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2025年10月23日木曜日

自分達の場合は?

 また『ステイホーム』への愚痴になりますが、るるこが聖子おばさんとリノベーションをしていく際に、断捨離のノウハウをネグレクト姉妹に対して行う事(勿論肯定的なタッチです)への指摘がありました。人間はモノとは違うだろ・・・デイブ・ペルザー氏ではありませんが、児童書で(自分より弱い)人間を「It」へと矮小化し、切り捨てるような描写はどうなのかと・・・そうしてもいいロジックが作り上げられいても、ですが・・・。

ああいう社会的弱者を悪魔化して戦争を仕掛け、屈服させるようなシーンは殆ど手放しで礼賛されています。ですがそれを肯定しているレビュアー達は自分の場合になるとどういう態度を取るのでしょうか?多分「公助に丸投げして自分達を見捨てるのか?せめておにぎりだけでも寄こせよ!」とキレると思います。これは賭けたっていいです。

 『ファスト教養』の受け売りになりますが、コロナ感染は自己責任という考えが日本では米英の10倍らしいので、だからこうした個人主義という都合のいい言い訳でコーティングされた自己責任論や、「コロナのおかげで働き方改革がなされてよかった」という現実を直視しない勘違い理論みたいなものが、日本では受けるのかもしれません。

それと、つけ加えておきますが、神宮 輝夫氏は『児童文学の中の子ども』でこう書いています。以前もここで引用したのですが、改めて・・・。

「最低のものは、大人である作者が、その理想とする生き方をのみ語ろうとする作品である。児童文学の全歴史を通じて、じつはこの手の作品がもっとも多かった。大人の立場のみから他宗教を非難したり、政治の現状を批判したり、あらまほしい国家形態や社会図をえがくものは、大人から大人へ手渡されているかぎり意味はあっても、子どもとは無縁な芸術といわなくてはならない。」

正直、『ステイホーム』が有する逆張りの理論やそれが(殆ど)無批判に持て囃されるような状況で、もっと子供への影響を考えた慎重な議論があっていいはずです。実際、るるこの家庭のように悠長にバーベキューやリノベーションができるような家庭などほんの少数で、多くの子供がDVや学力低下の脅威に晒され、自殺者だって出ているのです。そんな状況で社会正義や教育制度はクソだといってのける木地 雅映子氏の取り巻きのような存在に対して、無縁とはいわなくても神宮氏が指摘する「大人の立場のみから他宗教を非難したり、政治の現状を批判したり、あらまほしい国家形態や社会図をえがくもの」お気持ちはある程度は正しいのではと思います。自分達がこんな状況で好き勝手やれるのも、ギリギリの状況で己がクソだと思っている義務や責任を果たす人達がいるからじゃないですか?

なお、私自身の観点ですが「コロナのおかげ」という言葉は、一時勃興していた反・反原発本における「寧ろホルミシス効果が認められるから、福島の事故は問題ない!」 とか「直接的な死者は皆無だから、福島は死者数の少ないチェルノブイリと同じように安全!」とか安全圏でいってるような著者と同じような感性だよねーとうっすら感じたりするわけです・・・。

2025年10月22日水曜日

すごいブラックな話

 ここで・・・一つブラックすぎる冗談を思いうかべました・・・。

高市氏が首相に就任したと思いますが・・・史上初の女性総理という事で・・・。で、私は『鋼鉄紅女』というSF小説のラストが思い浮かんだんですよ・・・。続編が出るくらいの人気作ですからね・・・。どういう話かはある程度調べればわかるでしょう・・・。

すみませんね・・・作者のシーラン・ジェイ・ジャオ氏には・・・こんな冗談をいうてしまって・・・。 

で、今個展のDMをフォトショ(エレメンツです)で作っています。あの鬱陶しい通知を何とか防げたようです。まぁ・・・Blueskyでのアレ(炎上)は可哀想だったけど、アドビも空気が読めんかった所はあるなと・・・。 

2025年10月21日火曜日

ちょっと続いています

最近、ちょっとお腹の調子が悪いんで・・・どうしてかな・・・。

それでも、12月の個展に向けてやるべきことはやらんと・・・。

まずはDM制作からです・・・IT系コンテンツはそろそろ誤クリックを誘発させるようなポップアップはやめようやと・・・。 

2025年10月20日月曜日

今日は病院に行っていました

 今日は病院に行って、帰ったばかりです。

いかんせん受付の対応が・・・と感じています。先生はいいんですが・・・。

 で、今・・・ヒジャブを描きました。ちょっとセンシティブなネタになるかもしれん・・・。

2025年10月19日日曜日

個展「Inter Space」開催予定のお知らせ

 来る12月中旬に、個展「Inter Space」を紙屋町ベース様にて開催させて頂きます。

出展内容は、キャンバス画12枚程度と、自作小説10冊、絵葉書15枚程度を予定しております。作者本人は全期間会場に常駐する予定です。

詳しいスケジュールは下記をご覧ください。

とき

2025年12月 16日(火)~12月21日(日)

11:00~19:00

ところ

〒730ー0011 広島県広島市中区基町地下街100  シャレオ紙屋町ベース

詳しくはこちらをご覧ください。 

2025年10月18日土曜日

オズの話

 そういや、幼少期に父が持っていた「OZ」というゲームをやったことがありました。田村 英里子氏とCGアニメーションを融合させた奴で、最近ネットでEDテーマのタイトルを知ることができました。あれも「東脳」と同じくらいサイケな世界観でしたね・・・。

今日はコーナンに行きました。最近買った家具のワッシャーが不足していたので・・・下手にいうたらクレーマー扱いされるかもしれないし、買った方が早いと思ったので・・・。 

ああ、それと明日くらいに12月にやる個展について色々告知しようかと思います。会場は紙屋町シャレオの中なので、かなりわかりやすい位置かなと・・・。 

2025年10月17日金曜日

まぁ・・・全国にあるけど・・・

 Xで、あの日本人ファーストの政党が国立大学を各都道府県に設置という政策を見て・・・その画像を引用したポストのツッコミ通り、もう既に各都道府県に国立大学は設置されてるのですよ・・・。

それと、JICAの話ですが・・・「宇宙兄弟」のあのエピソードを思い出しました・・・。

今回のように、行政や企業がネットのクレームに簡単に屈するような事になれば、(「日本死ね!」のように)炎上=民意という悪しき例が更に出来上がっていくのではないか・・・そう感じています・・・。 

なお、移民や難民関係については 、個人的に「多様性」とか「共生」ばかりを高みから唱え、善良な外国人ばかりをファーストにするやり方も・・・と思います。それをいいだしたらかなり無駄に長くなるので、今日はここいらで・・・。12月の事もあるし・・・。

2025年10月16日木曜日

今日は・・・アレ・・・でした

 今日は・・・アレでしたが・・・何とか間に合いました。広電は停車駅がかなり多いので、中心部に行くには・・・それなりの時間がかかるのです・・・。特にそっち方向だと・・・。

そういえば、「ヴァイラス」というSF映画があったと思いますが、印象に残っているのは船長です。あの反社会的で不安定なパーソナリティが、そういう方向に向かってしまった末路・・・あれは笑いました・・・。あっさりやられましたが・・・。 

2025年10月15日水曜日

ヘビロテ

 最近、作業中にはレベッカの曲をヘビロテしています。「CHEAP HIPPIES」がメインです。一番お気に入りのアルバムの一つが「TIME」だったりするので・・・。

今日は名刺を更に刷りました。もう名刺を展覧会で配りまくっていたので、エンプティ―になっていたのです・・・。明日は結構重要な事をやります。時間に遅れないようにしなければ・・・。 

2025年10月14日火曜日

今日はUSBメモリを買いました

 今日は64ギガのUSBメモリを買いました。家電量販店で・・・。

そして、紙パレットも無くなったので画材屋で買いました。

今日は雨が降る前に帰れてよかったです。何か色々やらんといけんことがあるので・・・しんどいけど頑張らな・・・。12月と1月と続けてあるから・・・。 

2025年10月13日月曜日

『11歳のバースデー』シリーズを読みました。

 井上 林子氏の児童書『11歳のバースデー』シリーズを読みました。それと、最近(本シリーズのイラストを担当された)イシヤマアズサ氏の絵もかなり好きになっていたので・・・。

