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2024年9月30日月曜日

蒸し返すようですが・・・

 もうあの話題に関しては一回きりで、もう蒸し返すのはやめようかと思っていましたが・・・(好きなフリゲ製作者さんも関わっていたことですし・・・)やっぱり気になってnoteとかXとかをちらちら見てしまって・・・ね・・・。オンライン美術館を開きたいという方の・・・。クラウドファンディングで・・・。

 んー、自分も就職してない分、経済的にかなり劣った所はあるじゃん・・・とか思ったりするんですけど、その分絵画作品の売買とか画廊批判について、「こりゃダメじゃん・・・」と思ったりしました。正直・・・。俺だってハローワークすごい通ってるけどさぁ・・・。その間紙屑になった履歴書が何枚もあるわけだし・・・。

で、最初に書いておきますが、世の中には職がない、生活保護をやむを得ず受給する、経済的自立もままならない(ありていにいえば貧困という名の)極限状況を送っている人がいます。貧困じゃなくとも、努力が報われずに無職になったりすることだってあるわけです。だからこそ敢えてお気持ち表明しますが、働いてお金を頂く行為をバカにしておいて、むしろそうした生活を疑問なく享受しておきながら、どうして人にアドバイスしたり(ズレた視点で)偉そうに画廊批判ができる立場なのか?そんな状態で、オンライン美術館みたいなビジネスみたいなものを始めるのも・・・と正直思いました。前にも書いた通り、ニーズに合わせて依頼・・・という方が印象がいいですよ・・・。応援したいからといってニーズもないのに依頼というのは、憐憫でしょ・・・。

まあ・・・自分だって社会不適合者な部分は色々あるし、でもこの公開日記で身の程をわきまえんいっちょ噛みや説教モドキはやってきたわけだしなぁ・・・人のことはそんなにいえんよ(汗)でも、画廊出展者の経験から照らしあわせて、オンライン美術館なるものにすごく疑問はあったので・・・。

2024年9月29日日曜日

イヤミスについて

 一昨日、ここでイヤミスについて書きたいと意思表明していましたが、まあ・・・腹の底に溜まっていたものは出したいと思います。その道のプロでもないので、エラソーなことはいう資格はないので我慢すべきだと、ずっと自分にいい聞かせてきたことですが・・・。

保坂 和志氏の『書きあぐねている人のための小説入門』という小説技法を書いた本なのですが、本書は2003年と20年以上前ながら、今日のイヤミスブームの本質を見事にいい当てているなと感じる箇所がありました。4章の「ネガティブ人間を書かない」という所なんですが、(当時における)最近の応募小説や創作学校における被害者意識の強い登場人物然り、ネガティブ人間を描くことへの批判然り・・・。

私だってどっちかというと、正邪でいえば「邪」の方が多くてスキャンダルとか不幸話とかに耳をそばだててしまう弱い部分があります。そういう話だって好きですし。ですが、上に書いた保坂氏の指摘通り、スキャンダラスで露悪的な作品がミステリのメインストリームとして持て囃されるのも・・・と感じていることは事実です。

正直ながら、私は「イヤミス」と銘打たれた小説を数冊読んだことはありますし、宣伝方法から健全な効果を狙ったものではないことぐらいわかります。寧ろ、イヤミスに正義や美徳を求めろということ自体が空気を読めていません。ですが、基本的に(もうこれは個人的な私見になりますが)イヤミスというジャンルは、ファミレスの片隅や道端で他の家庭の不幸、つまりダレソレさんの家が破産した、旦那がDVをした、息子さんがいじめで自殺したとかいった話題を俗悪に騒ぎたてる主婦達みたいな層と、そういうどうしようもない層と同じ感性を持つ作り手との商業的な共犯関係で成り立っているのだと思います。受け手は手っ取り早くチョ・スンヒの戯曲よりもインスタントに人の不幸で歪んだ心理を慰撫されたい。作り手は受け手に爆買いさせるべく、皮相で安っぽいヘイトを提供すればいい。結果として、『バトル・ロワイアル』の大ヒット以降雨後のタケノコのように現れた(過激で不快なエログロありきの)デスゲームものと同じ轍を踏んでいるとうっすら感じています。ああ、そうそう。お手軽な右派知識人の対談とかIDW崩れの左派叩き、芸能人のエッセイでもってるような新書の新興レーベルもね・・・。

前にもここにリンクを貼ったと思いますが、(津波に伴う)原発事故やコロナ、ガザ虐殺など現実があまりにも単純化できない上に悲惨なことばかりなので(これは『小説の神様』シリーズでも指摘されていたことですが)社会や人間関係は正邪入り混じったグラデーションで、自分もどこかで責任を科されているという、ある程度は思考力や教養、耐性を要求される「線」は無視され、「少年犯罪者でも死刑にすべき!」とか「アイツはいじめの加害者だからクズ!」みたいに、シンプルな「点」で理解出るものだけが好まれるでしょう。リンク先の記事のように、ビッグブラザー抜きで2分間憎悪を自分達で実現してしまった現代の申し子の1つが、イヤミスなのかもしれません。

2024年9月28日土曜日

『絶叫学級転生』23巻を読みました

 はい、今回は最初から最後までハルヒちゃんオンリーの巻でしたね。

で、まあ、黄泉が遂にハルヒちゃんに目をつけるわけですが・・・。今まで、他人の悪意に晒されていないかったからこそ、善意を貫けていたハルヒちゃんですが、トータルで考えたら結構黄泉のやってることはエグいよなと・・・。どうあがいても(いささかネタバレになりますが)死ぬ運命にある少女に、人の善意を試すわけですから・・・。

だからといって安直に闇落ちせず、成長の機会を示唆するラストは流石だな・・・と思いました。ハルヒと楽シリーズはこれでいいんですよ・・・!

