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2024年6月12日水曜日

顔見せができない

 何か・・・私ってつくづく子供に顔見せできない大人だなーと感じたりすることがあります。

まあ・・・絵の仕事もプライベートも不安定な状態だからでしょうか・・・。イメージとしては大卒で安定した収入を築いているか、それなりに実績のあるフリーランサー・・・かな・・・。だから家庭を持つのに抵抗感があるのですよ・・・。

で、顔見せの話なんですが、本山 理咲先生の『明日が来る』という漫画では、クラスで生徒に暴言を吐く先生が出てきます。で、それが伝染して生徒同士も暴言を吐くようになり・・・という話です。

この話とダブりますが 、子供の発達段階を考慮せず、まずは自分たち大人の世界ありきで裏金問題や右派政治家、ジェンダーや家父長制とかいった「仮想敵」に対し、(ネット右翼の言動と紙一重の)えげつない糾弾をポストしたり、引用リポストしたりする児童文学作家さんを見ますが、子供に対する影響・・・というものをもう少し考えた方がいいのでは・・・と思います。私も同じことはやらかしてるかもしれないし、畑違いのことに首を突っ込むのは野暮だということは、百も承知なのですが・・・。神宮 輝夫氏も『児童文学の中の子ども』の中で、「最低のものは、大人である作者が、その理想とする生き方をのみ語ろうとする作品である。(中略)大人の立場のみから他宗教を非難したり、政治の現状を批判したり、あらまほしい国家形態や社会図をえがくものは、大人から大人へ手渡されているかぎり意味はあっても、子どもとは無縁な芸術といわなくてはならない」と書かれています。この主張の全部に私も賛同するわけではありませんし、社会批判そのものが子どもとは無縁な芸術というのは、事なかれ主義の敷衍ではないかと正直思いますが、「大人の立場のみ」で社会問題に対してあざとい説教を子供でも見られるような環境で繰り返している様子は、子供にとって悪影響にしかならないのではないか・・・と個人的には思うのです・・・。

もしかしたら、相手は不正をしている政治家や差別主義者だから、何をいっても許される、逆になんでもっと怒らないのかという考え方が共有されているのかもしれませんし、子供にもそう育って欲しいとみんな思ってるのかもしれませんが、左派であれ右派であれ言論のTPOは守られるべきですし、そこを飛ばして政治的なお気持ち表明をすることは、思想的なスタンスで暴言を吐いていいという風に曲解されんかな・・・という不安がありますし、大人社会の暗い側面を配慮なしにまき散らすことは、善意じゃなくてDVでしょ・・・とか思ったりするのです・・・。

なんかまとまらん文章になってすみません・・・。