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2024年3月24日日曜日

トマソンと原爆

今日はちょっとまた、長めの駄文で失礼いたします。

これ・・・ずっと書くまぁ・・・と思っていましたが・・・広島出身として書いた方がええんかな・・・とも感じていたので、敢えて書くことにします。被害者ポルノみたいにしたくないし、それで潰しが効くわけではないので、身内が入市被爆していたこともあまりいってませんでしたが・・・。自身や出身地を特別視したくも無いし・・・。

それと、『犠牲者意識ナショナリズム』という本で書かれているように、 アフター8.6のことばかり語り、ビフォア8.6についてはダンマリを決め込む姿勢も好きではなかったのですが、被害者視点により、加害者視点をぼやかす戦争観への真面目な批判と、原爆投下の被害そのものを第3者が大した常識と知識なしに冗談にするという姿勢は全く違うと思ったので・・・。まあ・・・自分だってこういうものを描いとる身だしなぁ・・・。

で、中学3年生くらいの時です。赤瀬川 源平氏の『超芸術トマソン』という本を読んだことがあります。それなりに面白かったのですが、読んでみればわかる通り、トマソン(と称される構造物)の分類の中で「原爆型」というものがあります。例えば、ビルの隣にあった建物が解体され、その跡が外壁に残っている状態が、原爆が爆発した際の強烈な閃光で人の影が壁に焼き付けられた状態に例えられたもので、当然真面目な姿勢で(原爆投下の被害や被害者心情について)書かれたものではありませんでした。寧ろ、正反対の態度だったと思います。

当時は結構それが非常に不快で、ブックオフにすぐ売ったのを思い出します。後にこちらで「原爆タイプ」を「影タイプ」にするよういわれていますが、それでも原爆タイプという呼称はSNSではよく見かけます。原爆だけではなく、震災にしろ戦争にしろ、どう迫ってもそういうことを経験した本人にしか到底わからないことはあると思います。実際、親戚が高校生の時に他県(中国地方圏内です)で8月6日が広島に原爆が投下された日だということを転校先のクラスメイトが知らずに、ショックを受けたという話を聞いたことがありますし。知らない分、鈍感になることは仕方が無いと思います。私だって広島、広島とここでいってますが、実際に原爆投下の瞬間を見たわけでもありませんし、東日本大震災やガザ虐殺についても、ある程度は知ることはできても、到底被災者と完璧に同化できるかといえば「NO」ですし。

ですが、当事者でなくとも、「被害者に対して何をいえば暴力になるか」みたいな最低限の想像力は誰しもあるはずだし、一線を超えてはいけないとか、よっぽどのことが無い限り当事者のデリケートな琴線に触れるような言動や行動をとってはいけないということは常識に照らし合せればわかることであり、家族が(厳密な定義では)核兵器使用による凄惨な死に方をしたこともない、生き残ったとしても追い打ちのように「ピカの毒が移る」と差別を受けたことも無い、そして、被爆者健康手帳を持ったことも無いような第3者の立場でいたずら半分に原爆をダシにした赤瀬川氏やその取り巻きの態度については、今も(この文章みたいに)お気持ち表明みたいなものは持っています。上に書いたように「原爆タイプ」の語源を考えれば、最も最悪な形で弱い立場に置かれた人間の死体を蹴り、彼らが守られるべき尊厳と人権に大きな挑戦をしたともいえると思います。

 現在でも、センシティブなことについて悪乗りして、良識とは逆の態度をとることがカッコいいというような風潮は原爆だけではなく、色んな分野に転がっていると思います。その構図については、前もリンクを貼ったと思いますが、これが一番同意できるかと・・・。

まあ・・・私は文章を書くのが非常に下手です。だからまたこんな変な文章を公に見せてしまったことは・・・とは思いますが、 あの時の膿は出し切った・・・ということで・・・。

大御所に位置する方を、こんな底辺画家みたいな人間が簡単に名指しで・・・いい加減な感情論ありきでこんなこといっちゃあいかんなという後悔もあるっちゃあるんですが(汗)