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2024年8月31日土曜日

Locomotion danceを描きました

「Locomotion dance」を描きました。もともとはロバート・F・ヤング氏の『特別急行がおくれた日』のファンイラスト・・・というつもりで描こうとしましたが、やっぱりそういう風にはならなかったので、カイリー・ミノーグ氏の※「ロコモーション」という曲をイメージして描きました。SAW時代のミノーグ氏が一番好きなので・・・。

で、拙作の蒸気機関車はかなり変わった形をしていますが、これはガーラット式といわれるもので、 フローティング構造にしたボイラーの前後に、カーブにあわせて回転可能な動輪が置かれており、それぞれが炭水車となっています。

個人的には、(失礼ながら)殆どが喪服のような黒一色の日本の蒸気機関車より、海外の形状やカラーバリエーションに個性がある蒸気機関車のほうが好きかな・・・?と思ったりします。とくにイギリスの蒸気機関車はカラフルであるばかりか、レトロフューチャーな雰囲気を放つ流線型の車両も数多くあるので、見ていてウットリします・・・。

そういえば、昨日は台風10号接近ということで、殆どの公共交通機関が動いておらず、車だけが道路を行きかっており、かなり異様な光景でした・・・。早く過ぎ去ってくれるといいのですが・・・。

 


2024年8月30日金曜日

第3軌条の話

 SF作家ロバート・F・ヤング氏の短編『特別急行がおくれた日』では、(いささかネタバレになりますが)とあるキャラクターが集電用のレールをうっかり踏んで感電死し、その仲間が「くそったれの第三レールめ!」と毒づくシーンがあります。

そこで思い出したのは、『ロアルド・ダールの鉄道安全読本』なんですよ。あの本でも第3軌条に接触すると感電する危険があるから、絶対線路に入ってはいけないという趣旨のことが書かれていましたが、まさにそれだなと・・・。Xにおいても、過去にモノレールや地下鉄のホームから線路に降りて写真をアップしたおバカな子達がいましたからね・・・。まあ、私もおバカゆえにそこまでではありませんが、過ちを犯すことはあるので自戒もこめてそう書くのですが・・・。

日本においては地下鉄や一部の私鉄路線が、線路の横に設置された第3軌条から集電しており、その殆どはホームドアでがっちりガードされています。それでも、ホームドアが整備されていない所もありますが、個人的にはインフラ頼りだけでは限界があるかな・・・と思います。要するに、線路には絶対降りてはいけないという、日頃からの意識の徹底も必要要素ではないかと・・・。

同じく、(こちらは児童書ですが)筒井 康隆氏のSF『うちゅうをどんどんどこまでも』では、(これもちょっとネタバレ)で恐縮ながら大人の教えに背くことが教唆されていましたが、実際にそれを実行すれば社会や親に多大なツケを払わなければいけないという冷厳な現実が待ち受けているだけでしょう。こういうことは文化的な特権意識を持つ大人達にとってありがたがられるフシはありますが、ルールを守るのがつまらないからと不貞腐れた子供と、そんな大人の共犯関係に待ち受けているのはパラダイスなどではなく、後者なのです。

 いや・・・たかだか鉄道ネタでこれだけ愚痴れた自分に感動するわ・・・。もちろん、自画自賛じゃなくて皮肉の意味で・・・ですけどね・・・。



2024年8月29日木曜日

ちょっと北上しました

 昨日はちょっと北上しました。新幹線の車庫がある所くらいです。その近くにはイオンモール広島府中があるのですが・・・昔はダイヤモンドシティ・ソレイユでしたが、昔はよくいってたな・・・と思いました。

で、以前言及したオンライン美術館の話ですが、どうなんかね・・・?と余計な憶測を・・・してしまいます。多分、クラファンが成功してプロジェクトが遂行できたとしても、個人的には間違った方向に進みはしないか・・・?と思います。だって、ギャラリーを経営するのって、そういう話じゃないでしょ・・・?みたいな感じがせんでもないんです。

うーん・・・やっぱりちょっと気に障ったのは、金ですよ、金の話・・・。自分だって正直、現状お金に困ってるわけじゃないです。ですが、これまでコツコツ貯めたバイト代で出展料(と、旅費とか宿泊費とか、それから作品の輸送費とか)を収めてきた身としては・・・何か認識が違うでしょ?みたいな・・・。

まあ、86人の絵師さんの面倒を自腹で見るといったからにはもう引き返せないでしょうし、お互いが不幸な思いをせんようにとは思います・・・。

 

2024年8月28日水曜日

最近の話です

 最近、近所に押しボタン式の信号があるのですが、それが普通の信号になっています。寧ろそっちの方が使いやすい・・・というか・・・ね・・・。

そういえば、『メダリスト』の11巻を読んでいて、かなり印象に残る・・・というか、刺さるセリフがありました。環境に恵まれてるやつ・・・の所なんですけど・・・。かなり考えてしまいますよね・・・。

まあ・・・創作界隈でも実際に「知らない」、「わからない」人がいて、個人的によく目にするのは、(いるかちゃんの受け売りになりますが)「環境のアドバンテージに気づかずにすべて自分の実力だと思ってるやつ」だったりするんですが・・・。それが一番見やすいですよね・・・。

で、なんか『もしもし、てるみです。』で「牛田さん」が出てくるじゃないですか・・・。あれ、「うした」って読んでたんですよ・・・恥ずかしながら・・・。

何故かというと、広島に同じ名前の地名があり「うした」という読みでしたから・・・。

 