そういえば、楽さん黄泉と二回くらい直接会ってるんですよね・・・。


2024年9月27日金曜日

『トモダチブルー』を読みました

(一部加筆修正しました)

ここでも書きましたし、25日分の更新をうっかり忘れていたので、その補填という意味もあり、今日は二回更新にします。

本日、『トモダチブルー』という児童書を読みました。なんか、オソロがエスカレートしていく恐怖というのは、『同居人求む』というサイコサスペンスを思い出さずにはいられませんでした。確か映画化もされてましたよね・・・。まあ、あの調子でいけば・・・結末はああだよねーとか思ったり・・・。

で、何かリアルだけでなく、多くのSNSに代表されるようなフォロワーとかいいね!機能にもいえることですが、好意や友達の数の多さが本当の友情なのか?という問題提起、全てがわかった時に反省のかけらもなく、また新たなバッシングをし始めるクラスメイト達の愚かしさ、そうした所からまず精神的自立をすることの大切さが、いささか苦みを持った風刺を含んで描かれていました。それと、子供のことを軽はずみにネットで配信することも・・・。

で、巻末にいしかわえみ先生と作者である宮下 恵茉氏の対談が収録されていますが、「女の敵は女」とか「女は怖い」といいますけど、肉体的か精神的かというだけで男だって結構苦労してたんだぞ・・・と正直感じました。男子も男子で、結構いじめとかもあったしな・・・。まあ、最近だって自分も嫌がらせを受けてたわけだし・・・。バイトの現場だって、そういうことが渦巻いとったし・・・。本人がいない時にずっと悪口いっとったり、人を選り好みして怒鳴りつけたり・・・。

いしかわえみ先生との対談が収録されていたという所から、本書は「そういうこと」を狙っていたのだと思います。私自身も絶叫学級シリーズは好きですし、露悪的な話が嫌いなわけではないです。寧ろ勘違いしている大人が猫撫で声で、いつまでたっても子供をおもちゃの国や人魚の住む島に誘う方が、弊害があると思いますし。ですが・・・ちょっと小鳥ちゃんの描き方を見て思ったのですが、精神的病理を抱えた人物を煽情的に描くことに対して、私達は大人だから分別がつくのですが、やっぱりまだまだ世間やその実態を知らない子供に向けてそれを提供することは、精神的な障害みたいなものに余計で要らん偏見を植え付けることにならないか・・・?という不安が頭をよぎったりもしました。

それと、人間関係というのは悪いばかりではなく、良いことだってある訳で、ただヒリヒリするだけではなく、思春期だからこそネガティブなことがいい方向で本人の成長へとシフトするという部分がないでしょうか?「インサイド・ヘッド」というアニメ映画でも、カナシミの存在を通じてそういうメッセージが発せられていたと思いますが・・・。

それと、混同しちゃいけないとは思いますが、『謝るなら、いつでもおいで』とか『マコちゃん絵日記』とかの影響を受けてるせいでしょうか、子供が抱えている人間関係の悩み・・・みたいなものを大人の目線ありきで加担したり煽るだけではなく、真菜ちゃんが晒されていた脅威とか、小鳥ちゃんが抱えていた精神病理とか、単純明快ではない現実を公平な視点でジャーナリスティックに掘り下げてみたいな・・・という欲求もあったり・・・。すみません、場違いなことを書いていることは百も承知なんですが・・・。

これが本作の読解力のなさというのであれば、ちゃんと責任は受け止めるつもりです・・・。

ヒマがあれば「イヤミス」というジャンルについても書いてみたいなと思います・・・。



『絶叫学級転生』の23巻を買いました

 『絶叫学級 転生』の23巻を買いました。

感想は明日書きたいと思います。何か色々なことが周りで起こってると思います。17巻と同じように、ハルヒちゃんオンリーな巻でした。やっぱり本編の毒々しいエピソードもいいですが、ああいう救いは必要だよね・・・。それで中和されてると思ってるんで・・・。

次回、川上 幸之介氏が企画された展覧会・・・あのことも含めて正直どうすれば・・・と感じています。 次からはそこも考慮した上で、慎重にいっていかんといけんのんかな・・・。

2024年9月26日木曜日

安いは怖いか

 「安物買いの銭失い」という言葉がありますよね?

で、ずっと前にここで書きましたが、敷居が高ければ高いほど、その集団の治安や純度が守られるのは事実です。ある程度は。それは価格を安くしすぎると・・・にも繋がる所はありますが、どこか低所得層へのうっすらとした差別意識を感じるんですね、ちょっと・・・。引用リポストも、そういうものが殆どだったし・・・。確かに、最初に書いた敷居と同じく値段を高くすれば、享受する側のクオリティは上がる所はあります。ですが、資本主義カーストの中でそういう所から、自分がどれだけ下位層を排除できたかという自慢大会や、貧乏人への蔑視の目線は、某メンタリストによるホームレスへの発言と紙一重だと思います。ああ、メンタリスト氏は殺人も示唆してましたっけ。

なんか自分が被害に遭ったことを一般化し、特定の層への憎悪を向けてるような煽情的な言説ってXでめっちゃ受けますけど、正直そういうことが(今の所)殆どないBlueskyに移住して本当によかったなと思います。フォロワーも少ないですが、精神衛生上いいです・・・。ていうかこの発言も矛盾してるよなぁ・・・(汗)

話は変わりますが、川上 幸之介氏と一部におけるパンクスのアレコレは、本当に予想通りの展開を迎えていると思います。正直、どちらとも擁護するつもりは毛頭ありませんし、感じる所があれば徹底的に批判すればいいわけですが、批判側のあの言葉遣いを見ると、何かあった時に向こうから訴えられても知らんぞ・・・?と正直感じています。Xの性質上仕方ないのかもしれませんが・・・。

 


2024年9月24日火曜日

本来ならば・・・という話

 本来なら、絵を描く環境はファミレスとかマクドナルドみたいな所がいいんですが、キャンバス画だけは・・・と感じています。だって、そんなものを店内に持ち込んで作業する馬鹿な人っていないでしょ・・・。迷惑だし・・・。いや、前者だってそうだということは自覚してるんですけどね・・・。

