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2024年9月7日土曜日

リライトされた作品

 昔出版された小説が復刊される時に、現代向けにリライトされることがありますが、ここではつばさ文庫の『トンデモ探偵団』シリーズについてちょっと書いていきたいな・・・と思います。学生時代もつばさ文庫はよく買って読んでいたのですが、『トンデモ探偵団』はもともと依田 逸夫氏の『いたずら校内探検クラブ』」シリーズの一部を現代風にリライト、イラストも現在の児童書で主流のライトノベル寄りのものになっていました。で、原版とつばさ文庫版を読み比べてみて、その違いを楽しんでいたりしました。もう10年くらい前の話ですが・・・。

で、後者のイラストを務めた福田 岩緒氏のイラストも結構味があって好きだなと感じています。特にタイガーマスクを被ったDQN中学生のイラストは強烈でした・・・。

昔のファインアート寄りの児童書の挿絵は結構廃れた感じがあり、そこら辺で萌え絵はどうなのかと議論が起きたりするわけですが、私はどちらとも好きですし、絵本コーナーを見るにあたり、まだまだ子供の本においてファインアートは死んでないのではないか・・・と思ったりします。

ああ、そうそう。好きな絵本作家をここで挙げておきたいと思います。いもと ようこ氏とか、武田 美穂氏、それから山本 忠敬氏とかです・・・。

2024年9月6日金曜日

お前社会の底辺だろ?

 もうね・・・Xにおいて、喫茶店の経営者がインボイス制度の影響でネルフィルターを縫う職人の廃業が決まったので、底辺と呼ばれる人達が私達の生活を支えてくれるのに、底辺切り捨ての政治を続けていいのかという趣旨のポストを見て・・・あの、自分が世話になっている職人に「底辺」ですよ?低賃金労働といっても、これはあんまりじゃないでしょうか?なお、ここでインボイス制度のアレコレは敢えて書かないことにします。(恥ずかしながら)そこら辺に関して自分の解像度がまだまだ低いことに加え、労働者を雇う側が、相手を天然で「底辺」と書いたことに焦点をしぼりたいので・・・。

私もダメ人間だからこそ承知で描きますが、きつくて金銭的に報われにくい労働で世の中を支えている労働者達がいることは事実です。ですが、それを享受する側が感謝の念として「底辺」という言葉を出すことに、驚きを感ました・・・。私も創作において、目立たない場所で、絵具やキャンバスなどの画材を作ってくれる人や運送会社さんにお世話になっている身ですが、そういう発想は正直なかったんで逆に感動しています・・・。もちろん皮肉の意味ですが・・・。

まあ、私も食品工場やドラッグストアなど、就職せずにバイトを転々としてきたクチですが、こういう思考回路の経営者に製品を提供してきた労働者達は、怒ってもいいのではないかと思います。もう店の名前もわかっているので、そっちは利用したくないなと思ったりします・・・。もうこっちには怒る気力もないし、立場でもないので・・・ね・・・。

こういう所から、ネットのウォーク系の言説はなぜ高い確率で、知能や学力のある犠牲者については対等に扱うのに、(特に社会のボトムにいる)当事者を高みから天然で傷つける発言が横行しているのでしょうか?なんかリアルで地道な活動をしている人達がいて、自宅の近くにも複雑な事情を抱えた子供達に無償で食事を提供するNPOがあります。そういう団体に限って、教育困難校とか底辺とかいった言葉を振りかざさないのはなぜでしょうか?少なくとも、後者の方がはるかに誠実な姿勢で問題(とその当事者)に向き合っていると思います。SNSも事務的で、いかに自分達が相手を助けているかを自慢げに書いたりしているポストは殆どありません。自分のメソッドを金儲けや承認欲求に使う意志を露骨に見せることだってないですし。

まあ、あの手の言動がアレなのは、社会批判の為に自分より弱い存在を好き勝手に扱うような高慢さがあり、『だいすき!』とか『灰谷健次郎-その「優しさ」と「文学」の陥穽』で指摘されていたような、相手の尊厳を奪うような形で美化するような言葉遊びがあるからでしょう。しかも自分に差別意識は無いというグロテスクさ・・・。

自分だってこの公開日記というネットのぬるま湯の中で社会や色んなことを好き勝手に腐してるので同じ穴のムジナかもしれませんが・・・。

2024年9月5日木曜日

弱気を助け、強きを挫く

 -だいたい、犯人たちが「誰も傷つけない犯罪を目指す」とか言っているのがお笑い草です。(中略)そんな連中に「こんな悲しい過去がありました」と同情させてどうするんですか。そんなの、矛盾してるでしょ?

