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2024年6月30日日曜日

「ノウイング」を観ました

 人類の存亡を描いた映画「ノウイング」を観ました。

まあ・・・ああいう(事実にオカルト的要因を見出す)話は下手すれば遺族や関係者を傷つけるセカンドレイプになる危険性がありますが、それをギリギリで避けてる感じがしました。まあ、911や阪神淡路大震災のシーンがあったしな・・・。

で、こういう予言系の話に関しては、ドラえもんの出木杉君が「みんな偶然かこじつけだ」といってますし、ジーン・ディクソン効果なる言葉もあるので、現実においては一笑に付すべき問題でしょう。

まあ、最後は壮絶でした。「ディープ・インパクト」の巨大津波と同等の衝撃がありましたが、そこに至るまでの過程を安易な暴動や殺し合い(一応ありますが、メインとして描かれてはいません)に依存して皮相な群集心理批判に繋げるのではなく、親子愛として地球の終末をまとめているのがよかったです。ガソリンスタンドの店員が迫りくる苛烈な現実を、「Y2Kと同じで、すぐに収まるさ」というシーンがありましたが、5類認定と併せ、「コロナは風邪だ」 という認識のお医者さんや専門家を想像しました・・・。

「ノウイング」は性質上、子供も主役になっています。だからこそ、私がジョン・ソール氏の小説を読んでいるからかもしれませんが、結構過酷な現実に立ち向かう子供達を冷静に描いた作品って、好きなんですよね・・・。本作のみならず「ぼくたちのムッシュ・ラザール」とか「ウィッチマウンテン」とか、「ラブリーボーン」とかなんですが・・・。

2024年6月29日土曜日

北斗の拳あれこれ

 高校生の時に、『北斗の拳』という漫画をよく読んでいました。好きなキャラクターはトキとかフドウだったりします。

で、なんか興味深い記事を見つけたんですよ・・・。確かに核戦争後の秩序が崩壊した後の世界で、戦いの中でしか生きられなかった人間(主に男達)のドラマは胸に迫るものがありました。ですが・・・やっぱりケンシロウにやられるモヒカン(チンピラ)達と、ラオウやサウザー達の所業は50歩100歩じゃないの?という違和感がありまして・・・。無抵抗な人間殺してるし・・・。特に弱い子供を奴隷にしていたサウザーには、アミバやジャギにみんなが抱いていた感情がありました・・・。

で、こういう所から(引用先の記事で書かれている通り)「判官贔屓」・・・みたいな言葉が、頭の中にうっすら浮かび上がるわけですが・・・。「あの事件の犯人は自己責任を強いる社会が生み出した」とか、「元首相を銃撃した犯人は宗教2世だったから、彼の気持ちはわかる・・・」とか・・・。

 だからこそ、犯罪に関しては同情すべき境遇や同情があっても、悪は悪としてしっかり断罪しておく・・・ということも重要なのかもしれません。まあ、自分だって二次創作とか模写という「犯罪」を犯しているわけですから、明日は我が身の部分もありますし・・・。

なお、上に書いた二つの事件ですが、「テロ」なんて気安く形容している裏で、本当は自分が望んでいたユートピア像がこのような形で実現するチャンスが訪れたことに、ポジティブな興奮を覚えてるんじゃないかと疑いたくなります。なんかそれらに関係したアンソロジー集を読んでいると・・・。

 


2024年6月28日金曜日

今日は色々回りました

 今日は区役所に図書館、本屋と色々回りました。疲労気味です・・・。

で、今シロクマ先生(熊代 亨氏)の『人間はどこまで家畜か』を読んでいるんですけど、非常に悩ましい所だな・・・と感じています。「最大多数の最大幸福」なんですが・・・。私としては、マジョリティを生かすためにマイノリティが犠牲になることが「道徳」として正当化されるより、(例えるなら「ディープ・インパクトという映画みたいに」)そうせざるをえない状況がきても、前者みたいな感情で処理されるより「自分達が生きるために関係ない誰かを犠牲にした」という罪悪感を持って取り組んだ方がはるかに健全だと思います。

話は変わりますが、漢字は同じでも、読みが違う駅名・・・みたいなものが結構あって、それが紛らわしいな・・・と思います。「梅林(ばいりん・うめばやし)」だったり、「神戸(こうべ・がんど)」だったり 、「日本橋(にほんばし・にっぽんばし)」だったり・・・。

 

2024年6月27日木曜日

お前わざとやってるだろ?

