数多くのノンフィクションの中では、社会的地位の上下、頭の良さ等で、本人のポジションを強化するために、相手を加害者として描くことがあると思います。
例えば、貧しい主人公とその取り巻きVS鼻持ちならない金持ちのバカ息子、みたいな感じでしょうか?酷いものになると、「0点チャンピオン」(という曲)みたいな姿勢の話もあったりするわけですが・・・。また逆も然りで、頭がいい故に孤立している子が、ガラが悪い子の苛めや暴力に苛まれて、当事者の悩みを代弁しているような作品もある訳ですが・・・。個人的に、私はどちらの側にも立ちたい・・・とは正直思いません。こういう話は自分が気に入らない層を、互いが藁人形として殴っているに過ぎないし、ちょっと人間観が貧しいかなぁ・・・?と思うのです。最近でも、タワマンに住んでいる勉強漬けの子供が不幸な存在として描かれてたり、金持ちの子供がいけ好かない存在として描かれていて、チンピラを雇って商店街の店にクレームをつけるというシーンのある児童書を読んだばかりでして・・・何かちゃんと実態に基づいて描いてるのかな・・・?と・・・。
そこで思い出すのが、香月 日輪氏の『地獄堂霊界通信』シリーズや、『妖怪アパートの幽雅な日常』シリーズなんですが、これらのシリーズにはセレブ育ちで頭のいいキャラクターが結構登場します。貧しい子供だったり、普通の中流育ちだったりするキャラクターも当然出てきます。ですが、どっちかを悪く書かずに、寧ろお互いが普通の交友関係を持って自然に接するように書かれており、上に書いたような稚拙な対立構造で読者の生きづらさを必要以上に慰撫するような展開(寧ろ特定層への憎悪を煽っている)より、遥かに安心できるものがあります。
正直、香月 日輪氏に関してはあとがきや公式サイト等で見られる過激なお気持ち表明みたいなものは正直抵抗がありましたが、すぐに所得や学力による安易な対立構造に依存をせず、寧ろ立場を問わない中庸な人間関係(所謂共存)を描くことが非常に上手な作家さんだったな・・・と感じています。
すみません・・・こういう作品なら他にもあるはずだし、当然知っているかもしれないのですが、(私の読書量が拙いせいです。スミマセン・・・)立場を超えた共存の描写でいうと、本当に香月氏の作品が一番印象に残っていたもので・・・。