そういえば、列への割り込みを昨日2回くらいやられました。注意しようかと思いましたが、暑い中を歩いて疲弊してたので相手に任せました。許したというわけじゃないです・・・。

2024年9月23日月曜日

今日は薬を買いました

 今日はドラッグストアで薬を買いました。鼻のやつです。

で、最近なんか懸念していることを書いてみます。Xを見てみると、結構サイコホラーっぽい児童書が刊行予定みたいな宣伝を目にしました。自分も(買うかどうかもわからないし)読んでいないので恐縮ですが、あのアカウントが百合とかホラーとか、それから露悪趣味とかで気持ち悪い上にさもしい騒ぎ方をギャーギャーやるのが目に浮かび、クラクラしてます・・・。百合とか露悪が好きなのはわかるけど、不必要にまき散らさないでください・・・結構迷惑だから・・・。

オタクの無自覚な荒らしを容認すると、どんなジャンルでも殺されつつあるというのは、一緒みたいですね・・・。私もプチオタクみたいな所はあるので、気をつけな・・・。

ていうか児童書でサイコホラーとかイヤミスの文脈を取り入れるのは・・・まだ早いと思うんですよ・・・個人的には・・・。だって、「何で人を殺してはいけないのか、悪いことしたらどうなるのか」がわかっていないローティーンの子供なんかと、それをわかっている大人との間では理解度や区別に雲泥の差があると思うので・・・ね・・・。イヤミスについてのお気持ちは、また書いてみたいなと思います。

そういや線画がまたでき上がりました。本当ならその過程をアップした方が・・・と思いますが、なんか恥ずかしいので・・・。


2024年9月22日日曜日

一悶着ありました

 大したことではありませんが、今日は一悶着ありました。

ていうか・・・もうなんかアレ関係ってヤよねぇ~という話です。見るからにアレというか・・・。

で、今日はゲートパークプラザで開催されていたオクトーバーフェスに行って、ソーセージとステーキを食べました。ビールは流石に飲みませんでしたが・・・。

2024年9月21日土曜日

「水島駅にて」を描きました

 昨日の文章で「ファランジェ」や「PUNK!」展に行ったことへの情けない弁明・・・みたいなことを書きましたが、「ファランジェ」にお邪魔する際、倉敷についた時にまだ時間があったので、水島地区まで行ってきました。その時の風景画を下にアップいたします。


 タイトル通り、水島駅を通過していく貨物列車を撮影し、その写真をiPad Proで(線画の方を)トレースしたものです。そこからチマチマと陰影の線を加えていったのですが、やっぱり目指しているのは水沢 悦子先生の『花のズボラ飯』みたいな感じなのですが・・・まだまだですね・・・。

全体的に慣れてはきたな・・・という感じがするのですが、そこで満足してはいけないと思います。どこまでいってもまだまだ・・・ということを肝に銘じて頑張っていきたいと感じます。

まあ・・・水島臨海鉄道だったら、ずっと学生時代によく使っていたなと・・・。

2024年9月20日金曜日

どっちもどっちか?

 まあ、先程の「ファランジェ」や「PUNK!展」等にお邪魔させて頂いた身としては、ああいう批判が起きてしまったことをどう考えればいいんかね・・・と色々悩んでいます。パンクスではないことは百も承知ですが・・・。ですが、実際に会場に行って感想を書いたりした身としては、自分も問題の共犯者ではないのか・・・?という自責の念があります・・・正直・・・。『DEBACLE PATH』をも読んだ身としては・・・。

何か、あの(結構強い調子で書かれてた)はてブロの記事を読んだ身としては、ネットの性質上エコーチェンバーみたいなものが起きて、やったほうがいつまでも批判側に反応せずに「聖域」から出ず、批判側もどんどんやったほうへの憎悪を募らせていく・・・みたいな展開になりそうで正直不安です・・・。そこら辺でお互いがエスカレートするのがネットの怖さとでもいうんでしょうか・・・。

まあ、怒られることをやったんなら誠心誠意そこに関して説明すべきだとは思いますし、問題に関してもちゃんと対応すべきでしょう。ですが、これは経験から絞って書きますが、権威とか後ろ盾とはいいますが、ああした(川上氏が勤務されてるような)いろいろアレな小規模大学で働くというのは、結構ハードですよ?大学教員=いつも涼しい研究室でお高く止まっているというイメージがありますし、実際に大学職員は楽で高給なんて嘘八百を垂れ流すXアカウントもありますが、それは一部の一流マンモス大学の話であって、社会的立場はそりゃ上でしょうが、実態は「下」と同じようなブラックで、50歩100歩の関係でしょう。

それに、剽窃かどうかは「地べたにいる側」が行うから許容されるのではなく、司法による判断では?自分は下だからよくて上にはアカデミズムが控えてるからダサいという正当化は、自分達は散々プリキュアとかおジャ魔女どれみのエロ同人を描いておきながら、村上 隆氏やカオスラウンジの作品を剽窃だと叩いているオタクたちを思い出しました。そういう所で、あの界隈で巻き起こる二次創作批判は受け入れられんなと・・・。

こういう所はトータルすると、当事者たちの「犠牲者意識ナショナリズム」みたいな所もあるな・・・とちょっと感じたりしました。

ですが、これはブログのリンク先を見ただけなので恐縮ながら、「そりゃあ、そうでしょう・・・」とは思いました。 こういう所、つまり紹介されていたBAD BRAINSのアレコレで知らないというのは確実にまずいと思いますし、フェミニズムやクィアに言及するのであれば、知らなくてやりましたは本当に論外だと・・・。こんなパラドックスが起きている現実だからこそ、本当に現場の声から発せられる批判をブロックやスルーじゃなく、本当に向き合ってほしいなと、強く思います・・・。