(ちょっと文章を削除したり、書き替えました)

 前にもここで書いたんですが、『あやしの保健室』という児童書シリーズがあります。で、そのセカンドシーズンにおける1巻では(明記はなかったですが)コロナ禍がとりあげられていました。

で、マスクをすると肌がかぶれてしまう女の子が出てきて、そのせいで仲間外れになるというシーンがったのですが、なんか感染者を巡って「バイオテロ」とか「戦争」みたいな言葉が使われることに対する違和感があれで更に強化されたというか・・・。なんかワクチンを打たない人を見ても、ぱっと見で「わざとやってるんだろ?」みたいな感情が現れやすいのですが、そうじゃない場合だって、かなりあると思います。実際に副作用で死ぬ可能性だってゼロじゃないし。拒絶反応が出る人だっているわけですから・・・。

こういう話では、「やむにやまれない事情」を考える余裕がどうしても失われがちですが、落ち着いて「あいつはわざとやっている」 という概念を疑わなければ・・・とも考えているわけです・・・すみません、医療従事者でもないから色々とわかってない部分があって、頓珍漢なことを書いてしまったかもしれませんが・・・。

まあ、そこら辺はマコちゃん絵日記で書かれてるような少数派の話につながるのかもしれませんし、私は運よくワクチンを打っても副作用で死ななかったわけで、ついつい同類と同じ、つまり「こちら側」の視点で見てしまうという癖があります。まあ、今読んでるシロクマ先生(熊代 亨氏)の新書でも、そこら辺の下りが書かれているところまで読み進めているわけですが・・・。

2024年6月26日水曜日

レコードの話

 そういえば実家にはレコード(それとレコードプレイヤー)があったのですが、私としてはカセットテープ→CD→DL購入という順で音楽を聴いていました。

今ではもうすっかりAmazonで(主にアルバムを)DL・・・という感じになっています・・・すみません、CDを置くスペースがないもので・・・でも、ライナーノーツが読めるのはCDならでは・・・の醍醐味だったりするんですよね・・・。

で、なんか今日新聞を読んでいると、書籍の広告で日本は中国を侵略していない!という主張の本を見かけました。本音としてはそうなんだと思います。『日本人の戦争観』でも書かれていましたが、アジア周辺諸国から責任と賠償を求められる風潮に「まだやるのか・・・」と首を振りながら舌打ちをし、いい加減にしろと叫びたくなるようなその気持ち・・・。ですが、私から見れば日本でも同じことは起きていると思います。(地元に絞っての話ですが)アメリカ側の無差別爆撃や原爆投下に関係したことでは、謝罪と認識の改めをいつまでも要求するということなんですが・・・多分、そこら辺でアメリカも、日本に対して同じ感情を抱いてるんだろうなと、うっすら思いました・・・。まあ、原爆投下については陰謀論もあるわけだし・・・。

2024年6月25日火曜日

死体を調べています

 今、ちょっと死体を描いているので、色々と死体を調べています。

でも・・・フォト絵本でそれが出てくるとは・・・ちょっと、どうよ?とは思いますけど・・・。

 死体・・・その描き方は、やっぱり郷田 マモラ先生(とそのアシスタントだった方々)がダントツだったと思います。やったことは断じて許されませんが・・・。

そういえば、こんなポストを見ました。ずっと前に読んだ反原発本でも、廃墟マニアみたいな趣味について厳しく断じられている文章があり、それがずっと印象に残っていました。鉄道趣味界隈でも訪問した場所(や現地の路線)を辛口批評家気取りでボロクソに貶す書き手をネットで何人か見たことがあるので、「ちょっと・・・」と感じたことはあります。まあ・・・広島もターゲットになっとったしなぁ・・・。

2024年6月24日月曜日

複数同時に進めています

 現在、タイトルの通りに複数同時に作品を制作しています。11月くらいにまた東京の方に出させてもらう・・・そういう予定なので・・・。もう紙パレットもグチャグチャの状態です・・・。

そういえば、KAODOKAWAとニコニコがサイバー攻撃を受けていますが、職業に貴賤ありの立場でいえば、こういう行為(で金を貰ったりできる状況)こそ「賤」の方だろうと思います。 表社会の職種ではなく・・・。

2024年6月23日日曜日

線画を仕上げています。

 今日、線画の50パーセントくらいを仕上げました。

あとは資料として図書館に行って本を・・・という感じでしょうか。瓦礫の表現なんですが・・・。 

そういえば、『阿波連さんははかれない』という漫画を読みました。コマの外が回想シーンのように黒くなっているのが特徴的だなと思いました。

2024年6月22日土曜日

何の為の教養か

 ここで「窓ぎわのトットちゃん」というアニメ映画の感想を書きましたが、感想の後半で教養がどうたらという内容があったと思います。

で、ここで教養の有無について「そうですよねぇ・・・」と感じるポストを目にしました。何か『ファスト教養』という新書をちょっと前に読んだので、尚更そう感じるというか・・・。教養や教育の有無で人の善悪を判断するのも、別の形の差別ですよねという・・・。まあ・・・自分もハローワークに通っていて、職員をスナックのママかキャバ嬢か何かかと勘違いしている利用者を目にしているので、自分のことは棚に上げて(汗)そんな概念を滾らせそうになったことはあるのですが・・・。だって職員に対して、馴れ馴れしいタメ口ですよ・・・?こっちは真面目に利用したいのに・・・。

