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2024年6月17日月曜日

特攻系の映画を観ました

 人生に対して投げやりになっている女子高生が戦時中の日本にタイムスリップ、そこで(死ぬ運命にある)特攻隊員と恋に落ちる映画を観ました。何というのか、「終わりに見た街」とか「僕たちの戦争」とか、現代人が戦時中にタイムスリップする作品はいくつかありますが、本作もその一つだと感じました。

で、 当然スマホもネットもない、しかもファシズム体制下という異常な環境で拗ねた現代っ子がどうサバイバルしていくのか、そういう視点から特攻という作戦のお粗末さや、それでも庶民は諦観するしかないという戦時下社会の虚しさ、刷り込まれた愛国心より死への恐怖が勝ち、仲間を裏切ってでも特攻から逃れたいという隊員の人間臭いエゴイズムなどが、丁寧に描かれていました。

まあ・・・こうして感想を描くには色々文献を漁りまくる必要があるんですが、今はそんな余裕はないし、片手間の知識で恐縮ですが、やはり特攻に関しては「ディープ・インパクト」的な自己犠牲の美学は否めなかったし、やっぱり本当の意味での加害にきちんと踏み込めなかった、つまり「殺す側」や、「殺してもいい」環境を作り上げた側、あの時日本が周辺アジア諸国に何を強いていたのかを論理的で正直に描けない所に、本作はともかく日本の「反戦もの」の弱さと限界があると思います。多分、私が長崎人権平和資料館に行ったり、『犠牲者意識ナショナリズム』や『日本人の戦争観』という本を読んでいたり、重慶爆撃をテーマにした「エア・ストライク」という戦争映画を最近観たことがあるからでしょうけど、大体そこら辺の部分がモヤモヤした感じで描かれて、情緒的な被害者視点のみで「戦争は悲惨だ、いけない」ということに回収されていく所に、違和感を覚えているというか・・・。

上に書いたように、色々リサーチがままならない状態でこの文章を書いたので、ちょっとどうかなーと思われることは覚悟しています。見当違いのことだってあるでしょうし。

でも、その違和感はずっと感じてきたことなんですよね・・・(最近ならバーベンハイマ―でしょうか)ポスト8・6が絡んだ広島のアレコレを見てる身としては・・・。