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2021年8月29日日曜日

標的とされた少女

 


一か月前、とある大学付属中学のスクールバス乗り場で、バスを待っていた学生が次々切りつけられるという事件があったと思います。事件で私の妹も死にましたが、事件に関して犯人を肯定するような言葉が、ネットを中心として湧き上がっていることが気にかかっています。ある映画監督は自分のブログで、犯人をはっきりと「横暴な政治の被害者」だと書いていました。

私もそのことに関して、学校でちょくちょく中傷されているので、なんでそんなことをいうのかと覚悟を決め、加害者たちに聞いてみました。

「あんなレベルの低い学校に入ったのは自己責任」

「理事長が税金泥棒という面でいえば、お前の家族も連帯責任だから」

「じゃあなんで理事長の不正に関してみんなで声をあげなかったの?それをやらないから、国民の怒りがああいう形で爆発したんじゃないの?」

私はその時、こう思いました。男が学生を殺傷したことでも、捜査や裁判などで多額の税金がかかっているのです。それは無駄遣いのうちに入らないのですか?と。なぜ社会に問題提起するのに、通り魔という手段を使おうとしたのですか?と。そして、事件においてどうして女学生だけを狙ったのですか?と?