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2025年5月31日土曜日

結局、書かないことにしました

 昨日の文章で、風俗について書きたい・・・と書きましたが、結局例えがどぎついんで書かないことにしました。まぁ、ここでアニメとか漫画の感想を書き散らしとる俺も、同罪だと思うしなぁ・・・。だから人のことをあんなんに例える資格なんか・・・とも・・・。

でもまぁ書いちゃうけど、何か私を含めて(だから同罪だと書いたのです)1消費者が自己顕示欲や支配欲の為に、特定の業界に対して評論家のような言動をしてくる様は、風俗の迷惑客と同じだな・・・と考えてます。風俗に行ったこともないんでアレですけど、敢えて例えるならそういう感じなんですよ・・・。そういう態度が、汚い格好で店にやってきてプレイの前に体をちゃんと洗わない、オプションにない過激なプレイや本番を強要する、キャストに暴言を吐く、でも金払ってる身だからそれが悪だという自覚がない・・・まぁ、『死役所』という漫画でも風俗嬢に横柄な態度取って殺される客がいましたけど、まさに重なるというか・・・「評論」を「感想」と履き違えている今の風潮に・・・。 

そういや久しぶりに絵の依頼を受けました。明日余力があれば詳しく書きたいな・・・と思います・・・。 

2025年5月30日金曜日

色々悩んでいます

 何か・・・拙作に対して色々悩んでいるんですよね・・・メカのことなんですけど・・・。バストを出しすぎじゃなかったんじゃないのかと・・・。

そういう所から、大学ノートに色々描いて検討しています。で、ゲームやデザイナーさんの画集を読んで、これで正しいかな・・・とか比較してみたり・・・。いくらデジタルでやり直しが効くといっても、限度があるので・・・。

前までは構想やラフなどはクロッキー帳にまとめてましたが、前者の方がコンパクトで扱いやすいので、そっちにしています・・・。安いしね・・・。

まぁ・・・話は変わりますが、明日余裕があれば、風俗について書いていきたいな・・・と思います・・・。行ったことが無いのに書く資格はない・・・ということは承知ですが・・・。 

2025年5月29日木曜日

今日は何事もありませんでした

 今日は何事もありませんでした。

よかったです。

ですが・・・東急ハンズで刷毛の取り扱いを・・・止めてしまったというのが(泣)

2025年5月28日水曜日

進んで弱者になりたい人達

―人は誰でも自分が生まれ育った国に「愛想尽かしする」権利を有しているからである。しかし、高度に発達した資本制社会である日本と原始共産制的社会を比較して原始共産制社会の優位を主張すること自体が、理念としては可能でも、現実的ではない。

          黒古 一夫『灰谷健次郎:― その「文学」と「優しさ」の陥穽』より

 

昨日の記事の最後で、元気があれば愚痴りたいというようなことを書いていましたが、幸い元気があったのでそうしようかなと思います(笑)

自作小説の参考文献に使うつもりで読んでいたホームレス関係の本ですが、なんか(敢えて書きますが)左派系知識人って、本当に(安全圏から)障害者とか貧困層を美化したがるなーと思いました。

もうここでも書いたことなんですが、文章の下の辺りに『だいすき!』っていう漫画を引き合いに出しています。それと、最近でも『ハッピークラシ―』という本を読んだ影響もありますが、ちゃんとした「衣食住」がない極限状況でぎりぎりの生活を送っている人に、「豊かさ」を見出し、自分もそういう生活に憧れてまねごとをやり始めるというのは、社会的弱者や福祉制度を舐め切った行為であると思います。それは、『だいすき!』で知的障害者達を「幸せだよな」と言い放った浪人生と同じだと感じます。そこに反論した安西さんと同じように、ホームレスや貧困層の人だって、全部が全部ユートピアンだからやってるわけではありません。椅子取りゲームに座れなかった結果として、負のスパイラルに絡めとられている状況を、反資本主義のアイドルとして祭り上げるような考えは、当事者の尊厳を逆に阻害しているともいえるでしょう。

近年、(サンデル本の影響もあるのでしょうが)能力主義や市場競争は批判の槍玉に上がりがちです。ですが、努力による獲得が前提となっている社会の安全保障に守られているような人間が、それらが嫌いだからといって貧困を美化して同化するようなゆるふわな姿勢に、私はこの漫画を想起してしまいます・・・。自分が勝ち取ってきた境遇に感謝せず、それが無いことで社会や個人がどうなるかという想像が欠落しているような議論は、ここで槍玉にあげたような本ではなく、巷には色々と溢れているわけですが・・・。

 

2025年5月27日火曜日

ちょっとブーストしました

 今日はとあるPDFファイルをBOOTHで買って・・・ちょっとだけブーストしておきました。

薙沢 ムニン氏の 「LivingDead*Magic」の設定資料集なんですが・・・。

・・・まぁ、何か読んでてあのエンドが好きだった人が多かったというのもねぇ~という気分でした。正直・・・ネットには露悪好きが多いんかなーとか思ったりして・・・。

何か(決して薙沢氏のゲームではありませんが)創作界隈で、手っ取り早くキャラクターを殺したり破滅させたり、絶望させたりすること(で溜飲を下げるような表現)がメインストリームに出てる現状の弊害、とでもいうのか・・・。 