それと、アカデミアがアンダーグラウンドに接近する際の礼節などについては、本当にそうですね・・・と感じるわけです。パンクだけではなく、何らかの権威が何かを発見した気になり、当事者を天然で毀損するようなことがあるわけで、そこら辺の意識高めな風潮に関してはこの公開日記で何度も批判的にネタにしてきた分、外部からのアプローチで文化にどのような影響が出るのか、そうした責任も込みで向き合う能力について、再び襟を正される気分でした。最初にも書いた通り、私は川上氏がキュレーションされた展覧会に行き、好意的な感想も書かせて頂きました。だからこそ、ちゃんとした所に問題が収まって欲しい・・・そう強く願っています。

2024年9月19日木曜日

チフスのメアリーと桃太郎

 最近、Xを見ていて、桃太郎の家来が感染症にかかっていて、それを凶器にするという設定のパロディを目にしました。なんていうのか・・・これって「チフスのメアリー」じゃない?と思ったりしました。なんかリプライや引用リポストを見ても、公衆衛生という「正義」と俗情の結託で、コロナを始め、感染症の被害そのものを茶化すような投稿が沢山あり、本当に胸が痛くなったというか・・・。コロナの感染者が後遺症に絶望して自殺したり、5類になって支援も補償も検査も打ち切られている状況を考えると、簡単に笑えんですよ・・・こういうのは・・・。コロナ禍は終わったわけじゃない、「終わった気にさせられている」というのが実情ではないでしょうか。

以前もこんな記事にリンクを貼りましたが、 日本でコロナ感染は自業自得と考える率はアメリカの10倍で、そうだったら感染者をバイオテロと罵ったり、凶器として扱ったり、その状況自体を面白がるような風潮はあって当然・・・なのかもしれません。こうした攻撃的ユーモアはオタクの暗い情念と癒着したインターネット(特にSNS)では相性がいいらしく、感染症だけではなく、福祉叩きとか貧困叩き、それから障害者叩きでウケを狙うような投稿、そして投稿者を神輿にかつぐようなリプや引用リポストをXでどんだけ見たのか・・・。

どっちかというと、みんな公衆衛生や感染症の被害なんて関係ないのかもしれません。 ただ、安全圏から社会の差別構造の中でインフルエンサーになりたい(もとから何らかの嗜虐性のある)人達が、人が死んだことが楽しくてたまらない、その被害に喘ぐ人間をどうやって嘲笑してやろうかという話というだけなのでしょう。

ああ、そうそう。最初の方で5類移行と書きましたが、情けないことにその空気にすっかり流されている私がいます・・・。もちろんワクチンはちゃんと打ちましたし、マスクもちゃんとしてはいますが・・・。

 

2024年9月18日水曜日

スラとも+

 「スライム娘は人間と友達になりたいようだ+」を早速プレイしました。といっても発売からちょっと経ってますが・・・。

なんかアウラちゃんは(フランシスのせいで)闇落ちしても可愛いなとか思ったりしましたが、正直純粋無垢な存在が大人の暴力に晒されるのを再び見るのはキツかったし、しかもそれが増えていたので、正直「ちょっとな・・・」と思ったのは確かです。ですが、リョナではないということで・・・。 

そういえば、線画なんですけどレイヤー選択を間違えていたせいで、ペンの線を写真から直接描いていて、一からやり直しました。自業自得じゃ・・・。

2024年9月17日火曜日

全国2位の苦痛

 ネットで広電宮島線の混雑率が全国2位・・・という記事を目にしました。まあ・・・ラッシュアワーの宮島線に乗ってみればわかりますが、結構な地獄です・・・。JRに比べると、車両のサイズが小さいので・・・ね・・・。以前はよくバイト先の行き帰りに宮島線を使っていたので・・・。

まあ、狭い車内で人があれほど押し込められている光景は、まるで猿団子じゃないか・・・と感じたりします・・・。インドの列車程じゃないですが・・・。でも 移動もできないし・・・。そういえば、東京でラッシュアワーの山手線に乗ったことがあります。すると、サラリーマンらしき男の人が駅に止まった時に突撃してきて倒された経験があるので、なんとか相手への怒りを抑え込んでいました(笑)

まあ、ミニ画集がちょっと売れてたのでささやかな幸せを感じています。皆さまどうもありがとうございます・・・。

2024年9月16日月曜日

3連休ですね

 これを含め、2つ続けて3連休があるというのは・・・めでたいことでしょうね。一部の人にとっては・・・。私も余裕があればどっか出かけてましたけど・・・。

 そういえば、モノクロの方がほぼ完成しました・・・ちょっとしたらアップする予定です・・・。

2024年9月15日日曜日

◎水の入ったコップのデッサンをしました

 

水の入ったコップのデッサンをしました。霜がウロコ・・・みたいだなと思い、まだまだだなと感じています。水の揺らぎもうまく描けたかどうか・・・。

そういえば、キャンバス画における線画の70%が完成しました。ホワイト修正・・・なるべくかけんようにできれば一流なのですが・・・。

2024年9月14日土曜日

Xについて2つの話

 最近、X上で性犯罪の漫画を読みました。多くの引用リポストの通り、そういうことだなと感じました。どうして加害者が知的障害者なのか、そこら辺が雑でSNS受けする知的障害者叩きに「忖度」したものでしかないと思ったし、それで女児が犠牲になることを批判するというのなら、もっとまともで誠実な作品があると思います。障害者の犯罪=無罪放免というわけじゃないですし。

それと、一番共感したのがBlueskyのポストです。自分だってそれを守れてるかどうかわからないし、同様の失敗をしているかもしれないという自戒で書くのですが、「結果として作品の面白さを損なうにしても、「社会」を扱うのなら、しっかりとした取材を重ねてそれを反映させるべき」というのは、もっともな指摘だと思います。

ですが、この作品ばかりではなく、日本のポップカルチャーにおいて福祉バッシングや底辺嘲笑など「正しさ」と「俗情」の結託に基づく作品は散見されているわけですが・・・。ああ、そうそう、引用リポストの中にも批判だけではなく、悪平等のもとに障害者差別を正当化しているポストがありました・・・。なんか「障害者を聖人君子視することの方が差別だ!」みたいな、お粗末なノーマライゼーション観というか・・・。

