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2024年7月31日水曜日

「8☆6☆8☆15」を描きました

 拙作には残酷な表現が含まれるので、それでも見たいという方は「続きを読む」をクリックしてください。

2024年7月30日火曜日

親の同意

 最近、こんなポストを見ました。

 抑圧とか自由とかいいますが、保護者のチェックがあってこそ行使できる自由がいかに必要悪か・・・痛感させられるポストでした。これは正直、性の問題にもいえることじゃないでしょうか・・・。

 ということで、暑さで頭がボーっとしているので今日はこれくらいにしておきます。さようなら・・・。

いえ、ちょっと付け加えときましょう。今、「防災の日」に関係した作品を描いています。完成はいつになるかはわかりませんが、防災の日の由来が関東大震災ということや、100年目のアレコレにちょっと感じることはあったので・・・。そこら辺について・・・作品のアップと一緒に色々書いてみたいな・・・という思いもあります・・・。

2024年7月29日月曜日

◎また、モーガン・フリーマン氏を描きました。

以前にも、「ディープ・インパクト」で大統領を演じたモーガン・フリーマン氏を描いたのですが、余りにも酷い出来だったので、描き直しました。

まあ・・・顔の陰影に力を入れていますが、光の当たり具合からして左右どっちつかずになってしまったな・・・と思います。スーツの柄も見えるようで見えない・・・という所が結構地獄でしたし、完璧というにはまだまだだということを痛感しています・・・。

まあ・・・本格的な予備校で、デッサンを修業したような身じゃないし(汗) もうこれ恥ずかしいからいうま~・・・と思って封印していたんですが・・・。

そういえば・・・これからの7月、8月は出展をとりやめようかと思っています。暑さが・・・もうアレになってきたもので・・・。それと、公式HPの、作品の画像の部分をかなりいじっています。大幅な改装といってもいいでしょう。だから現在オリジナル作品の割合がとても少ないですが、チマチマ増やしていく予定です・・・。

2024年7月28日日曜日

新幹線がヤバい・・・

 今、日本の新幹線をはじめとして、世界にはいくつもの高速鉄道があります。

で・・・フランスのTGVが・・・結構ヤバいことになっているみたいで・・・オリンピックだというのに・・・。 

また、今日・・・といってもまだ深夜ですが、モノクロイラストを制作していました。

カケアミがけっこうきついですが、やりがいがありました。トーンを使わないもので・・・。

2024年7月27日土曜日

やっぱりそっちの方が説得力がある

 まあ、昨日の文章でデートレイプの漫画を見たと書きましたが、『保険の授業聞いてなかった奴』です。ここで読めます。加害者の親も何やってんだろうかと・・・。それと、『鬼畜の街』も読んでました。「強姦ってのは/その後も精神を/繰り返し犯す/心の殺人だからな」・・・(当たり前故に)かなり重いセリフです。

まあ・・・ ここでも書きましたが、自分だって完璧な存在じゃないという自戒も込めて敢えてまた書きます。(昨日の文章といささか被っちゃいますが)性について正しい知識を持っていない、悪い行いがなぜいけないのかわからない、そんな子供達に付帯被害を与えかねないメディアが与えられている状況に疑問を呈するどころか、タブー破りやショッキング優先の快楽ありきで持て囃されている傾向を考えれば、最初に挙げた2作品のように「ダメなものはダメ」と性に関してセンシティブなこと関して、その逸脱を叩き潰す作品の方が余程大事だと思います。そういうことは『電○が○っている』みたいな作品を礼賛しているような大人から見れば、つまらなくてダサいものかもしれませんが、自分達は「つまらなくてダサいもの」を否定する権利があるなんていえるのは、常に「つまらなくてダサいもの」を守らなくても傷つかない加害者、つまりパブリックエネミーの立場だからです。

なんか言い過ぎみたいな気もしますが・・・児童書や(子供向けの)漫画というフィールドがこういう状態なのに、コミックLOとかそこで長期連載されていた『マコちゃん絵日記』という漫画が、子供に対する性暴力や恋愛の悩みについて、真摯な問題提起をしていたのは極めて皮肉だな・・・という気持ちを持っています・・・。

2024年7月26日金曜日

かなり衝撃的な作品を見ました

最近、デートレイプ関係の漫画を見ていて、結構それが衝撃的でした。

まあ・・・何のために勉強するのか・・・とか、授業中に寝る・・・とか・・・主人公の受けた被害を紐づけて「カス」というのは最もであり、だからこそ、抉られるような読後感があったというか・・・。まあ・・・自分が別世界を持っているからこそ、現実の性暴力や性被害についてきちんと向き合わな・・・と思ったからですが・・・。ラストでは加害者がブン殴られますが、女に殴られるというのも想定外だったのかもね(笑)でも、バカな男を一方的に制裁して、溜飲を下げるスカッと系の話じゃないです。だからこそ、性暴力がどれほど罪深いものかということを、染みるように思い知るというか・・・。