参考資料も見ましたが、自分より教養のある人を見ると、純粋にすごい頭がいいな~とか感じたりします。だから、自分もやる気が出るというか・・・。

 

そういえば、明日も元気があればちょっと色々愚痴りたいと思います。個人的に苛立つものを読んでしまったので・・・。

2025年5月26日月曜日

買い直しました

 最近本を売った時に、間違って売る予定のない漫画を売ってしまって・・・気がついた時にはもう遅く・・・なので今日、新刊も併せて買い直しました。

まぁ・・・こういうこともあるということで・・・。

そういえば・・・シフトの関係で今は連休ですが、遠出しようと思っても、経済的なアレコレ・・・という感じでどーしよーかなーと思っています。まぁ・・・行かんとは思いますが・・・。

2025年5月25日日曜日

震災後文学

 ―大衆の興味が集中しているホットな話題にすぐに飛びついてプロットを立てるのも、また能のない話だ。

         ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』より

 

 東日本大震災以降「震災後文学」なるものが多数生み出されてきましたが、個人的には「東日本大震災を題材にした小説」と書いた方がいいように思います。

 戦後最大の犠牲者数やチェルノブイリ(チョルノービリ)に匹敵する原発事故も併発したこともあり、阪神淡路大震災に代わり、すっかり(関東大震災と共に)災害を語る際のテンプレートとして定着した東日本大震災ですが、「震災後文学」というジャンルを確立させ、それを文化として継承させようと息巻いている作家たちは、果たして阪神淡路大震災はともかく、他の災害でここまで伝承しようとする努力はしてきたのでしょうか?

こういった話の蒸し返しになりますが、所詮は東京が壊滅の危機をつきつけられないと人は動かない。そんな残酷さと無神経さがあると思います。実際に東日本大震災の後に発生した熊本地震(あれは広島も揺れました)や西日本豪雨、能登半島地震に関してにそこまで熱を入れて「物語化」しているような作品は見当たりません。逆にいえば、そうした「物語化」や「代弁する使命感」が、豪雨や台風など、「ただの災害」の記憶を大きな声で排除してきたともいえるでしょう。

正直に書きますが、だからこそ私は「(主に東日本大)震災を語り継ぐ」みたいなムーブメントに素直に乗れなかったりします。 どうせやるんなら自分の描きたいことや特定の災害や事件などをナラティブとして騒ぎたてる・・・所への逆張りみたいな感じ、そんな使命感に冷水を浴びせるような感じで臨みたいと思います。色々何か挑戦してるかもしれないような文章になりましたが、それは覚悟の上・・・ということで・・・。

2025年5月24日土曜日

今日はハシゴしました

 今日はバイトが終わったら、某所にハシゴしました。

ラッキーなことがあったので、いい気分です。そのうちこの公開日記やSNSで書くかも・・・。

2025年5月23日金曜日

今日は無事に出荷できました

 今日は無事に出荷できました・・・といいたい所ですが、忘れたものが・・・!

本当にすみません・・・!もし運が良かったら・・・私を呪ってください・・・!

ということで、当日になったらギャラリーの方にも謝っておかなければ・・・(泣)

で、なんか(自作の)小説を書く際には参考文献・・・みたいなものを載せるわけですが、こっちの場合「わかったつもり」にいつも堕してるのが痛いところ・・・です・・・。取材したことを3割に引き上げると資料の羅列になり、エンタメから逸脱するというようなポストを目にしましたが、では残りの9割をちゃんと書けるか・・・そんな段階です・・・。

2025年5月22日木曜日

適切な子供扱いの軽視

 ―「わたしは、おしつぶされるのはいやよ。はっきり、ノーというわ。」

                 青木 和雄『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』より

―子ども達の感情的・認識的な準備ができ、極度に悲惨かつ概念的にも複雑な諸問題を扱える段階に達するのはいつなのか。それこそが決定的な問いであるべきである。

                 デイヴィッド・ソベル『足もとの自然からはじめよう:子どもを自然嫌いにしたくない親と教師のために』より

 

以前もちょろちょろこういう系の話をこの公開日記で書いていたと思いますが、書店の児童書コーナーを見る度に、投資とか闇バイトとか、働くことの意義とか・・・なんか世知辛い本が並ぶようになったなーと思います。まあ、私が無知でこうした傾向は前からあった・・・とは感じてますけど・・・。

ですが、なんなんでしょう・・・こうした本に感じられる大人の無邪気な意志・・・みたいなものは・・・。高度情報化社会に伴い、一発の刺激で社会が破滅に至るリスクは比例しているように見える今日、『漂流教室』が当時の公害や戦争の不安を子供に託したように、大人の立場「だけ」で子供にそのまま社会が孕むリスクを伝えればいいという考え(に基づく善意)が、この文章の初めに挙げた児童書から漂っているのです。

