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2024年3月19日火曜日

ファミレスの片隅で

何かXを見ていると、ファミレスの片隅で他の親や子供の悪口で盛り上がるハイソな奥様達を思い起こすようなポストがありました。今ではそういうものが(主に)ネットで行われている・・・と思うので、結構陰湿度が違うよな・・・と・・・。

例えば、学校の先生であれば、親がいつの間にか子供の答案を写してSNSにアップする・・・ということが平然と行われているわけですし・・・人の知らん所で相手を攻撃して、チヤホヤされて満足ですか・・・とも・・・。

そういえば、高校生の時に「バーンアウト パラダイス」というゲームをやっていました。

で、レースに負けた時にDJがいう「参加することに意義がある」という言葉の続きが、かなり辛辣で、今も記憶に残っています。レースじゃなくとも、色んな部分で競争は存在し、(常識に照らし合せて)「参加することに意義がある」では通用しない現実があるわけで、あのセリフは色んな所で響いてくるなと・・・。

2024年9月29日日曜日

イヤミスについて

 一昨日、ここでイヤミスについて書きたいと意思表明していましたが、まあ・・・腹の底に溜まっていたものは出したいと思います。その道のプロでもないので、エラソーなことはいう資格はないので我慢すべきだと、ずっと自分にいい聞かせてきたことですが・・・。

保坂 和志氏の『書きあぐねている人のための小説入門』という小説技法を書いた本なのですが、本書は2003年と20年以上前ながら、今日のイヤミスブームの本質を見事にいい当てているなと感じる箇所がありました。4章の「ネガティブ人間を書かない」という所なんですが、(当時における)最近の応募小説や創作学校における被害者意識の強い登場人物然り、ネガティブ人間を描くことへの批判然り・・・。

私だってどっちかというと、正邪でいえば「邪」の方が多くてスキャンダルとか不幸話とかに耳をそばだててしまう弱い部分があります。そういう話だって好きですし。ですが、上に書いた保坂氏の指摘通り、スキャンダラスで露悪的な作品がミステリのメインストリームとして持て囃されるのも・・・と感じていることは事実です。

正直ながら、私は「イヤミス」と銘打たれた小説を数冊読んだことはありますし、宣伝方法から健全な効果を狙ったものではないことぐらいわかります。寧ろ、イヤミスに正義や美徳を求めろということ自体が空気を読めていません。ですが、基本的に(もうこれは個人的な私見になりますが)イヤミスというジャンルは、ファミレスの片隅や道端で他の家庭の不幸、つまりダレソレさんの家が破産した、旦那がDVをした、息子さんがいじめで自殺したとかいった話題を俗悪に騒ぎたてる主婦達みたいな層と、そういうどうしようもない層と同じ感性を持つ作り手との商業的な共犯関係で成り立っているのだと思います。受け手は手っ取り早くチョ・スンヒの戯曲よりもインスタントに人の不幸で歪んだ心理を慰撫されたい。作り手は受け手に爆買いさせるべく、皮相で安っぽいヘイトを提供すればいい。結果として、『バトル・ロワイアル』の大ヒット以降雨後のタケノコのように現れた(過激で不快なエログロありきの)デスゲームものと同じ轍を踏んでいるとうっすら感じています。ああ、そうそう。お手軽な右派知識人の対談とかIDW崩れの左派叩き、芸能人のエッセイでもってるような新書の新興レーベルもね・・・。

前にもここにリンクを貼ったと思いますが、(津波に伴う)原発事故やコロナ、ガザ虐殺など現実があまりにも単純化できない上に悲惨なことばかりなので(これは『小説の神様』シリーズでも指摘されていたことですが)社会や人間関係は正邪入り混じったグラデーションで、自分もどこかで責任を科されているという、ある程度は思考力や教養、耐性を要求される「線」は無視され、「少年犯罪者でも死刑にすべき!」とか「アイツはいじめの加害者だからクズ!」みたいに、シンプルな「点」で理解出るものだけが好まれるでしょう。リンク先の記事のように、ビッグブラザー抜きで2分間憎悪を自分達で実現してしまった現代の申し子の1つが、イヤミスなのかもしれません。

