―ひとりの人間として生きられないから、自身を神に仕立て上げる。そのため、ひとつ失敗があれば、それはたちまち入念に作り上げた壮大な自画像―まがいものの不安定な自我を揺るがす脅威となり、彼は脅威のもとであると判断した標的に向かって、荒れ狂う怒りを盲目的にぶつけることになるのだ。
ブライアン・ハーパー作『グリフォン』(創元ノヴェルズ)より
最近、桜井のりお先生の『僕ヤバ』を読んでるんですけど、ちょっと京太郎君について色々考えてしまいます。
桜井のりお先生はそうした意図で描かれてないかもしれないし、そんな話を持ち込むなといわれそうですが、なんか京太郎君は少年犯罪者ぶって杏奈ちゃんをカッターで殺そうとしていたじゃないですか。そこらへんが妙にリアリティ(実際にあった事件を想像させる要素)があって正直怖かったなと・・・。
だから、なんか『僕ヤバ』というのは、ラブコメとしての要素だけではなく、クラスで孤立していることを殺人という反社会的行為でアピールしようとしていた少年が、ひょんなことから人間関係の中でまっとうに成長していくという要素もあるんじゃないかと感じました。でも本当に、最初のシーンで杏奈ちゃんが京太郎君におにぎり食べて話しかけていなかったら、どういうことになっていたのか・・・考えるとゾッとします。
まあ、そんな解釈が『僕ヤバ』にそぐわないことは、わかってるんですけど・・・。