 話は変わりますが、今日は流血とか死体とかを調べたいと思います。

絵を描くときに必要なので・・・。

2024年6月21日金曜日

極限状況下

 極限状況下で、よく人の本性が露になるといいます。

ですが、こういう系の話において、興味深いポストを見ました。 

まあ・・・ リンク先のポストで洋介犬先生が書かれているように、「平常じゃない」状態を「本性」というのは違うと私も思います。こういう所から、皮相な性悪説で凄惨な殺し合いを描いておけば、人間洞察が鋭いということになってしまう・・・みたいなことはよくあると感じています・・・。

こういう所から現実においても災害や戦争における虐殺や暴動を取り上げ、「これが人間の本性だ」 としたり顔で断じる風潮はあると思いますが、人間観がちょっと安直すぎやしないか?と・・・。それは本性じゃないでしょうと・・・。

だからこそ、(所謂)パニックやデスゲームものでは、皮相な残酷シーンをあまり強調して書かない作品が好きだったりします。例えば、『いつか緑の木かげで』とか、『バトル・ロワイアル』とか、『エンド・オブ・ザ・ワールド』とかだったりするのですが・・・。

 

 

 


 



2024年6月20日木曜日

変な夢を見ました

 何か昨日昼寝していた時のことです。

電車の中でマナーの悪いヤンキーっぽい人を注意すると、逆切れされる夢を見ました。夢からさめても その不快感はしばらく残っていました。

リアルでもそういう人はいますが、(大多数と同じように)何もいわずに無視することが殆どです。あんな夢の中の話みたいな展開なんて、せいぜい漫画かアニメくらいでしょう・・・。

2024年6月19日水曜日

もう壊れました

 使っていたデッサン人形が、ついに下半身と首がちぎれる形で壊れました。廃棄すべきゴミが増えた・・・買うべきモノが増えた・・・。それと、結構ヒヤヒヤするミスをしました。コンビニにあってよかったです・・・。保管してくれていた店員さんに感謝・・・。

で、なんか最近コロンブスがどうたらみたいな話をネットで見ましたが、私が真っ先に思い出したのは、『アフリカのシュバイツァー』です。大体偉人の伝記というものは肯定的な評価が多いですが、 その中で批判的な検討を敢行した寺村 輝夫氏の勇気はすごいと思います。

 今日はこれくらいにしときます。最近はそんなことじゃいけないのに、昼夜逆転の生活です・・・。

2024年6月18日火曜日

「危険な遊び」を観ました

 マコーレー・カルキン氏とイライジャ・ウッド氏という(当時の)名子役が夢の競演を果たした映画「危険な遊び」を観ました。

いやぁ・・・「ホーム・アローン」シリーズで愛らしい演技を見せたカルキン氏が、それを一切かなぐり捨てて狡猾な悪役を静かに演じているのが、(それが作品の売りだからですが)やっぱり印象的でした。特にハイウェイマンという人形を高速道路に落として意図的に交通事故を起こさせ、満足そうにうっすらと笑うカルキン氏の表情は、マジで強烈でした。

「ホーム・アローン」シリーズでも、結構なんか泥棒がケビンが自宅に仕掛けた罠でコテンパンに痛めつけられる様が(作品の性質上)コミカルに描かれていましたが、そこから道徳的コメディ要素を取り払い、子供の創作意欲が嗜虐性や殺意から生じるものだったら、どういうことになるのか・・・?という観点も見られました。まあ、「ホーム・アローン」も見方を変えれば結構残酷だし、家族のケビンに対する扱いもアレだし・・・。

ですが、いたいけに見える子供が悪をなすというギャップをわかりやすく過激な形で描くのではなく、余計な残酷シーンを徹底的に省いて表現しているのが良かったです。そして、最後の母親の決断は・・・とても考えさせられるものがありました。ラストも(いささかネタバレ恐縮ながら)悪役を倒してハッピーハッピーというわけではなく、数多の死を経験した少年のやりきれなさが伝わってくる、虚無感がありました。なんか、あそこは「激突!」ぽかったな・・・。

こういう系の話は、良識派に目にものをいわせることばかりが先行し、すぐに残虐な大量殺人や度を越した流血描写に流れるものがありますが、それを一切排除して、一見平和そうな家庭で、ネコを被っている異常性を抱えた子供に主人公がジワジワと追いつめられる状況を丁寧に描くことで、逃げ場なしの恐怖を思い知ることができるのです・・・。

2024年6月17日月曜日

特攻系の映画を観ました

 人生に対して投げやりになっている女子高生が戦時中の日本にタイムスリップ、そこで(死ぬ運命にある)特攻隊員と恋に落ちる映画を観ました。何というのか、「終わりに見た街」とか「僕たちの戦争」とか、現代人が戦時中にタイムスリップする作品はいくつかありますが、本作もその一つだと感じました。

で、 当然スマホもネットもない、しかもファシズム体制下という異常な環境で拗ねた現代っ子がどうサバイバルしていくのか、そういう視点から特攻という作戦のお粗末さや、それでも庶民は諦観するしかないという戦時下社会の虚しさ、刷り込まれた愛国心より死への恐怖が勝ち、仲間を裏切ってでも特攻から逃れたいという隊員の人間臭いエゴイズムなどが、丁寧に描かれていました。