 それからまたX上の話ですが、川上 幸之介氏の『パンクの系譜学』が批判されているというので、興味を持って『DEBACLE PATH』というミニ雑誌を買いました。『パンクの系譜学』を持っている身なので、敢えてという感じでした・・・。

まあ・・・感想としては「どっちも正しい」という感じでした。正直、バンクスでもないので恐縮ながら、だからといって当事者性ありきで外部のアプローチを排他するだけでいいのか、アカデミズムが論じるからこそ、必要悪として文化が育ってきた所もあるとは思いますし・・・。 ですが、フィールドワークや一方的な美化の面に関しては、そりゃ私達が陥りがちな部分ですよね・・・耳が痛かったです・・・。



2024年9月13日金曜日

浜たかや氏が・・・ですか

 昨日Xを見ていると、児童文学作家の浜たかや氏が亡くなられた・・・というニュースを見ました。私が特に浜氏の作品で影響を受けたのは『先生なんか消えちまえ』と『ぼくんちのゆうれい』でした。やっぱりフォローしていた人が亡くなるのは、やっぱり・・・と思います。人は永遠に生きられない・・・ということは理解しているはずなのですが・・・。

だからこそ、「アンドリューNDR114」とか「グリーンマイル」とかいう映画を思い出したりするんですよね・・・。 永遠の生に近いものを得て、それがない知人がどんどんこの世を去っていく悲しみというか・・・。それすらもひたすら続く役所手続きと金に左右されるという、現代社会と資本主義の呪いみたいなものを、最近灰になった身内を見て思い知っています。

で、最近は500円で定食が食べられるところによく行っています。ですが・・・あんまし客層が(個人的に見て)よくないんで、行くのは今まで控えてたんですが、しゃーないね・・・。

2024年9月12日木曜日

「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」を観ました

 「ファイブ・ナイツ・アット・フレディーズ」、略して「FNAF」の映画版を観ました。

ゲーム本編は全部(!)やったことがないので恐縮ですが、やっぱりこういうホラー映画と私はつくづく相性がいいんだな・・・と思いました。相手を不快にさせることと恐怖を履き違えた流血残虐シーンがなく(あっても間接的)、シチュエーションをメインに恐怖を演出する。私が「FNAF」だけでなく、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とか「ホーンティング」、そして「クリスティーン」とかが好きな理由なのですが・・・。

やっぱり、主人公という「大人」が超常現象に立ち向かう時に、感受性の強い子供が重要なファクターを示すホラー映画はいくつかありますが、 本作もその一つだと思います。だからこそ、ジョン・ソール氏が好きだったりするのですが・・・。

で、怪奇現象を通じて、忌まわしい過去に囚われているだけの主人公が、色々な試練の上に子供を守る大人へと成長していく・・・そういう要素もあり、「FNAF」は単にアニマトロニクスの殺戮劇にとどまらないポジティブな気持ちも味わえる映画でした。

2024年9月11日水曜日

インクを補充しました

 今日を含め、二日続けてプリンタのインクを補充しました。

キャンバス画にも取り組みたい・・・のですがいかんせんホワイト修正がめんどいです・・・・。ホワイト修正・・・ホワイト革命・・・あそこら辺にはちょっと批判的な目で見ていました・・・。

2024年9月10日火曜日

◎「ファランジェ」にお邪魔いたしました

 先日、川上 幸之介氏が開催されている企画展「ファランジェ」にお邪魔いたしました。

基本的に、生きていくためにはカネにも行政にも頼らざるを得ない現状がありますが、一定の社会批判が何らかの媒体でないと不健全であると考えています。こういう所から、自分の政治的な心情と現代アートのスタンス・・・とでは相容れない部分もちょろちょろとあるのですが、学生時代を過ごした街に再び行けたということと併せ、最高の日となりました。 

会場はKAG様で、倉敷駅近くにある古くて小さなビルの3階にありました。基本的に、私はこうした雰囲気の場所にあるギャラリーも好きでして・・・。多分、銀座の奥野ビルに2回ほどお世話になってきたからでしょうか・・・。広島の廃墟ギャラリー様にお邪魔したこともありますし・・・。

では、下の方に会場の写真をアップいたします。



色々と展示された作品を見てから、やっぱり感じたのはファシズムとか資本主義の弊害、歴史修正主義とかいった「いま」(の悪い部分)を構成している断片を、いかにうまく作品として抽出できているのかがカギとなっているように思われました。そこだけをただ強調していくと、独りよがりで適当なものになりがちですが、作品として成立させなければいけない分、皮相な反権力や震災観やコロナ観にも疑念の眼は向けていきたいな・・・と個人的には考えています。最も、会田 誠氏の作品でゲラゲラ爆笑していた自分にいえる道理などないのかもしれませんが・・・。

特に印象に残ったのは、DASの作品でした。サイケな絵柄が目を引いたのかもしれませんが、毒気のこもった初代シムシティ・・・みたいな感じがしました。そこにあるのは街をパソコンにインストールしたソフトウェアが生み出す電子空間で構築していく楽しみではありません。上から見下ろした視点で描かれた、きめ細かい町の絵を見ていると、寧ろ、そんな狭い空間に押し込まれてアクセクしている(そういうものを作った方の掌で見事に遊ばれている)現代人への冷たい視線を浴びているようでした。

それと、マルコ・ラコウィッツ氏のパラサイト・シェルターでしょうか。私も大して社会的弱者にロクな助けができていない分敢えて書くのですが、当事者を置いてけぼりにして、評論家と作者の言葉遊びで弱者をダシにしている作品(パフォーマンス)もある中で、こうした取り組みは本当にまともだなと思いました。

