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2024年6月14日金曜日

「ディセンダント」を観ました

 まあ・・・色々事件がある中で、犯人にも家族がいるという場合がありますが、そこからどうなるかは後において、「ディセンダント」という映画を観ました。

もし、マレフィセントやフック船長などのディズニーヴィランズに子供がいたら・・・という設定なんですが、ちょっと考えてしまいました。これって現実の社会問題を、ある意味一番生々しく反映してないか・・・?と・・・。大体厳密にいえば主人公であるマルもジェイ達も、厳密にいえば「加害者家族」に当たると思うんですよ。実際、ベンによりオラドン高校に招かれたマルが、マレフィセントの娘ということで糾弾されるシーンがありますし・・・。

単純な見方だと、「ワルは教育で変えられる!教育の力ってサイコー!」みたいな(それこそX受けする)ハッピーな見方になるとは思いますが、私はそうは思いません。大体、ヴィランズはともかく、その子供までもを連帯責任とばかりにロスト島へ教育の機会も与えずに隔離していたアダム国王の責任はどうなのでしょうか?

そして、王位継承者であるベンは、マル達をオラドン高校に善意によって受け入れたわけですが、かならず出自上どこかで後ろ指を指されるかもしれないヴィランズの子供達をサポートするということに、どれだけの覚悟と自覚があったのか?もしかすれば、マル達と同じ釜の飯を食う覚悟でベンは行動に移したのだと信じています。そうじゃなければ、偽善がばれてとうの昔に招いた相手から見捨てられていたでしょう。

現実においてあまり気がつくことはありませんが、『赤の他人なら、どんなによかったか。』とか、『羊の告解』という児童書のように、家族の誰かが犯罪者だった・・・と気づいてしまうことって、あると思います。そんな時、はたしてベンのように寛容でいられるのか。きちんと偏見なく対等に接することができるのか・・・「ディセンダント」はそんな考えを私にいつまでも植え付けてしまう映画でした。