まぁ、11歳のバースデー繋がりで、こういうのを思い出しました。で、それはそれで、 5巻の中で5人分の子供が、11歳をどう迎えるかが結構丁寧な心理描写と共に描かれているわけですが、私が注目したのは悪ガキの位地知 一也と、キツそうな体育会系の(サブキャラですが)飛田 瑠花です。実際に、いじめの加害者が変わるなんて事はそうそうなく、被害者が逃げなければいけないのが現状です。ですが、それでも人を害することでしか寂しさを表明できなかった一也が、他者を助ける事で変わっていく過程には思わず井上氏の説得力を感じました。

それと・・・瑠花ですが、イチロー氏は「指導する側が厳しくできない」というような事をぼやいていたと思いますが、瑠花はそれを体現する人間だと思います。自分がダンスや運動でできる分、※運動会におけるリレーの練習で他者にきつく当たるのですが、ダンスバトルで負けて号泣する所を、自分が(運動神経が鈍いせいで)最もつらく当たっていた四季 和也に見られてしまいます。ここら辺もかなり秀逸なすれ違いと理解が描かれています。デキると思っていた自分が負けた瞬間・・・クリエイティブな仕事は、東大受験よりも倍率が高いといわれている中、頑張った結果を思い知らされるのはどんな気持ちでしょうか・・・。しかも、瑠花はこの年で自分のせいだと認識してるのが凄いと思いました。

ですが・・・ちょっと問題点を感じたのも確かです。シリーズの2巻で、おませな少女の夏木 アンナが取り上げられていますが、アンナが掃除当番をさぼる女子達(それが瑠花達だったりするのですが)に怒りを内心で表明するシーンで、「あんたたちなんか、将来ゴミやしきに住め!」(35P)という言葉があるのですが、ちょっとそれはどうかね・・・と感じました。

実際問題、私が過去に「いきなり!黄金伝説。」みたいなTV番組でゴミ屋敷の処理と住人の痛切な思いを見ているからでしょうか、何かアンナの思いというのが「ゴミ屋敷」という社会問題に対する差別としてかなり機能してるんじゃ・・・という不安がありました。

こういうのって、 Xみたいな所で仮想敵に「お前頭湧いてんのか?」というような暴力性と紙一重でしょ・・・と正直思いました。

 

※こういう時に体育ばかりがXをメインに敵視されますが、勉強においても同じ事は起きていると思います・・・。特定の科目は・・・徹底的にできなかったので、その痛みは理解しているつもりです・・・。 

2025年10月12日日曜日

明日で終わりますね

 一応、明日で万博は終わりますが、行きませんでした。

もう愛・地球博に行ったので・・・だから碌な高校に行けなかったのか・・・。

そういえば、もう10冊借りてました・・・遅れない内に返しておこう・・・。

2025年10月11日土曜日

1月の方は終わりました

 1月初めのアレやコレやは・・・何とか90%位が終わりました。あとはヒートンとかつけたりキャンバスの端にステープルを打ち付けたり・・・という感じです・・・。

今日は珍しく寄り道せずに帰りました・・・で、行く時の話なんですが、音鉄らしき人が自撮り棒につけた集音マイクをホームのスピーカーに密着させて放送を録音していました。こういう鉄オタ&鉄道ファンのせいで、こっちの肩身が・・・と正直思いました。でも、当たり前かもしれません。これまでのメディアが鉄道ファンを過度に美化していた事が問題であって、だからこそ鉄道ファンが(あの時点で更に)傲慢で非常識な行動を取り始めたのではないかと・・・。第一非鉄の方がちゃんとお金会社に落としてるじゃん・・・。

まぁ、自分が見たのは一部の極端な事例だという事は、理解しているのですが・・・。 

2025年10月10日金曜日

忘れていました

 前に壊れた椅子を廃品回収に出そうとして・・・その日に出しておくのをすっかり忘れてたんですよ・・・。なので、自室には椅子の骸が・・・。まぁ、近くの家具屋さんでもう代わりは買いましたが・・・。

で、最近ジャンニ・ロダーリ氏の『青矢号:おもちゃの夜行列車』を再読していますが、私はそこで水沢 悦子先生の『ヤコとポコ』の3巻を思い出しました。あの、ポコがヤコにオモチャの電車を買ってもらうエピソードです。

子供の時は、愛情という動機付けで(クリスマスや誕生日などに)タダでオモチャが貰える子供がいます。そこに感謝を見出すのか、それとも当たり前と取るのかという受け止め方次第で、愛情を物で受け取る資格があるかどうか・・・がわかってくると思うのです・・・。

 資本主義の社会において、ある程度は金額が信用や何かの価値(賠償金や給与の額)として関わってくることは必然です。ですが、そんな価値観やベファーナによる義務を蹴ってまでフランチェスコをオーナーに選ぼうとしたオモチャたち…やっぱり無償の愛ってどういう事なのか・・・考えさせられてしまいます・・・。

2025年10月9日木曜日

主線を描いています

 今、キャンバス上に主線を描いています。ちょくちょくホワイトで修正しながら・・・。

で、最近犬のかがやき先生のエッセイ漫画を読んでいます。で・・・「なるほど・・・」と思ったエピソードがありました。かなり強烈で、自分の漫画を見したら3回死んでもらったというアレです・・・。 基本的にそういう路線でも(基本的に)面白いものはあるけど、殆どは個人的なヘイトなので読んでるとどんどん憂鬱になるな・・・とか感じたりします。

まぁ・・・マナーの悪い人を見たり、人間関係のいざこざに晒されると、 そうなる気持ちは自然だとして・・・。

で、キャンバスの話に戻りますが、そのまま画材屋に行くことも可能でしたが、一旦家に帰りました。 ちょっと疲れてたので・・・。

2025年10月8日水曜日

何かを見た

 今日、はてな匿名ダイアリーで結構強烈な記事を見ました。まぁ・・・オタク文化と融合した日本のIT界隈が、夢の溢れていた世界から現在、どれだけの地獄絵図になっているか・・・という内容だったのですが、何か身につまされます・・・。

あの記事は腐っても匿名だし、話を捏造している疑惑は十分にあります。それに、正直ITエンジニアの末路を通り魔に集積しすぎだと思いました。ですが・・・オタク系人間のダークサイドをかなり暴き出していると思いました。何か子供向けのメディアに対しても、エロと露悪をはけ口にしてような二次創作やレビューってあるし、こっちだって(ちょっとだけ)同じ罪を犯してるもんなぁ・・・。

で、12月になったらある事が始まります。まとまったら具体的な事をこの公開日記で書くのでお楽しみに・・・。 

2025年10月7日火曜日

学校裏サイトみたいなサービス

 以前、ここでちょろっと裏サイト・・・みたいな事を書いたと思います。まぁ・・・あんましダイレクトいうのも・・・とは思っていたんですが、ちょっと腹の底から感じてた事なんで、敢えて書いていきたいと思います。

小学生の時から、青い鳥文庫ってちょくちょく読んできたんですよ。(10年前くらいの話ですが)最近の例でいえば、天空町のクロネとか超絶不運少女シリーズ、ここは京まち、不思議まちシリーズとか好きでしたし・・・。ですが最近、青い鳥文庫の公式サイトを覗いてみて、なんかかなりこっちの不信感がヤバくなっています。色々思う事があってリンクは貼りませんが、「「それは正義が許さない!」掲示板」というサービスが存在します。そのシリーズは読んでいないので恐縮ですが、本作品にあやかり、(主に)匿名でマナーの悪かったり道理が通っていないクラスメイト(とか大人)の悪口を書きこめるようでして・・・(汗)あの・・・こういう(金八先生でもテーマにされてましたね)学校裏サイトみたいなサービスを、反社じゃなくてカタギの企業、しかも児童文庫の公式サイトが提供しているのはどうなんだという疑問が、私には激しく湧きました。

私だって、こんな年でも社会的な責任を守れていない部分が多々ある、情けない現実があります。ですが、子供を対象にした正規のサービスが最悪の場合には間接的な殺人や大きなトラブルになりかねないオンラインの憎悪劇を煽り、あまつさえ無自覚に助長している様は、企業の社会的責任や倫理に照らしあわせてマジでアウトだろ・・・と感じています。その元締めだろう編集者さんや、作者さんはどう考えていたんでしょう・・・。