丁度、このポスト・・・X経由で『ファスト教養』が最近話題となったライターのレジー氏のものなんですが、あの子供の発達段階とか成長過程とかいったキャパを考慮しない児童書への激しい違和感を見事に表明しているように思われます。 ちょっと私が上げてる児童書とはニュアンスが違うかもしれませんが・・・。

 リンク先のポストの言葉通り、「中身」という基本的な部分ができ上る前に、そこら辺を考慮せずに子供を市場競争や自己啓発の論理に引きずり出すようなやり方は、寧ろ子供にとって有害であるとすら思います。その「中身」が伴ってないうちから、いきなり自分の頭で考えろとかリテラシー能力を鍛えろとかいうのは無責任であるし、要らないおせっかいともいえます。余計かもしれませんが、その中には・・・2chの管理人だった人がいるのも・・・。

得てして、段階をすっ飛ばして投資テクとか労働の意義とかを詰め込もうとする大人達は、「学校では教えてくれない」という言葉を金科玉条のように振りかざすフシがありますが、逆にいえば、投資テクとか労働の意義というツールを意義として使うためには段階が不可欠で、その為に学校が存在しているということを軽視していると感じます。

じゃあ・・・一体どーすりゃいいんか・・・って話なんですけど、少なくともこうした大人達の善意こそ懐疑の念を持っておかな・・・とも思うし、『謝るなら、いつでもおいで』というノンフィクションで、こういう言葉があります。

「清く正しく美しく、なんて教えようとするからダメなんだ。いま子どもにいえるのは、ボーっとしていいんだよってことだけだよ。ゆっくりしてていいんだよって」(135P)

ですが、現実社会が(高度情報化の進行に従い)一寸先は闇の毒気に満ちている分、「ボーっとしてていいんだよ」「ゆっくりしてていいんだよ」といい切ることも、正しさの一つかもしれません。逆に、何かあればAIとか闇バイトととか誹謗中傷とか、大人の立場で子供を社会の毒気に晒すことが正しいとはいえない・・・かと思います。勿論子供とはいえ、いつでもボーっとしていいわけがないですが・・・。

 私だって就職せずにバイト生活、絵の方だって上手くいってないしあんましロクな大人とはいえないし、子供達の未来をどうこういえる資格は全くないのは承知です。それと、まかり間違っても未成年に提言やアドバイスをしようというなんて、絶対やる気ないです。今がこのザマですから。逆に反面教師にしろというのなら、いくらでもできますが(笑)

でも・・・なんかアレコレたまっとたしなぁ・・・。さらにいえば、エピグラフの本の方がよっぽどまともな文章じゃ・・・(泣)


 

2025年5月21日水曜日

ゆうパック

 今、ゆうパックの伝票書いてるんですが、まだまだ出展へのタスクは続いている・・・!

で、話は変わりますが、私はメールアドレスにおいて複数のエイリアスを使っています。その話なんですが・・・こないだ作家名義、つまり藤高 昇太として活動している時のエイリアスを使って返信すべきなのに、他のエイリアスでやっとったんですよ・・・!! マジで恥ずかしい・・・(汗)知られたくねぇ名前で・・・。あ、でもご安心ください。エッチな意味ではないんで(笑)

 

2025年5月20日火曜日

クリーチャーとしての戦争被害者

 ずっと前に、ここで水俣病の朗読劇にエクソシストの音楽を使おうとすることについて書きました。そして結局、「それってダメじゃん?」ということで取りやめになりましたが・・・。

 で、話は変わりますが『絶叫学級 転生』においても「教室戦争」や「80年後の視線」等で戦争被害者が扱われていましたが、ホラーという文脈のクリーチャーとして、戦争被害者を描いてもいいのか・・・?という不安が正直頭をよぎりました。そこで水俣病患者の表現にエクソシストの音楽を使う、みたいな話がダブったというか・・・。

まぁ・・・作品のメッセージはわかるし、平和ボケへの風刺・・・みたいなストーリーもわかるのですが、何かモヤモヤが残るというか・・・。今も東京大空襲を始めとした無差別爆撃や、原爆投下の被害にあった人は(まだ)存命されてますし、じゃあ「永遠の僕たち 」のヒロシや、『まちんと』みたいな描き方ならいいのか・・・?といえばそうでもないわけで・・・。死人をイマジネーションで構築していくというのは、ジャンルがどうであれ、結構薄氷を踏むような行為だと感じています・・・。自分もそういう表現を度々している分・・・。

だからこそ、表現の自由が保障されているからといって、当事者の黙認や許しによりかかってはいけない・・・ということを、現代思想の最新号を閉じて再確認するのでした・・・。なんせ特集がタイムリーだったし、一応絵を描いてるから読まにゃ・・・思ってね・・・。

ていうか美術手帳とか芸術新潮みたいなものをちゃんと読めよお前って話ですが・・・(汗)