 そうそう・・・私の家には『ファミリア・グランデ』があったりまします・・・。

まあなんていうのか・・・男の子が異性に興味を持つ年頃とはいわれていますが、互いがやってみるなら何でもありと教唆扇動しているような(子供向けの)メディアもある中で、はっきりと「悪いこと」に厳しい制裁を加えるフィクションが存在するということは、 誰かを愛する自由や権利を行使する前に、ちゃんと見ておくべきものだと感じました・・・。前者は良識に反することを子供に教えることが真の大人の姿であり、被害者を出さない努力をすることがダサいと思っているフシがあるので、本当にタチが悪いです・・・。

まあ、小学生時代から私は交換日記もやらんかったし・・・あんまし交際している相手もおらんかったしなぁ・・・。 友達として関係を持っている女の子なら何人かいましたが・・・。



2024年7月25日木曜日

『グリーンデイズ』と「陽なたのアオシグレ」

佐渡島に住む少女と、そこに引っ越してきた親戚の少年の交流を通して、勉強の意義をテーマにした児童書『グリーンデイズ』を読みました。

あんましペーパーテスト関係で得をせず、いい思い出が殆どない私がこういうことを書くのは気が引けて恐縮なのですが、何かわかりやすい安直な犯人探しがないのがよかったです。新君が勉強はできるけど傲慢で、島の子供と触れ合ううちに人間性に目覚めるみたいな話だったり、逆に芽衣ちゃんが新君(や彼の家族)と一緒に、向学心を阻害してくる田舎の大人を打倒する・・・みたいな白黒構造ではなく、どっちも単純な悪者にすることなく、主人公の未来を応援するラストへと落ち着いていました。

教育を巡るアレコレは、Xで極論としてウケやすいですが、『グリーンデイズ』を読んでから、リアルでは多面的で中立的な議論を求めている大人達が一番必要とされているのではないか・・・と感じました。

 で、短編アニメーション「陽なたのアオシグレ」も観ました。

なんか子供だからこそ抱く異性への想いや別れの切なさを、ダイナミックな夢想と共に描いている所がよかったです。特にエンディングにおけるヒロインの独白を聞いていると、やっぱり二人は綺麗事でも、結ばれるべきだろ・・・!と思いました。まあ・・・怒鳴らずとも叫ばずとも、真心は伝わるものであって、なぜかそっちの方が

何かアニメっていうと・・・これは個人的なお気持ちになりますが、巨乳とか難解で腺病質なSFストーリーではなく、つくづく私は子供の側に立った(本当の意味で)優しい作品と相性がいいんだな・・・と思います。 いや、そうでない作品も結構好きだったりするんですけどね(笑)

 

2024年7月24日水曜日

「シモーヌ」を観ました。

 初音ミクの予言ともいえる映画「シモーヌ」を観ました。ですがこの映画は、バーチャルアイドルということを隠して、本物の女優だということで話が進んでいきます。

で、落ち目の映画監督がひょんなことからバーチャル女優のプログラムを収めたHDDを受け取り、 必死で現実をごまかしながらマスコミやタブロイド紙の追及を切り抜けていく様が、結構シニカルに描かれています。

それから、寧ろ作品制作の阻害になっているクリエイターのプライドというエゴイズム、ハリウッドスターとして天狗になり、特権意識を拗らせた出演者、(多分、『アーティス子症候群』という本でも指摘されていたように思えますが)芸術性という言い訳で、作品がどうだろうが何でもそういう文脈で感動する評論家、演技ではなく俳優のプライバシーを暴くことばかりに血道を上げるメディア等、創作の絡んだ産業を巡る問題に風刺の目が向けられています。ですが、それが問題提起の度を越した悪意や害意で描かれておらず、寧ろ洒落たタッチで描かれているので前者のような、ただただ暗い気持ちになるようなことは一切なかったです。

なお、ラストは「レミーのおいしいレストラン」を思い出しました。

虚像のバーチャルアイドルを巡るドタバタ劇は、今の生成AI問題を見ると、何かドキッとするものがあります・・・。

2024年7月23日火曜日

ネット受けする話題

 Xを見てたら、やっぱり「ス○ッとJA○AN」みたいな話は人気があるのかな・・・と思います。

ここで恥を忍んで、身の上話をしたいと思います。『ヤッさん』という小説では、「お前のくだらない身の上話はそれまでか」みたいなセリフがありましたけど・・・。

この公開日記を見ている人ならわかりますが、私は凡庸な地方都市育ちなので、結構ボケっとして生きてました。だから 小学校はともかく、高校まで公立だったわけです。だから、はっきりいえば「そういう層」からの被害にあったことがあります。特に中学生は(お互いが疾風怒濤といわれる思春期だったせいか)かなり激しかったな・・・と・・・。そこまで荒れてるわけじゃありませんでしたが・・・。

ですが、「そういう層」でもいい人はいましたし、絵を褒めてくれたことだってありました。下ネタで盛り上がったこともあります(笑)それに、喫煙とか麻薬とかはなく、そこまで酷くなかった・・・ということもありますが・・・。

だから・・・それだけで割り切れるモンじゃないよね・・・と思ったりするんです・・・。確かに立身出世は大事なことですが、なんかそうじゃない人達は差別しても構わん・・・みたいな薄ら寒いものがあるというか・・・。