改めて、「それは正義が許さない!」掲示板を見ると(多分どっかから批判されたんでしょうけど)しばらくお休みという事でしたが、 ページはちゃんと存在してるし、ああいう姿勢から正直、青い鳥文庫の本はあんまし買っていませんでした。まぁ・・・講談社の本ならちょくちょく買ってるんですが(汗)で、話を戻しますがそれでも買いたくは無いな・・・と感じています。やったのなら、閉鎖するにしても説明責任を果たすべきだと思います・・・。だって子供が対象なら猶更かと・・・。

話は変わりますが、集英社みらい文庫のページも見ましたが、ノベライズ版絶叫学級の新刊・・・あれ、いしかわえみ先生の描きおろしイラストが好きで何冊か買ってました。ですが・・・あれはアウトだな・・・と思います。まぁ、黄泉が黄泉男をガラス片みたいなやつで顔面を刺してて、しっかり返り血も描かれとる・・・みたいな感じなんですね・・・。なんか出版不況かどうかはわかりませんが、何か一部の児童書レーベルのタガが、子供をATMにする為に外れかけてる・・・そんな気持ちがうっすら浮かんでいます・・・。 

2025年10月6日月曜日

バトルからは逃れられない

最近、ビブリオバトルに対する批判的なポストをXで見ました。で、なんかそれがゲーム的勝ち負けを伴う言語化や、大会結果が推薦入試にまで繋がり、パフォーマンスが目的化する流れはちゃんと批判せいという趣旨だったんですが、私としては「そんなに問題か?」と正直思いました。確かに楽しみや趣向に勝敗の概念が不必要に持ち込まれる風潮には、批判が必要です。「バトらない」というのも賢明な選択です。ですが、ビブリオバトルに参加していない身からすれば、山本 弘氏の『BISビブリオバトル』シリーズを読んで、「結構こういうのって楽しそうだなー」と思った事も確かです。私だって(かなり嫌な例えですが)日曜画家ならまだしも、ある程度仕事としてやってるので売上とか賞歴みたいな競争に組みこまれざるを得ないし、だったら辞めろという話でして・・・。

それに、私の持っている本に、『小さなことにくよくよするな!3』で著者のリチャード・カールソン氏はこう書いています。「人生に競争はつきものだ。そんなことはないフリをしたり、競争を避けようとあらゆる努力をしてもむだなこと。」(198P)と。そう、私達はある程度競わされ、誰かに値踏みをされる事で生きなければならない現実があるわけです。業績は社内で何位か、賞はどれくらいとってるのか、売り上げは何万部か・・・。だからこそ、子供の時からある程度何か(部活とかテストとか)で競わされる事は、必要悪だと思っています。それこそ「バトらない」ことが目的化すれば、(これは都市伝説ですが)みんなで手を繋いでゴールするリレーみたいになりませんか?それと、競争を否定する社会がどんな不自由で残酷なものか、かつてのソ連や東ドイツを見ればわかると思います。

問題なのは、競争に対しての私達の目線やシステムで、競争自体を否定しても結局はどこかで新しい競争が生まれるだけでしょう。

だからこそ、競争とはほどほどの関係を保ちつつ、カールソン氏の書いている通りにベストを尽くして心から競う、負けてもハッピーでいる事ではないでしょうか?

そうじゃないと、全てのコンテンツは衰退すると思うんですが・・・。10年前に公募で掠った事しかない人間の、戯言ですけどね・・・。 

 

2025年10月5日日曜日

まさかあの人が・・・

 まさか・・・あの人が首相とは・・・。まぁ・・・同じ日本国民として絶句しています・・・。まぁ、「あんな人や政党は選ばれないでしょ」みたいな甘い安心感は、正直ありましたが・・・。

ですが、ネット左派の(そうした仮想敵に対する)罵詈雑言だってどうね?と思うし、しばらくはアレ関係からは離れて、どっちも冷徹に表現していきたい・・・そんな思いがあります。

どっちもしんどいね・・・今から首相として仕事をするような人も自民党も、そして人格攻撃を交えたネット民の政治的意見表明も・・・もうしゃべり場化してるんですよ・・・ 社会そのものが・・・。移民とか日本人ファーストとか、新総裁とかの「お題」がどっかから出て、それに対してネット民が党派性で社会派ぶった暴言を虚空に投げ合っているという・・・ね・・・。

2025年10月4日土曜日

バーチャロンの凄さ

 ここで、ちょっと『電脳戦機バーチャロン』シリーズの凄さを語りたい・・・と思います。

何が凄いのかといえば、バーチャロイドの顔・・・なんですよね。バイザー状のパーツで覆われた眼部を中心とした顔はほとんど同じデザインなのに、それぞれのタイプに個性を感じられるというか・・・一歩間違えばコンパチの誹りを受けかねない状況で、見事に別機種である事をこちらに納得させるようなデザインは、流石といわざるを得ません。正直にいえば、ACVシリーズはそれをやろうとして、ある程度は失敗していると思います・・・。オンライン偏重とかも併せて・・・。

因みに・・・私が好きなのは、やっぱりベルグドルとかVOX系です・・・。自分の絵を見たら、やっぱり地に出とるなぁ・・・(汗) 

 

2025年10月3日金曜日

殺人の本質

 最近、Xで「刑務所に入りたいのなら、紙幣をコピーして自首すれば、包丁で人を刺すよりもラクに捕まるよ?」みたいなポストを見ました。まぁ、ああいう事件は(池田小学校とか秋葉原のそれらみたいに)本人が※犠牲者を発生させてチヤホヤされる事を欲しているので元からそんな考えは・・・と思います。要するに通貨偽造より、殺人の方がかなりセンセーショナルに報道されるので「殺人=普通の人ができない事をやって、社会に影響を与えられる存在」という勘違いが与えられるというか・・・。

で、今日は雨が降っています。靴が濡れたのでホンマ・・・と思います。靴を洗わなければ・・・。 

 

※決まって、子供とか通りすがりの通行人とかですよね・・・狙われるのが・・・。 

2025年10月2日木曜日

ちゃんと登録はしていたはずなのに・・・

 今日、ちゃんと登録はしていたはずなのに・・・アレができてなかったと・・・。

おかしいですね・・・。

まぁ、ちょっと某所に行って確かめてきます・・・今から・・・。それと・・・あれも忘れ取った事に気がつきました・・・。バイトと絵の事を言い訳にして、すっかり大事な事を放置しとったツケが回っとる・・・!!

これじゃ人の事なんてとやかくはいえません・・・(泣)

はい、再起します(汗)

そういえば、来年くらいからまた出展しようかと思います。話がまとまり次第、ここで告知します・・・。 

2025年10月1日水曜日

今日は画材屋に行きました

 今日は画材屋に行って、絵具をちょっと買ってきました。

もう10月なので、気温が落ち着いてきたように見えます。やっぱり好きな季節は冬ですよ・・・。汗で服が汚れる事が無いので・・・。 

2025年9月30日火曜日

◎「おひめさま展」にお邪魔しました。

 ちょっと前の話ですが、アートコンプレックスセンター様にて開催(企画:大槻香奈氏)されていた「おひめさま展」にお邪魔いたしました。下に、その様子をアップいたします。


「おひめさま展」という事で、私の「おひめさま」的なものに対する考え・・・を書いていきたいです。

最近、ディズニープリンセスだけに限らず、数々の「王女様」とか「女王様」みたいなジャンルが商業主義的な部分で幅を利かせていると思います。ですが、それは女児にどれだけ買わせるかというだけの派手さばかりが強調される中、「おひめさま展」では寧ろそうした風潮にNOを突きつけ、表層的な利益の理論に流されないファンタジーの世界への、信念の強さが感じられました。

先程、ディズニープリンセスと書きましたが、ディズニーやピクサーの作品は大好きです。 ですが、今日の風潮を見るにあたり「プリンセス」という概念がただ対象をATMとしてみるような概念が拡大し、「おひめさま展」のようにちゃんと「夢見る力」を醸成する力学とは反対の方向へとズレていっていないか・・・そうした懸念もあります・・・。