                  山本 弘『料理を作るように小説を書こう』より 

 

世の中に流通しているフィクションには盗難や殺人などが、一定の正当化を持って表現されている作品があると思います。戦争行為はともかく、ターゲットが悪徳政治家(及び経営者)とか不起訴の犯罪者とか、ああいったやつです。

まあ・・・「昔はよかった」という文脈で、暴力や犯罪が語られることがよくあります。詐欺師は富裕層を対象としていたのに今は弱者をターゲットにしている、今と違っていじめが陰湿化している・・・それって、寺村 輝夫氏がきっぱり否定していましたし、誰が持っても金は金という具合に、動機が何であれ、犯罪は犯罪なわけです。昔殺人犯は金持ちをターゲットにしていたけど、今は通りすがりの人を狙うからダメなんて理屈が通ると思いますか?

で、話を戻しますがそういう所から溜飲を下げるようなフィクションがいくつか見当たるわけで、面白いっちゃ面白いんですよ。日頃から何となく享受している話への問題意識を高めるチャンスを与えてると思いますし。

ですが、多くの人は社会をよくする・・・というよりかは、自分より醜い存在が特権を享受し、それが叩き潰されることに心のデトックスを放出させること「だけ」しか期待してないのではないか・・・とレビューを色々見て感じます。こういう所から、政治家や企業の諸々の不祥事を上級国民の問題に矮小化し、自分達は清らかな存在としてそれを成敗するストーリーが望まれる傾向があります。ですが、そんな願望は上に書いた通り単に嫌な奴が滅んでほしいという個人的なモノに過ぎないので、いつまでも需要と供給が生じるというわけです。

何ていうのか、稚拙な「弱気を助け、強きを挫く」みたいな皮相な反権力に基づく願望だと思われますが、こういう発想って安倍氏を殺害したり岸田首相に爆弾を投げつけた犯人や、相手に同情するどうしようもない層とほぼ同じだと思います。

そして、こういう所から生じる意識というのが、裏金や森友・加計学園問題、万博や日大みたいな個別の極端な事例(仮想敵)を面白おかしく叩くことだけに堕していたりするので、誤解を恐れずに書けば、こういう時に使われる弱者という言葉も方便だな・・・と感じる次第です・・・。

最も、私は「面白いっちゃ面白い」と書きましたが、こういう系で私の好きな作品は「嫌いな奴がいなくなってハッピーハッピー、悪徳理事長とかブラック企業に痛めつけれられていた私可哀想」というものじゃないです。寧ろ、そうした悪は受け手にもあるということを突き付けているような厳しさがあるからこそ、社会問題を自分事として受け止められる力を与えてくれる力があるんです・・・。

2024年9月4日水曜日

東大に行くこと

 -こんなやつもいるんだから お前は今の環境を後ろめたく思わないでいい

 つるまいかだ『メダリスト』より 

 

 まあ・・・学歴の話って結構デリケートな部分はありますよね。スポーツとか芸術とかの分野で努力の末に成功する話は素直に受け入れられるのに、勉強になるとみんなが腫物に触るかのように目を背け始めるのは何故でしょうか?金の問題とはいいますが、前者だって同様のはずです。

私も高校時代に色々あって地方の私大に甘んじており、対照的に親戚に東大生がいたからこそ敢えて書くのですが、あの署名運動に関しても 本当に皆にとってプラスになるのか・・・?と問いたくなるのです。逆に社会にとって悪影響でしょ?とも・・・。

世の中、もっと単純にいえば日本社会の格差構造の中で低俗な格付け番組のような足の引っ張り合いが(特にXみたいな所で)あり、あの東大推薦への反発に関してもそうした言葉遊びの一環でしかないと思います。どうも教育や生活環境については「酸っぱいブドウ」で終わるどころか、先天的にブドウを獲得できる努力を与えられた人間に、色々と理由と難癖をつけて足を引っ張ろうとし、真面目な格差論ですらそうした心情の慰撫に回収されていると感じています。あんまし書きたくないことですが、私もそういう考えでモラハラ紛いのことを受けたことがあるので・・・。

 第一、推薦入試は(総合型選抜と同様に)インチキではないですし、それだって教育ジャーナリストである石渡 嶺司氏が指摘している通り、単におべんちゃらで入れるほどの甘さではありません。全員が悠仁様という藁人形を劣等感や敗北感の為に殴っているにすぎず、様々な格差への問題提起が彼らへの肯定(燃料)にすぎないのであれば、そこら辺にどう楔を打つか・・・も重要だなと思います。要するに、純粋な犠牲者として彼らを扱う限り、不毛なルサンチマンにより真の被害者が生まれ出るということで・・・。