そういえば、「ぼくたちのムッシュ・ラザール」とか「ライフ・イズ・ビューティフル」みたいに「優しい嘘」をテーマにした作品について、色々と考えさせられるものがあります。 でも、基本的には真実のみが・・・と思うわけです。

どちらの作品にせよ、これまでの嘘が崩れて真実が明らかになる過程が、(感動をともなう)正しさとして描かれてるので・・・。

2024年7月22日月曜日

昨日の話

 昨日、ちょっと火垂るの墓とか清太のことをメインに書いたと思います。

で、こんな記事を見つけました。確かに、単純化って進んでいるような気がします。

前の文章でワビ・サビと書きましたが、 (私は「ファスト教養」という概念に同意する立場で敢えてこういうことを書きますが)ものごとや人間の多面的な部分を教養として味わうのではなく、ただ仮想敵をこき下ろして溜飲を下げる・・・みたいな風潮がネットにも(漫画や小説などの)リアルな媒体でも、どんどん増えてきてるような気が・・・。そういう余裕がなくなっているのかもしれませんが・・・。

過去に吉岡 忍氏や香山 リカ氏が「自分以外はみんな『バカ』」という概念の芽生えについて指摘してたと思いますが、東日本大震災やコロナ禍を経て、私達はまさにそれが急成長した時代を生きているのかもしれません。

そういえば、早くも新1000円札をゲットしました。で、すぐ使いました。決して散財(パチンコとか競馬とか)という意味ではないので、誤解のなきよう(汗) 飲食店ですよ・・・。


2024年7月21日日曜日

トットちゃんとか清太くんとかワビサビとか

 まあ・・・最近戦争ものといえば「窓ぎわのトットちゃん」を観たわけですけど、とある漫画の感想がバズっていたのを見て、何だかなあ・・・と感じています。特に清太のほうなんですけど・・・。前にも書きましたが、これは戦争を知らない世代が増えたことの影響だけじゃないと・・・感じています・・・。

何か個人的には、キャラクターが品行方正じゃないとか疚しい所があるみたいなネガティブさ・・・それもポジティブな部分と同じく、人間を構成している一部というワビ・サビを味わうのではなく、2ch仕草のヘイトとして処理するという風潮が、余りにも表世界に出すぎてしまったんじゃないか・・・と思うのです。

相沢 沙呼氏の『小説の神様』における続編でも同じような指摘はされていたと思いますし、地獄堂霊界通信シリーズにおいても、苦しみも悲しみも優しさや愛とかと紙一重なんだ、暗い部分だけ一方的に切り捨てるのは傲慢だというセリフがありました。でも、それに耐える努力もせずに(菅野 仁氏が指摘していたような)コミュニケーション阻害語の一部、つまりクズとかカスとか認定して(スカッと○A○ANみたいな)ヘイトを排泄することしかできない・・・そんな問題を有しているように見えるのです・・・。

こういう所から、私はうさくん先生や水沢 悦子先生の漫画を思い出します。特にうさくん先生の『マコちゃん絵日記』なんですが、読者に寄り添う優しくて甘く失敗のないキャラクター設定や世界観ではなく、そういうまやかしをきちんと否定し、自分の責任や他者と向き合うことの強さをはっきり描いているからこそ、キャラクターやストーリーが読者の為に使い捨てにされない重みがあるんだな・・・と・・・。水沢悦子先生の『ヤコとポコ』とか『もしもし、てるみです。』にもいえることなんですが・・・。

ああ・・・すみません。ここで色々なんかエラソーなこと書いてしまいましたが、癒しも優しさも必要だと思います(笑) 自分も全部が嫌いなわけじゃなく、そういう文脈の作品は好きだったりしますし・・・。


2024年7月20日土曜日

『ある晴れた夏の朝』を読みました。

 人間の本性を、(多くのデスゲーム作品に見られるように)殺し合いや災害等の極限状況で表現する作品はありますが、本性を見たいというのであれば、ディベートという状況がピッタリなんじゃないかと思います。まあ、「12人の怒れる男」という映画を過去に観させられたから、思うのですが・・・。

で、こういう所からアメリカの少年少女が原爆投下に関して、肯定派と否定派に分かれて議論する児童書『ある晴れた夏の朝』を読みました。 ここでまた話は脱線しますが、外国人が日本(の社会や商品)をベタ褒めするようなテレビ番組や書籍ってあると思います。で、外国人に原爆投下の被害を糾弾してもらい、原爆肯定派批判や核保有国批判で連帯して被害者意識を強化する風潮があると思いますが、まさにそれを連想するというか・・・。

そこから『ある晴れた夏の空』も、いけ好かない原爆投下肯定派を善良な否定派がコテンパンにするような展開を期待すると思います。ですが、そんなに話は甘くはなく、日本も戦争加害国だったこと、過去におけるアメリカの人種差別などが苦みを持って剔抉されていきます。それと、お互いの陣営が勝利の為に結構エグい手を使ってくるので、広島・長崎がまな板の上の鯉にされてるような冷たさも感じたり・・・。