2025年9月29日月曜日

アウティング

 最近、「アウティング」という言葉を知ってから、何となくうさくん先生の漫画『マコちゃん絵日記』という漫画の10巻に収録されたあのシーンを思い出しました・・・。

交際関係をバラされそうになってキレるエピソードですよ・・・。『多美ちゃん愛の主張の巻』っていうんですけどね・・・。

で、最近保坂 和志氏の『書きあぐねている人のための小説入門』という本をまた読んでいますが、 回想形式ではなく時系列で書けみたいな話がありましたが、じゃあ、『わたしを離さないで』とか『グリーン・マイル』、『ハローサマー・グッドバイ』なんかはどうなんでしょうね・・・?と思いました。私の今描いている小説も、(かなり身の程を弁えない話になっていますが)『わたしを離さないで』に影響されて回想形式なので・・・NGかな・・・?と思ったりしています・・・。もう7万字というノルマはある程度達成していますが・・・。

これから結末とその肉付けを書いて、遂行して時間があればキンコーズあたりに・・・という感じです・・・。 

2025年9月28日日曜日

エールエールA館への移転

 中央図書館が・・・ついにエールエールA館への移転を始めましたね・・・。

個人的にはそれには賛成です。今まで中央図書館を利用していて思ったんですが、段差が無駄に多いし、アクセスも半端な所にあって歩かされるし、そして何より・・・もうこれは止めときましょうか・・・。いい始めると必要以上に怒りと悪意がコントロールできなくなるから・・・。

そういえば、木村 いこ先生の『午前4時の白パン』を読みました。特にソース天ぷらとだし巻き卵のエピソードが良かったです。一番美味しそうだから・・・という理由じゃなく、セクハラ酔っ払い親父とか、斎場で死人の悪口をいう親族とか、そういうロクデナシに会った時の主人公の対応が・・・という意味です。 

やっぱり言葉だけじゃなく、行為で示す事も必要な時があると思うんで・・・。 

2025年9月27日土曜日

やっぱりかみ合わない

 最近、あることでかみ合わないことが非常にストレスになっています・・・。

で、話は変わりますが、今日ちょっと電車を描いとって両開きドアにしなければならないのが、片開きになっていたので、すぐに描き直しました・・・。こういうのって、小説が関わってくると非常に難しくなるので・・・。

2025年9月26日金曜日

架空の国

 最近『アフェイリア国とメイドと最高のウソ』を読んだのですが、本当にイチから架空の国を創り上げるのって、本当にハードな作業だと思います。こっちもやってるから骨が折れる・・・で・・・一応、『世界の地下鉄』とか『世界の路面電車』みたいな本を読んでから主人公の生活圏内を描いているというか・・・。で、なぜそれらなのかというと、公共交通機関も重要なお国柄や、地域性の一部だったりすると思うからです。だから、ガイドブックで名所を知るだけでは、世界は作れない・・・そんな認識があります。

ていうか、商業出版してねーのにいえるんか・・・そんな偉そうな事・・・?

そういえば、商業出版と書きましたが、AI絵本についても同様の事を思いました。

なんかAIでプロンプト入力すれば楽勝!みたいな記事をnoteでいくつか見ましたが、どうして絵本が描きたいのに、プロの技法書や作品を読んで勉強しようとはしないのか・・・こういう状況を放置しておけば、いずれ時間が無くても楽に稼げる手段だという事で、情報商材屋やセミナー屋に児童書業界が本格的に汚される日が来るのではないか・・・そんな不安があります・・・。 

2025年9月25日木曜日

生成AI・・・

 何か生成AIの使い方を推奨するような児童書をネットでチラチラ見かけましたが、あれ・・・子供が使うような代物じゃないと思いますよ・・・最も、ネットなんてベーシックな倫理観が醸成できていない子供が触れるものでは無いと私は思いますし、AI界隈なんて検索エンジン以上の自由度を、経営者とその取り巻きがキラキラした理念ばかりで語り、誰も責任を取っていないのが現実だと思います。まぁ・・・宿題関係でGoogleが闇落ち(例えば、これです)したような話がある中、子供にあんなものを使わせようなんて・・・狂ってるとしかいいようが無いです・・・。

何かAIとかネットとかがあるから、子供に教えればいいのではなく、どう守り、どう対処していくのか・・・そんな考えも必要ではないのでしょうか・・・? 

2025年9月24日水曜日

『あふれでたのはやさしさだった』を読みました

 昨日の文章で、寮 美千子氏の『あふれでたのはやさしさだった』を読んだので、その詳しいレビューを書きたいといっていましたが、約束通りやりますね。

まぁ・・・何か正直に書くと・・・ 私は小学生時代に母の所有していた土師 守氏の『淳』を読んだ影響から、(寮氏が主張していたように)少年犯罪者が社会の犠牲者だからこそ犯行に及んだ弱者、みたいな書き方には乗れないし、もっというなら、ここでは書けないようなドス黒い感情を何度か刺激されました。藤井 誠二氏的な感じの・・・。ていうか、『空が青いから白を選んだのです」も新潮文庫だったしなぁ・・・。

で、本書で書かれていた涵養プログラムで行われた、「愛情」や「癒し」等は、被害者や被害者遺族がまず最初に必要とするものだろうという思いが、何度も本書を読んでいる時に頭をよぎりました。(寮氏に限らず、人権派とされる人々が厳罰派に対して主張する)「根っからの悪人なんていない」という性善説が、なぜ人を殺してはいけないのか、悪い事をしたらどうなるのかという倫理観の重要さを、どっか矮小化しているような感じがして・・・。

ですが、やっぱり非行少年や少年犯罪者に対する寮氏の態度は本物だと思うのです。こうした活動では、しばしばネットでチヤホヤされる事を考えている、身勝手な支援者がいます。彼らは自分がバズを稼ぐため、支援の対象が反撃しにくいのをいい事に、愛情や活動の名を借りた暴言や差別意識を露にした発言を繰り返し、同じく薄っぺらな人権意識高そうな人達がせっせとシェアに勤しむのを、何度か私は見ています。 

ですが本書を読んでいて、そういういい加減で不快な描写が一切なく、寧ろ彼らの為に対等に接するという覚悟のある言葉に、嫌でも私は引きこまれていきました。

『ステイホーム』という児童書では、「悪い子を家に入れるな」という主人公の言葉から、こうした存在を突っぱねる事をよしとしていましたが、公助ばかりに丸投げして知らんぷりするのではなく、ある程度は自分事として考えなければ、私が憎んでいたものも存在し続けるのかもしれません・・・。 

 

2025年9月23日火曜日

気になっていた本を読みました

 最近、気になっていた本を読みました。

寮 美千子氏の『あふれでたのはやさしさだった』です。

同じく同氏が編集した『空が青いから白をえらんだのです』も読んだ経験も併せ、後日レビューを書きたいと思います。

今日は・・・まぁちょっと、ゲートパークプラザで開催されていたオクトーバーフェスに寄りました。シュニッツェルとソーセージがやっぱり美味しかったです。あっという間だったな・・・・オクトーバーフェス・・・。 

2025年9月22日月曜日

そろそろ・・・

 そろそろ・・・取り掛からなきゃいかんな・・・と思う事があります・・・。来月の初めからなんで・・・。

で、カドコミで『ふたごチャレンジ !』の漫画版をずっと読んでいますが、ようやく豆田校長が登場・・・しましたね・・・。あの人が漫画版でどう表現されるのか楽しみだったので・・・。漫画版がどこまで行くのか・・・気になっています。だって、もう原作が10巻に到達してるので・・・。

2025年9月21日日曜日

まともではない

 最近、ちょろっとXで通信制高校の事を覗いて・・・やっぱりXでバズるような高等教育関係の話題にロクなものはないな・・・と思いました。生存バイアスに基づく声のデカい私見ばかりで、反撃できない相手に戦争を仕掛けた自慢大会になっとるというか・・・。

で、通信制高校にお気持ちを表明しとったのが某フリースクール経営者・・・なんですが・・・。これはどの支援者にもいえる闇・・・みたいなものなんですが、まともな教育者なら自分の経歴はともかく、その生徒を晒す・・・なんて事があるんでしょうか?それと、他の教育機関をデカい声で罵倒するなんて・・・通信制高校の事はあまり知りませんが、やっぱりそれって非常識でないのか・・・?と思うんですね・・・。