2024年8月27日火曜日

◎ゴリラをまた描きました

 フォト絵本『こんにちは どうぶつたち』(作:とだきょうこ氏 写真:さとうあきら氏)より、ゴリラの写真をデッサンしました。下にアップしましたので、どうかご覧ください。


 苦労したのは、目の下にある皮膚の凸凹・・・でしたね。最近、『カラー&ライト』という本を買って、その内容をまとめてるんですが、細かい凸凹、つまりテクスチャのあるフォームが日光で照らされている所を描くときに、よくあるミスが皮膚のテクスチャを全体に同じように乗せてしまう所・・・と書かれていまして、で、なんかテクスチャのアレコレが続いていたんですが・・・自分としてはある程度光の法則には従えたかな・・・とは感じますが、まだまだそこら辺が小学校でよくやる酒井式のアレを出てないので、同じ動物としてのナチュラルさを・・・と思います。まあ、テクスチャにおけるハーフトーンがどうたらこうたら・・・次は気をつけよう・・・。

で、デッサン関係で、『うまく描くの禁止!』で、ちょっとショックを受けることが書かれていまして・・・。目的がないデッサンはただの逃避行動・・・なのか・・・。いや、私としては自分の得意分野ばかりじゃなく、寧ろやらないから必要ないとしている対象こそ挑戦すべき・・・という考えでやってたんですが・・・そうですよね、好きなものも好きでないものも、平等にやるべきだったというか・・・。 

話はまた大きく変わってすみませんが、結構耳の痛い話題も取り入れるべきだ・・・と思い、群像の今月号を買いました。なんか私の大学の先生が、デッサンについてお話をされていたので・・・。こんなコンクールが開催されている(正直、定員割れとか学校法人のことで含む所は色々とありますが)地元の高校生達は、結構恵まれてるなと思います。で・・・色々考えてしまいました。単に逃避行動になっているのなら、私のやってきたことはもしかして、作品への学力になっていないのではないか・・・とか・・・まあ、間違ってきた努力だったら、どうすりゃいいんかね・・・とか・・・。オンライン美術館についてあれほど書いといて、これだからな(汗)

2024年8月26日月曜日

デスゲーム的な話

(一部文章を書き換えました)

  なんか最近、木澤 佐登志氏目当て(と長期主義批判みたいな特集に興味を持って)で現代思想の最新号を買ったんですが、Xを覗いてみて、同じような発想に基づく(社会に対しての)提言じみたものなら山ほど見るじゃないか・・・と思ったりするわけです。最近の例でいえば、とあるフリーゲーム制作者でした。

で、木澤氏と言葉がダブるようですが、社会が平常運転されているそうじゃない時に、デスゲーム寄りの極限状況を突き付け、非情ともとれる二者択一を適応すべきだという話ですが、現実においても大規模な災害や戦争、そしてパンデミック下のように同様の状況は発生しており、どっちかといえば苦渋の決断として、トリアージ寄りの冷たい決断が行われることがあります。前者が本当にタチが悪いな・・・と思うのは、誰かがやむなく死ぬという状況で、良心のジレンマ(もっと雑にまとめれば、心の痛みとか後ろめたさ)に悩むことがなく、むしろ善意や逆張りの優越感として、リベラリズムへの愉快犯的な態度でその理念を振りかざしている所だと思うのです。

世の中にはネットのぬるま湯で好き勝手に過ごしながら、人権や福祉の理念、倫理的なことを理性派ぶりながら腐し、自分に関係ない所で誰かの生き死にを選別するようなことを、社会の健全な運営として堂々と主張できないことに被害者意識を抱いているネット論客崩れを大勢見かけます。トロッコ問題とはいいますが、多分彼らが線路上にいる作業員になることを想定はしてないんでしょうか?だからこそ、余計に声がでかくなるというか・・・。

不勉強な立場で色々余計なことを書いてしまったかもしれませんが、私からすれば命や生活の安全が保障されている中で、自分が有している特権が他人にも保障されていないという状況を自覚せず、寧ろ「なぜ人を殺してはいけないのか?」と大人に真顔で問う子供を想像してしまうのです・・・。

まあ・・・現代思想のみならず、『デジタル生存競争』を読んだからということもあるからでしょうか、色々書いてみたいな・・・という思いがありました・・・。



2024年8月25日日曜日

「どうせ殺るなら・・・」を描きました

 「どうせ殺るなら・・・」を描きました。

最近プライベートで色々あり、ちょっと気が立っているせいか、なんかそこら辺でのお気持ちがダイレクトに反映されています。つまりダイレクトな残酷描写や性描写があるので、それでもいいという方は、「続きを見る」をクリックしてから見てほしいということです。

2024年8月24日土曜日

夢とか借金とかの話

 今日は・・・2回目の更新となります・・・まあ・・・やっぱり書きたいことがありまして・・・ですね・・・。色々こっちも覚悟はしています・・・。

 こちらの話ですが、オンライン美術館を開きたいという趣旨のポストを目にしたので、それについていっちょ噛みしたい・・・ということを最後に書いたと思いますが、試しに公式サイトを見ました。

・・・まあ・・・私もあんましクラウドファンディングがまだ始まってもない、サービスが開始されてもない状況で、足を引っ張るようなお気持ち表明するのは・・・とは、思いましたが、色々なギャラリーの企画展に出展・個展を開催させて頂いた身としては「ちょっと待てよ」と感じることが色々ありました。なんかそちらに出展される絵師さん達の心情を傷つけてしまうかもしれないし、そこら辺から生じているクリエイタースピリットみたいなものに冷水を浴びせてもいいのか・・・そんな後ろめたさや背徳感もありますが、やっぱり自分としては考えてしまうことは色々とあったので・・・。

