漫画『死後出版』の2巻を読みました。特に印象に残ったのは、手術の話と最後の話です。
難病ものというと、他人事で相手の不幸を美化して、泣けるような演出をしているような 作品がありますが、『死後出版』にはそんな付け焼刃の優しさが一切ないのがよかったです。寧ろ、現実問題で子供が難病に直面するというのは、人生経験が少ない分年不相応の覚悟や責任感(そして絶望感)を背負わされることであり、その分怨みや怒りも大人を凌駕している・・・ということであり、病人を都合のいい聖人君子として描きがちな話より、遥かに胸を打つものがありました。どうか、病魔に侵された彼女の作品の出版が、栞田さんの言葉通りになれば・・・と思わずにはいられません。
そして、最後の話ですが・・・ああ・・・マジか・・・と思いました。加賀稀人・・・おったのね・・・執行されてなかったのね・・・。
ここで現実の事件をチャンポンにするのはいけないことだとはわかりますが、『淳』という被害者遺族の手記では、犯人に同情の声が集まる状況を、殺された側の遺族がどう見ていたかが(手記故に)かなり痛烈に書かれています。『スクールアタック・シンドローム』でも大量殺人犯がダークヒーロー扱いされる風潮に、強い皮肉が向けられていました。
こういう所から加賀に憧れている女子学生が、1巻で栞田さんが拘置所で加賀に向けた批判のような言葉が、正論であることを理解した上で、加賀が単に高尚ぶって(犯罪者として)弱者しか殺せなかったバカであることに気がつくことができていたら・・・と思います。
ちょっとネタバレになりますが、コピーキャットを防ぐためにも、いくら可哀想な存在で相手が自殺したとしても、(今は出版されるかどうかわからない状態ですが)あの戯曲には冷厳な目を向けてその程度の存在だった、という姿勢で臨まなければならないのかもしれません。
現実問題、生きづらさを凶悪犯罪者に向けて同化するような風潮はありますが、絶対自分は殺されない側で安心したい、安らかに(布団の上で)死にたい・・・という甘えが散見されるようで・・・。