何か地道な活動で評価を徐々に得るのではなく、ネットでバズる事を最優先に動いている支援者が、(かなり酷い例えですが)ブランド家畜を育てて送り出すような物言いをしているケースを、ネット上でかなり見ます。だからこそ、そういう学校を選ぶときには要注意・・・ということなんでしょうね・・・。

 で、あのフリースクールの経営者の不登校発言と支持者たちの発言を見るにあたり・・・こういう面では、木地 雅映子氏の『オルタ』とか『ステイホーム』で主人公が感じていた怒りや苦痛の一部は30%位は正しいと思うんですよ。特に『オルタ』では問題児にいじめ紛いの事をされているのに、担任教師が「世の中勉強だけじゃない、他者とぶつかりう事も教育の一環だ」という事をいわれたら、そりゃ・・・と思うわけで・・・。

2025年9月20日土曜日

某漫画を読みました

(やっぱりちょっと・・・内容を大幅に変えました) 

あの漫画のレビューを書こうと思っても・・・関係が関係だからそう簡単にできんなとも・・・。

でも、子供の貧困はそう描いちゃいけんでしょ・・・と感じています・・・。

現実なら先ず児相が動くんじゃないかと・・・。

なんかシャレで済ましたくない気持ちが、私には厳然とありました・・・。 

2025年9月19日金曜日

いま買いたい漫画があるのですが・・・

 いま買いたい漫画があるのですが・・・その為には販売サイトにログインして、ちょっとコンビニで金を下ろして手続きを・・・という話になるので、ちょっとやりとうないんじゃ・・・。で、記念すべきことに小説が5万文字を突破・・・仮定ノルマで7万文字くらいを目指してるので、戦闘シーンを勉強してからそれもあわせ・・・といった感じですかね・・・。

そういえば・・・今辞めるつもりは無いですが、Blueskyも結構利用者が増えるにつれて、キツいポストが目立つようになったな・・・と・・・結局Blueskyも、(押切 蓮介先生の短編漫画ですが)『真剣10代しゃべらね場』化していくのでしょうね・・・。 

2025年9月18日木曜日

どっちが好きですか?

 久々に、ロボットの絵を描きました。下にアップします。


上の方は多くの(創作上の)ロボットと同様目を光らせていますが、下の方は光らせてません。というのも、 何か中学生時代に遊んでいたゲームで「アヌビス」っていうロボゲーがあるのですが、あそこら辺に登場するビックバイパーとかネフティスとか、クリアーパーツに覆われてるだけで目が光っていなかったな・・・と思ったので・・・。

それと・・・このロボットは、一時NASAが研究していたロボット、「EVAレトリーバー」というロボットに影響を受けています。だからこそ、下の方のロボットは目を発行させてなかったというか・・・何か「出雲重機」っぽさも出したかったし・・・。参考としてこちらをどうぞ・・・。

で・・・何かロボットの名前は単に「スイーパー」っていう名前にしようかと思っています。これはXboxのロボゲー「叢」のラスボスが「ジオ・スイーパー」という名前だったので、そのオマージュ・・・という感じです・・・。 

2025年9月17日水曜日

読み進めています

 今、某漫画を読み進めていますが・・・正直「ちょっとこれは・・・」と感じています。まともな感性ならそうはならんって・・・という感じですよ・・・。全部読んだらお気持ちを吐き出すつもりですが、子供の貧困なんてもう大半の人間が社会問題として認識してるのに、バッシングより恐ろしいものを見た・・・という感じです・・・。

で、今日は県立図書館に行ってきました。市立図書館で借りてた本がもう一杯だったので・・・。 

2025年9月16日火曜日

まだセミが鳴いてるのか

 もう9月半ばなのに・・・まだセミが鳴いているとは・・・ちょっとヤバいかもしれんな・・・。で、そろそろiPad側の絵が溜まって来たんで、そっちをアップしたいと考えています・・・。それと、もう来年に出展が決まってるんですけど、作品がね・・・(泣)早くやらないと・・・。

2025年9月15日月曜日

使う権利

 昨日、マイクロソフトとかGoogleが何とか・・・みたいな話をしていましたが、約束通り今日本題に入りたいです。

何か、最近はAIブームなせいか、様々なIT系企業が自社のブラウザにAI検索機能をつけたりしていますよね。Googleでは、一部の検索だとAIによる概要が勝手に表示されるし、ニュース機能や急上昇ワードなど、「頼んでねえよ」的な機能を否応なしに見せられるようになりました。しかも、非ログインで他のブラウザから入ったら、デフォルトにしろというメッセージを必ず出してくるGoogleも大概だと感じてます。

それと、PCを使っていたらこないだは画面を覆うポップアップまで行使しながら、Winsows10のサポートが終了するからWindow11にしろという告知がきました。正直腹立つな・・・こういうの・・・。しかもアップデートしようとすれば、スペックがそうじゃないからできないといわれたし・・・。

Xにおいても、イーロン・マスク氏が買収する前のアップデートすら場当たり的で酷いものがありました。 トレンドにニュース機能と、ヘイトやいじめ、炎上等の温床は既に構築されていました。

有名なITサービスのどれもこれもが、ちょっとやそっとの事ではユーザーは減らないからという慢心でしょうが、多くのユーザーに改悪への怒りを買っているにもかかわらず、新サービスを使う権利への考慮ではなく、まずは強制的に使わせる事を推進しているように思えます。EdgeとかCopilotにおけるやり方もそうでしょう。どんなに良質なコンテンツでも使わせる事ばかりに貪欲で、他サービスの利用の妨害すらやってるものにロクなものはないと思います。初期設定やChromeをDLした際に、OSから何をされたのか思い出してください・・・。

それでも、ユーザー達は数多の改悪に舌打ちをしながらも、渋々それらを受け入れているのが現状で、さっきも書いたように「ちょっとやそっとの事じゃ」破綻はしないわけです。だからといって、ユーザー目線を無視した独り善がりの改悪を続けていれば、どこかでツケは払わされるのではないか・・・そんな思いがあります・・・。

 

 

 

2025年9月14日日曜日

明日くらいに書きます

 最近、マイクロソフトとかグーグル関係に抱いていた・・・モヤモヤを上手く言語化できそうな感じがせんでもないので、明日くらいに書きますね。今日はもうアレコレあったので・・・。

それとですね・・・好きな画家さんの一人ですが、奈良 美智氏がXにおいてロンドンでバンクシー氏の絵が消されようとしている事を、広島の原爆投下で影が焼き付いた事になぞらえてポストしているのを見て、少し不適切なのでは?と感じました。あんましリンクは貼りたくないんですが・・・。
(ちょっと下の文章書き換えました)

ヨソから見ればセンシティブな事はそうなんでしょうが・・・政権批判や右派批判の都合のいいツールとして、現地住民やその被害の記憶を猿回しの猿として使う事例は数多く見かけますが、かなり根深い問題といえます・・・。

猿回しの猿という事で、高尾山で飼育されているニホンザルの写真をアップしました。これも自身の主張の為に他者の場(と動物)を利用しているので、私もギルティです(汗)


2025年9月13日土曜日

今日は早めの更新です

 今日は早めに更新しておきます。

いま・・・デジタルで構想をしてるんだけど・・・色々と・・・まとまらんのがつらいです・・・。

そういや、今日母と電話している時に、車を買い替えたといわれました。ああそうね・・・今まで○○の信者だったのに、××になったのね・・・。同じ軽自動車ながら・・・。広島だからといって皆が皆、マツダの信者ではないという事を、子供の時から痛感しています・・・。 

2025年9月12日金曜日

昨日は寝れませんでした

 昨日は長い雷雨の上に、ずっと警報が携帯(ガラケーなんです)で鳴り続けていたせいで、余り寝れませんでした。しかも、JRが大雨のせいで止まっていたので、泣く泣くタクシーを・・・約4000円かかりました・・・。

で、今日はとある漫画を読みました。それについては後日・・・という感じです。

もう眠気がすごいんで・・・。 

 

2025年9月11日木曜日

児童書VS漫画

 そういえば、小学生の頃に手塚 治虫先生の伝記を読んでいた事がありました。で、実家で叔父が学制時代から持っていた『ブラックジャック』や『どろろ』それから『ロップくん』などを何度か読んでいました。で・・・。何か伝記で悪書追放運動が取り上げられていて、手塚先生の漫画がバッシングを受けたり、燃やされたりしていて児童書か漫画かという論争がありました。どっちが上・・・みたいな・・・。