ですが、私も広島出身だからこそ敢えて書きますが、広島・長崎を巡るアレコレにちょっとどうかね~とか感じたりすることはあります。ポスト8.6前の広島は『暁の宇品』とか『華僑虐殺』とかを読めば、(それこそノーマン達がいっていたように)決して無垢な被害者ではないといえます。だからこそ、「都合が良くない、寄り添わない、場合によっては耳が痛い」話も必要なのではないかと・・・思うことがあるのです・・・。

そうしたダーティな部分があるからこそ、『ある晴れた夏の朝』には、日本が(現時点で)唯一の被爆国だからといって、特定の人達が期待しているような美談にならない妥協のなさがあると思いました。


2024年7月19日金曜日

マジでムカつくわな・・・

 昨日、こんな記事を見ました。

 自分もつばさ文庫を含め、KADOKAWAの本をよく買っているので、かなりムカついています。ネットが2ch化してきた弊害というか・・・。そこら辺を書くと、かなり差別的に捉えられるリスクが高まるので、これ以上は書きませんが・・・。

で、安倍氏の事件から2年という話で、それに関係した記事を見ましたが、日本が本当の意味での犯罪大国ではないからじゃないか・・・と個人的には感じています。海外と違って銃が容易に入手できるわけじゃないし、派手な銃乱射事件や自爆テロのリスクに晒されているわけじゃないですし。だからこそ「テロ」への耐性は色々な角度で見たらあんまし無いと思います。あったとしても、(地下鉄サリン事件が象徴している)オウムのような極端な事例ぐらいですし・・・。

あの犯人への(常軌を逸したともいえる)過熱報道や向けられる同情、モスク銃撃事件とその犯人においてアーダーン首相やメディアが下した決断は、かなり対照的といえます。

こういう所から、事件の当事者に対してノータッチの知識人が、2次3次情報だけで特異性のある凶悪犯罪に便乗して、(手垢のついたロスジェネ論や反ネオリベに基づく雑なユートピア観で)社会を語るアンソロジー集何かも・・・と感じています。最も、事件の派手さに流されず、中立的なスタンスで被害者遺族や加害者家族、そして関係者などへの丹念な取材を冷静なタッチで書いたノンフィクションの方がそっちより余程優れているのではないか?とはっきり意思表明しておきたいですが、メディアに受けやすいのは前者なんですよね・・・。

2024年7月18日木曜日

育ちが悪い!

 最近、某ゲームのことをネットで調べていて、ちょっとため息が出ました。

昔から、育ち方や家庭環境が犯人探しのダシとして機能する部分はありますが、 当事者からすれば非常に不快なものでしかないでしょう。

「(冷蔵庫マザー説に起因するような)自閉症は親の愛情不足が原因だ」とか「一人っ子はワガママで身勝手」だとか、そういう世間受けするような親や子供への偏見は色々と流通しており、創作において無批判に使われるケースもあります。某ゲームについても、特定の生育環境が主人公のキャラクター設定において「責任能力がなく、自堕落」と書かれていたので、そうした環境で育っている&育った人間への差別や偏見を煽ってるんじゃないか・・・?と個人的には感じました。相続とかも考えさせられるしな・・・。

創作において、作品として出来が良ければいい・・・ということだけではなく、世界観やキャラクター設定などが、現実におけるセンシティブな部分に悪影響を与えていないか・・・?ということも考えられなくては・・・と色々思うわけです。こういうのって繊細過ぎるかもしれませんし、何でもアイデンティティ闘争の文脈に当てはめるのも弊害は大きいとは思います。私だって場合によっては腫物に触るような作品を時々描いたりすることがありますし。

で、何か宮崎 駿氏が川上 量生氏のAIに対して不快感を示したことがあります。あれだって川上氏の何気ない一言だったかもしれませんが、嫌なことは何で嫌なのかを意志表明する繊細さも、また正しさ・・・なのではないかと感じています。特に冒頭の某ゲームではありませんが、ネットの集団心理に便乗して、(無批判な)障害者叩きや福祉叩きのテンプレで量産されるメディアって、すごく見るような気がするので・・・。


2024年7月17日水曜日

◎しょうたダンボール君の個展にお邪魔いたしました。

 この度、ギャラリーG様にて開催されていた、しょうたダンボール君の個展にお邪魔いたしました。下にその様子と感想をアップいたします。

 




 やはり、インパクトがあったのはサイズが大きい分、彼が制作した車の模型でした。

BMWイセッタやフィアット500は、ステアリング機能やエンジンなどが妥協なく再現されており、いつ見ても半端なプラモデルより緻密だなと思います。フィアット500の方は、何と(お馴染みの)ルパンや五右衛門、そして峰不二子までもがフィギュアとして登場しており、やっぱりそうだよねーと思いました。それらの理解を、きちんと作品で表現できるのがすごいです。    

 




 

同じく、彼が制作した、ミレニアムファルコン号や「風の谷のナウシカ」に登場したガンシップです。こちらも、ナウシカのフィギュアまで制作されています。




そして、彼を象徴する作品の一つ・・・BTFシリーズ(そして、その象徴)に登場するタイムマシン、デロリアン号です。しょうたダンボールくんはデロリアン号を2台制作されており、その中の1台は・・何とボンネットに・・・、BTFシリーズにおいてブラウン博士を演じた、クリストファー・ロイド氏のサインが描かれています!本当におめでとうございます!