2021年5月9日日曜日

ハズレの先生

 ずっと前に、電車に乗ってた時、主婦と思しき方々が(自分の子供が通っている)学校の担任であろう先生のことを、「ハズレ」と呼んでいました。

私も小学3年生の時に、担任の先生に殴られたり蹴られたりした経験を持つわけですが、「ハズレ」という言葉にはちょっと違和感を感じるものがあります。

まあ、こちらの引用でもある通り、自分の経験したヤバい事態ならともかく、それ以前の問題で思い通りにならないから「ハズレ」というのは、なんか奴隷を使い捨てにするようで嫌な表現だな・・・。特に「ファミレスの窓際のテーブルに陣取って、幼稚園や学校をあしざまに言いつのる」というのがね・・・。

こういう担任教師を「アタリ」か「ハズレ」で選別するような風潮って、三田村信行氏の児童書『おとうさんがいっぱい』を思い出します・・・。人間を選別していた側が、ある日選別される側になる恐怖を描いたあれです。

そうそう、なんか理不尽な理由で減点された子供のテストが、親によってネットに(晒すために)アップされているのを見たことがありますが、同じものを感じるな・・・。

こういうのも、また書いてみたいと思います。


2024年5月8日水曜日

いかに害悪か

 以前、この文章でも書いたのですが、ファミレスの井戸端会議がSNSに移るようになってから、単なる悪口の破壊度が・・・と思っています。ああ・・・ゲーム機をやるために家に来るとか、おもちゃ壊すとか・・・。

自分もこうした(放任下で、エアガンや爆竹みたいなものを持っていた)子の犠牲になったことがあるし、善意につけこまれてお金を取られたことがあったり、おもちゃを壊されたことがあるから敢えて書くのですが、そういうポストはバズりやすいし、インプレゾンビというおまけつき・・・みたいなものがあって、中々だな・・・と感じるわけです。当然、悪い意味ですが・・・。

自分はそうじゃないですが、やっぱりネットでこうした発言にもほかの発言と平等に一定の評価や金銭的リワードが降りるようになり、単に一過性のもので片付けられていたような悪意が一線を越えて力を持つようになった恐ろしさがあると思います。懐古じゃないし、過去を美化するつもりは毛頭ないですが、(小学生の時のことを踏まえ)ある所ではお互い様とか多少の迷惑は・・・という美談はもう通用しないのかもしれません。私だってそんな都合のよさは持っているわけですから・・・。

そして、『マコちゃん絵日記』という漫画で江戸村さんがごっちゃんを受け入れていた・・・というような善意ではなく、今あるのは中流育ちで社会常識のある親同士が、特定の家庭に対しSNSで(某ステルスアクションゲームの受け売りですが)「俺達に聞こえない場所で 俺達がどれだけ害悪か喋り続ける」という冷淡な状況こそ、世間のメインストリームなのかな・・・とも・・・。

でも、この記事にあるように、分断を煽り、その上位から(ネットで)反撃能力の低い他者を居丈高に攻撃してバズが稼がれていくような状況は・・・どうなんかね・・・とも・・・。リンク先の記事が示すように、まだ罪のない子供ですら、中流目線で排除の理論のターゲットにされるという現実・・・まあ、私もエラソーにこの公開日記というネットのぬるま湯で、弱者を論じてる時点で、同罪かもしれませんが・・・。

2024年9月24日火曜日

本来ならば・・・という話

 本来なら、絵を描く環境はファミレスとかマクドナルドみたいな所がいいんですが、キャンバス画だけは・・・と感じています。だって、そんなものを店内に持ち込んで作業する馬鹿な人っていないでしょ・・・。迷惑だし・・・。いや、前者だってそうだということは自覚してるんですけどね・・・。

そういえば、列への割り込みを昨日2回くらいやられました。注意しようかと思いましたが、暑い中を歩いて疲弊してたので相手に任せました。許したというわけじゃないです・・・。