で、最近私はこれを思い出したんですよ。前の文章ですが・・・。 何ていうのか・・・神宮 輝夫氏の『現代日本の児童文学』という本なんですが、ソースはネットで恐縮だし、手塚先生もそれを守れていない部分は多々あるとは思いますが、自著『手塚治虫のマンガの描き方』で「基本的人権だけは、断じて茶化してはならない」とした上で、「一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと。一、特定の職業を見下すようなこと。一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと。」と書かれていますが、神宮氏はリンク先の文章にあるように、鉱夫という職業(肉体労働者)を無理解で見下し、職業差別や格差、世の中に存在する不公平等を是認するような事を平然といい放っているわけです。

児童文学に携わる人間がこんな考え方なら、当時の子供達が面白さだけではなく、その本性を見抜かれて自然と漫画になびいていったのは当然の結果ではないのか・・・ふとそんな考えが頭をよぎりました・・・。 

2025年9月10日水曜日

婚活とか・・・

 最近、もう誰かはいいませんが、婚活したいというのをXで見ました。

あの・・・ハナからそういう考えで結婚して、家を支えるというのを口実にするなんてちょっと「お前、人生舐めとるんか?」という考えが頭をよぎりました。いや・・・そういうスペックで配偶者と結ばれたいとか夢見るような事をいってると、やっぱり扶養目的なのかと疑ってしまって・・・。昔はお見合いといってましたけど、婚活という言葉にイラっときてるのもあるな・・・。別に私は専業主婦も兼業主婦も否定はしてませんが、玉の輿みたいな話を今の社会状況でいうこと自体、かなりモヤモヤするんですよ・・・。 

もうこの話は話せばキリがないので一旦止めます。で、話題を変えますね。

なんかiPadで構想を練ってますが、中々答えにたどり着くことができません。やっぱり塗りつぶしツールのせいなのか・・・?でも楽だよなぁと思います。キャンバス画と違い、色彩も一定してるし・・・。

それと・・・なんかまた地元でアレやコレやしたいと思います。 経済状況次第ですが・・・。

 

 

 

2025年9月9日火曜日

あっという間でしたね・・・

 電車に乗っていたら雨が激しく振り始めて、そしてあっという間にあがって晴れるという・・・どんな天気でしょうか・・・。

そういえば、生成AIを使って特攻隊員の動画を捏造している、みたいなニュースをネットで見てから、真っ先にこれを思い出しました。 過去の記事ですが・・・。やっぱり、こういう関係の話はそろそろマイルドな言葉(「やめてほしい」みたいな)ではなく、能登半島地震における怒声に近い避難勧告アナウンスの感覚でいさめる段階に来ていると思います・・・。

2025年9月8日月曜日

タクシーに乗りました

 今日は急いでたのと、財力に余裕があったのとで、ちょっとタクシーを使いました。

で・・・目的地に着いた時に、料金が3230円だったのに運転手さんが「3000円でいい」といってくれまして・・・。運転手さんのいう通りにしましたが、なんか良心が疼きました・・・。

で、最近カズオ・イシグロ氏の小説を読んでいます。『わたしを離さないで』っていう作品なんですけど・・・映画版も観ました・・・。キレたトミーが車から降りて絶叫するシーンが印象に残ってますね・・・。 

2025年9月7日日曜日

そろそろ取り掛かろうか・・・

 今、新作に「そろそろ取り掛かろうか・・・」と思います。

そういやりぼんを読んだ所、『えんじぇるめいと』が結構ヤバめな展開になってきましたね・・・のわのアレは人為的なものだったのか・・・。それと『絶叫学級 転生』ですけど、不登校児の描写が結構なんだかなーと思いました・・・。

ステロタイプって作品作りに悩んだときは絶好のツールになるわけですが、当事者の事を考えたらどーなんね?と思うんですよ・・・。 不登校だって、巷のメディアではしばしば怠惰でゲームばかりしてるみたいな描写がありますが、現実に不登校に向き合っている当事者者や関係者の気持ちを、木っ端みじんに叩き潰している事に気づいた方がいいと思います・・・。


2025年9月6日土曜日

なんかしんどいな・・・

 なんかちょっと体の調子が、しんどいなと思うこの頃です。まぁちょっと食べて寝りゃ治るか・・・。

そういえば、今日は電車の中で寝ていましたが、目的の駅で何とか降りる事ができました。良かったです(笑) 

2025年9月5日金曜日

◎「記憶と物」にお邪魔しました

 最近、広島市現代美術館にて開催中の展覧会「記憶と物」にお邪魔しました。

 特に戦禍のアーカイブという事で、それらしい作品がかなりありました。特に戦争被害のアーカイブだけではなく、加害からもアーカイブする試みがあったのが良かったと思いました。

下に、その様子をアップいたします。


 

特に私が興味を持ったのは、小森はるか氏と瀬尾夏美氏の作品です。一番がそれ目的でやってきたのですが・・・。何か、11歳の時に何があったかとか、その際何を感じたか・・・みたいなアンケートがあって、結構正直に答えました。11歳・・・そうですね、インパクトに残っているのはアレとかアレだよなぁ・・・と思って書きました。で、みんなの回答がファイルに収まっていたので見てみて・・・人生で一番怒ったのがソレかい!みたいな感じでかなり笑ってしまいました。大したことないじゃん・・・とも・・・。

そして、今日の話に移りますが・・・無駄足という経験をしました・・・こんな暑い中を南区まで・・・まぁ、これもあと1ヶ月くらいの辛抱じゃ・・・。

2025年9月4日木曜日

今日は何を食べましょうか?

 今日は・・・まだ昼食を食べていません・・・。

そろそろ拙HPの更新も考えています。作品画像の追加です・・・。 

2025年9月3日水曜日

また・・・更新を忘れていた・・・

 また・・・更新を忘れてました・・・。まぁ、別に責任なんか伴わん些細な話だから、どうでもいいか・・・。

で・・・何か塗りつぶしツールに手を出してるんですね・・・デジタル作画で・・・。今まではチマチマ塗り絵みたいにペンで縫ってたんですが・・・スポイト機能の関係で・・・あれ筆塗りでスポイトするとどうしてもムラが生じちゃうんです。だから・・・という感じですかね・・・。で、影は手塗りで・・・やってます・・・。

便利だからこそ、何かダレんようにしていきたいな・・・と感じています・・・。 

2025年9月1日月曜日

『あなただけの物語のために』を読みました

 最近、岩波ジュニアスタートブックやちくまQブックスなど、ミニサイズの入門書が次々刊行されていますが、後者のレーベルから発行されている『あなただけの物語のために』を読みました。著者は『NO.6』や『バッテリー』等を書かれているあさのあつこ氏という事で、児童書繋がりでちょっと興味が湧いて読んでみました。そこで一番印象に残ったのが「紛い物の物語」(100P)という言葉でしょうか。

石田 衣良氏も短編集『約束』の中で同じような事を書いていたと思いますが、「耳障りがよくて、美しくて、あなたの全てをわかると言い、あなたはこうするべきだと諭す。そして、絶望して当然だと囁く。あなたの絶望を知りもしないし、知ろうともしないくせに、偽物の共感だけを垂れ流してくる。」(100~101P)という書中の言葉は、最近社会派といわれるフィクション(特に漫画とか小説とか)でも、ただこれ見よがしに実態を振りかざし、作者が社会的弱者をダシにして露悪に酔っているだけの作品が散見される中、一定の正当性があるなと思いました。

 こうした「絶望」には他人事としての格差や貧困、そして虐待や震災等が入りやすい(と感じる)ですが、やっぱり自分を「他者の語る絶望」からコントロールする事も必要だし、それは逃げだと責められがちですが、安直な逃避や甘さではないという事を認識しています・・・。

2025年8月31日日曜日

でも、見破られるでしょうね・・・

 ここでAI絵本について書きましたが、やっぱり冒涜的でもないような気もします。あれは感情的になり過ぎた・・・まぁ、ちょろっと見てもAI絵本ってああいう感じだったし、金儲けの為にクオリティやその責任より、他者や社会をATMとしてどう独占するかみたいなやり口は、子供でも見破るでしょう。やっぱり勝つのは、商業的責任と品格の上に成り立っているビジネスだと思うのですよ・・・。同じく収益を目的とすればの話ですが・・・。