まあ・・・こうして感想を描くには色々文献を漁りまくる必要があるんですが、今はそんな余裕はないし、片手間の知識で恐縮ですが、やはり特攻に関しては「ディープ・インパクト」的な自己犠牲の美学は否めなかったし、やっぱり本当の意味での加害にきちんと踏み込めなかった、つまり「殺す側」や、「殺してもいい」環境を作り上げた側、あの時日本が周辺アジア諸国に何を強いていたのかを論理的で正直に描けない所に、本作はともかく日本の「反戦もの」の弱さと限界があると思います。多分、私が長崎人権平和資料館に行ったり、『犠牲者意識ナショナリズム』や『日本人の戦争観』という本を読んでいたり、重慶爆撃をテーマにした「エア・ストライク」という戦争映画を最近観たことがあるからでしょうけど、大体そこら辺の部分がモヤモヤした感じで描かれて、情緒的な被害者視点のみで「戦争は悲惨だ、いけない」ということに回収されていく所に、違和感を覚えているというか・・・。

上に書いたように、色々リサーチがままならない状態でこの文章を書いたので、ちょっとどうかなーと思われることは覚悟しています。見当違いのことだってあるでしょうし。

でも、その違和感はずっと感じてきたことなんですよね・・・(最近ならバーベンハイマ―でしょうか)ポスト8・6が絡んだ広島のアレコレを見てる身としては・・・。

2024年6月16日日曜日

「窓ぎわのトットちゃん」を観ました

 ようやく、アニメ映画「窓ぎわのトットちゃん」を観ることができました。私はやっぱりそっち系の映画と相性がいいことに気がつきました。いや、そういう意味ではなく、みんなの演技が観る人にとって優しいという意味で、です・・・。

で、原作の本は小学校の時に読んだんですが、メインテーマはあからさまな反戦とか戦争の実態を描く・・・ということではなく、運よくいい教育者である小林校長先生に巡り合えた、トットちゃんというはみだしっ子の喜怒哀楽ある学園生活を、ありのまま(多少の脚色を加えた上で)丁寧に描いた作品だと思うのです。戦争のシーンはあくまで背景に過ぎず、先進的な教育理念と環境のもと、廃車になった電車の校舎でイマジネーションの世界に浸ったり、身体障害児である友人の交流を経て、精神的な自立と成長を遂げていく少女の強さ・・・こそがメインではないかと思いました。だからこそ、ラストのシーンにも黒柳氏の現在を考えると、バッドエンドみたいなネガティブな悲壮感は感じられませんでした。だからこそ、空襲のシーン(火災旋風に追われる、みんなが川に飛び込んで、次々と死んでいく描写などがない)も最低限に留められていたのでしょうし・・・。

そして、「大きい1年生と小さな2年生」でキャラクターデザインを担当された金子 志津枝氏が、本作でもキャラクターデザインを務められていると知ったのも、本作を観ようとした理由なのですが・・・。やっぱり、子供の描き方が(私以上に)上手い作家さんって、すごく憧れてるので・・・。

 

で、ちょっと前の1月くらいに、とあるポストがバズっていたのを中心に、教養とか裕福とかいう二項対立で作品を評していたポストをちらほらと見かけました。自分だってロクな感想が書けていないということは承知ですが、そんな安っぽい作品じゃなかったと思います。

これは戦時中を知っている世代が減っているということより、個人的にはSNSを中心としたネットの弊害かな・・・と思うのです。文化資本や教育格差における格付けゲームみたいなものはSNSでインプレゾンビが群がりやすいですが、作者や作品に込められた思い、背景等ではなく前者における脊髄反射の文脈でしか(受け手が)作品を観られない問題が孕まれている・・・と感じます・・・。

こういう所から、トモエ学園(とその生徒達)に難癖をつけにきた子供達のシーンでも、服装が汚いとか貧富とか、そういう話じゃないだろうと私も思っていました。引用リポストにあった通り、彼らがトットちゃん達を罵ったのは貧乏で無教養だからではなく、やっかみと戦時下の憂さ晴らしでしょうし・・・。それと、これも引用リポストの受け売りになりますが、教養と裕福はリベラル的正義の担保にはならないでしょう。ピーター・ティール氏とかイーロン・マスク氏を見ればわかるように、右派の富裕層なんてゴロゴロ存在するわけで、これもSNS受けしやすい弱者差別の一環だなぁと・・・。

2024年6月15日土曜日

DMが来ていました

 別名義のSNSアカウントに、訳の分からん英語のDMが来ていたので、無視しました。

ちょっと相手のことを調べてみても、 怪しさ満点だったし・・・。

そういえば最近、ムカデのことをよく調べてました。まあ、節足動物フェチでもないので、種類に拘って描く必要はないかなと思うし、背景なので・・・と思って特徴のみを捉えることにしました。車とか電車と違って、そこまでいう人はいないだろうし・・・。という勝手な思い込みです(笑)

