私が中学校に入る直前、(9.11を経た所から)イラク戦争が始まりました。
その開戦の口実が、「大量破壊兵器を有している」ことでしたが、その欺瞞を暴こうとする新聞記者たちの活躍を描いた「記者たち」という映画を観ました。
当時の映像も交え、近視眼的な愛国ムードに押し流されていくアメリカで、真実を追求する記者の姿が、変に誇張されたり、美化されることなく描かれていたのが良かったです。特に「愛国」という空気を読まないせいで、みんなが追い詰められていく所は、日本社会でもあるんじゃないかなと・・・。決まったんだから反対するなと・・・。
ここで、私が思いだしたのは『新聞記者はせいぎの味方?』という児童書でした。以前も本書について感想を書いたと思いますが・・・。
大抵、マスコミを扱った映画というのは(これは非常に個人的な偏見ですが)、「清いジャーナリストたちが弱者である庶民の味方で、政治や大企業という巨悪を追及して倒す」という2項対立の構図であると思います。特にこういう類の作品って、※犠牲者意識の強い日本人には相性が良いのではないでしょうか?
ですが、主人公の少年のお父さんは、ペン一本だからこそ、ジャーナリズムは間違った時に人の人生を破壊してしまうという危険性を語り、その危険性を自覚した上で、自身の「マスコミ」という自身の仕事を肯定します。
ただマスコミを一方的に持ち上げるだけではなく、かといって都合のいい批判ありきで描くことをしないバランス感覚は、一方的な美化とルサンチマンを慰撫する「大人向け」の作品より遥かに洗練されていたと思います。
ちょっと話がズレてしまいましたが、「マスコミもの」の作品を観る度に、私はあの児童書を思いだすのです。ですが、「記者たち」のキャラクターの行動は当然のものであり、ラストで表示される数字を見ると、(ナイト・リッダーみたいな)報道機関の大切さを痛感します・・・。
※例えば、太平洋戦争終結後の「自分は騙されていた」という被害者意識からずっとじゃないかという思いがあります・・・。