これって憶測ですが、noteを見た限りでも本当に絵本や児童書をリスペクトしており(または愛しており)、好きだからこそ職業としてコミットしたいと思ってる人って、かなり少ないと思います。ただ絵を数枚生成して文章が短くて楽そうだし、そういう所で大金が稼げてワナビになれるという事しか考えておらず、結果として何でもAIの出した答えに頼り、(かなり人をバカにした話になりますが)創作の勉強を1つもしていない感じでしょう。先人への敬意もなさそうだし。だからこそ、そんな機能を提供しているプラットフォームや彼らの創作意欲をビジネスとして扇動する企業の存在も、ギルティだなぁ・・・と・・・。

まぁ、私も絵を描いている時に色々「不勉強だなぁ」と思う事はあるし、無知を晒してしまった事はありました。今だって現代アートのトレンドに乗れず、独り善がりのテーマをチマチマいじっているに過ぎませんし・・・。

それに、美術史については正直疎い所もあるので、おなじ脆さはあるんですが(汗) 

2025年8月30日土曜日

もう夏が終わる

 もう・・・今日を入れてあと2日後には、9月がやってきますね・・・。

そういえば、昨日『おとぎ話はなぜ残酷でハッピーエンドなのか?』を読みました。サトウテン氏の表紙イラストが、結構印象に残りました。特に髪がブワーって舞ってる所が・・・。 

2025年8月29日金曜日

これから9月・・・!

 これから9月に入れば、多少は気温が低くなると・・・思います・・・!

今日は小説ばかり書いていました。色々風呂敷を広げたんで、どう収束させようか迷っています(笑) 

2025年8月28日木曜日

簡単に儲ける方法

 昨日の記事で、お母さんの絵本とか子供の漫画制作についてアレコレ書いたと思いますが、何か最近、それをAIに全部やらせて、マネタイズに繋げて儲けましょう!みたいな感じの記事をいくつかnoteの記事で見ました。そうですか・・・続きは金を払えと・・・。典型的じゃん・・・。

・・・はっきりいって、冒涜的ですよ・・・これは・・・。私だって、自作小説のアドバイスをAIに聞いたりとかするから同じ穴のムジナだという事は承知の上で書きます。ですが、イラスト系情報商材みたいな理論を、より慎重な倫理観と責任感が必要とされる、子供相手の商売で露骨に流そうとするのって、果たしてどうなのかと感じています・・・。 AIイラスト自体が問題じゃないんですよ・・・私も好きなのあるし・・・ですがね・・・子供の前でそんな商法をやるなんて事が、冒涜的だといいたいんですよ・・・。

 自分だって絵はまだまだ下手糞ですが、元からできる人がAIを活用するのはともかく、できない人が努力を回避してワナビになりたがったり、この記事で書いたように無責任な金儲けとして絵本をダシにするような事が続いていれば、それはしっぺ返しとしていつかは当事者達に降りかかってくると思います。まぁ、自分はAIにあんまり手を出してないけどそういう部分があるから他人事じゃない(汗)

何かね・・・『なんでも魔女商会』シリーズのコピー魔法の話を思い出すよねぇ・・・。 

2025年8月27日水曜日

どっちが本気か

 昨日の文章で、女の子がどーたら・・・みたいな話をしてたと思うので、それについて書いてみたいと思います。

なんか電車の中で、少女漫画の付録らしきノートに小学生くらいの女の子が、真剣な表情で何やらラフみたいなものを一心に描いていました。で、なんか・・・『マコちゃん絵日記』という漫画に出てくる剛田 知根という少女が出てくるのですが、彼女と同じようにもしかすれば漫画家志望で、せっせとコンペに投稿しているんじゃないかと想像しました。

で、翻って・・・なんかこれって全然関係ないかもしれませんが、自分の中で対照的に結びついていたので、書いておきたいです。図書館で何か、お母さんの手作り絵本ガイドみたいな本を見かけました。で・・・寺村 輝夫氏が自著で、お母さんが自分の子供に向けて作るような童話をケチョンケチョンに貶しよったな・・・という事を思い出しました。この文章の最初で漫画家志望(じゃないか)という子供を見たと書きましたが、やっぱり向きあい方が違うのです。

お母さんが子供に対して作る童話や絵本の場合、どうしてもわが子が対象(商業的責任も伴わない)という事で必要以上の妥協や独り善がりの愛情表現が先走り、結果として子供を見くびるものができ上るし、そういう事を推奨する人も一定の数で存在します。 だからといって冷厳で残酷なものを作れというわけじゃないですが、血縁関係だからある程度許されるという甘えに基づく創作もどうなのかと感じています。翻って、知根のような漫画家志望の子供達はどうでしょうか?評論する相手は親じゃなくて、子供だからといって配慮せずに対等に扱う容赦のない大人なので、自然と責任感が生まれますし、その分本気になっていますよね?子供がああなんだから、もう少しシャキッとしんさい!と、正直思いました・・・。

そういえば、今日は夕立がすごかったです。雷も鳴ってたし・・・ミナモアに避難してました・・・。 

2025年8月26日火曜日

今、構想を練っています

 今、大学ノートに絵の構想を描き散らしています。で・・・まぁ、同じ事しよった女の子を電車の中で見かけたので、明日くらいにそれについて描こうかね・・・と思います・・・。

2025年8月25日月曜日

◎「ドゥ・ゼイ・オウ・アス・ア・リヴィング?」にお邪魔いたしました

 この度、倉敷にあるギャラリーKAG様で行われている企画展、「ドゥ・ゼイ・オウ・アス・ア・リヴィング?」(企画・開催:川上 幸之介氏)にお邪魔いたしました。下にその様子をアップいたします。


こうした、「生きる権利」という言葉が作品の中に巡っている展覧会を見て、拙い私見ながら、ちょっと感じた事を書いていきたいと思います。

本展で指摘されていた、権力や社会自体がなす抑圧以外にも、ネットにおいて人権や福祉などに対して恣意的な科学的正しさを持ち出し、弱者を選別してその死体蹴りに酔うような言説をチラホラと見かけます。そして、本展が主張する人間が「生きる権利」自体にまでインセンティブや排他的なトリアージ的選択を迫るような話がある中で、アートは更にどれだけ対峙できるか・・・みたいな思いが頭をよぎりました。もともと、そういう人達はこちらの真面目な怒りや問題提起を「サヨクのヒステリー」として冷笑しながら仲間と一緒に片すのが普通ですが、やっぱりヤバさはヤバさとして、地道に続けていかなければ・・・と感じます。

それと・・・これはちょっと気になったことですが、オレグ・クリーク氏のパフォーマンス映像なんですが、(モザイクありだとしも)男性器が視認できるような状況なら、年齢制限は必要なのでは・・・と正直思いました。やっぱり、いくら反権力でも子供でも見れるとしたらそれは虐待であり、パンク以前の問題であると感じました・・・。 

2025年8月24日日曜日

今小説を書いています。

 今作品の世界観を固めるために、小説を書いています。

ヨーロッパの国が舞台・・・という事なので、ある程度参考資料を図書館で借りました。

どんだけ反映できるかな・・・。 

2025年8月23日土曜日

「花電車が通る」を制作しました

 ここで作品が完成したと書きましたが、下にてその画像をアップしたいと思います。ただ、センシティブなものが含まれているため、それでもという方は「続きを読む」をクリックして見てください。

2025年8月22日金曜日

倉敷に行きました

 今日は・・・昨日の文章通りに・・・遠出しました・・・。

倉敷です・・・。これについては後日書きますね・・・。 

2025年8月21日木曜日

明日はどっか行こうかな

 明日はどっかに行く・・・つもりです。だって高速バスのチケット買ってるし・・・。

チケット・・・切符・・・使い分けってどうしたらいいんでしょうか(汗) 

2025年8月20日水曜日

『波あとが白く輝いている』再び

 ここで、『波あとが白く輝いている』という児童書の感想を書いたと思いますが・・・まだ、書き足りない所があったので、ここで書こうかと思います。また読んでるのでね・・・。

