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2024年4月13日土曜日

痛い所をつかれた・・・

 今日は、個人的に痛い所をつかれました・・・。

まあ・・・この公開日記でも他人がアレをしたコレをしたって書いてるけど、自分だって・・・とは思います。バイト失敗してクビになったこと何度かあるし、でも他の場面では失敗しても許してもらったことがあるし・・・。

まあ、今は余り書く気力が無いので、これくらいにしときます・・・。

2024年4月12日金曜日

生産中止・・・

 以前、こちらで、「ダイソーにハトメパンチを買いに行った」みたいなことを書きましたが・・・生産中止になっていたようで・・・店員さんに今日聞いたら(汗)

もう・・・早くそれに気が付けよって話ですよね・・・。あれだけ人のことを偉そうにいっておいて・・・。

そういえば、ブックエンドをもう2個くらい買おうかと思っています。もう本棚がパンクしかかってるので・・・。いや、そういう自慢がしたいわけじゃないけど、ホントにねぇ・・・。

で、もう一つ他の話題に移るんですが、電子とはいえ、とある漫画家さんが原点回帰ともいえる作品を出してくれたことが、非常に嬉しかったです。中古とはいえ、初期の単行本を持っているもので・・・。

2024年4月11日木曜日

班行動とかグループワークとか

 今日・・・バイト帰りに本を買ったんですよ。ハードカバーなんですけど・・・。

で、セルフレジだったんでそれで済ませ、帰ろうとしたら店員さんが「これ、忘れてませんか?」って・・・買った本を渡してくれて・・・ほんとバカじゃ・・・またやってしもーた(泣)去年もそういうこと他のお店で4回くらいあったから・・・。地元が広島だからね、原爆関係の本を特集したコーナーのある書店って、よくあるんですよ・・・。

こういう所も併せて、ほんとに私は・・・色々足りんし、要領が悪いなぁ・・・と思うことがよくあります。

で、自宅に帰ってからXを見ていた時のことです。私が小学生の時も班になってみんなで何かやる・・・みたいなことをやってたんですが、最近ではグループワークとも・・・いうんですかね・・・?子供時代のことなんて都合のいいことしか覚えてないので(汗)事情がよくわからんですみませんが・・・まぁ・・・それ関係で「できる子」の立場から怒りを表明しているポストをちょっと見たんですよ。まぁ、批判のリプが2つくらいついているのが救いでしたから・・・。『ふたごチャレンジ! 』という児童書の2巻でも、みんなで共通の目的に取り組むという大義名分が、排除の理論として作用することがあるという重大な指摘がありましたが、まさにグループワークに関してのポストはそういう状況を切り取っているな・・・と思いました。

ていうか・・・出来の悪いクラスメート(それと先生の無理解)を排除できないせいで自分が割を食っていたいう※「思い出話」はXでバズりやすい傾向があるように思われます。それと、たかだか未熟な子供達の授業の一環にしか過ぎない問題(こう書いてしまうのは無神経だと自覚しての上ですが)を、まるで大人社会で職場の問題社員を追放したいかのような憎しみや怒りを持ち込むことって・・・と寒々しく感じたのでした。なんか世知辛いな・・・。もしかすれば相手は勉強や集団行動が苦手な「だけ」であって、「悪意」はないはずなのに・・・そういう冷淡なお気持ちを向けられたらどうなるか、まずは考えてみないと・・・と思ってしまうのは、私こそ思いやりがない証拠でしょうか・・・?

まあ、自分が小学校の頃も、やんちゃな子やパニックを起こす子の家に(自分の子供に迷惑がかかっているという大義名分で)食って掛かるお母さんいたからなぁ・・・。


※ていうかいい年して、いつまで20年位前のことにこだわるのか、僕にはわからんです・・・。

2024年4月10日水曜日

戦っているのはあなただけではない

 


こちらで、ちょっと児童文学作家(YA作家)の香月 日輪氏のことを取り上げたと思います。基本的に死んだ人を批判してはいけないといわれていますし、仮に御存命中だとしても私がいえば身の程を知れということで、大恥をかくような結果になっていたと思います。ですが・・・学生時代、つまりまだ香月氏が御存命中の時にお気持ち表明しようかしようかと思っていたら・・・亡くなられていたので・・・それはずっと封印してきました。

で、上に書いたように死んだ人を批判するということは死体撃ちの側面もありますが、こちらの記事にあるように、ある程度はさせて頂こうか・・・とも感じるわけです・・・すみません、罰(バチ)ならいつでも受ける覚悟で書きたいと思います・・・。