拙い感想にはなりましたが、これからもしょうたダンボール君には、色々な作品を発表して活動を続けて行ってもらいたいと思います。(これは決してルサンチマンではないですが)高い制作技術や輝かしいキャリアを持つと、それらに胡坐をかいて他者に威張り散らすようなクリエイターも散見される中、しょうたダンボール君はいつも謙虚な姿勢なので、作品にも一切前者の態度に見られるようなズレや歪みは見られませんでした。これは、私が買わせてもらったロボットのフィギュアにもいえることです。

まあ・・・これだけ偉そうなことを書いてしまいましたが、決して年功序列だからとかじゃないですよ(汗)



2024年7月16日火曜日

ジョーカー論

 最近、こんなポストを見ました。

まあ・・・私はあのジョーカー(ホアキン・フェニックス氏が主演した作品)を観てないからわからないのですが、ティム・バートン氏の「バットマン」は観ているので、あっちのジョーカーはかなり遊びで水道水に毒薬を混ぜたりとか、大量殺人を企てたりとかしてるじゃない・・・と思うわけです。現実において、メディアの悪影響・・・みたいなものに対して激しい議論は行われているわけですが、私個人としては報道によるコピーキャットや、上記のジョーカーみたいに耐性のない人間が劇中の犯行をマネすることはあると思います。こういう所から、ある程度はこういうことこういうことも仕方ないのではないか・・・と思います。何でも自由を叫べばいいというものではなく・・・。

それと、(まだ少ないレベルでしょうが)色々バイトをしてきて、かなり刺さるポストを見ました。 まあ、私も座って作業をするバイトの経験がちょっとだけありますし、仕事で「立つ」ということがなんか精神論とか根性論になっているな・・・と感じています。あ、そういえば座っているのにかなりの重労働・・・という仕事はちらちらと浮かびます。飛行機のパイロットとか、電車の運転士さんとか・・・ね・・・。

2024年7月15日月曜日

祝日でした・・・!

 今日、プライベートでちょっとした用事があったので、某所に出かけようとしましたが・・・祝日で休みだということを、すっかり忘れていました・・・!

まあ、いそいそと帰りましたよ・・・そごうで買い物をして・・・。今日はこれくらいにしときます。ネタがないもので・・・。

2024年7月14日日曜日

ライフスタイルじゃないという状況

 本日、こんな文章を書いたので、本題を書こうかと思います。

 こないだの話です。ネットを何気なく見ていたら、ホームレス状態かホームレスの経験がある人間しか応募資格のない文学賞のサイトを見かけました。こっちもかなり意地悪な気持ちと興味本位で見てしまったので同罪だという自覚はありましたが・・・一時某サイトで炎上していた、ホームレスのDIYが何とかという話が脳裏を掠めたというか・・・。

私もホームレスはよく見ています。地元の広島 太郎氏だったり、新宿駅に並ぶ段ボールハウスだったり・・・。 その主催者がホームレスを経験していないのは一目瞭然であり、私としてはアンダークラス層の明日は我が身という過酷かつ泥臭い実態を、安全圏から格差社会の上位から好き勝手に美化しているにすぎないのでは?と感じました。じゃあ、最低賃金以下の労働しかできず、エアコンも使えないしお風呂にも入れない、食べられるものはスーパーの賞味期限切れコンビニ弁当や飲食店が出す残飯、もしかすれば寝ている時に不良少年達から集団暴行を受けて死ぬ可能性だってある。そんな生活が「いろんな生活のありかたの一つ」というのなら、果たして選びたいっていえるんですか?と・・・。

で、この文章を書いている時にダブったのが、知的障害者の母親が子育てに奮闘する『だいすき!』という漫画の10巻でした。

その中で将来に悩む浪人生が出てくるんですが、彼は自身の現状況におけるプレッシャーを照らし合わせ、作業所で働く(知的)障害者たちをを見て、「ああいう人たちの方が幸せだよな」みたいなことをいうんです。すると、そこで働いている支援スタッフの安西さんが「じゃあ、障害者になってみる?」と聞き、止めを刺すように諭すんですね。「なれって言われたらなりたくないでしょ?」と・・・。で、安西さんは当事者を巡る厳しい状況を説明するんですが、やっぱりあの文学賞のスタンスを見てると・・・なれっていわれたらなるつもりがないからこそ、人の苦境に正しい反応ができず、「多様性」とか「共生」みたいに美化できるんだろうな・・・と思うわけでした・・・。

本題について

 本題について書こうと思っても、手元に参考資料がない状態なので書けません(汗)

まあ、それは本日また更新ということもあるし、後日に引き継ぐこともあるでしょう。

今日は某SNSにダブル投稿してちょっと労力を使ったので、もう寝ます・・・。コインランドリーにも行ったしなぁ・・・。

2024年7月13日土曜日

「きみへの距離、1万キロ」を観ました

 ロボットが出てくる映画が結構好きで、色々ネットを漁っていると「きみへの距離、1万キロ」という映画を見つけたので、早速観てみました。ロボットもストーリーにあわせて、安直にガン〇ムライクなドンパチをやらず(できないタイプ)にどう状況を解決していくか?に焦点が合わせられていたので、そこも好きだったというか・・・。