そういえば、鉄道警察・・・の話をしますけど、リアルでの話じゃないです。パンタの位置がどうのこうのとか、台車の位置がどうのこうのと指摘してくるポストを見る度に、鉄道ファン界隈の暗黒面を見るような気がしてなりません・・・。

2024年6月14日金曜日

「ディセンダント」を観ました

 まあ・・・色々事件がある中で、犯人にも家族がいるという場合がありますが、そこからどうなるかは後において、「ディセンダント」という映画を観ました。

もし、マレフィセントやフック船長などのディズニーヴィランズに子供がいたら・・・という設定なんですが、ちょっと考えてしまいました。これって現実の社会問題を、ある意味一番生々しく反映してないか・・・?と・・・。大体厳密にいえば主人公であるマルもジェイ達も、厳密にいえば「加害者家族」に当たると思うんですよ。実際、ベンによりオラドン高校に招かれたマルが、マレフィセントの娘ということで糾弾されるシーンがありますし・・・。

単純な見方だと、「ワルは教育で変えられる!教育の力ってサイコー!」みたいな(それこそX受けする)ハッピーな見方になるとは思いますが、私はそうは思いません。大体、ヴィランズはともかく、その子供までもを連帯責任とばかりにロスト島へ教育の機会も与えずに隔離していたアダム国王の責任はどうなのでしょうか?

そして、王位継承者であるベンは、マル達をオラドン高校に善意によって受け入れたわけですが、かならず出自上どこかで後ろ指を指されるかもしれないヴィランズの子供達をサポートするということに、どれだけの覚悟と自覚があったのか?もしかすれば、マル達と同じ釜の飯を食う覚悟でベンは行動に移したのだと信じています。そうじゃなければ、偽善がばれてとうの昔に招いた相手から見捨てられていたでしょう。

現実においてあまり気がつくことはありませんが、『赤の他人なら、どんなによかったか。』とか、『羊の告解』という児童書のように、家族の誰かが犯罪者だった・・・と気づいてしまうことって、あると思います。そんな時、はたしてベンのように寛容でいられるのか。きちんと偏見なく対等に接することができるのか・・・「ディセンダント」はそんな考えを私にいつまでも植え付けてしまう映画でした。


 

2024年6月13日木曜日

今日はちょっと行ってきました

 今日はちょっと某所に行ってきました。買い物はしていません。

で・・・まあ Xのいいね機能の話なんですが・・・あれもあれで「アリ」なのでは・・・と正直感じました。これである程度はネット世論の蛸壺化が抑制できると思いますし、リポストやいいねの数でリアルが歪められることも・・・と感じています。拡散希望なんてロクなもんじゃないし・・・。

それと、初期のシンプルで事務的なTwitterの空気に戻るとしたら・・・と感じています。まあ、マスク氏の(またしても)場当たり的な改悪の一環とは思いますが・・・。

2024年6月12日水曜日

顔見せができない

 何か・・・私ってつくづく子供に顔見せできない大人だなーと感じたりすることがあります。

まあ・・・絵の仕事もプライベートも不安定な状態だからでしょうか・・・。イメージとしては大卒で安定した収入を築いているか、それなりに実績のあるフリーランサー・・・かな・・・。だから家庭を持つのに抵抗感があるのですよ・・・。

で、顔見せの話なんですが、本山 理咲先生の『明日が来る』という漫画では、クラスで生徒に暴言を吐く先生が出てきます。で、それが伝染して生徒同士も暴言を吐くようになり・・・という話です。

この話とダブりますが 、子供の発達段階を考慮せず、まずは自分たち大人の世界ありきで裏金問題や右派政治家、ジェンダーや家父長制とかいった「仮想敵」に対し、(ネット右翼の言動と紙一重の)えげつない糾弾をポストしたり、引用リポストしたりする児童文学作家さんを見ますが、子供に対する影響・・・というものをもう少し考えた方がいいのでは・・・と思います。私も同じことはやらかしてるかもしれないし、畑違いのことに首を突っ込むのは野暮だということは、百も承知なのですが・・・。神宮 輝夫氏も『児童文学の中の子ども』の中で、「最低のものは、大人である作者が、その理想とする生き方をのみ語ろうとする作品である。(中略)大人の立場のみから他宗教を非難したり、政治の現状を批判したり、あらまほしい国家形態や社会図をえがくものは、大人から大人へ手渡されているかぎり意味はあっても、子どもとは無縁な芸術といわなくてはならない」と書かれています。この主張の全部に私も賛同するわけではありませんし、社会批判そのものが子どもとは無縁な芸術というのは、事なかれ主義の敷衍ではないかと正直思いますが、「大人の立場のみ」で社会問題に対してあざとい説教を子供でも見られるような環境で繰り返している様子は、子供にとって悪影響にしかならないのではないか・・・と個人的には思うのです・・・。

