ずっと前に、草薙 剛氏が自閉症の青年を演じた「僕の歩く道」というドラマを観たことがあります。で、(下らない身の上話はしたくないのですが)学校で同級生の女子に「藤高の歩く道」といわれたことがありました。まあ、説明はするまでもないですが、私のことを障害者として揶揄したかったんだなと・・・。で、「アイ・アム・サム」や「マーキュリー・ライジング」等、健常者が障害者を演じる映画は結構ありますが、いくら真面目な姿勢で臨んでも、一部の人間が抱く、障害者への悪意のダシにされることは、逃れられない現実なのかなぁ・・・?と思います・・・。特に知的発達となると、特にその傾向が強まるというか・・・。
反対に、ホラーサスペンスみたいなジャンルでは、本当に悪意で役者が障害者を演じているというケースが見られます。ここには、(例えるなら)「アイ・アム・サム」でショーン・ペン氏が綿密なリサーチで知的障害者を演じたような誠実さはかけらもありません。寧ろその特性をいい加減な知識で、侮辱と差別で臨んて来たような作り手が、同じような障害者観を持つ受け手との共犯関係を築く為に、当事者への偏見や抑圧を助長するような作品を制作されている現実があるわけで・・・。
そういう人らって、「障害者を悪人として描かないことこそ差別だ!」とか、「この作品は偏見を助長する意図はない!」とかいって、恣意的に解釈した表現の自由を錦の御旗のように振りかざす傾向ってありますが、逆に自分達のカルチャーが偏見や風評に晒されたら・・・もうお分かりかと・・・。