ですが、多くのレビューが指摘していたように、主人公であるゴードンの行為はかなりのストーカー紛いだと思います。しかも、同僚に睡眠薬まで混ぜてまで自分(と好きになったアユーシャ)の恋を成就させようとする所は、ちょっとドン引きというか・・・。

 それと、相手が不本意な結婚を強いられている立場だったとしても、所詮は赤の他人であり、紙一重の差で良かれと思ってした行為が、いらないお節介となる可能性だってかなりあるわけです。だからこそ、他人の問題は割り切って無視することだってベストだということもあり得ます。

そういう犯罪スレスレの所から自分の正当性を何とか訴える危機感・・・みたいなものは、『夢でなければ』という小説にもあったな・・・というか・・・。

で、私は割り切って無視することだってベストだとは書きましたが、そこら辺を突き詰めていくと、かなりイヤ~な思想にたどりついてしまうというか・・・。

そこら辺を書いていくと、かなり面倒なことになるので止めときますが、何か社会について「合理的正しさ」を金科玉条のように振りかざし、人権思想や民主主義に対して罰当たりな言動(要するに逆張り)をわざとして、優等生ぶるような言動につながっちゃうので・・・。

2024年7月12日金曜日

◎『トイレの花子さん』のファンイラストを描きました。

 

柏 ぽち先生の読み切り漫画『トイレの花子さん』のファンイラストを描きました。

なんか学校の駐車場でまほちゃんと花子さんが淳二先生を巡って色々話している・・・そんな感じで描きました。花子さんは幽霊なので、幽霊故の半透明感を体の中心から(よくあるフィクションでは、幽霊キャラは体の中心が透き通っているので)出していくのがすごく難しかったです。それと敢えて、まほちゃんと違って幽霊らしさを出すために、光の干渉を受けないようにしています。アスファルトも黒くなりすぎないように注意しました。

で・・・淳二先生という名前と、まほちゃんの名字を見てみると、結構ニヤリとさせられると思います。知っていたら、ですが・・・。元ネタになった名前の人の本を私も沢山所有していたので・・・。

そういえば最近、髭剃りの替え刃を買いました。結構高かったが・・・それでも必需品なので・・・ファッションで髭を生やすという人もいますが、私はそれがある程度は許されない状況なので・・・。

2024年7月11日木曜日

冤罪の恐ろしさ

 早速ながら、『ふたごチャレンジ!』の8巻を読みました。いくらなんでも・・・世の中には個人の努力ではどうしようもできないことがあり、その中でベストを尽くすしかないということを思い知らされた・・・そんな話でした。卒業式に関しては、かなり私は受動的だったし、寧ろ別れの感慨というよりかは、特に中学では勉強が難しくなるらしい、それに適応できなかったらどうしよう・・・という不安の方が大きかったです・・・。まあどうせ、受験で選抜される私立とか付属みたいなものじゃなくて、誰でも入れる公立だったしなぁ・・・。

で、主人公の双葉姉妹が疑いをかけた豆田校長ですが、知らん間にちょっといい人に落ち着いていないか・・・?と思いました。それ・・・左野先生とか教育委員会とかマスコミとかに訴えんかったんかな・・・とも・・・?

誤ったジェンダー観で、男女で入れるクラブを決めたり、養護教諭にパワハラをして学校に行けなくしたりするような人物には、(ホワイト革命が行われてから)停職とか懲戒免職処分とかいった「大人の世界における処罰」が子供達や先生の為に必要だったのでは・・・と思います。

それに、小学校の統廃合に関してですが、誰かを疑うこと・・・について深く考えてしまいました。大学の授業で(「12人の怒れる男」を観させられた上で)「疑わしきは罰せず」という言葉を知ったのですが、 あの状況で双葉姉妹が豆田校長を疑うことは仕方がなかった・・・ともいえますし、素行や印象ってすごく大事だな・・・ということを思い知らされました。最も、豆田校長のいう通り、統廃合は自分の一存(つまり校長という立場を利用して)じゃ決められないという話なのですが・・・。だからホワイト革命のリベンジじゃなかったということで・・・。

でも・・・誰かを疑う行為というのは一番厳しい責任と覚悟が課される行為だなと思うのです。

ふたごチャレンジではあの程度で済みましたが、現実社会においては松本サリン事件や袴田事件のように、個人の人生を破滅させるくらいの力を持っているわけです。だからこそ、相手がクロだと思ったときは慎重に・・・と思うわけです・・・。

2024年7月10日水曜日

暑くなってきましたね

 暑くなってきましたね・・・果たしてこの夏を乗り切れるか・・・。

今、エクセルを入れてないのでOpenofficeのCalcと戦っていました。

まあ・・・電卓を使えばいいじゃんとはいうけどね・・・。

こないだは親戚のおごりで鮎料理を食べました。結構おいしかったです。

2024年7月9日火曜日

Decimate

Decimateというタイトルの作品を描きました。ちょっと残酷な表現があるので、隠してあります。見たい人は「続きを読む」をクリックしてください。

2024年7月8日月曜日

果たしてあの人はヤンキーなのか?