確かに、『妖怪アパートの幽雅な日常』とか『地獄堂霊界通信』とか、『僕とおじいちゃんと魔法の塔』を私は漫画版も併せてよく読んでいたし、特に『地獄堂霊界通信』シリーズでは、児童書だからという(保守的な大人が求めるような)制約を気にせず、だからといって自由とか個性という美辞麗句で子供を野放しにすることをせずに、健全な人間関係を通してきちんと良識や理性、そして正義を持つ存在へと馴致させていく書き方は凄まじいほどに巧みでした。そして、大人社会の不正や綺麗事ではない子供社会のダークサイド等を表現するのに、殺人や一種の狂気すら描くことを厭わない姿勢は、半端に反逆者ぶっているような書き手より、はるかに誠実だったと思います。そして・・・私が問題視していたのは・・・ハードカバー版のあとがきだったんですよ・・・。

過去に、チョロチョロと同じような指摘がネットで存在していたと思いますし、実際にあとがきを読んでいればわかりますが、香月氏ではなくとも、いじめや差別、そして子供の視点で環境破壊や癒着みたいなものを告発する作品は※1(個人的には)山ほどあります。ただ、そういうことを香月氏のように罵倒調のタッチで武勇伝のように語る作家さんを見たことがないというだけで・・・。だから、私はずっと思っていました。「児童書というフィールドで、社会悪と戦っているのは香月先生だけじゃない」と・・・。そういう所から、読者たる子供を※2過激な言葉で扇動して児童文学業界の頂点に立っているかのようないい方をしている作家さんも、初めて見たと思います・・・。

まあ・・・業界関係者でもなければ、自分の能力が実績にもなってない立場で書くべきでないことは嫌でも自覚していますが、ちょっと高校生の時から溜めこんできたんで、ちょっとドバっと出させてもらいました・・・。

私だって、自分がやったことが(不勉強と無知故に)これで社会を告発できたと勘違いし、有頂天になっていることがあると思うので、自分もなぁ・・・と感じています・・・。 自戒も込めて・・・。

 

※1これは例と自分が印象に残った児童書とでチャンポンにして(きっちりしたものを書く気力が無いのですみません。レポートもロクでもないもんばかりでしたから・・・)挙げるのですが、地獄堂シリーズ以前に限って書くと、灰谷 健次郎氏の『太陽の子』では沖縄戦のトラウマを背負った主人公の父親がラストで縊死していますし、さとう まきこ氏の『宇宙人のいる教室』では、いじめがテーマになっています。そして、八起 正道氏の『ぼくのじしんえにっき』では子供の目から架空の大震災で被災した大人達が獣性をむき出しにしていく様が描かれてます。

どれもこれもがどこかで「児童書=牧歌的で優しい」みたいな(これまでの)認識に痛打を浴びせるような表現があります。ですが、誰もが香月氏のように自画自賛するような言動は見られませんでした。それは東日本大震災や新型コロナウイルスのパンデミックを扱った多くの児童文学作家さんにもいえることなのですが・・・。


※2最も、児童書で(子供の視点から)社会や政治をダイレクトに告発する姿勢は、早大童話会の「少年文学宣言」から始まったと思いますが、その古さとして批判の対象になった小川 未明氏や浜田 広介氏等は果たして古田 足日氏や鳥越 信氏などから「バカヒューマニスト」と呼ばれたでしょうか?(時代故に)もっと穏当な言葉で批判されていたでしょうし、香月氏の態度はこうした土壌を作り上げた先人に対して失礼極まりないのではないか・・・?とうすうす感じていました。


2024年4月9日火曜日

あの地名の話とか

 昔、可部線が三段峡まで伸びていた頃、「加計」という駅がありました。そう、広島の北部には加計町という町があり、広島に住んでいればそっちを指すことも多いと思います。(現在でも)バスの電光掲示板にも、加計という文字が表示されますしね・・・。

で、広島(と中国地方)から遠ざかれば遠ざかるほど、アレという認識にどんどん塗り替わっていくと思うんですよね、個人的に・・・。 

そういえば、ダイソーでちょっとした理由により、ハトメパンチを探しましたが、ありませんでした。あれで工作をしたいんですよ。遊びではなく・・・。


2024年4月8日月曜日

気分次第

 今日は珍しく2回更新します。まあ、これも気分次第か、必然性があって・・・ということで(笑)ムカついたことがあれば、やっぱりエナジードリンクかなんかを飲んで絵に集中するほうがやっぱええですね・・・2次創作の方を50%くらい仕上げたし、1次創作もまずまずできあがっている状態だし・・・。