これ、正直にいいますが、個人的にはPixivのBOOTHとかで作品をアップ・販売した方が、手っとり早くない・・・?と思いました。その他にも、ネット上ではまともな組織が提供している作品販売・発表サイトも色々とありますし、リアルでも、(貸・企画を問わず)真っ当な運営のもとに成り立っている画廊が日本中には数多くあるので、絵を描いてお客様に発表したい・売りたいというのであれば、そうした所をちょっと苦労をしてでも探した方がいいと思います。出したことはないですが、コミケとかデザフェスとかもありますし。そっちのほうがハードルは高いし、コストも当然ある程度はかかりますが、それがなくてお金だけがもらえるという方が闇が深いと思います。前者の方が、見てもらえるチャンスは高いと思いますし・・・。

現代アーティスト崩れの自分がこんなことを書くのは果たしてどうか・・・と思いますが、自身のビジネスについてフラフラな感覚で「夢」とか「情熱」とかいう言葉を声高に語り、結果として絵師さんとのアレコレ(金銭関係とか報連相関係とかです)で何かあったら責任とれるのか・・・?とか、 問われてるのは「覚悟」ではなくサービスを享受した側に対し、ちゃんと義務を果たせる能力(を備えている)の証明なのではないのか・・・?とか色々疑問が湧いてきまして・・・。

私だって大して学もないし就職もしてない分、色々とフラフラしている部分があります。人様に迷惑をかけてしまったことも色々あります。ですが、やっぱし(無償であれ有償であれ)仕事というのは信用とか責任とかをお金で買う部分が生じるし、それを親に借金(!)とかクラウドファンディングで開催して集金とか・・・。だからこそ、マージンや出展料はきちんと頂きますということなのに・・・。

でも、だからこそ、自分の「夢」を人を巻きこんで叶えようとする前に、その人にはちょっと踏みとどまって再考してほしいかな・・・と個人的には考えたのでした・・・。絵師さん達と万が一変なことになる前に・・・。すいません、(最初にも書きましたが)まだまだ始まる前からこんなこと書いちゃって・・・でも、私としては、色々違和感があったので・・・。

最後にもう一つ。絵師さん達に金銭的な支援がしたいというのであれば、普通に作品を買うかニーズが生じた時に依頼させて頂くというだけでいいと思います・・・。


認知機能のせいですか

 なんか・・・政治家が「記憶にございません」ということを、「認知機能の低下」と揶揄するポストを見ましたが、こういうのってホントに脳機能関係の障害に対する侮辱に繋がるということをわかってないと思うし、本当にあそこら辺(特に創作系)の愛国有理と紙一重の、独りよがりな正義感と攻撃性に愛想が尽きそうというか・・・。まあ・・・安倍氏の持病である大腸炎についてもそれを免罪符にして、安倍氏の不祥事そのものを擁護するポストがあり、「なんだかなぁ~、それとこれって違うでしょ」と思っていたわけですが、右派のモラルハザードを批判する際に、同じ(差別や人格攻撃などの)モラルハザードを犯すことには寛容な一部の先鋭化した左派には正直、そうした右派と同じ穴のムジナとして扱いたい気がほんのり燻っています・・・。

DNAを炙り出すとか人間の血が流れてないとか、今みたいに認知機能が低下してるとか・・・それ、移民問題や性的マイノリティ、ジェンダー等に関して差別的な言動を弄してきた人らと同じ民度じゃないですか・・・。なんか、(こんなこと書きたくないですが)洋介犬先生あたりの漫画で揶揄されそうな感じが・・・せんでもない・・・。

そういえば、矢玉 四郎氏のことですが・・・そうですか、私も矢玉氏の作品は「はれぶた」以外にもたくさん読んでましたよ。あんびるやすこ氏や大海 赫氏など、児童文学作家の中には自分でイラストも担当される作家さんもいましたが、そうした作家さんと同じように、「はれぶた以外」と書きましたが、「その人の絵じゃないと・・・」と思わせる強さを、矢玉氏は持っていました。「ねこの手もかりんとひとつ」や「どこでもでんしゃ」、「しゃっくり百万べん」とかも、すごく楽しませてもらいました。

で、こういう所から『まんだくんとマンガキン』で井上 洋平氏がイラストを務められた時に、ちょっと違和感が湧いたんですよね・・・。別に悪いという意味では全然ないのですが・・・。

それから・・・オンライン美術館・・・やっぱり何かを失う覚悟で、明日あたりに書いてみたいな・・・そんな感じがします。だって、絵師さんのお仕事にあんな形でお金を出すってのは、理想における認識と責任感が釣り合ってないでしょ!?と思ったりして・・・。

こういう所から、noteとか公式サイトととかを見て・・・正直頭を抱えてしまったもので・・・。

2024年8月23日金曜日

胸糞の悪い話

 なんか、トラウマ児童書なるものが時折ネット上で話題にわりますが、小学生のころに木暮 正夫氏の児童書『一丁目のおばけねこ』がかなり怖い・・・というか「幽霊(オバケ)」そのものではなく、社会問題とかそういう悪意の描き方に対する胸糞の悪さの方が強く感じられる作品がありまして・・・。

(いささかネタバレになりますが)本作は真犯人が最後まで明確に成敗される様子が描かれず、やり場のない怒りと痛みだけが残った状況で幕を閉じるのですが、安直なお仕置きが描かれるより、悪は時として逃げ得を味わうというリアリティを突き付けることが、寧ろ読者の倫理観を醸成する大きなチャンスになっていると思います。