 Xを見ていると、自分は貧困育ちで「元ヤン」の知人が沢山おり、彼らは自民とか現職に結構な数で投票している、自民や都知事の問題点を指摘しても権力側を批判する考えが不思議なほど生まれない、という趣旨のポストを目にしました。大体、ちゃんと調べもせずに、経験ありきで自民や現職支持に「元ヤン」が多いというのは偏見じゃないのか・・・?と思いました。ちゃんとしたデータもなかったし・・・。

ていうか、リベラルじゃなきゃそいつはガラが悪い低学力のDQNに違いないという発想は、反自民や反維新の間では受けやすい所ってあると思いますが、それだって差別(つまりそういう層が一番嫌ってる思想)じゃないのか・・・という考えが浮かんだり・・・。このポストにある通りかと・・・。こういう話は多分、「コメンテーターエンドウさん」辺りで叩かれるよーな・・・感じがせんでもないなぁ・・・と・・・。

自民や維新を支持していない側から敢えて書きますが、私だってガラが悪い人を見ると、好意より寧ろ嫌悪感がわきますが、自分だって粗暴な態度をとってたり、プライベートではエロが絡んだ下品な冗談を知人といいあったりすることがあります。反社も大嫌いですが、新藤 冬樹氏の小説(特に闇の貴族やろくでなし、溝鼠など)が好きだったり、実話ナックルズみたいな雑誌をしばしば買ってたりするわけで、自分が嫌ってるものが関係ない所から生じるなんてのは、甘い幻想だと思うんですよ・・・。


2024年7月7日日曜日

OpenofficeとWord、そしてムカデ

 私は外出用として、予備のミニノートPCを持っていますが、Wordは重過ぎるらしく、代わりにデータの互換性があるOpenofficeを入れています。

でも・・・やっぱりWordで開いた時に原稿がどっかで崩れてしまうのが・・・悩みというか・・・。

そういえば、こないだ色々あって実家に帰ったのですが、座敷で昼寝をしていた時にムカデが出没しました。まあ、嚙まれることはありませんでしたが、めでたく母が新聞紙の束で撲殺しました。南無阿弥陀仏・・・。

私の住んでいるところはそうでもないんですが、なんせムカデの他に、ゴキブリとかそういう連中が出やすい環境にあるんですよ・・・実家はね・・・。

 

2024年7月6日土曜日

違う場所にある駅名

 なんか地元で「白島」という駅が二つあります。1つはアストラムラインで、2つ目は広電の電停なのですが・・・利用してみればわかりますが、この二つの駅は全く違う位置にあります。で、東京でもつくばエクスプレスの浅草駅と、東武や都営浅草線、そして東京メトロ銀座線などの乗換駅である浅草駅がありますが、ここも実際に利用してみるとかなり位置が離れている・・・ことがわかります。

だからなんていうのか・・・離れた場所だったら、駅名を別々にしておいてくれた方が助かるな・・・と思います。

あしたは用事があるので早起きです。もう寝ます。

2024年7月5日金曜日

みんなが望む弱者像

 『宇宙人のいる教室』という児童書では、いじめの被害者が更に弱いものへのいじめに加担するという寒々しい現実が書かれていましたが、大人の理想にあわせてピュアな被害者を描かずに、子供達を正邪持ったありのままの人間として描いたからこそ、あれだけの人気が出たのだと思います。こういう所から、はっきりとした解決はせずとも主人公が精神的な成長をちょっとだけ遂げるという所で話が終わっているのも、高みから社会問題を糾弾するような作品より遥かに胸に迫るものがありました。

あんましこういうことは・・・書きたくはないですが、相手のリアルではなく、弱者ならこうあるべきだ!というような理想をみんな託しがちだと思うんです。私も含めて・・・。で、弱者やマイノリティに自分が抱いているイメージを託して勝手にキャラクター化し、金儲けや承認欲求の道具に使うというか・・・。

だからといって、弱者を巡る綺麗事ではない現実を通俗道徳棒にしたり差別の目を向けたりすることは論外だとは思います・・・。 それと、そこら辺から生ずる人権意識や福祉制度への逆張りも、X経由でかなり見ますが・・・。

なお、 弱者が必ずしも犠牲者として描かれていない作品といえば、『ダンプのがらっぱち』という絵本が思い浮かびます。作者は『きいろいタクシー』や『ふたごのでんしゃ』などの乗り物系幼年童話をいくつも手掛けている渡辺 茂男氏、『しょうぼうじどうしゃじぷた』や『とべ!ちいさいプロペラき』などにおいて、乗り物を精緻なタッチで描くことで有名な山本 忠敬氏がイラストを担当されていますが、いじめにあった人間が更に弱いものをいじめ・・・その最後は、幼少の時はダンプばかりに目が行きましたが、今読んでみるとかなり毒の効いた教訓が染みわたっている作品だと感じます。巨大なダンプトラックが暴走と煽り運転を繰り返す様は、なんか「激突!」という映画を想起させますし・・・。


 

2024年7月4日木曜日

有名になりたい?