SNSのぬるま湯でホームレスを始め、社会的弱者を「志〇どうぶ〇園」のような感覚で消費し、好き勝手に社会を腐しているようなオンラインユーザーがいる中で、当事者を対等に見ているからこそ、アートという安全圏に逃げることなく、問題に現実的なアプローチができていると感じました。

それに比べれば、本当に自分が作品の文脈としているものは弱い・・・のかなとか思ったり・・・。今の自分の立場で、こんなことは絶対に書くべきじゃないですが、まあ児童書原作のアニメだってすごくあるんだから、児童書でも・・・みたいな考えがあります。でも、なんかどっかでアプローチに失敗し続けているというか・・・。これは自分が世間知らずなのが悪いってことでいいでしょうか?色々と悩んでいます・・・。

で、話は変わりますが某本を読んでいて結構ムカつくことがありました。道徳について書かれた本だったと思いますが、なんか現代アートを思い付きで叩いているような箇所があって、真面目に向き合っていることを知りもせずに、感覚のズレた社会不適合者のなれ合いみたいないい方をされると、「ちょっと待てや!」と思ったり・・・。確かに、そう取られても仕方のない作品があるのは事実です。ですが、みんな楽々とやってるわけじゃないです。

例えるなら、ピアニストや指揮者と違って、DJというのは適当にターンテーブル回すだけで大金貰えるし、リスナーと併せて音楽的素養のない人達の方が評価されがちでしょ?というのと同じかと・・・。

2024年9月9日月曜日

遅くの更新になりますが・・・

 最近の時間帯に比べれば遅くの更新になりますが、今日に描いておきたかったことは先延ばしにします。プリンター関係で色々せんといけないことがあるので・・・。

まあ、昨日は倉敷に行くと書いてましたが、実際に倉敷のギャラリーKAG様にて、川上 幸之介氏が開催されていた企画展「ファランジェ」にお邪魔いたしました。ああした古いビルの中にある小さなギャラリースペースって、雰囲気がいいなと個人的には思います。

くわしい感想はリアルのことを優先させたいので、明日にでも・・・。

2024年9月8日日曜日

赤ちゃん返り

 『デンキ街の本屋さん』で、先生の漫画制作を(カメ子や腐ガール等、いつものメンバーと一緒に)手伝っていたひおたんが、うっかりミスでインクを先生のペン入れが終わった原稿にぶちまけてしまうシーンがあります。で、それを見た先生が赤ちゃん返りをして癇癪を起こし、みんなにそれが伝染していくんですが、カントクに期待されていた海雄まで赤ちゃんになってしまい、ひおたんや先生達が正気に戻ります。

私がこの一連の流れを見て思い出したのは、『おばけのコッチ あかちゃんのまき』 でした。『魔女の宅急便』や『わたしのママはしずかさん』等で知られる角野 栄子氏を代表する児童書シリーズのひとつですが、赤ちゃんの世話をしようとしたら、その癇癪と駄々に振り回されるおばけのコッチの結末を見ると、最初に書いた先生のシーンを見るよう・・・でした。立場が逆転・・・というか・・・。

なんか本作に限らず、『いやいやえん』とか『宇宙人のいる教室』みたいに子供や幼児の描き方が上手い児童書はありますが、なぜそこに惹かれるのかといえば、子供をただ可愛らしい存在として描いていないからでしょう。ペットブームに便乗したバラエティ番組のように、子供をただ天使のように描くことに対して香月 日輪氏も度々苦言を呈していましたが、子供を巡る数多くの美談をきちんと退けている作品だからこそ、共感を集めやすいのだと思います。

そこら辺については、いしかわえみ先生の育児エッセイ漫画『食べて産んで寝て描いて』 でも思ったのですが・・・。『絶叫学級 転生』でもその経験が反映されているエピソードをちょくちょく見かけたしなぁ・・・。

 

話は変わりますが、今日はもう一つの故郷とでもいうべき倉敷に行くつもりです。 奴のやらかしで愛憎入り混じった記憶がありますし、新幹線を使えば一発なんですが、金の問題で朝一の高速バスとJRを使います。だからあと2時間しか寝れないのですよ・・・。

 


2024年9月7日土曜日

リライトされた作品

 昔出版された小説が復刊される時に、現代向けにリライトされることがありますが、ここではつばさ文庫の『トンデモ探偵団』シリーズについてちょっと書いていきたいな・・・と思います。学生時代もつばさ文庫はよく買って読んでいたのですが、『トンデモ探偵団』はもともと依田 逸夫氏の『いたずら校内探検クラブ』」シリーズの一部を現代風にリライト、イラストも現在の児童書で主流のライトノベル寄りのものになっていました。で、原版とつばさ文庫版を読み比べてみて、その違いを楽しんでいたりしました。もう10年くらい前の話ですが・・・。

で、後者のイラストを務めた福田 岩緒氏のイラストも結構味があって好きだなと感じています。特にタイガーマスクを被ったDQN中学生のイラストは強烈でした・・・。

昔のファインアート寄りの児童書の挿絵は結構廃れた感じがあり、そこら辺で萌え絵はどうなのかと議論が起きたりするわけですが、私はどちらとも好きですし、絵本コーナーを見るにあたり、まだまだ子供の本においてファインアートは死んでないのではないか・・・と思ったりします。

ああ、そうそう。好きな絵本作家をここで挙げておきたいと思います。いもと ようこ氏とか、武田 美穂氏、それから山本 忠敬氏とかです・・・。

2024年9月6日金曜日

お前社会の底辺だろ?