もしかしたら、相手は不正をしている政治家や差別主義者だから、何をいっても許される、逆になんでもっと怒らないのかという考え方が共有されているのかもしれませんし、子供にもそう育って欲しいとみんな思ってるのかもしれませんが、左派であれ右派であれ言論のTPOは守られるべきですし、そこを飛ばして政治的なお気持ち表明をすることは、思想的なスタンスで暴言を吐いていいという風に曲解されんかな・・・という不安がありますし、大人社会の暗い側面を配慮なしにまき散らすことは、善意じゃなくてDVでしょ・・・とか思ったりするのです・・・。

なんかまとまらん文章になってすみません・・・。

2024年6月11日火曜日

教育格差

 とあるポストを見ていて、やっぱり「バズりやすいポストって・・・アレだな・・・」と思いました。個人的な意見ですが、アレ関係についてはバズりやすいぶん、感情的で刺激的な議論が多く、この記事みたいにここまで冷静で緻密に向き合っている・・・内容のものは少ないなぁ・・・と感じています。まあ、私も正直に書けば、「学歴厨」は好きではありませんし・・・。

で、150万というのは複雑な問題ですし、世間をあまり知らない(しかも田舎に誘致されたような私大卒ですしね)私が口出しするような資格はないのかもしれません。でも、この国に非大卒層ってどれくらいいるんでしょうか?いくら優秀でも(国公立の)大学受験に落ちる人は落ちると思いますし、場合によっては高卒か専門卒、そして中退というルートを通って(自営だろうが雇用だろうが)まっとうに働き始めることだってあると思います。

そこらへんをすっ飛ばして、東大に入れなかった非大卒層が反社や情報商材ビジネスに走るというのは、かなりの偏見や差別意識がないか・・・ということで・・・。もうXのアレ界隈は過激な感情論が幅を利かせてる分、上に引用した記事みたいな極端さばかりが・・・と感じたりします。

こういうことにまともな引用リポストや意見を述べたポストがつくことがありますが、皮肉にもそういうものは殆ど見向きもされないというか・・・。

2024年6月10日月曜日

正しいカン

 Xにて、某作家さんの体験談(ポスト)を見ました。母親が保険金殺人を疑われたニュースを見た際に、住職さんが母親が犯人だというのです。なぜかと作家さんが聞くと、母親は息子が死ぬと泣くものだと・・・。泣かないなんてありえない、と・・・。で、母親は結局逮捕されたので、作家さんは100%じゃないが、数を見てきた人のカンは当たると・・・。第一、葬式の時に子供が死んだショックで泣けない人だっていると思います。子供の為に泣くのを(心を鬼にして)必死で我慢してる人だっているでしょう。もしくは、極現状況下で葬儀というハードワークをこなすだけで精一杯という人もいると思います。

ていうか、住職さんはともかく、こういうことを「カンは当たる」としてポストした側も、被害者遺族へのセカンドレイプを助長しているんじゃ・・・とも・・・。

 話は変わりますが、 世田谷で起きた未解決事件の被害者遺族である入江 杏氏の『わたしからはじまる』において、警察官から「事件の被害者や遺族に、何ら後ろ暗いことがないと、時に迷宮入りしてしまう」といわれた上に、「事件の被害者遺族を調べていくと、たいてい、悪事を働いていて、そこからしっぽがつかめ、事件が解決する。残念ながらこの事件では何も出てこない」と説明されたのです。当然著者は「耳を疑いました」と書いていましたし、上に紹介した住職さんや作家さんの姿勢と同じだと・・・思うんですよ・・・。大学でも「疑わしきは罰せず」という言葉を習いましたし・・・。

だからこそ、憶測だけで誰かをクロ認定するという恐ろしさは、松本サリン事件とか袴田事件とかで十分思い知ってるはずなんですが・・・。


2024年6月9日日曜日

コミュ力・・・

コミュ力はあったほうがいいに越したことはないですし、私もそれで損してるなーと思うことが、東京へ出展する際にちょくちょくあったりします。正直・・・。

で、最近興味深いポストを見ました。なるほど、退会理由がコミュ力の・・・高さとな・・・。そうですか、仲良くなりすぎることの・・・弊害と・・・。

巷にあふれる漫画やアニメを見ると、コミュ力がない奴は障害者だといわんばかりの作品ってありますけど、上で引用したポストも含め、こうした所からコミュ力万能論も・・・と感じてしまうというか・・・。それと、この記事にも感じる所はありました。確かに記事内で斎藤 環氏がいわれる通りです。共感力が低いからこそ、相手を「コミュ障(症)」とか「アスペ」とかいってイジることができるわけで・・・。なんかそうやって、最近スクールカースト下位者を自己責任論でボコるような作品を、子供を主な読者層としているような漫画でもちょくちょく見るので、ちょっと心配というか・・・。