2025年5月19日月曜日

『おとうとのねじまきパン』を読みました

 満州からの引き揚げを題材とした児童書『おとうとのねじまきパン:ずっとむかし、満州という国であったこと』を読みました。

本書では、日本がかつて中国大陸に(勝手に)建国した満州という国の興亡と、敗戦という破滅の後に待ち受ける、ソ連兵の蛮行や極限状況における逃避行など、民間人への地獄が綿密なリサーチで、子供にわかりやすいように描かれています。ここまで読めば、戦争そのものを憎み、引き揚げという修羅の道を味わった人達に当然同情すべきですし、多くの本がそうしたルートを辿っていることでしょう。

ですが、『おとうとのねじまきパン』はそうした単純化と自国ありきの被害者意識に基づく、平和への探求をある程度否定しています。本書は満州を題材にしていますが、著者の高橋 うらら氏は当時横たわっていた中国人への差別意識や、虐殺などの加害行為を(主に満州を生きた)日本人全体の問題として書いており、(こうした話にありがちな)軍部エリートへの責任転嫁や、庶民の美化に逃げていません。こうした所に、私は高橋氏の勇気と誠実さを感じました。

そして、 あとがきでも高橋氏は訪れた四川省の現地のガイドに怒りをぶつけられるのですが、その日本人としての自省を見るにあたり、同じく中国残留孤児を扱った子供向けノンフィクションが、戦後における中国人の日本人に対する怒りを無理解として切って捨てた態度とは、本当に真逆だなぁと感じたのでした・・・。

2025年5月18日日曜日

深刻な亀裂

 まぁ・・・この記事を見てから、単なる炎上以上に深刻な亀裂が生じとるなぁ・・・と思いました。Xもアレだけど、Bluesky民もどーなのよ・・・的な・・・?

自分もアドビ製品を使ってて、イラっとくるような仕様があったりします。正直・・・。今、画質調整のためにフォトショップのエレメンツを使ってますが、時折出るポップアップに「AIなんて知らんがな!」と、そういう話を唾棄したい気分になったことが、何度かあります。

でも、だからといってアドビが折角Blueskyに参入したのに私情と、そしてネットの数に物をいわせてボコり、アカウント削除に追い込むなんて・・・。そんな風に玄人ぶりながら異種を排他してると、自分に災難としてふりかかってくるよ・・・そう思いました・・・。

で、AIの話になりますが、あんなん考えもせずに参入したって、ロクでもないことになってるじゃん・・・と思います。いや・・・全否定じゃないんですけどねぇ・・・AI関係は・・・。

 

 

2025年5月17日土曜日

嘘の話

 ああ・・・あの虚偽公文書・・・まじで恥ずかしいわ・・・広島に住んどる身としては・・・。

ということで、話は変わります。

買いたかった本を無事に2冊買うことができました。新書でも1000円オーバーすることはあるが・・・それだけ良書ということがあるので・・・。

集英社新書は新興レーベルの一つですが、殆どハズレが無いので(個人的には)岩波や中公と併せてオススメです。だから、またバイトに励まんといけんのじゃ・・・。

2025年5月16日金曜日

今日は何もありませんでした

 今日は何もありませんでした。

よかったです。 

まあ・・・自分の無能でいつも他人に迷惑をかけてるな・・・という自責の念はあるわけですが・・・(汗)

2025年5月15日木曜日

トモダチブルーの続き

 まぁ・・・前に『トモダチブルー』という児童書の感想を書いたと思いますが、続編が出る感じで・・・。まぁ、宮下 恵茉氏の作品全部が嫌だとかいうわけではないし、あれだけのスタンスが好きじゃない・・・という話であって・・・。『となりの魔女フレンズ』とか、『魔女じゃないもん!』は好きなんですが・・・。

まだ読んでもないのに恐縮ですが、正直いえば、何かまだ分別のつかん子供に人間関係(つまり、子供同士)のトラブルとか軋轢とかを、大人の立場で毒々しく煽るような話書いてええんか・・・?という思いがよぎってるんですよ・・・まぁ、みらい文庫って『推しの子』のノベライズも出してるしなぁ・・・。

ていうか、子供だからこそ、ちょっとした失敗でも大人と違って(リカバリーのやり方がわからん分)世界が終わったように感じるのに、それに面白おかしく便乗するようなスタンスは大人としてどうなんですか? とか感じたりするんですよ・・・もともと、私が「イヤミス」みたいなジャンルが、あまり好きじゃないせいもあるんですけど・・・。例えるなら、いじめ自殺事件があったとして、それを実録犯罪モノとしてのぞき見しとるような嫌さが漂ってるなと・・・。

まぁ世の中を知らない子供だからこそ、その健気さと切実さを真面目に取り上げた方が正義・・・みたいな偏った見方は、やっぱり『謝るなら、いつでもおいで』とか『マコちゃん絵日記』とかみたいな作品の影響がホントに強いと思います・・・ええ・・・。 

