(一部の文章を削除しました)
今度はキャプションを作らなきゃいけません。作品の梱包も・・・。
だから今日、それ用の用紙を買ってきました。郵便物もあるので封筒も買いました。
なんかもう沢山のタスクがのしかかっているので、ちょっと・・・途方に暮れています。
絵葉書も刷りたいけど、プリンタのインクも死に体なので・・・ね・・・。
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(一部の文章を削除しました)
今度はキャプションを作らなきゃいけません。作品の梱包も・・・。
だから今日、それ用の用紙を買ってきました。郵便物もあるので封筒も買いました。
なんかもう沢山のタスクがのしかかっているので、ちょっと・・・途方に暮れています。
絵葉書も刷りたいけど、プリンタのインクも死に体なので・・・ね・・・。
(一部書き換えました)
『ステイホーム』という児童書ですが、何かネグレクト姉妹の所とか見ると、結構なDQNフォビアがあるな・・・と感じたりします。なんかそれを児童書で・・・とも感じたりしますが・・・。思えば、(私立中学に進学できる程の学力を持つ)るるこちゃんや聖子おばさん、それから母親は相対的な強者だと思うし、なんかやるだけなら何でもありなのか・・・と思います。
こういう所から、灰谷 健次郎氏の短編『しかられなかった子のしかられ方」で子供でも行為の責任を厳しく問う作品も・・・という気もあります。自分も電車の中で、だらしなくガサツなラッパー崩れみたいな人からは距離を置いたことはありますが、それをるるこちゃんが姉妹に殆ど仕打ちみたいな形としてとしてやったことが・・・なんか嫌だなぁと・・・。
東日本大震災やコロナ禍を経て、子供のアイデンティティに寄り添うという児童書は増加の一途を辿っていますが、そこに(さっきの灰谷 健次郎氏の短編と併せて)阿久津真矢的な楔を打ち込む・・・作品も必要とされているのではないかとも・・・。
まあ・・・Twitterの「改革」を受けてじゃない・・・そういう部分もありますが・・・Instagramを始めました。といってもまだ画像は投稿していません。アカウントを作っただけです。故にリンクも貼ってません。今の所は「やった」という口だけです。
他には、マストドンとかBlueskyとかも考えたんですが・・・。代替手段としてね・・・。
で、こないだ東急ハンズでヒートンを買いました。展示用です。そこに紐を通して、壁に打ち付けた釘に引っ掛けるのです。東急ハンズ・・・色々お世話になっています。近くの画材屋さんと一緒に・・・。
そういえば、なんかとある書評系ブログについてずっと腹の底から思ってたんですが、あんまし詳しくは書かんようにします。まあ、以前批判されとるのをみたんですが、顔真っ赤にして反論しとったしな・・・。
ああいう百合厨と露悪厨の悪魔合体みたいなもの・・・色々と考えてしまいます。私も一消費者でそうした加害性を孕んでいるから書くんですけどねぇ・・・。
時折、なんかこうしてカッとなって余計な事書くことがあって、自分も反省することがあります。でも、書きたいことは責任をとれる範囲であれば・・・とも思うのです。
児童書シリーズ『霧の中の小学校』に登場する女の子、ジウンちゃんを描きました。
全部バストアップです。ちょっと箸の持ち方が・・・難しかったです。ていうか『霧の中の小学校』って、『絶叫学級』とか『ちゃおホラー』みたいな生々しさがあまりなく、なんかじわじわとやりすぎない程度に怖がらせてる所がうまいなと思います。そういえば、クロッキー帳に美術解剖の本の模写もやってるので、機会があったらそっちもアップしたいです。いまスキャナーが使えないんで・・・。で、その本の中にユディトがホロフェルネスの首を刎ねる絵があるんですが、マジでグロいです。
でも、いずれ美術解剖みたいな真面目なやつもipadでやるかもしれません。なんせゴミが全くでないんで・・・。便利ですよ・・・。ですが、さすがにデッサンは・・・という感じですが・・・。
『ステイホーム』という児童書を読みました。
(一部書き換えたり削除したりしました)