 もうね・・・Xにおいて、喫茶店の経営者がインボイス制度の影響でネルフィルターを縫う職人の廃業が決まったので、底辺と呼ばれる人達が私達の生活を支えてくれるのに、底辺切り捨ての政治を続けていいのかという趣旨のポストを見て・・・あの、自分が世話になっている職人に「底辺」ですよ?低賃金労働といっても、これはあんまりじゃないでしょうか?なお、ここでインボイス制度のアレコレは敢えて書かないことにします。(恥ずかしながら)そこら辺に関して自分の解像度がまだまだ低いことに加え、労働者を雇う側が、相手を天然で「底辺」と書いたことに焦点をしぼりたいので・・・。

私もダメ人間だからこそ承知で描きますが、きつくて金銭的に報われにくい労働で世の中を支えている労働者達がいることは事実です。ですが、それを享受する側が感謝の念として「底辺」という言葉を出すことに、驚きを感ました・・・。私も創作において、目立たない場所で、絵具やキャンバスなどの画材を作ってくれる人や運送会社さんにお世話になっている身ですが、そういう発想は正直なかったんで逆に感動しています・・・。もちろん皮肉の意味ですが・・・。

まあ、私も食品工場やドラッグストアなど、就職せずにバイトを転々としてきたクチですが、こういう思考回路の経営者に製品を提供してきた労働者達は、怒ってもいいのではないかと思います。もう店の名前もわかっているので、そっちは利用したくないなと思ったりします・・・。もうこっちには怒る気力もないし、立場でもないので・・・ね・・・。

こういう所から、ネットのウォーク系の言説はなぜ高い確率で、知能や学力のある犠牲者については対等に扱うのに、(特に社会のボトムにいる)当事者を高みから天然で傷つける発言が横行しているのでしょうか?なんかリアルで地道な活動をしている人達がいて、自宅の近くにも複雑な事情を抱えた子供達に無償で食事を提供するNPOがあります。そういう団体に限って、教育困難校とか底辺とかいった言葉を振りかざさないのはなぜでしょうか?少なくとも、後者の方がはるかに誠実な姿勢で問題(とその当事者)に向き合っていると思います。SNSも事務的で、いかに自分達が相手を助けているかを自慢げに書いたりしているポストは殆どありません。自分のメソッドを金儲けや承認欲求に使う意志を露骨に見せることだってないですし。

まあ、あの手の言動がアレなのは、社会批判の為に自分より弱い存在を好き勝手に扱うような高慢さがあり、『だいすき!』とか『灰谷健次郎-その「優しさ」と「文学」の陥穽』で指摘されていたような、相手の尊厳を奪うような形で美化するような言葉遊びがあるからでしょう。しかも自分に差別意識は無いというグロテスクさ・・・。

自分だってこの公開日記というネットのぬるま湯の中で社会や色んなことを好き勝手に腐してるので同じ穴のムジナかもしれませんが・・・。

2024年9月5日木曜日

弱気を助け、強きを挫く

 -だいたい、犯人たちが「誰も傷つけない犯罪を目指す」とか言っているのがお笑い草です。(中略)そんな連中に「こんな悲しい過去がありました」と同情させてどうするんですか。そんなの、矛盾してるでしょ?

                  山本 弘『料理を作るように小説を書こう』より 

 

世の中に流通しているフィクションには盗難や殺人などが、一定の正当化を持って表現されている作品があると思います。戦争行為はともかく、ターゲットが悪徳政治家(及び経営者)とか不起訴の犯罪者とか、ああいったやつです。

まあ・・・「昔はよかった」という文脈で、暴力や犯罪が語られることがよくあります。詐欺師は富裕層を対象としていたのに今は弱者をターゲットにしている、今と違っていじめが陰湿化している・・・それって、寺村 輝夫氏がきっぱり否定していましたし、誰が持っても金は金という具合に、動機が何であれ、犯罪は犯罪なわけです。昔殺人犯は金持ちをターゲットにしていたけど、今は通りすがりの人を狙うからダメなんて理屈が通ると思いますか?

で、話を戻しますがそういう所から溜飲を下げるようなフィクションがいくつか見当たるわけで、面白いっちゃ面白いんですよ。日頃から何となく享受している話への問題意識を高めるチャンスを与えてると思いますし。

ですが、多くの人は社会をよくする・・・というよりかは、自分より醜い存在が特権を享受し、それが叩き潰されることに心のデトックスを放出させること「だけ」しか期待してないのではないか・・・とレビューを色々見て感じます。こういう所から、政治家や企業の諸々の不祥事を上級国民の問題に矮小化し、自分達は清らかな存在としてそれを成敗するストーリーが望まれる傾向があります。ですが、そんな願望は上に書いた通り単に嫌な奴が滅んでほしいという個人的なモノに過ぎないので、いつまでも需要と供給が生じるというわけです。

何ていうのか、稚拙な「弱気を助け、強きを挫く」みたいな皮相な反権力に基づく願望だと思われますが、こういう発想って安倍氏を殺害したり岸田首相に爆弾を投げつけた犯人や、相手に同情するどうしようもない層とほぼ同じだと思います。

そして、こういう所から生じる意識というのが、裏金や森友・加計学園問題、万博や日大みたいな個別の極端な事例(仮想敵)を面白おかしく叩くことだけに堕していたりするので、誤解を恐れずに書けば、こういう時に使われる弱者という言葉も方便だな・・・と感じる次第です・・・。

最も、私は「面白いっちゃ面白い」と書きましたが、こういう系で私の好きな作品は「嫌いな奴がいなくなってハッピーハッピー、悪徳理事長とかブラック企業に痛めつけれられていた私可哀想」というものじゃないです。寧ろ、そうした悪は受け手にもあるということを突き付けているような厳しさがあるからこそ、社会問題を自分事として受け止められる力を与えてくれる力があるんです・・・。

2024年9月4日水曜日

東大に行くこと

 -こんなやつもいるんだから お前は今の環境を後ろめたく思わないでいい

 つるまいかだ『メダリスト』より 

 

 まあ・・・学歴の話って結構デリケートな部分はありますよね。スポーツとか芸術とかの分野で努力の末に成功する話は素直に受け入れられるのに、勉強になるとみんなが腫物に触るかのように目を背け始めるのは何故でしょうか?金の問題とはいいますが、前者だって同様のはずです。

私も高校時代に色々あって地方の私大に甘んじており、対照的に親戚に東大生がいたからこそ敢えて書くのですが、あの署名運動に関しても 本当に皆にとってプラスになるのか・・・?と問いたくなるのです。逆に社会にとって悪影響でしょ?とも・・・。