そういえば、新幹線の切符を買い終わりました。最近始まった自由席の冷遇は酷すぎますよ・・・JRさん・・・。

2025年5月14日水曜日

ストーリーを信じている人達

 『しょせん他人事ですから』という漫画で、野球選手がネットの誹謗中傷に晒されるエピソードがあったじゃないですか?で、何か(主人公の弁護士を通じて)「個人個人はそれぞれのストーリー(主観や信念)を有しているので、それを変えようとするのは徒労に終わるよ?」・・・的な話に落ち着き、結局は自分のストーリーを楽しむことに全力を尽くす・・・という感じでエピソードは締めくくられます。

で・・・保田弁護士のいってた「ストーリー」についてちょっと考えてみました。

確かに、劇中の神奈川 勇のように野球選手に「ガイジ野郎」とか「死ね」とかいった言葉を(ネット経由で)浴びせることが応援だと妄信している人間がいるように、放置しておいたらヤバいストーリーに従って生きている人がこの世にはわんさかいます。

障害者を殺すことが慈悲だというストーリーだったり、太平洋戦争はアジアの国々を解放するための正しい戦争だったというストーリーだったり、関東大震災における朝鮮人虐殺はなかったというストーリーだったり・・・こういう人たちは個人レベルでは太刀打ちできないから、(保田弁護士のように)「コントロールできないししようとしても無意味」ということで放っておくことも可能でしょう。寧ろそれが現実的だったりします。ですが(長期的に見れば)やっぱりそれじゃヤバいので、そういうストーリーに従っている人達が、社会や個人に影響する力を最小限にとどめる・・・大小はあれ、個人レベルでもそんな努力が必要なのかもしれません・・・。

今の第二次トランプ政権のアレコレをみながら、ふとそう思いました・・・。

 

 

2025年5月13日火曜日

『アルジャーノンに花束を』リターンズ

 最近、書店の新書販売コーナーを見て「またか・・・」とため息をつきました。

もう・・・色々とヤバいさを隠さなくなってきましたね・・・コグトレ界隈が・・・。

ていうか、前からヤバさは孕んでたと思うんですけど・・・。

これは小学生の頃の(特定の学年における)担任がああだったんで色々わかっていますが、子供の苦手意識を「認知の歪み」として(保護者や教師の)不安を煽り、コグトレをして非行少年になるのを防ごう!みたいなことが商業的にチヤホヤされる構図は、どっかで破綻をきたすか、その筋の専門家がガチで鉄槌を下すかどうかすべき問題かと思います。 いや、ちゃんとした批判は出てるんですけど、(書き方は当事者にとって失礼ですが)猿回し師になっている人と、そのシンパのデカい声にかき消されてる・・・というのが実情かと・・・。

で、コグトレのみならず、弱者の能力不足をデカい声であげつらい、社会的な仕打ちをすることで商業的にチヤホヤされる支援者や教育者みたいな存在が、ネットを検索すればかなり出てきます。そういう時に、やっぱり私は『アルジャーノンに花束を』という小説を思い出すのです。

あれを読んでみればわかりますが、ニーマー教授は知的障害者のチャーリィを劣った存在として見做しており、IQを向上させる手術を施したことで「野蛮人を文明人に変えてあげた」ような 優越感を持つような奴でした。ですが、当のチャーリィから手術の欠陥を指摘され、IQはまた低下する事実を突きつけられた上に、自身の姿勢に対して雷を落とされます。

で、さっきの話に戻りますが、さっき上に書いたような支援者や教育者は、ニーマー教授の姿勢と驚くほど一致しているのです。だからこそ、反撃能力が無いからといって弱者をダシにしてバズや金を稼ぐようなことをしてれば、『アルジャーノンに花束を』のようにどこかでしっぺ返しが来る・・・そんな感じがしています。

ていうか、『アルジャーノンに花束を』はこの公開日記で何度も取り上げているけど、単に弱者に対する温かいヒューマニズムより、弱者を自己顕示欲の為に粗雑に扱う人間への辛辣な皮肉がある所が注目ポイントだと、私は何度も思ってるんですよね・・・。みんなそこら辺を見落としてるというか・・・。

2025年5月12日月曜日

「未踏のホシ」

 

「未踏のホシ」という作品を描きました。

内容は、自作小説『放課後ウォータイム』という小説に登場するロボット兵器、Mローダーを描いたものです。

タイトル通り、背景は他の惑星になっています・・・。もうちょっと立体とか陰影を勉強しなければ・・・と思いまして・・・これまでやってきたことがちょっと漠然としたやり方だったから、あんまし上達してなかった・・・(泣)ですが、ロボは比較的うまくいったと思います(笑)

まぁ・・・『放課後ウォータイム』・・・の話ですが・・・これから「なにもの」展(ここで詳しく書いています)に出展する予定で、『放課後ウォータイム』をメインとした出展内容にしたいと思います。(正直)キャンバスは添え物・・・といった感じで・・・。

すっかり忘れとった・・・!

 昨日の公開日記の更新・・・すっかり忘れてました・・・!