本書が刊行されたのはもう30年以上前のことですが、小市民的存在が相手の非につけこんで振りかざす排除の理論、正体を明かさない卑劣な悪意など、今の社会にも十分通用する風刺が込められています。

なお、『一ちょうめのおばけねこ』から始まる『おばけ横丁シリーズ』では、幽霊はただの復讐者や友達として描かれるのではなく、犯罪や戦争などのバックグラウンドが、作者のまっとうな倫理観と怒りに基づいて描かれているので、安直な「おばけもの」にはない重みがあります。こういう所で、どこか西 尚美先生の漫画『あかりとシロの心霊夜話』のような雰囲気を感じますね・・・。

2024年8月22日木曜日

爆買いしました

 昨日は書店で、背景関係の本を爆買いしました。1万ギリギリくらいしましたが、それでもいい投資にはなったと思います。なんか・・・光の当て方があのままじゃいけん!と思ったので・・・。なんか、お金を頂くことについてかなり考えてしまっています。今・・・。

で、最近オンライン美術館みたいなものをXで見ました。なるほど、クラファンとか借金で・・・足りない分を・・・これについてはいっちょ噛みしたい所がかなり個人的にはあったので、次の文章で書こうかどうか・・・迷っています・・・。

2024年8月21日水曜日

なんかねぇ・・・

 なんかねぇ・・・最近コインランドリーに行く機会が多くなりました。

今日も色々ありそうなんで・・・多くは書きません・・・。

いや・・・単にネタが無いだけなんですが・・・。

2024年8月20日火曜日

今日は色々とあります

 今日は色々とあるので、余り文章は書けないです。

ですが、デジタルとアナログの両方が・・・何とかできそうな・・・感じです。

自画自賛・・・。

2024年8月19日月曜日

◎「Garden of remembrance」のファンイラストを描きました

 この度、短編アニメーション映画「Garden of remembrance」目当てに、「ひろしまアニメーションシーズン 2024」へと行ってきました。

なので、本作のファンイラストを下にアップいたします。

最初に「Garden of remembrance」の感想を書いておきます。あまり書くとネタバレになってしまうので詳しくは語りませんが、「喪失」に対する当事者の想い・・・みたいな描き方は、どことなくウルフ・スタルク氏の絵本『おねえちゃんは天使』とか、「ラブリーボーン」や「オールウェイズ」という映画を思い出しました。そこら辺は一歩間違うとケータイ小説的な、皮相な死生観に基づいたお涙頂戴に堕してしまうことがありますが、そうした偽善が付け入る余地のない重みがありました。

なお、拙作の話になりますが、なぜミニチュアの機関車(決してあの3人が巨大化したわけじゃないです。念のため・・・)なのかというと、これは「きみ」がエレキギターを嗜んでおり、同じ音楽関係ということで、音楽プロデューサーのストック・エイトキン・ウォーターマンのメンバーであるピート・ウォーターマン氏が熱烈な鉄道模型マニア(結構大きなものがありました)という所からのオマージュ・・・みたいなものを目指しました。果たして作品の空気にあわせられたかどうか・・・。心配です・・・。でも、ストック・エイトキン・ウォーターマンは好きなんで・・・。

まあなんていうのか・・・ファンイラストといっても、私の場合は焼肉にジャムをかけました・・・みたいなものが本当に多いです。独り善がりだということは自覚していますが・・・やっぱり観たという意思表明は・・・やっておきたいじゃないですか・・・一応・・・。 それに、一番前の機関車の窓は・・・許してください(泣)


2024年8月18日日曜日

テロに敗北するのか

 なんていうのか・・・産経新聞の「新テロ時代」という連載を読んでいて、ローンオフェンダーなんて英語で呼ぶ必要はなく、単純に「単独型殺人犯」と日本語で呼べばいいんじゃない?と思いました。

それと、 とあるネット上の記事でこうした所から(安倍氏の国葬や新興宗教が孕む問題などの)社会問題が露呈されることが、「とっくにテロに屈している」と指摘されていましたが、正にその通りだと思います。模倣犯にしても実際に、岸田首相がターゲットにされた事件がありましたし。

判官贔屓にすぐ流される国民性もありますが、動画の違法アップロードということにもかなり考えさせられるものがありました。私もアニメやドラマのMAD動画をゲラゲラ笑いながら見ていたクチですが、こういう時だけデイリーモーションに番組の内容をアップしたことを、権力と戦っているという認識であれば、そういう人間性自体が社会との戦いだと思います。やった本人は反権力という「偉業」を成し遂げたつもりでしょうが、私個人から見れば、漫画やアニメを違法アップロードしているセコい輩とほぼ同類だと思います。

で、「新テロ時代」の話に戻ります。こういう所から治安が非常によく、テロ空白地帯の日本があのような事件に右往左往し、(社会との折り合いをつけ、犯人を社会に曝け出す道を閉ざした外国とは逆に)責任概念のない報道の自由ばかりが振りかざされて、結果として凶悪犯罪をダシにしたお粗末な政権批判や社会批評がネット上で繰り返されているわけです。

これだけ(いささかな皮肉も込めて)日本が平和な証拠だということかもしれませんが、テロの実行者に寄り添いながら国家権力と戦うような姿勢を見せるような人達は結構卑劣だなぁと感じています。みんな、殺される側に入ることを勘定に入れてない・・・そのぬるま湯の中から、関係ない誰かが仮想敵を殺すことを期待している・・・そんな特権意識みたいなものがチラチラと見えるというか・・・。

 

 