現実において、目立とうと思った人が凶悪犯罪を犯すことってあると思います。確かに、ああいうのは刃物を持ってバスを乗っ取るとか、電車でジョーカーの格好をして乗客を切りつけたりするとか、狙ってやられるので目立ちやすいですよね?で、『自己愛過剰社会』という本では、目立とうと思って銃乱射事件を起こすような犯罪者を(事件のインパクトを伝えるべく)飾った言葉で報道するのではなく、事件を起すようなつまらない人間として処理するべきだというようなことが書かれていました。 

で・・・前者は到底許しがたいものであり、安易な同一化は避けるべきだとは思いますが、私がふと思ったのは、劇場版クレヨンしんちゃんの「嵐を呼ぶジャングル」という作品に登場する悪役、パラダイスキングなんですよね・・・。密林の激闘でねじ伏せたテナガザルを使役し、それだけじゃ足りないとばかりにしんのすけや大人達を拉致して、世の中に対する承認欲求を更に満たそうとしたパラダイスキングでしたが・・・ここでラストを見ればわかるとは思いますが、やっぱり大変なのは後じゃないかと思います。あんな格好をして長年独裁者のようにふるまってきた彼ですが、それが通用してきたのは相手が現代社会じゃないからで、多分パラダイスキングは(おそらく逮捕された後)マスメディア経由でみんなの笑い物になったと思います。

だから、王様から市井で後ろ指を指される「つまらない人間」に転落したんじゃないのか、という懸念が・・・。

で、話を前者に繋げますが、たとえ反社会的な行為で有名になろうとしても、その後で待っているのは途方もないリスクですよねと・・・感じちゃうんです・・・。

2024年7月3日水曜日

チャーハンとカレーの混同

 同じご飯ものの料理でも、チャーハンとカレーって全く違いますよね?で、巷を見てると「それって、チャーハンとカレーの混同じゃない?」と思うことがよくあったりします。まあ、地元が広島なんでそこら辺の問題でもかなり・・・とも・・・。まあ・・・ああいう意味で色々といじられたくないという思いも正直ありますし・・・。

で、ずっと前にビンラディンがアメリカの特殊部隊に殺害され、それから数年後にオウム真理教の幹部達が立て続けに死刑を執行されたことがあります。テロリストを殺害するために軍を投入することと刑の執行は違うので、そこら辺の衝撃を一緒くたにすることはまさに「チャーハンとカレーの混同」 かもしれませんが、やっぱり同じ衝撃を味わっていました。中々ケリがつかないな・・・と思っていたことが突然終わった時、「まさか」という思いを抱くことって、あるんじゃないですか・・・?

 そういえば、某ニュースサイトの記事を見ましたが、教頭先生の「10人の加害者の未来と1人の被害者の未来、どっちが大切なのか」という発言はねぇ・・・。(もしかすればこっちが曲解しているのかもしれませんが)だから社会に功利主義を持ち込んだり、トロッコ問題を適応させ、それを「道徳」と昇華させることには反対のスタンスなんですよ・・・マジで・・・。

 

 

 

2024年7月2日火曜日

ドラッグストア激戦区

 地元の駅前に、ウォンツが二つもあるのですが、そこに新しくマツモトキヨシができることになりました。なんか・・・ドラッグストアの熾烈なお客争奪戦が始まりそうな予感がします。大丈夫なんだろうか・・・。前にはダイソーがあったんだけど・・・。

で、今日は福島町の方へ行こうかと思います。直通する電車がないので、土橋の電停で乗り換えないと行けないのですが・・・幼少の時、そこは土橋 安騎夫氏の自宅があるのかという勘違いをしていました(笑)母と「とべないホタル」というアニメ映画を観に行ったんですけどね・・・。 やっぱり映画はDVD派だということを痛感します・・・。

2024年7月1日月曜日

死刑

 最近立ち食い蕎麦屋で昼ご飯を食べていると、隣にいたおじさんと店主さんがストーカー事件の話をしていて、「あんな奴はさっさと死刑にすればいい」と話していました。なので、裁判員制度のことについてちょっと考えてしまいました。果たして、「12人の怒れる男」みたいに、責任ある議論ができるかどうか・・・。でも、あの立ち食い蕎麦屋で聞いた話みたいに、(第3者が)死刑を単にムカつく奴を合法的に殺せるみたいな認識は、死刑制度に対する冒涜だよな~と感じたりするんですよね・・・自分だって門外漢だから同じ穴の狢かもしれませんが、多分郷田 マモラ先生の『モリのアサガオ』とか森 達也氏の『死刑』を読んだり、「デッドマン・ウォーキング」という映画を観ている影響があるかも・・・。

まあ、犯罪者なんて早く殺せばいいという考えは、近頃流行している復讐系の漫画の影響もあるのかな・・・と考えたり・・・。

ていうか、もう7月・・・。なんか色んな解決すべきことが待ち受けているので、ちょっとしんどい・・・かな・・・と思ったり・・・。