だって、ネタが無かったんですから・・・いや、あったのはあったんですよ・・・。

久々のキャンバス画・・・というか・・・。今日あたりにアップできたらいいな・・・。

2025年5月10日土曜日

急に目覚めた人達

 まぁ・・・某本を読んでいて色々思ったんですが、2022年2月からロシアのウクライナ侵攻が始まったと思います。で、そういう時に急に反戦意識に目覚める人って、どーなんかねぇと思います。

今まで中東の対テロ戦争やアフリカの紛争などは他人事で済ませておいて、こういう時だけ・・・?と・・・。見るべきは、自分達が関係した時に初めて起こすインスタントな反戦アクションより、自分達とは無関係だと認識した時に、今まで世の中の不幸を無視してきた私達の無邪気な冷酷さだと思うのです。

同じようなことはここでも書きましたが、 同じようなことは関東大震災から100年がたった2023年や、東日本大震災でも繰り返されているわけです。東京が被災地として関わってきた時だけ、「あの日を忘れない」という言葉を繰り返している人達は、昭和東南海地震や明治三陸地震がいつ起きたか、どれくらいの被害や犠牲者が出たか、ちゃんと記憶しているのでしょうか・・・?

同情や伝承の努力自体は悪いことではありませんが、先進国目線みたいなものを基に、自分ごととして災害や戦争が関わってきた時だけ、 急に意識を変えたり大騒ぎするような風潮には、ある程度醒めた目で見る必要があるのではないか・・・そう感じています・・・。 最初に「自分達とは無関係だと認識した時に、今まで世の中の不幸を無視してきた」と書きましたが、そういう(無自覚な聖域化に基づく)デカい声が今まで通り、(意識を急に変えた人達により)他の被災地や紛争を無視・排除していくという無神経さはあるわけで・・・。


2025年5月9日金曜日

職質を受けました

 昨日の文章で、ああ・・・余計なこと書いてしまったなぁ・・・とは思いますが、まぁ・・・色々今まで溜まってたんで・・・。ぶちまけちゃいました・・・。

で、こないだ深夜のコインランドリーで乾燥が終わるのを待っていました。すると、前にある駐車場にパトカーが止まっており、嫌な予感がしました。

案の定、警官が二人やってきて、職質されました・・・。必要だとわかってはいますが、いい気分はしませんね・・・。 しかも、相手は拳銃を持ってるでしょ・・・?

まぁ、疑いが晴れたら警官たちは去っていきました。とりあえず、よかったです・・・ 。

そういえば、今開催中の大阪万博ですが、2005年の愛知程は盛り上がってないかな・・・?と思います。 あの時ちょっと反万博系のネット記事を読んで、なんでリニモじゃなくて東山線を延伸せなんだ?みたいな意見を見たことがあります。そういや1970年の大阪万博は北大阪急行電鉄を開通させ、御堂筋線と相互乗り入れさせてたし、今回の万博も、中央線を夢州まで延伸させる・・・という形だったからなぁ・・・。

2025年5月8日木曜日

死体蹴り

 ここでも書いたとは思いますが、この記事と併せて、ちょっと書いてみたいことがあります。まぁ・・・森 達也氏の『A1』と『A2』でも書かれてたし、石田 衣良氏の『うつくしい子ども』でも同じような問題提起がなされていたと思います。

これは決して大学の不祥事を擁護するわけじゃないし、寧ろ何となく学生生活を送っていた身として、そういう利権の構造に加担していたという後ろめたさがあるからこそ敢えて書くのですが、 リンク先のnoteの記事みたいに、宗教だけじゃなく不祥事とか犯罪にかこつけて、特定の教育機関(における教員や学生など)を偏差値やレベルなどに基づけて、踏みにじってもOKみたいな空気はネット社会を基盤として蔓延していると思います。学歴系Youtuber然り、一部の創作者然り・・・。 (かなりセンシティブな書き方で恐縮ですが)※「西成は怖い、汚い」みたいな話が、学歴の文脈で色々とやられてきたわけです。

ちょっと前に「総理の意向」ということがわかった時とか、ワンマン理事長の脱税とか、医大の寄付金問題とか、色んなことがあるわけで、溜飲を下げるための低俗で都合のいい死体蹴りが繰り返されてきたんだと感じます。

こういう所から、(これも敢えて書きますが)私はテレビドラマ「女王の教室」 の阿久津 真矢先生を思わずにはいられません。あの先生だって父親が私学の経営者で、不正疑惑があると報道されとったじゃないですか・・・。だから、阿久津先生も影で色々中傷されてたんだと推測します。「あの娘の父親は『腹心の友』だからね・・・」とか、「父親ああなら、娘にも忖度DNAが受け継がれてるんじゃない?」みたいな・・・。だから後の黒真矢に基づくパーソナリティーは、その怒りも起因しているのかも・・・と感じたり・・・。

まぁ・・・こっちにいう資格はないと思って今まで黙っとたけど、それでも腹の底で色々溜まってた所はあるので、ここでぶちまけてみました。

だからといって(改めて書きますが)擁護しとるわけじゃないですよ・・・。批判じゃなくて死体蹴りみたいな話はどーなんねといってるわけで・・・。 勿論、ちゃんとした批判はしゃーないとして受け止めてます。そこにいた者として・・・。