本作はただ「生きづらさ」みたいなものをDIYを通じて、スッキリする形で描かれていたと思います。これまでのコロナ系児童書が部活や行事が中止になり、それを立て直す(学校生活に適応した)「よい子」ばかり書かれてきた中で、斬新なアンチテーゼともいえる作品だったと思います。でも・・・『まるみちゃんとうさぎくん』みたいなもんかと思って読んだら、結構毒がきつかったりしました。個人的には・・・。
まあ、そんなところからですね・・・主人公のるるこの考えがそうだからといって、それを絶対だと考えてはいけないと思います。るるこが学校生活への呪詛を叫べたのも、運よくコロナに感染しておらず、親族にもそういう人がいたり、亡くなったりした人がいなかったからです。現在でも第9波の始まりだともいわれていて、沖縄は特に感染状況がシビアな状態です。後遺症で仕事や勉強ができなくなり、「死にたい」という人だっているわけです。
そういう所から、るるこが呪っていたものが、他の人にとってはかげがえのないものであり、だからこそ自殺したりする子だっていたでしょう。いや、絶対に存在したはずです。ていうか、ただ学校や同級生を下に見ていただけってのも同情したい要素がねぇ・・・。
こういう所から、なんか主人公側がコロナ禍において相対的な強者であることを理解しておかないと、本作は毒にしかならんと思います。主人公が学校生活とウマが合わんからといって、コロナ禍がもたらした被害がそれより軽いわけじゃないですし、感染してないからといっても(ていうか、だからこそ)想像力は必要でしょう。相手が嫌いだからといって、弱者から目を背けて逃げる(その虐待加害者が、相手の善意につけこむ存在だという「逃げ口上」はちゃんと用意されていましたが)のが、果たして正しい選択なのか?正直、「怖いから嫌い」という考えを甘やかし続けると、台風が上陸した中で避難所から(杓子定規なルール感覚で)ホームレスを追いだしたり、障害者のグループホーム建設に反対する大人達になることを意味してるということだと思います。でもね・・・私達は大人なのである程度は分別をつけて考えられますが、人生経験がまだ乏しい子供が見たら、福祉の世話になるような人間への差別意識が芽生える・・・危険性があるんじゃないかと(勝手に)危惧していて・・・。まあ、一応ラストで僅かな同情心をるるこは寄せていましたが・・・。
こういうのは文芸オタクや(特に今日の)左派には無批判にウケるフシはあると思います。ですが、そうした層が「ルール」や「責任」の功罪をまだ知らない未熟な子供に向かって、良識とかマナーを腐し、結果がどうなろうが自由の行使を扇動するのは見ててため息が出るというか・・・。そういうことが、本当の意味で自由や権利へのアクセスが困難な弱者を抑圧になっていることに、どれだけ自覚があるのかと個人的には感じるんですよ・・・。私だって貧困層ではないし、こういうエラソーなことをネットで書いてるから同罪だという自覚はあるのですが・・・。(児童文学作家でもないのに、こんなこと書くなんてすごく恐縮ですが)児童書において新型コロナウイルスに向き合うということは、そうした二つの視点が必要だと思うのです・・・。
余計なつけ加えかも知れませんが、「ステイホーム」という概念は元々行政側の要請だったはずです。それに乗っかりながら同じ行政側である公立学校を腐して私立中学受験を肯定するのも、何か矛盾しとるなぁと・・・。
まあ・・・なんか何かを創作する際に、「タブーは存在しない」といわれるじゃないですか。でも、センシティブなことに関してやってみるなら何でもありだと思ってるのなら、本当にどうかしてるなと感じます。その「どうかしてる」の部分が、二次被害や悪影響などに関して全部受け手へ丸投げしたり、「文化を守れ」とか「翼を奪うな」という綺麗事で問題の矮小化と自己正当化ををはかったりする所なんですが・・・。
私も過去ほどじゃないですが、今ちょっと(正直に書きますが)性的な部分に関する表現をやってます。でも、お芸術や文化にあぐらをかいて「やってみるなら何でもOK」みたいな態度をとり、いざ何かいわれたら自身の職業的特権をふりかざし、既得権益を貪るような言動(それこそクリエイターを中心に地球が回ってるみたいな)からは慎重に距離をとりたいと思います。都条例の時でもみんなが殆どああだったんで、素直に乗れなかったというか・・・。
すみません・・・今予備のPCも不調だし、そのせいで私の機嫌も不調なもので、こんな文章になっちゃいました(汗)