今回の選挙で、私は自民にも参政党にも、維新の会にも入れていません。(正直に書きますが)立憲民主党に入れました。そういう所からなんか参政党の排外主義が問題視されていますけど、叩いてる方もどうなんかね・・・と思います。
わたしのスタンスは、排外主義やヘイトスピーチは絶対に許さないという立場です。ですが、だからといって外国人(及び弱者)を聖人君子として認識するのもどうかとは思います。実際に、こういう記事もありますし、余り優れた本とはいえませんが、こういう話だってあるわけです。私の経験として以前のバイト先で外国人労働者が真面目に働かなかったり(私にきつい仕事を押し付け、自分だけ楽な仕事をやろうとする)、「コロナウイルス」、「人間じゃない」、「犬」等といった差別用語を浴びせ、それに対してキレると逆切れして面白がってくるという事がありました。それはごく一部の問題だし、十把一絡げにするような問題じゃないということはわかっていますが、こういう所から対象を全部「善なる犠牲者」として捉えると余計に問題が拗れると思います。
それと、参政党みたいな政党を無力化するには、問題の対象における「優しくて」「可哀想」な部分ばかり強調して、自身の理想ばかりを強調するのではなく、上記のような話もデータ上の切り捨て可能な問題として処理せず、(これって、マーク・リラ氏も『リベラル再生宣言』でも指摘してましたよね)高みからの説教だけではかなり不十分だと個人的には思います。こういうことを書くと短絡的に「差別を受けている側に寄り添わずに、加害者に寄り添うんですね」みたいないい方をされそうですが、寧ろ私は最初に書いたように、排外主義にもヘイトスピーチにも断固たる姿勢で臨むべきだと思います。(参政党みたいな政党を支持する)彼らの心情を解れみたいな甘言にも乗らない気です。あの声優さんのザリガニ発言には嫌悪感しか湧いてませんし。
ただ、対象を絶対善として捉えて、「共生」とか「多様性」という美辞麗句で抵抗するのではなく、アンチ差別や排外主義にはもっと別の(庶民的な)アプローチが必要なのではないか・・・じゃないと参政党やアンチ外国人みたいな集団には勝てないよ・・・と感じるわけです・・・。