余計かもしれんけど、それを明らかに知的障害とか言語障害とかにも向けてるケースもあって・・・。

2024年6月8日土曜日

校正ソフト買いました

 自作小説を「料理」するために、校正ソフトを買いました。まあ・・・結構値段は張りました・・・フォトショに比べたら、2万くらいは安いかな・・・と思うんですが・・・。

でも、いざ使ってみたら明らかに小説オリジナルの固有名詞まで校正のターゲットにされちゃうんで・・・使い方が難しいな・・・と感じています。で、自作小説なんですが・・・結構削りました。4万だったのが、今は2万字くらいです・・・。ある程度書いたところで、また校正ソフトにかけてみたいな・・・と思います。はっきりいえば個人のクオリティが高価な機材を使用していることに比例するなんて、正しくない例はわんさかあるし・・・。私のように絵が下手な人が、ブランド物の絵具を使っても下手の横好きレベルなのに対し、ダイソーの画材でとんでもない名画を描く人だっているわけですから・・・。

それを含めれば、結構やらなきゃいけないことがあって、キツいな・・・と感じています。まあ、自分が「肥満はテロ」という趣旨のポストを見たせいかもしれませんが・・・。なんか相手の体形を指したいじめって、小学校の時も見とるし・・・。

まあ、あのポストに関して、肥満を生理に例えていたポストがありましたが、これほどしっくりくる例えがあったかな・・・と思います。私は男性だから安直に書く資格はないでしょうが、 肥満体の人だって相手を困らせるためにそんな体形になってるわけじゃないのに、それで「生理の重さは人それぞれ」なのに「痛がるのは甘え」という人がいたら・・・どうなるかということでしょう・・・。ちょっと『チョコレート工場の秘密』という児童書でもそんなシーンがあったな・・・と感じています・・・。

 

2024年6月7日金曜日

子供は対等か

 ずっと前に読んだホラー漫画で、大人にアレコレいわれるのが嫌な少女が、学校で勉強する必要もなく、毎日遊んで暮らせる街に引っ越したのはいいけど、大人まで子供返りした結果として、大人達のありがたさを思い知る・・・という作品を読んだことがあります。現実において、子供に対して悪平等や結果がどうなっても自由の行使だけを礼賛するような大人達がいる中で、確かに漫画の主張は正しいと思いました。ただの子供が、大人への精神的自立を果たす過程がそういう所から、グロテスクで痛烈な(逆説的)表現として描かれている所は、結構刺さりましたし。

でも、いかんせん (当時の)現代っ子に対する、俗流若者論寄りの偏見で描かれていると思いましたし、実際に大人社会やルールが、子供を守るどころか、(例えるならブラック校則やブラック部活、それから虐待など)人権への抑圧や暴力として作用している部分もあるので、子供の社会に対する自発性自体を「甘え」とか「我儘」で片付けるのはいささか問題だと思います。お前ら未熟なんだから黙って従えとはいいますが、自分を含めて大人や社会は果たして子供を守り切れてるのでしょうか?子供達に暗い顔をして、痛覚で躾をしようとするより先に、まずはそこら辺の自省が一番必要じゃないかと思います。


で、最近看護師さんが「デブはテロ」というようなポストをして、それがバズっていました。なんか・・・私がふと思ったのは、うさくん先生の漫画『マコちゃん絵日記』の1巻とか、他の漫画で描かれていた太り気味の子に対する描き方です。それと、『鏡の中の少女』とか、『鏡の中の孤独』という小説も・・・。

そりゃ確かに医療従事者の苦労も想像を絶すると思うし、そういわなきゃやってられないほど医療現場というのは追い詰められてるんだと思います。コロナのこともありますし。こういう所から(一応)弁護を試みましたが、一部の医療従事者によるSNS受けしやすい典型的な患者バッシングだと思います。

それに、肥満体っつても遺伝的要因や薬の副作用、それから安いジャンクフードしか食べられない貧困層がそうなる場合だってあると思います。引用リポストがほぼ肥満叩きでしたが、中にはまともな引用リポストもあったので安心しました。引用になりますが、人工透析は自己責任だから実費負担にしろ、嫌というなら殺せとブログに書いて大炎上したアナウンサーがいましたが、まさにそれなんですよね・・・話が・・・。

2024年6月6日木曜日

トイレ掃除

 昨日学校(高校あたりです)で、みんなと一緒にトイレ掃除をしている夢を見ていました。しかも素手でタワシを持って・・・ね・・・。あれってヤバげだとは聞きますけど・・・。

そういえば、『報復』というサスペンス小説を読んでいました。結構殺し方が残虐で、下手なスプラッターより怖かったです。そこら辺を煽情的に描くより、警察側の捜査シーンとして淡々と描かれている分、痛覚がジワジワと来ました。

『報復』は一時なんか新聞の書籍広告で大々的に宣伝されてたと思うので、あの女の人が不敵な笑みを浮かべている写真が印象に残っています。今更読んだのかよ・・・という一人ツッコミを入れていますが、当時は中学生だったので・・・。

2024年6月5日水曜日

TPO

 まあ、なんで画家をやってる自分が、専門外の児童書ばっかりにいっちょ噛みばかりしてんだよという話ですが、なりたかった時期もあり、色々勉強していたことがあるのでお許しを・・・まあ、それがエッセンスの一つにもなってるんだしなぁ・・・。だからこそいいますが、大学生活がああだからって、好きなことばっかりやってちゃダメになりますよ(汗)