2024年8月17日土曜日

色々と覚悟を決めます

 今日は色々と覚悟を決めて、(朝になったら)外出しようかと思います。

・・・なんか結構プライベートではちょっと動きがありそうなので、そっちを今度は大事にしていきたいかな・・・とも・・・。 

今日の文章はこれくらいにしておきます。なんか緊張の方が大きいので・・・。

2024年8月16日金曜日

何か色々・・・

0時を超えたばかりですが、 (だからこそ)昨日のことについて書きます。

なんか・・・プライベートで・・・もうちょっと考えてからやれよ・・・みたいなことがあって、結構猛省しております・・・。そりゃ昔のことがあったからといって、疑ってかかるのは・・・かなり大人げなかったなと・・・。つくづく、自分が嫌になる・・・。

で、これなんですが・・・終戦のタイミングを狙った、というわけじゃないですけど・・・。 

確かに、「やられたこと」ばかりが強調され、「やったこと」をあやふやにし続けてきた所は、結構問題があると思います。自分だってこの文章で最初書いたように、自分の非にアレコレ言い訳したり、棚上げしたりするようなことがあるからこそ・・・なんですが・・・。

で、そういう所から「戦争反対」を叫んでも、加害国として近隣アジア諸国から(時として)冷たい目を注がれているという事実に照らし合わせると、被害者意識ありきで醸成されてきた反戦観に、果たして現実に起きているジェノサイドや侵略に対して効力はあるのかどうか、正直疑問に思っています。1945年の夏で止まったまま、そのテンプレで今の複雑化する戦争の事情を語ること自体も、(かなり酷い例えですが)T型フォードしか知らない人がテスラを同一視して語るようなもの・・・だと感じたり・・・。

そこら辺から、ウクライナやガザに広島や長崎、東京大空襲などの無差別爆撃を重ねることはあっても、(かつての)南京や重慶にそれらを重ねて考えることって、果たしてきちんと私達はできていたのかな・・・と考えるわけです・・・。

2024年8月15日木曜日

◎ゴリラのゲンキを描きました

 今から台風が首都圏から東北にかけて上陸するみたいで・・・、結構それが心配です。自分事じゃないのに・・・。

それはそれで、長尾 充徳氏の児童向けノンフィクション 『ゴリラのきずな』より、ゲンキというゴリラを描きました。私も京都の動物園には2回ほど行ったので・・・。で、下にその画像をアップしておきます。

まあ・・・顔だけのデッサンですが(汗)、それでも毛並みとかは頑張りました。

「モンスターズ・インク」ではサリーの毛並みを表現することに力が割かれていると、どこかの解説本で読んだことがあります。で、ゲンキの顔まわりのフサフサを描いている時に、それが頭をよぎったというか・・・。何か最初はニホンザルっぽいな・・・と思いましたが、それを打ち消すために、ゴリラ特有の顔のゴツさを描きこんでいきました。なので、(自画自賛は論外だと思いますが)ニホンザル化はかろうじて避けられたと思います(笑)

で・・・ちょっとしたお気持ち表明をしておきたいです。本文章で「モンスターズ・インク」について触れましたが、ピクサー(とディズニー)は滅茶苦茶凄まじい表現力を有しているのに、そこら辺を爆発とか銃撃戦とか、ニッチ受けする所にすぐ使わんのがいいと思います。どっちかというと、そこら辺とは対極にある分野で最高の技術を提供しているのがいい・・・というか・・・。ニッチ受け・・・まあ、私もそういうのは好きなんですが・・・。


2024年8月14日水曜日

色々覚悟の上でいいますが・・・

 最近、なんか財務省が能登半島地震の復興関係でなんかやらかしたみたいで、ネットが荒れてますね。「コスト削減」・・・そりゃ怒るわ・・・。

まあ・・・私も地方都市在住者としてかなり溜息は出ましたし、東京という場所の立ち位置や、 そこに住んでいる人(だって、私と同じように生まれた場所で想いを持って生きているという点では、全く同じでしょう)を非難するつもりはありませんが、財務省が被災地に向けた言葉を見ると、関東大震災100年とか、東日本大震災10年とかいった所で発生するムーブメントに素直に乗れない自分がいます・・・。東北地方の太平洋側が主な被災地だった東日本大震災でも、首都圏に住んでいる人や周辺自治体自体にも、自分事(東日本壊滅の危機や計画停電等)として降りかかってきたので、そうなるわけで・・・。

ああそうそう、公金投入に関してのアレコレですが、 経済オンチの自分がこんなこというのはなんだとは思いますが、万博はともかく、政治家の私生活や自衛隊の戦闘機(あるいはミサイル)と庶民や貧困層を比較した上での権力批判をよく見ますが、それも個人的には雑な概念だな・・・と感じています。格差は是正されるべきですし、権力者の間違いは糾されて当たり前です。ですが、そこら辺が「恵まれた人間」を攻撃するという、溜飲を下げるための(内輪受けする)犯人探しに堕している場合があるので、そっちにも含む所はあります。元ソースはき○こ氏だったしねぇ・・・。

まあ・・・「恵まれてそーに見える人間」への敵愾心を煽る言説なら、ネットで色々と見ますね。なんか『フローラとパウラと妖精の森』という児童書を久しぶりに思い出すよ・・・。

2024年8月13日火曜日

どうしようかねぇ・・・

 まあ、南海トラフ地震のことがあるので、色々どうしようかねぇ・・・と思うことはあります。外出だったり、行きたい所だったり・・・。もし何かあったら100年とか10年とかいう境目で、あんな風に騒いでくれるのか・・・みたいな・・・。