『ジゴサタ』という漫画でも同じような主張がされていたと思いますけど・・・。

で、2つほど何だかなーと思う話題を挙げていきたいと思います。

1つ目は時速35キロで走って来た自転車に接触した人が死んだ事故についてです。まあ・・・仕様次第ではあれだけ出るんですよ・・・自転車って・・・。正直ネットスラングは嫌いですが、「チャリカス」と呼ばれている位には、自転車に乗る人のマナーは悪いな・・・と思います。地元でも過去のバイト先に行く途中や駅前で下り坂を猛スピードで走ってきたり、火のついた煙草(!)片手に運転していたり・・・個人的には自宅周辺はともかく、M町やT町が酷かったなと・・・。

そして、2目の話題です。M町やT町とはいいましたが、そういう関係でYoutubeにおいて、広島市の特定地域を差別と結び付けて紹介するような動画のサムネイルを目にしました。東〇DE〇P案内・・・そういう感覚だったと思います。

なんかネットでは、広島市じゃなくとも特定の自治体の地域について差別や偏見を天然で垂れ流すようなコンテンツがありますが、ホントに・・・と感じています。もし、自分の住んでいる町が偏見(それかほんの一部を見た位)だけでスラムみたいに揶揄されたらどんな気持ちがするのか・・・。

それは、某ギャグマンガに対して(最もセンシティブな形での)差別を興味本位で匂わせるような論評を見た時と同じような感じでした・・・。まあ・・・こういう系のコンテンツで最も悪質なのは、書き手である本人に悪意が無く、寧ろ理想的な福祉のあり方を論じているとクソ真面目に主張している姿勢なんですよね・・・。


自己責任論と闇の貴族と落書きアート

ずっと前から、「自己責任論」という概念が賛否を呼んでいると思いますが、どっちもこの社会を語るには飽和状態かな・・・とか思ったりします。そういう所から、私は新堂 冬樹氏の小説『闇の貴族』を思いだすのです。

(売れないという以上)自分もいつそうなるかも知れないという恐怖感も併せ、貧困層や生活保護受給者やホームレスに対する差別意識や、暴力団や裏社会に対する(実態を理解していない)半端な賛美にはきちんとした批判を向けておかなければならないことは当然だという前置きの元で、ずっと前にも感想を書いた『闇の貴族』とか「自己責任論」について語っていきたいと思います。

『闇の貴族』は、苛烈な少年時代を過ごし、今ではアウトローとして頂点に立とうとせん男、加賀 篤の興亡をメインに描いているのですが、本作の序盤で加賀の経営する倒産整理会社を頼るディスカウントショップの社長や、SMクラブでプレイ後の後始末をしている老人に冷徹な目を向け、一般の人なら同情を向けそうなコメントを辛辣な言葉で一蹴しています。

特に(傍から見れば)零落していると思われる人間に追い打ちをかけ、意志薄弱な結果である自業自得として冷徹に分断するような言葉ならSNS上で山ほどありますが、単なる悪意や害意(という憂さ晴らし)の発露でしかないものと比べると、そういう言葉は新堂氏が実際に裏社会の現実を生身をもって体感してきたことと併せて、加賀 篤みたいに壮絶な生い立ちを背負い、カタギのような安全圏で生きていない人間が発するからこそ、不思議と説得力が生まれてくるのだ・・・と感じています。


で、話題は変わりますがとある落書きの話題に関してです。前提として、私はバンクシー氏(の痛烈なセンスを有する風刺)の活動やチンポムの社会に対する向き合い方の誠実さには、到底凌駕できない部分が沢山あると思います。

話を戻しますが、真っ当な責任能力があり、かつ頭が良くないと芸術として成立しませんから・・・ああいうのは・・・。まあ、つけ加えるなら一昔前のNYを走る地下鉄の落書きも、日本の公共交通機関の(サイズも歪な)毒々しい色彩の啓発ポスターより遥かにセンスがあるなぁ・・・と感じていますし・・・。ですが、お騒がせアートみたいなものに対して抵抗みたいな感情も無いといえば嘘になります。

で、やった人は逮捕されたわけですが、犯罪と表現の自由の境目・・・みたいなものに対してのお気持ちは色々有しています・・・。論点すり替えかもしれませんが、市民的不服従とか抗議みたいな大義名分で犯罪が正当化されるなら、元内閣総理大臣を(自作した)銃で撃ってもいいってことになるでしょ・・・?と思うわけで・・・。市民主義・・・ちょっと橋爪 大三郎氏を思いだしてしまったな・・・。