こちらで、ちょっと児童文学作家(YA作家)の香月 日輪氏のことを取り上げたと思います。基本的に死んだ人を批判してはいけないといわれていますし、仮に御存命中だとしても私がいえば身の程を知れということで、大恥をかくような結果になっていたと思います。ですが・・・学生時代、つまりまだ香月氏が御存命中の時にお気持ち表明しようかしようかと思っていたら・・・亡くなられていたので・・・それはずっと封印してきました。
で、上に書いたように死んだ人を批判するということは死体撃ちの側面もありますが、こちらの記事にあるように、ある程度はさせて頂こうか・・・とも感じるわけです・・・すみません、罰(バチ)ならいつでも受ける覚悟で書きたいと思います・・・。
確かに、『妖怪アパートの幽雅な日常』とか『地獄堂霊界通信』とか、『僕とおじいちゃんと魔法の塔』を私は漫画版も併せてよく読んでいたし、特に『地獄堂霊界通信』シリーズでは、児童書だからという(保守的な大人が求めるような)制約を気にせず、だからといって自由とか個性という美辞麗句で子供を野放しにすることをせずに、健全な人間関係を通してきちんと良識や理性、そして正義を持つ存在へと馴致させていく書き方は凄まじいほどに巧みでした。そして、大人社会の不正や綺麗事ではない子供社会のダークサイド等を表現するのに、殺人や一種の狂気すら描くことを厭わない姿勢は、半端に反逆者ぶっているような書き手より、はるかに誠実だったと思います。そして・・・私が問題視していたのは・・・ハードカバー版のあとがきだったんですよ・・・。
過去に、チョロチョロと同じような指摘がネットで存在していたと思いますし、実際にあとがきを読んでいればわかりますが、香月氏ではなくとも、いじめや差別、そして子供の視点で環境破壊や癒着みたいなものを告発する作品は※1(個人的には)山ほどあります。ただ、そういうことを香月氏のように罵倒調のタッチで武勇伝のように語る作家さんを見たことがないというだけで・・・。だから、私はずっと思っていました。「児童書というフィールドで、社会悪と戦っているのは香月先生だけじゃない」と・・・。そういう所から、読者たる子供を※2過激な言葉で扇動して児童文学業界の頂点に立っているかのようないい方をしている作家さんも、初めて見たと思います・・・。
まあ・・・業界関係者でもなければ、自分の能力が実績にもなってない立場で書くべきでないことは嫌でも自覚していますが、ちょっと高校生の時から溜めこんできたんで、ちょっとドバっと出させてもらいました・・・。
私だって、自分がやったことが(不勉強と無知故に)これで社会を告発できたと勘違いし、有頂天になっていることがあると思うので、自分もなぁ・・・と感じています・・・。 自戒も込めて・・・。
※1これは例と自分が印象に残った児童書とでチャンポンにして(きっちりしたものを書く気力が無いのですみません。レポートもロクでもないもんばかりでしたから・・・)挙げるのですが、地獄堂シリーズ以前に限って書くと、灰谷 健次郎氏の『太陽の子』では沖縄戦のトラウマを背負った主人公の父親がラストで縊死していますし、さとう まきこ氏の『宇宙人のいる教室』では、いじめがテーマになっています。そして、八起 正道氏の『ぼくのじしんえにっき』では子供の目から架空の大震災で被災した大人達が獣性をむき出しにしていく様が描かれてます。
どれもこれもがどこかで「児童書=牧歌的で優しい」みたいな(これまでの)認識に痛打を浴びせるような表現があります。ですが、誰もが香月氏のように自画自賛するような言動は見られませんでした。それは東日本大震災や新型コロナウイルスのパンデミックを扱った多くの児童文学作家さんにもいえることなのですが・・・。
※2最も、児童書で(子供の視点から)社会や政治をダイレクトに告発する姿勢は、早大童話会の「少年文学宣言」から始まったと思いますが、その古さとして批判の対象になった小川 未明氏や浜田 広介氏等は果たして古田 足日氏や鳥越 信氏などから「バカヒューマニスト」と呼ばれたでしょうか?(時代故に)もっと穏当な言葉で批判されていたでしょうし、香月氏の態度はこうした土壌を作り上げた先人に対して失礼極まりないのではないか・・・?とうすうす感じていました。