これについては明日に持ち越してみたいな・・・。ヤフコメも結構見苦しかったし・・・。







2024年9月3日火曜日

メールアカウントの設定について

 昨日の文章で、メールアカウントの設定が・・・みたいなことを書きましたが、ちょっとそこら辺について謝罪をしておかなければ・・・と思います。

なんか恥ずかしい話ですが、(今のご時世で!!)私は大学卒業間近までメールでのやりとり・・・というのをまともに使ったことがありませんでした。もっぱら、電話連絡という形です。それにデジタル音痴ということも加わり、アドレスを書くだけで精一杯・・・という所がありました。 だから、アカウント設定の名前という所がよくわからず、名前をちょっと間違えていたりすることが過去にありました。最近では、エイリアスを増やしたので、そこら辺でも設定がわからずにミスをして、名前を書いてなかった・・・ということもありました。

この度はマナーに抵触するようなことをしてご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。

なんか・・・さんざんオンライン美術館にあれこれ書いてからこのザマとは・・・。

 

そういえば、こんな記事を見ました。 別世界に住んでる身としては、身に染みる内容でしたよ・・・。これはVtuberだけの問題じゃないと思います。それこそ論点がズレることを承知でいいますが、自分達は全然文化的特権階級ではなく、絶対に許されてはいけないことを楽しみ、だからこそ怒られる立場であることを自省して生きていかなくちゃ・・・ということを再認識させられる文章でした。

2024年9月2日月曜日

フランスと日本のJR

フランスのアーティストで、JRという方がいます。JR・・・日本人にとっては、切っても切れない関係にあるんじゃないでしょうか?すみません、また私の悪癖が・・・アーティストではなく、西日本の方ですが・・・。もう私が生まれた後は国鉄は民営化された後なんで、日本国鉄というものに乗ったことがないんですよ・・・。ですが、國鉄広島からいつ脱せるのかと思って生活していて、その時が来たのは大学卒業後ですからね・・・。

で、フランスだったらJRじゃなくてSNCFですよね・・・。

ごめんなさい、こんな風にこじつけを・・・ああいう人らの1人としての、悪い癖です・・・。

で、ちょっと明日はメールのアカウント設定について書こうかな・・・とか思います。よくわかってなかった部分があり、人様に失礼になっていたかもしれないので、お詫びと報告もかねて・・・。

2024年9月1日日曜日

街路樹が伐採された話

 とあるニュースサイトで、街路樹が伐採されたという趣旨の記事を色々読んでいました。

はっきりいえば、温暖化に伴って植林の意義は大きくなっていると思われますが、こういう所から日本の醜い都市景観、つまり花より団子主義が優先させられた結果かな・・・と思います。なんか外国の街をそこまでつぶさに見たことがないので恐縮ながら、日本の街づくりというのは日常生活をひっくるめて本当に無頓着だなと思います。統一感がなく、本当にグチャグチャというか・・・。

どうして原爆ドームを含めて、平和記念公園のすぐそばに同人誌ショップや模型屋などが並んでいるのか、日本車のクラクションはなぜ鼓膜を割るようなトーンなのか、なぜ自転車は道交法を守らず猛スピードで走るのか・・・そこら辺からトータルして、日本の街というのは人の神経を逆撫でする乱雑なエレメントが、余りにも揃いすぎていると感じます。

ああ、それと昨日は反ワクチンのデモを見ました。警官の姿を何人か見たので何事かと思いましたが、トラックを先頭にして、後ろから何人もプラカードを持った人たちが、列をなして歩いていました。で、トラックの上で拡声器越しに女性が金切り声でがなりたててまして・・・。ちょっと考えれば政府やWHOに騙されてるなんて言うのは妄想だということくらい、誰でもわかるはずです。問題なのは、こうした天邪鬼の一線を越えた駄々を、いい年をした大人達が大真面目にこねていることでしょう。

私も大して社会貢献できてないし、時として駄々をこねてしまう身だから敢えて書きますが、多数の警官に守られているということは、そうした自身の行為に公金が投入されているということです。だからこそ、自分の行いについてきちんと考えてみる必要があるのではないでしょうか・・・?

まあそれが間違いだといっても、妄想じみたことを事実として認識している人には、話が通じないと思いますが・・・。以前書いた文章の使いまわしになりますが、彼らは社会や権力と戦っているように自己演出しているフシがありますが、彼らの社会に対するスタンス自体が社会への幼稚な挑戦だと思うので、別にわざわざトラックに乗って金切り声を上げたり、行進したりする必要はないのです。

 こういうの、『コメンテーターエンドウさん』あたりで論難されてそうだよなぁ・・・。