※大阪はおろか、関西地方にすら足を踏みいれていない人達によって、そうした特定地域への差別や偏見に基づくネットの記事は、多数目にしているわけで・・・。

 

 

2025年5月7日水曜日

ある種の病気にかかっているようで・・・

 あんま、こういうのを病気に例えるのはよくないと思いますが、図書館で参考資料の為に色々なんか本(写真集とか図鑑)を借りてきて、もう既にやった気に、学んだ気になっている・・・という病気にかかってます・・・。

まぁ・・・写真も撮ってるから、そういう所からも・・・と思いますが・・・。

 克服せねば・・・何としてでも・・・。

で・・・ですよ・・・最近ジークアクスジークアクスって、雑誌やネットでいうとりますけど、ロボット好きなのにホント食指が動かないです・・・多分、作品数が多すぎるのと、ゲームや映画系ロボットの方が好き・・・という所があるからでしょうね・・・。

ああ、それと・・・もうこれやめとこう、アニメファンを怒らしたら身が持たん・・・。

2025年5月6日火曜日

「なにもの展」に出展いたします

来る6月3日(火)より、「なにもの」展(企画・開催地:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展いたします。

出展内容は、キャンバス画と自作小説、それと絵葉書を予定していますので、どうかよろしくお願いいたします。

詳しくは、こちらをご覧くださいませ。 

なお、私は6月5日(木)から6月8日(日)まで会場に常駐させて頂きますので、どうかよろしくお願いいたします。

2025年5月5日月曜日

大した時間働いてませんが・・・

 まぁ・・・自分も大した時間(それと日数)働いてませんけど、それでもなんやかんやはあるんで、あのオンライン美術館主催者の労働をバカにしたような発言を(よせばいいのに)見てしまい、キレそうになったというか・・・。まぁ、何かウィキペディア以外の百科事典サイトで個人的にムカつくものを見てしまったので、機嫌が悪かったこともあって・・・ね・・・。

本題に入りますが、何か怠けて多くを稼ぎたいみたいな感じなんですよ・・・話のタッチが・・・。さぼって寝ていても怒られないとか・・・そんな仕事なら報酬激安でしょうに・・・。まぁ、俺もシフト制だけどね(笑)正月出勤だったし・・・。ていうか仕事中にさぼって寝ていて怒られないのに、祝日休みが欲しいって、傲慢じゃん・・・?しかも、親のコネ入社だからこそ、ちゃんとやろうとか思わないのか・・・?

でね・・・どっちかをとれっていうことなんですよ。楽したいのなら激安の報酬に甘んじるか、自由のために金を稼ぎたかったら、(あんま怒声が飛んでくるブラックな所もどうかと思いますが)ちょっと苦労してでもストレスをコントロールしながら、そんな所で働くか・・・。大体楽して多くを稼ぎたいが中心になれば、闇バイトへまっしぐらだと思いますけど・・・。

まぁ・・・そういう所から、結構絵の仕事に対して間違った認識を色々したままオンライン美術館は終わったんだと思います。やっぱり自分の世話もままならない人が、他者を救いたいなんてこと自体が思い上がりであり、主催者さんはアートの話や人生相談より、自分を省みることが最優先なのでは・・・とうっすら思いました・・・。そういう人ほど、自己啓発書をSNSにアップするんですよねぇ・・・。

すんません・・・こんな話が続いてるようで・・・これも転嫁になるが、もう ここにも書きましたが、個人的に百科事典サイトはウィキペディアだけでいいと思います。今まで他の百科事典サイトの記事のリンクを貼った身ながら、(オタク受けする)ヘイトや悪乗りのバイアスをかけた文章を見てると、しんどいなぁと・・・。

 

2025年5月4日日曜日

テクノ・ナショナリズム

 最近、『戦艦大和の歴史社会学』という本を読んでいて、恥ずかしながら「テクノ・ナショナリズム」という言葉を初めて知りました(汗)まあ・・・「犠牲者意識ナショナリズム」なら自分の胸の内で何度も使ってきた言葉なんですがね・・・(笑)

で、「テクノ・ナショナリズム」繋がりで、 ここでも取り上げた話をまたしたいと思います。

リンク先の文章の中で、風船爆弾を扱った児童書(書いたのは当時風船爆弾を作っていた元女工さんでした)について触れていますが、あとがきで「和紙で気球を作り、風の力だけでアメリカまで飛ばしたアイデアと、高い技術力だけは誇ってもいいもののように思えました」とか、「戦後日本の目覚ましい経済復興も、そういうアイデアと高い技術力によるもので、風船爆弾は、ある意味では、日本を最もよく象徴するものの一つ」とか書かれていたので、正に『戦艦大和の歴史社会学』で指摘されていた、「テクノ・ナショナリズム」そのものじゃん!と思って頭が思わずクラクラしました・・・。結果と責任を考えず、超弩級戦艦を建造したことありきの美化と、風船爆弾に対する元女工さんの言葉は不気味なほど一致しているというか・・・。

