようとしたら、その癇癪と駄々に振り回されるおばけのコッチの結末を見ると、最初に書いた先生のシーンを見るよう・・・でした。立場が逆転・・・というか・・・。

なんか本作に限らず、『いやいやえん』とか『宇宙人のいる教室』みたいに子供や幼児の描き方が上手い児童書はありますが、なぜそこに惹かれるのかといえば、子供をただ可愛らしい存在として描いていないからでしょう。ペットブームに便乗したバラエティ番組のように、子供をただ天使のように描くことに対して香月 日輪氏も度々苦言を呈していましたが、子供を巡る数多くの美談をきちんと退けている作品だからこそ、共感を集めやすいのだと思います。

そこら辺については、いしかわえみ先生の育児エッセイ漫画『食べて産んで寝て描いて』 でも思ったのですが・・・。『絶叫学級 転生』でもその経験が反映されているエピソードをちょくちょく見かけたしなぁ・・・。

 

話は変わりますが、今日はもう一つの故郷とでもいうべき倉敷に行くつもりです。 奴のやらかしで愛憎入り混じった記憶がありますし、新幹線を使えば一発なんですが、金の問題で朝一の高速バスとJRを使います。だからあと2時間しか寝れないのですよ・・・。