で、本題に入るんですが、とある児童文学作家さんが、イスラエルのガザ侵攻に相当お怒りの様子らしく、(虐殺とか重傷を負った子供達とかの)凄惨な現実をポスト&リポストした上で 、中には死体の画像もありました。で、ちょっと待ってください・・・と思ったんですよ・・・。児童書文学作家がSNSアカウントを開設してるってことは、大多数の子供が見るという可能性があるということじゃないですか?私も人のこといえませんが、ちょっとそこら辺でTPO・・・というものを・・・と感じました。

多分、私が『足もとの自然から始めよう』という本にすごく影響を受けてるからかもしれませんが、自分の行動に善意や正義さえあれば、結果はどうなってもいいのか?と・・・。再リンクながら、このポストの方がまだまともに見えます。 きちんとご自身の影響力を知った上で、保護者のサポートをちゃんと要請しているわけですから・・・。

まあ、それだけじゃなくて皮相な反自民や反貧困、反差別で弱者を都合よく利用して、お気持ち表明に事欠かないアカウントは沢山あるわけですが、都合が悪くなれば彼らを裏切るような発言をするのでマジで信用できんです・・・。

2024年6月4日火曜日

人は見かけ?

 よくあるフィクションで、「人は見かけじゃない!」という言葉があると思います。

それはそれで正しい部分があると思います。例えば、『ワンダー:君は太陽』という映画でも、顔面に重い障害を持つ子供がいじめを受けるシーンがあり、リアルでもそんなことなんて山ほどあるでしょう。現に、程度の差があれルッキズムを振りかざすメディアなんて、昔から目にしていましたし。 だからこそ、「人は見かけじゃない!」という言葉は「理想の見かけ」を加害として、そうじゃない人間に押し付けてくる武器として機能する側面もあると思います。

で、話は変わりますが、タクシーについて話題を変えます。

以前のバイトで、職場の最寄り駅にタクシープールがあったのですが、「人は見かけじゃない!」について考えて・・・しまうことが・・・ありまして・・・。

なんか路肩の出っ張りにしゃがみ、そこで将棋盤を開いて、(当然、ゲーリーじいさんのチェス状態じゃなく)二人で将棋をしている運転手さんがいたんですね。それはともかく、道に痰を吐いている運転手さんや、何が問題だったのかはわかりませんが、二人で怒鳴り合いの喧嘩をしている運転手さんもいました。正直、こんな人のタクシーに乗りたくないな・・・と思いました。だって常識に照らし合わせて・・・そうじゃないですか・・・。私も絵描きというフィールドで犯しているかもしれませんから自戒として書きますが、一部のこういう行動でタクシー運転手という職業がどういう風に見られるか、ということも・・・。

まあ、なんだかんだいっても、生物学的な問題が障害になっていない限りは、社会において「見かけ」が必要とされることって、結構あるんだなと思ったりするわけですよ・・・。逆張りみたいでイヤな書き方になっていることは非常にわかってますが・・・。

例えば、葬儀の際にアロハシャツを着てくるような親族がいたら、相手を今後どうするか?という話であって・・・。

2024年6月3日月曜日

10年間・・・

 最近、文章にしろ画業にしろ、10年間近くたってから、初めてそれがミスと気づく・・・みたいなことが沢山あり・・・ちょっと凹んでます。まあ、気づいたときからもう二度とやらんように気をつけてますが・・・。また見つからないことを祈るばかりです・・・。

今日はちょっと本屋に寄ってました。大して欲しい本がありませんでしたし、何より店内でスマホのラジオをスピーカーで聞いているおじさんがいて、なんでイヤホンを使わないのか・・・と思いました。高齢者叩きに与するつもりは全くありませんが、モバイル機器の使用マナーは、高齢層の方が・・・と思う事例がいくらかあります・・・。

2024年6月2日日曜日

間違ってました・・・

 以前、小説をコピー本形式で2冊くらい出していたと思うのですが・・・。

あれ、字下げってカギカッコは必要なかったみたいですね。無料の校正ソフトを使ってみて、初めてわかりました。 次からは気をつけます。

まあ、増刷する際には・・・と思うわけですが、PDFデータもでき上がってることだし、もう一からやり直すのはしんどいです・・・。

すいません、これまで居丈高に小説のことを論じておきながら・・・。お前はどうなんだという話がまた・・・(泣)

2024年6月1日土曜日

もう6月か・・・

 気がつけば、もう6月ですね・・・。

今(趣味の範疇で)書いている小説なんですが、素直に対人戦にするんか、それとも配慮して宇宙生命体との戦争というオブラートにくるもうか、どっちかにすべきか悩んでます。でも、ここでごまかしても・・・と思うわけです。当事者でもないのにやったらセカンドレイプにもなるかな・・・とも感じるわけですが・・・。

で、今のど飴をなめています。2袋くらい空になりました。「たたかうマヌカハニー」です。