で、 ちょっとある漫画家さんのブログ記事を見て・・・確かに、そうだな・・・と感じました。確かに、承認欲求とかお金の関係とかを正しく理解しておかないと、(漫画家さんのいう通り)そこら辺をつけ狙うビジネスがかなりあるので、気をつけておかねば・・・と痛感しました。

前にもちょくちょく書きましたが、私が見ている分野の限りでも、ギャラリーが高額な出展料とひきかえに海外の企画展に誘ってくる・・・みたいなものがあるので、そこら辺を・・・みたいなものがあります。そこまで悪質ではありませんが、1回くらい関係を持った自分もバカかもしれんな・・・。

 

2024年8月12日月曜日

長崎の話

 なんか、広島とは違ってイスラエルを招待しなかったので、長崎の市長さんがXで絶賛されていたのを見ました。でも・・・結局こうじゃん・・・と・・・。ミャンマーとかシリアとか・・・。東大法学部とか関係ないだろ・・・。こういう所から、リベラル勢の悪い癖が露見してるな・・・とも・・・。

それが現実だからそういう発想で臨めというわけじゃないですが、結局は、みんなが期待しているような「情」ではなく、政治的なアレコレは「打算」でまわっていることが事実だったりします。だからある程度は政治家であれ政治的問題であれ、理想のシチュエーションや(支持に値する)人物が現れた時こそ、距離を取って冷静に考えることが必要だ・・・と思うわけです。

こういう所から、右であれ左であれ、感情的に政治的トレンドを持ち上げている風潮には冷水を浴びせることも必要かな・・・とも感じています・・・。

 

2024年8月11日日曜日

◎「つもりんとカントク」を描きました

 

水あさと先生の漫画『デンキ街の本屋さん』からファンイラストを描きました。

なんか・・・あれは辛かったし、水先生は泣き顔がすごく上手いので、マジでヒリヒリしちゃいました・・・。その距離感を何とか描こうとしたかな・・・とも・・・。屋根のトーンを描くのが地獄でしたが・・・。

なんかこれが女の子同士の「きゃっきゃうふふ」ではなく、きちんとキャラクターが自立した個人として、時には「優しくない、厳しい」ことをはっきりシチュエーションにあわせていう・・・所が好きなんですよね・・・。大体は上手くいくんですが、やっぱりつもりんのように「負け」を認める描き方も・・・と思いますし・・・。「インサイド・ヘッド」というアニメ映画でも、「悲しみ」という感情はなぜ本人の成長に必要なのか・・・きっちりと「ヨロコビ」の独善を通じて描かれていましたし・・・。

さっき書いた、「優しくない、厳しい」ことですが、私だって癒され系の漫画やアニメは好きです。あんまり辛口でシリアスな演出だけが先行しているのも・・・とは思いますが、そういう都合の悪さもストーリの良さとして取り込める耐性がないと、結局は(また同じリンクを貼りますが)こういうスパイラルに陥ってしまう・・・そう感じます。

2024年8月10日土曜日

いつからが評決か

 不謹慎な話ですが、「アーマード・コア ヴァーディクトデイ」というゲームがあって、「ヴァーディクトデイ」の部分は英語で「評決の日」という意味になります。

で・・・今、南海トラフ地震のことで、まさにいつそれが来るのか・・・という感じになっておりまして・・・。

南海トラフ地震については、現在色々情報が錯綜しているとは思いますが・・・巨大災害は無差別に、無予告にやってくるので、一応覚悟は決めています。一番個人的に許せないのはこれだよ・・・。リプライにもある通り、収益化から何もかも壊れ始めたと、私も思います。ネットが金儲けで汚されるという構図は、他のコンテンツでもありましたけど・・・。

で、話は変わりますが「死んでください」のアレの話をしましょうか・・・。私自身、大したファンでもありませんが、門外漢がいい加減な知識で障害名を振りかざすのは正直、不快極まりないです。昔から障害者や特定の属性が、スケープゴートにされてきたことはお決まりの構図ともいえますが・・・。こんなことは正直書きたくないですが、専門知についての発信はそれに対して職業的な信用と責任が科されており、まっとうな倫理観を有しているプロフェッショナルの特権にすべきでは・・・と感じることもしばしばです・・・。

それと、アカウント名すら書かれていない「ネットの声」や「匿名」の専門家の発言を使って、炎上した相手を燃やしては捨てるという一部のネットメディアのやり方は、どこかで破綻するのでは・・・と思います・・・。

2024年8月9日金曜日

地震・・・

 まあ・・・昨日ありましたね・・・地震が・・・。九州に近いと、揺れるんですよ。ここも・・・。あのモバイル機器のサイレン音もマジで怖い・・・。あの時は外にいてそんな揺れませんでしたが、子供がパニックで泣き叫んでました。

で・・・今も南海トラフ地震とかいうもので、怖くて寝れてないです・・・。

ていうか、モンスターエナジー飲んだせいもあるんですけどね(笑)デッサンやってるけど、動物へのチャレンジって、どれくらいメリットがあるんだろーか・・・。おバカゆえの疑問・・・。

2024年8月8日木曜日

来月のことを考えています

 まだ8月は始まったばかりですが、もう来月のことについて考えています。

金や絵のことが絡むと・・・ひと目長期的に見えることでも、過ぎ去る時間はあっという間ということがあるんで・・・。

だからキャンバス画に今は集中しろよ・・・という話ですが(笑)

