『ステイホーム』という児童書を読みました。
(一部書き換えたり削除したりしました)
本作はただ「生きづらさ」みたいなものをDIYを通じて、スッキリする形で描かれていたと思います。これまでのコロナ系児童書が部活や行事が中止になり、それを立て直す(学校生活に適応した)「よい子」ばかり書かれてきた中で、斬新なアンチテーゼともいえる作品だったと思います。でも・・・『まるみちゃんとうさぎくん』みたいなもんかと思って読んだら、結構毒がきつかったりしました。個人的には・・・。
まあ、そんなところからですね・・・るるこちゃんの考えがそうだからといって、それを絶対だと考えてはいけないと思います。るるこちゃんが学校生活への呪詛を叫べたのも、運よくコロナに感染しておらず、親族にもそういう人がいたり、亡くなったりした人がいなかったからです。現在でも第9波の始まりだともいわれていて、沖縄は特に感染状況がシビアな状態です。後遺症で仕事や勉強ができなくなり、「死にたい」という人だっているわけです。
そういう所から、るるこちゃんが呪っていたものが、他の人にとってはかげがえのないものであり、だからこそ自殺したりする子だっていたでしょう。いや、絶対に存在したはずです。ていうか、ただ学校や同級生を下に見ていただけってのも同情したい要素がねぇ・・・。
こういう所から、なんか主人公側がコロナ禍において相対的な強者であることを理解しておかないと、本作は毒にしかならんと思います。主人公が学校生活とウマが合わんからといって、コロナ禍がもたらした被害がそれより軽いわけじゃないですし、感染してないからといっても(ていうか、だからこそ)想像力は必要でしょう。相手が嫌いだからといって、弱者から目を背けて逃げる(その虐待加害者が、相手の善意につけこむ存在だという「逃げ口上」はちゃんと用意されていましたが)のが、果たして正しい選択なのか?正直、「怖いから嫌い」という考えを甘やかし続けると、台風が上陸した中で避難所から(杓子定規なルール感覚で)ホームレスを追いだしたり、障害者のグループホーム建設に反対する大人達になることを意味してるということだと思います。でもね・・・私達は大人なのである程度は分別をつけて考えられますが、人生経験がまだ乏しい子供が見たら、福祉の世話になるような人間への差別意識が芽生える・・・危険性があるんじゃないかと(勝手に)危惧していて・・・。
こういうのは文芸オタクや(特に今日の)左派には無批判にウケるフシはあると思います。ですが、そうした層が「ルール」や「責任」の功罪をまだ知らない未熟な子供に向かって、良識とかマナーを腐し、結果がどうなろうが自由の行使を扇動するのは見ててため息が出るというか・・・。そういうことが、本当の意味で自由や権利へのアクセスが困難な弱者を抑圧になっていることに、どれだけ自覚があるのかと個人的には感じるんですよ・・・。私だって貧困層ではないし、こういうエラソーなことをネットで書いてるから同罪だという自覚はあるのですが・・・。
(児童文学作家でもないのに、こんなこと書くなんてすごく恐縮ですが)児童書において新型コロナウイルスに向き合うということは、そうした二つの視点が必要だと思うのです・・・。