世の中、もっと単純にいえば日本社会の格差構造の中で低俗な格付け番組のような足の引っ張り合いが(特にXみたいな所で)あり、あの東大推薦への反発に関してもそうした言葉遊びの一環でしかないと思います。どうも教育や生活環境については「酸っぱいブドウ」で終わるどころか、先天的にブドウを獲得できる努力を与えられた人間に、色々と理由と難癖をつけて足を引っ張ろうとし、真面目な格差論ですらそうした心情の慰撫に回収されていると感じています。あんまし書きたくないことですが、私もそういう考えでモラハラ紛いのことを受けたことがあるので・・・。

 第一、推薦入試は(総合型選抜と同様に)インチキではないですし、それだって教育ジャーナリストである石渡 嶺司氏が指摘している通り、単におべんちゃらで入れるほどの甘さではありません。全員が悠仁様という藁人形を劣等感や敗北感の為に殴っているにすぎず、様々な格差への問題提起が彼らへの肯定(燃料)にすぎないのであれば、そこら辺にどう楔を打つか・・・も重要だなと思います。要するに、純粋な犠牲者として彼らを扱う限り、不毛なルサンチマンにより真の被害者が生まれ出るということで・・・。

これについては明日に持ち越してみたいな・・・。ヤフコメも結構見苦しかったし・・・。







2024年9月3日火曜日

メールアカウントの設定について

 昨日の文章で、メールアカウントの設定が・・・みたいなことを書きましたが、ちょっとそこら辺について謝罪をしておかなければ・・・と思います。

なんか恥ずかしい話ですが、(今のご時世で!!)私は大学卒業間近までメールでのやりとり・・・というのをまともに使ったことがありませんでした。もっぱら、電話連絡という形です。それにデジタル音痴ということも加わり、アドレスを書くだけで精一杯・・・という所がありました。 だから、アカウント設定の名前という所がよくわからず、名前をちょっと間違えていたりすることが過去にありました。最近では、エイリアスを増やしたので、そこら辺でも設定がわからずにミスをして、名前を書いてなかった・・・ということもありました。

この度はマナーに抵触するようなことをしてご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした。

なんか・・・さんざんオンライン美術館にあれこれ書いてからこのザマとは・・・。

 

そういえば、こんな記事を見ました。 別世界に住んでる身としては、身に染みる内容でしたよ・・・。これはVtuberだけの問題じゃないと思います。それこそ論点がズレることを承知でいいますが、自分達は全然文化的特権階級ではなく、絶対に許されてはいけないことを楽しみ、だからこそ怒られる立場であることを自省して生きていかなくちゃ・・・ということを再認識させられる文章でした。

2024年9月2日月曜日

フランスと日本のJR

フランスのアーティストで、JRという方がいます。JR・・・日本人にとっては、切っても切れない関係にあるんじゃないでしょうか?すみません、また私の悪癖が・・・アーティストではなく、西日本の方ですが・・・。もう私が生まれた後は国鉄は民営化された後なんで、日本国鉄というものに乗ったことがないんですよ・・・。ですが、國鉄広島からいつ脱せるのかと思って生活していて、その時が来たのは大学卒業後ですからね・・・。

で、フランスだったらJRじゃなくてSNCFですよね・・・。

ごめんなさい、こんな風にこじつけを・・・ああいう人らの1人としての、悪い癖です・・・。

で、ちょっと明日はメールのアカウント設定について書こうかな・・・とか思います。よくわかってなかった部分があり、人様に失礼になっていたかもしれないので、お詫びと報告もかねて・・・。

2024年9月1日日曜日

街路樹が伐採された話

 とあるニュースサイトで、街路樹が伐採されたという趣旨の記事を色々読んでいました。

はっきりいえば、温暖化に伴って植林の意義は大きくなっていると思われますが、こういう所から日本の醜い都市景観、つまり花より団子主義が優先させられた結果かな・・・と思います。なんか外国の街をそこまでつぶさに見たことがないので恐縮ながら、日本の街づくりというのは日常生活をひっくるめて本当に無頓着だなと思います。統一感がなく、本当にグチャグチャというか・・・。

どうして原爆ドームを含めて、平和記念公園のすぐそばに同人誌ショップや模型屋などが並んでいるのか、日本車のクラクションはなぜ鼓膜を割るようなトーンなのか、なぜ自転車は道交法を守らず猛スピードで走るのか・・・そこら辺からトータルして、日本の街というのは人の神経を逆撫でする乱雑なエレメントが、余りにも揃いすぎていると感じます。

ああ、それと昨日は反ワクチンのデモを見ました。警官の姿を何人か見たので何事かと思いましたが、トラックを先頭にして、後ろから何人もプラカードを持った人たちが、列をなして歩いていました。で、トラックの上で拡声器越しに女性が金切り声でがなりたててまして・・・。ちょっと考えれば政府やWHOに騙されてるなんて言うのは妄想だということくらい、誰でもわかるはずです。問題なのは、こうした天邪鬼の一線を越えた駄々を、いい年をした大人達が大真面目にこねていることでしょう。

私も大して社会貢献できてないし、時として駄々をこねてしまう身だから敢えて書きますが、多数の警官に守られているということは、そうした自身の行為に公金が投入されているということです。だからこそ、自分の行いについてきちんと考えてみる必要があるのではないでしょうか・・・?

まあそれが間違いだといっても、妄想じみたことを事実として認識している人には、話が通じないと思いますが・・・。以前書いた文章の使いまわしになりますが、彼らは社会や権力と戦っているように自己演出しているフシがありますが、彼らの社会に対するスタンス自体が社会への幼稚な挑戦だと思うので、別にわざわざトラックに乗って金切り声を上げたり、行進したりする必要はないのです。

 こういうの、『コメンテーターエンドウさん』あたりで論難されてそうだよなぁ・・・。