その前にちょっと寝ますね。寝ないと後でツケが回ってくるので・・・。

2024年8月7日水曜日

大きな声が勝つという話

まあ・・・イスラエル招待の話ですが、こういう記事こういう記事を見て・・・そりゃそうだよね・・・と思いました。なんか歪んだ形で犠牲者意識がシェアされて、軍拡や虐殺の正当化に使われる可能性はあるわけでして・・・。そりゃ「ピースウォッシュ」とか、「ダブルスタンダード」とかいわれても仕方がないよね・・・と・・・。じゃあなんでロシアやベラルーシは招待しなかったのか・・・とも・・・。

今求められているのはこうした冷静で批判的な声だと思いますが、平和記念式典の最中に太鼓を叩き、マイクで絶叫している方が悪目立ちしやすい・・・という現状はあると思います。正直にいえば、被爆都市を巡る地元(つまり広島)のスタンスには諸手を挙げて賛成はしていません。ですが、それに対する反対行動(の一部)も常軌を逸しているのは確かです。

毎度恒例の警官に守られて脊髄反射の反権力シュプレヒコールをがなりたてながら歩いている団体を見た時、やっぱり真面目に向き合っている奴のやられ損じゃん・・・と正直私は思いました・・・。 

そういえば、作品を今キャンバスとiPadの両方で制作していますが、デジタルの方が早く完成しそうです。やっぱりアナログは・・・レイヤー機能がないのが・・・キツいなと・・・。アレがあれば、主線を気にせず塗れていいんですが・・・ね・・・。


2024年8月6日火曜日

イスラエルのアレコレ

 Xを見てると、まあ・・・それはそれで正論なんですよね・・・。虐殺の加害国であるイスラエルを平和記念式典に招待するなというのは・・・。ロシアやベラルーシは見送ったのにねぇ・・・。

でも・・・なんかそれで、政治的に過激な意見表明がしたい人達に、まーた広島が・・・地元が食われてるな・・・とか思ってしまうんですよ・・・。特にネット上じゃ・・・。デモのこともあるし・・・。もう8月6日前後が来るたんびに、どうしてこう不快な思いをしなければならない・・・のか・・・。いつも目立つのは声だけ大きな人達です・・・。

ですが、『犠牲者意識ナショナリズム』とか、『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する』とかは別ですよ・・・。 そういう安易な視線とは正反対のスタンスですから・・・。

2024年8月5日月曜日

9月1日目線

 


「9月1日目線」という作品を描きました。何か色々と・・・覚悟してやったような気はします。

まず最初に断っておきますが、私は東京という場所には非常にお世話になってきましたし、沢山の方々から多くの親切を頂き、感謝にたえない気持ちです。馴染みの深い場所だってあり、行く時には広島で生活している時よりもワクワクすることがあります。

だからこそ、これから拙作について語ることは、東京という自治体の立ち位置や、東京で生活されている方々を攻撃する意図は一切ありません。もし感じられたら、大変申し訳なく思います。 

本題に入りますが、去年の9月1日前後は関東大震災発生から100年ということで、ネット上でも新聞でも、それに関係した様々な特集が組まれていたと思います。確かに、首都圏が甚大な被害を受け、その犠牲者数が日本の近代史上で(未だに)最大数を記録しているということや、特定民族へのジェノサイドまで誘発(それを公権力やマスコミが煽った!!)してしまったことなどから、問題視すべき事柄が多数存在することは理解できますし、関東大震災に関して知らないで済まされないのは当然のことでしょう。

ですが・・・地方都市在住者として、少しだけ別の考え方がよぎったのです。これまで、日本は数々の災害に見舞われてきました。関東大震災100年、東日本大震災10年とはいいますが、阪神淡路大震災はともかく、戦後間もない時に起きた福井の大震災や、伊勢湾台風、最近の例でいえば熊本地震や西日本豪雨、それと能登半島地震ですが、果たしてそれだけの力を入れて伝えられているのだろうか・・・?と・・・。それと、都合のいいタイミングで防災やメディアリテラシーといった概念を、コンテンツとして便乗することばかりが優先されていないだろうか?とも・・・。確かに関東大震災も東日本大震災も、それだけのインパクトと被害をもたらした災害であることはわかるのですが・・・。

最初に書いたように、だからといって私は東京やそこに住んでいる人を糾弾したくて、拙作を描いたわけではありません。ジェノサイドの問題も「存在しなかった」というトンデモ発言が飛び出す中で、きちんと現実を学んでいくべきですし、加害者たる立場の日本人として知らんぷりは許されません。

 ですが、全ての災害で受けた被害や被災して死んだ人の重みは皆平等だと私は思うので、そうした思いを一つの幽霊画として表現いたしました。

少しナメてるかな・・・と思われるかもしれませんが、これは「キャスパー」という映画や、『花田少年史』のように、死者をポップに描くことで死の重みを表現した良質なメディアがあり、そうした作品が好きなのでそれらへのオマージュ・・・といった感じです。まあ、他の作品でもこの手法は使っておりますが・・・。なお、こち亀のアニメ版でも、関東大震災で死んだ幽霊の少女が出てきましたね・・・。

なんかまとまらない文章になってしまい非常に恐縮ながら、それだけではなんか不十分だと思うので、もし時間があれば関東大震災発生当時の渦中を描いた作品を描きたいな・・・とも感じています・・・。

『作家と差別語』と、今後の予告

 『作家と差別語』という本をまた読んでいますが、首がもげるほどうなずいています。

作家の特権意識みたいなものには・・・特に・・・です・・・。別に警察に捕まって拷問や処刑されたわけでもないのに、どうしてみんな自分をスーチー氏みたいに見立てることができるのか・・・という疑問は、他のクリエイター関連の情報を見ても感じていたわけで・・・。

