―毎日お前は死ぬって言われる人の気持ち、分かんないですよね。分かんないから放置なんですよね。
乾 ルカ『水底のスピカ』より
以前・・・ずっと前の話ですが、楳図 かずお先生の『漂流教室』という漫画についてちょろっと書いたことがあります。あの本は、中学生の時に読んだので、『バトル・ロワイヤル』より遥かに苛烈な状況で、小学生(!)同士が凄惨な殺し合いをする所は結構衝撃的でした。狂気に飲まれた先生達の行動も強烈な印象を残しましたし・・・。
で、小説版も読みました・・・。ですが・・・結構「なんだかなぁ・・・」という気持ちがあります。
それは、私が『足もとの自然から始めよう』という本を読んだからなのですが、『漂流教室』に限らず、大人が社会に横たわる問題意識(戦争や環境破壊など)を子供の発達段階を無視した上で、使命として背負わせようとする行動は色々あるわけで、それがPTSDを発することになる結果であっても、無責任に美談として片づけられる現実があると思います。特にああいう系の作品に運よく耐性があったオタクと呼ばれる人たちが、今の子供にそういうものを読ませる「善意」にもいえることで・・・。
何か、当時の公害や環境破壊、(冷戦による)核戦争の不安などを、(発達段階や感受性のキャパを遥かにオーバーした状態で)わずか3歳の子供、ユウちゃんに、しかも本来なら守るべき人間たちが疑心暗鬼に陥って殺し合いや集団自殺まで見せつけて背負わせるやり方は、ヤングケアラーを生みだす原因になっている大人の理屈と同じじゃないかなぁ・・・と思うのです・・・。あれだって、本来なら子供が背負うべきでない責任や義務を背負わせているわけですから・・・。
それらを考えた時、やっぱり正直『漂流教室』に関しては諸手を挙げて賛成できない部分はあります。単に残酷表現を子供に見せるなとか、子供が死ぬなんて可哀想だとか、そんな表層的なものではなく・・・。神宮 輝夫氏の児童文学評論『現代日本の児童文学』でも、上に書いたような問題意識に対して自分では一切何もせず、代わりに未来を担うだろう子供達に全てを丸投げして託そうとする姿勢が結構シニカルに批判されていました。その中で、『ムーミン』シリーズでよく知られている童話作家、トーベ・ヤンソン氏が講演で語ったことが引用されています。ちょっと一部を引用してみましょう。
「最近では子どもに情報を提供し、打明け、警告しようとするあまり、物語ることを忘れてしまった作家が多すぎるように感じます。これらの作家たちは、子どもをあまりに早くに大人の世界に引っ張りこみます。世の中の汚さ、戦争や人種差別、階級差別、性差別におこる口論等について語り、地球、大気、海や川の汚染についても書くのです。
われわれが泥沼を歩いているのは本当かもしれませんし、真実は冷酷であることもわたしはよく知っております。社会の哀歓についても十分、わたしは顧慮しています。
しかしながら、 人生の初めには、不安や責任におかされなくていもいい時期があってもよいのではないでしょうか。」
この言葉は、まさに高松 翔君や大友君はともかく、一番弱い立場にあるユウちゃんみたいな子供に向けるべき眼差しだったと思うのです。あんな悲壮な決意をさせることではなく・・・。
色々お気持ちを書いてしまい、まとまらない文章になってしまったと自省していますが、自分も今考えると、広島出身であるが故に、友達を含めて当時の発達段階を考慮しない大人の善意に晒されてきた経験はあるわけで、色々となぁ・・・と感じてしまった所はありました・・・。
(追記)余計なことかもしれませんが、関谷の行動もあんな事件が無かったが故に並列に語るのは酷だとは思いますが、なんか池田小学校事件を思い出して不快感を覚えてしまったというか・・・。