で、風船爆弾の児童書に話を戻しますが、犠牲者はアメリカ側の無差別爆撃や原爆投下の比ではないとはいえ、一応は妊婦まで殺害していることに対して、最後まで殆ど反省や謝罪の言葉はありませんでした。そこにあるのは、「戦争だから仕方がなかった」という受け身の意識と、それどころか上に書いたように、戦争に加担していたことへの無自覚な美化でした。

よく、(地元に限定した話ですが)原爆投下を巡り、アメリカの大統領や(アメリカの)国民意識に罪悪感や加害責任を問う声は何度も聞きます。ですが、こういう話がある中で、正直どうしてエノラ・ゲイやボックスカーのクルーやルメイのような指導者たちに改心と自覚を迫るのは、ちょっと虫が良すぎるのでは・・・?とも感じています・・・。第一、相手には加害者意識を持てと迫る中、中韓を始め、アジア周辺諸国への侵略や虐殺は全て戦争そのものが悪いという矮小化や、戦争指導者への棚上げ、それらだけではなく被害者の心情を考慮せず、相手に許しと和解を強要してきた部分だってあるのではないか・・・?と、風船爆弾の児童書を閉じて思うのでした。


2025年5月3日土曜日

投資とパン

 最近、こういうポストを見ました。Blueskyの方です。

 何か個人的な意見になりますが、投資の話だけではなくこういう意識高めのマインドが労働に持ち込まれることは、自己啓発系の本やネット記事においてよくあることだと思います。スキルアップとか昇進とか・・・。で、『ファスト教養』という本でも指摘されていましたが、「成長VS落伍者」という対立を煽る構造も存在するわけで・・・。

で、引用リンク先のポストの通りのことが起きているわけです。 働くことにスキルを獲得する努力や向上心を持つことは重要です。ですが、そこら辺の高みを目的として掲げる人が、単純労働や非正規雇用を差別するようなことをネットや本で書いているのを、よく見てたしなぁ・・・。

「働く」という行為との付き合い方がまだわかってない(泣)私が書くのも何ですが、世界を楽園追放のディーヴァみたいに認識している人達によって、自己啓発マインドが労働や人生に持ち込まれることの功罪って、もう少し盛んになってもいいかも・・・と感じています・・・。

2025年5月2日金曜日

◎一気に変えてみました

 まぁ・・・ここいらで、水沢 悦子先生の漫画『ヤコとポコ』の小説を公開する・・・みたいなことを書いてましたが、あんまし納得がいってなかったので、新たに作り直すことにしました・・・(泣)あの印刷代は何だったんだよ・・・。

で、新たに描き直したメカを、下にアップしておきます。

以前は上にあったメインカメラ類を、下に移しました。なんか、特に意識したわけじゃないけど、妖怪の「ぬらりひょん」っぽく見えるし、やっぱりブサイクだよなぁ・・・と感じます。口部分も納得がいってないし・・・でもね・・・鼻のあたりは結構頑張ったんですよ・・・。どーしよーかと試行錯誤しながら・・・。

で、武器の所もちょろちょろ付け足しました。あとはこのイラストをベースにして、キャンバス画を仕上げたいですねぇ・・・。

そういえば、何か投資とか配当について雷を落としてる(そこまで激しい文章じゃなかったですが)ポストをみて、かなり「う~ん」となったからちょっと明日はそれについて書いてみたいです・・・。
 

2025年5月1日木曜日

もう5月か・・・

 もう5月になりましたね・・・ということは、あと1ヶ月でこの2025年も半分しかないということに・・・。年月をまた浪費してしまったかもしれん・・・。

ということで、こないだハノーバー公園の近くを歩いていた時のことを書きましょう。何か近くに小さな池みたいなものがあって、よく春から夏にかけ、子供達が水遊びをしています。でね・・・ちょっと「そりゃあねーだろ!」的なものを見てしまって・・・いえ、見て見ないふりをして視線を地面に落とし、すぐに通りすぎましたが・・・。ああいうのと間違われたらたまったもんじゃないですし・・・。

あの・・・やっぱり危機感というものは必要だと思います。親の方はすぐに済むことだとか、そんなことは他人事だとか思ってやってたのかもしれません。ですが、子供の裸を見て興奮し、実際に手を出すような唾棄すべきケダモノが実際に存在することを考えたら、そんなん無責任じゃん・・・とか、盗撮されてたらどーするんだよ・・・とかいう考えが次々と頭をもたげました。

『窓ぎわのトットちゃん』でもそんなシーンあったけど、もうそんな時代じゃねぇ・・・。 要するにみんなが観ている状況で着がえさせるなという話です・・・。

まあ・・・そういう話繋がりで、少年誌の(水着アイドルの)グラビアにも感じることはあります・・・。まだ分別もつかない男子に、異性を性的な目で見ることを目的とした(『×o lo×eる ダー×ネス』みたいな作品はともかく)写真が提供されてるのはどーなんよ・・・?とも・・・。まぁ、野暮な問題意識なのかもしれませんけどね・・・。