基本的に、表現の世界にタブーなんかないというのは神話だと思います。実際にセンシティブな分野に関しては、いたずらに刺激すれば弱者に被害がもたらされるものが必ずどこかにあり、だからこそ「いってはいけない&やってはいけない」ということは少なからず存在するわけです。そこら辺を熟慮せず、創作活動は聖域を涜神してナンボだと思われているフシはありますが、いつも傷つかない立場から、※加害者意識を逆手にとった反権力ごっこに過ぎない光景が(文化とか芸術とかいう美辞麗句で持て囃される領域を中心に)広がっているわけで・・・。

これは私自身への戒めとしても書きましたが、もし時間があれば今日はまたもう1回更新したいな・・・と思っています。関東大震災関係について、ちょろっと意見表明・・・みたいなものを・・・描いたつもりです。100年経ってもいわなきゃいけないことがあるくらいの大惨事をテーマにしたので、足りない口でもやった分、描いておかなければ・・・と・・・。

 

※やった側は、まるで自身をアウンサンスーチー氏みたいに見立てていることがままありますが、 別に拷問を受けたり、(ナチスよろしく)焚書にさせられたわけでもありません。やられた方の被害がさらに拡大する場合がありますが、それに比べれば・・・とも思うわけです・・・。

2024年8月4日日曜日

80パーセントが終わりました

 今描いている作品の80パーセントが終わりました。あとは文字を書き込み、背景を塗るだけです。まあ・・・バックストーリーには色々なお気持ちが出ていますが、敢えて書こうかと思います・・・。できたらの話ですが・・・。まあ・・・着物はアレでいいのか・・・と思ったりするわけです・・・。そのために図書館で資料を2、3冊集めて見たわけですが・・・。まあ、単に大正ロマンと矮小化することはできんよねーと思ったり・・・。

で、昨日はひたすらアイパッドに向かっていました。そっちの方は作品ができたのでBluskyあたりにアップしておこうか・・・と思います。 モノクロ線画ですが・・・。

個人的にこういうことはいいたくないのですが・・・なんで絵を描くこととか、文章を書くこととかから簡単に凡人とは違う・・・みたいなことをいえるのか・・・ということを考える機会がありました。そういう所から、本当に絵が上手い(プロの)人は、「個性」とか「自分らしさ」とか安直にいわないな・・・とも・・・。

村上 隆氏も芸術家みたいなものは「ヒエラルキーの最底辺で」あり、「お伺いを立てる行為」だと自著で書かれていましたが、私も自惚れることなくそんなスタンスでやっていきたいな・・・と思う次第です・・・。

2024年8月3日土曜日

適材適所か?

 最近、こんなポストを見て「マジでな・・・」と思いました。

シロクマ先生のブログや、青木 省三氏とかの本で指摘されてることには、母も私も同意しているからこその同意があるというか・・・。

で、そういう「迷惑をかける人」をネットの群集心理に乗っかって、嘲笑やギャグの文脈で表現しているようなメディアってあるわけですが、 なんか『リエゾン』とか『放課後カルテ』が真摯に向き合っているような問題が、そういう所に矮小化されるケースって結構あるわけで・・・。

で、今着物を描いていますが、肩揚げ・・・結構見落としてる点があったり、これでいいのかな・・・と思う所があったりして、自分で自分にイライラとしてます。これから模様が待ってるので・・・。

まあ・・・暑さのせいもあるんだろーね・・・。8月6日が近づくにつれて・・・お馴染みの人らが増えるということもあるし・・・。

2024年8月2日金曜日

洗濯ばさみの話

 昔、NHKの人形劇で「すてられたせんたくばさみ」という作品を観たことがあります。

洗濯バサミだけが友達という少年がいて、ある日洗濯バサミ達にいじめの加害者を成敗してもらったことをきっかけに、彼らと仲良く遊ぶ生活を送るようになります。ですが、主人公の少年の態度はどんどん横柄になり……。この結末は、かなり暗かったです。いささかネタバレになりますが、ハッピーエンドではないです。愛情というものに関しても、かなり考えてしまいました。

『ダンプのがらっぱち』という絵本のように、場合によっては被害者が更に弱い者への加害者として君臨するという薄ら寒い現実を容赦なく描いているからこそ、本作はインパクトに残ったのだと思います。 SNSが普及し、(吉岡 忍氏がいう所の)「自分以外はみんなバカ」という加害欲求ばかりが加速している現在において、ただ「素晴らしき哉、人生!」みたいに善人が報われるハッピーエンドだけを描くだけでは、よりよい人生を送る為の教訓にならないのかもしれない・・・そんなことをふと感じました。


2024年8月1日木曜日

見たくもない話

 『しょせん他人事ですから』という漫画では、主人公の保田弁護士が(誹謗中傷を気にする)依頼人のSNSのアプリを消して、「見なければいい」みたいなことをいってましたが、現実にはそうもいかないよねー・・・と思ったりします。

私が読んでいたサスペンス小説では、明らかに不快になる内容なのに、主人公(女性です)が女性蔑視や過激な発言を繰り返すラジオ番組のパーソナリティーのおしゃべりを聞いてしまうシーンがちょくちょく出てきますが、 まさにあの心理・・・わかるような気がします。

そして昨日、『しょせん他人事ですから』の7巻を副読本といっしょに買いました。

まあ・・・一線を越えた野球ファンの心理が・・・マジで強烈でした・・・。訴えられてるのに、事実を捻じ曲げて相手と共闘しているという勘違い・・・。

私も誰かの「好き」で迷惑をかけているかもしれない身だからかこそ書きますが・・・エコーチェンバーとか・・・マジでその通りじゃんと思いました。気をつけな・・・。