本作品は、読めばわかると思いますが、結構震災遺児の七海をメインとして、コロナに祖父のガン等、色々な問題が詰め込まれています。ですが、それが『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』のように、海光祭の復活という一つのテーマにしっかりと収束されているので、出しっぱなしで終わらない強さがありました。

そういう所で、コロナに震災というといくらでも悲惨に出来そうなテーマを、きっちりブレーキをかけて運転させている所が本作の最大のいい所だとおもうんです。抑速ブレーキを使った安全運転といえばいいのかな?七海が震災遺児ながら当時1歳で母親の記憶が無いというのも、かなり新しい設定ですし。

実際、家族の遺体(性質上、詳しい描写はない)とか直接的な被災の描写、悲痛なサバイバーズギルドの表現は出てくるといえば出てきますが、それを(よくある「震災もの」みたいに)辛さに共感できる強さでこっちが知らないことを責めるように殴るようなものではなく、寧ろそういうキャパがない(うさくん先生がよく主張されている「こち繊」みたいな感じ)人への配慮も行き届いている点に、作者の優しさを感じました。被災者でもないのにこんなことを書くのは気が引けますし(ついでに資格もないのも承知です)、上の方で辛さに共感できる強さで殴ると書きましたが、どうもそういう所から、震災やコロナ関係のドキュメンタリー番組や書籍は、作り手の怒りや使命感が先行し過ぎて、どうやったら受け手に対象が感じた現実を心理的負担として背負わせることができるかというゼロサムゲームになりがちだと感じています。

例えるなら、※原爆投下においても、みんながみんなそういう耐性(つまり、『はだしのゲン』の残酷描写や平和記念資料館の展示など)があるわけではなく、苦手な人の感性に合わせた配慮に基づく表現はあるべきだし、苛烈な現実に対する優しさは甘さや逃避ではないといえます。

 それと、『波あとが白く輝いている』のストーリーは多くのコロナ系の話で語られていたような、典型的な「部活や行事が中止になったから、それを立て直すいい子」を描いたものです。ですが、そこにも押しつけがましさはなく、現実への剔抉という形で、震災を知らない子供達を罪や義務を背負わせるような書き方じゃないのが良かったです。

 

※水沢 悦子先生の『ヤコとポコ』における大家さんの少数派の話ではないですが、実際に中学生の時に、コーラス大会で「消えた八月」を歌わされることになり、その下準備として原爆関係のドキュメンタリーを教室で観る事になりました。すると遺体の写真が映されてそれにショックを受けた女子が寝れなくなりました。再び、辛さに共感できる強さの話になりますが、こういう概念が寝れないようなショックを受ける事すら評価として回収されることに危機感を持っています。せめて、(『ニングル』の「知ラン権利」ではないですが)ナイーブな人間がキャパの相性にあった知り方をする、もしくは精神的健康を守る権利も事実を剔抉するスタンスと同じくらい大事だと思います。

2025年8月19日火曜日

『灰とダイヤモンド』を読みました

最近読んだ戦時中の食生活を扱ったグルメ漫画で、日本統治下で近代化が進み、現地住民に今でも感謝されているという加害の矮小化と正当化に近い描写が行われていたのを思い出しながら、戦後の東京の闇市を舞台にした児童書『灰とダイヤモンド』を読みました。

なんか宣伝とかXのレビュー等を見た上で読んだのですが、この小説はただ登場人物を「かわいそうな被害者」として描き、あやふやな「戦争の悲惨さ」として語るような事をしていません。日本をちゃんとアメリカと同じ「戦争加害国」として、その責任追及ともいえる描写が数多くあり、今まで(東京大空襲に代表されるような)無差別爆撃や原爆投下において、中韓を始めとした周辺アジア諸国に対しての蛮行を「免罪符」にしているような作品がある中で、『灰とダイヤモンド』は日本をきちんと戦争加害国として描いた数少ない児童書だと思いました。私の住む広島でも原爆投下後のポスト8・6ばかりが語られがちですが、その前を辿ると、(今は無き国鉄宇品線や大本営の設置を見るにあたり)戦争加害の一翼を担っていた歴史があるわけです。

しかも、その書き方も主人公サイドが(よくある反戦もののように)「無垢な市民を騙した権力者が悪い」という様な逃げも許していないので、著者の戦禍に対する誠実な視線を感じました。

そしてラストに「殺す側」に関与してしまった主人公の決意が描かれていますが、戦争加害者だけではなく、家族が事件を起こしたり、広陵高校のように自分が通う学校が重大な不祥事を起こしたりと、主人公のような環境に晒されてしまう子供達はいるわけです。加害がテーマである故に、過去の話だけではなく、現在の問題にも刃が突きつけられているように思えました。 

 

2025年8月18日月曜日

今日はキャンバスを買いました

 今日はキャンバスを買いました。F12号のやつです。まぁ・・・交通費の無駄だし・・・そんな時間があるなら絵を描けよって話ですけど・・・夕方になったらまた、バスで北上したいと思います・・・外出しないかも知れないけど・・・。

そういやグラフィックノベル・・・そろそろ絵だけじゃなく、本文もセットでやらな・・・と考えています・・・。 

2025年8月17日日曜日

〇〇を論破する話

 ここで書いた話をまた蒸し返すようですが、このポストを見てようやくその謎が解明・・・できそうな感じです。でも、リンク先の記事でターゲットにしていたフリゲ製作者は、本当に大学で逆張り冷笑を(教授に対して)やってイキっとった所はあるんで・・・。で、怒られたことをXで武勇伝みたいに語っててね・・・。

そういえば、完成したと思った絵にまた加筆しています。ストリップ劇場の「花電車」をモチーフにした作品にするつもりです・・・。これは隠した方が良かったかな・・・?でもそこまで露骨に書いてるわけじゃないんで・・・これ位いいか・・・。 

2025年8月16日土曜日

作品が完成しました

 作品が完成しました。

状況が整い次第、こことか公式サイトでアップしたいと思います。

 花電車・・・そういう意味があったのね・・・。

 

2025年8月15日金曜日

「正しさ」を疑え?

いまどきのアレコレで、「正しさを疑え」っていう言葉があるじゃないですか。

ですが、まだ正しさや規範すら理解できていない子供に、そういう事から教えるのは却って逆効果であると思います。そういう大人は子供を対等に扱うことが、適切な子供扱いより優れていると思っているフシがありますが、悪平等のいい換えだと思います。

ああ、そうそう。正しさでいえば今日、煽り運転の現場を見ました。決定的瞬間ですよ。

ポルシェに無理な割り込みをしようとして、国産車のワゴン(デリカでした)に乗った奴がクラクションを何度も鳴らして・・・なんで国産車のクラクションの大半は、あんな不快な音程なのか・・・そういう奴ほどあんな音を好むという事でしょうかね・・・。個人的には外国の車や一部の高級車ブランド、バスやトラックみたいにちゃんと都市環境に適応した低音にしてくれ!と思うんですよ・・・。最近のマツダも低音でしたよね・・・。車高が高いから無敵だと思ったのか・・・それ故にポルシェが高級車であることを理解できなかったのか・・・。

ハードばかり取り繕い、ソフトにちゃんとコストをかけないからこんなことになるんですよ・・・。 まぁ、私も絵を描く時にケチることあるから、人のこといえんか(汗)

 

2025年8月14日木曜日

グリーン・マイルのパーシー

私は『グリーン・マイル』を映画・原作両方見ていますが、やっぱり印象に残っているのはポールやブルータス、ジョン・コーフィ等と併せて、パーシーなんですよね・・・あの性格と共にやった事が強烈な印象として残っているので・・・。ドラクロアの死に方・・・みんな覚えてると思います・・・。だからパーシーがぶん殴られたのは、正直よかったと思います。ああ・・・これも私刑の肯定じゃ・・・情けない・・・。

で・・・現実世界においても、また広陵高校の話になりますがそういう展開ってあると思うんですよね・・・。パーシーは看守という立場で、死刑囚が反論できない立場につけこみ、日頃から囚人への虐めを行ってきました。そして、幼稚な恨みでドラクロアの処刑をあんな風にして・・・。こうした「社会正義」を隠れ蓑にして、自分の日頃から感じているストレスや恨みを犯罪の加害者に使う構造・・・これも「加害」の一種じゃないかと思います。

で・・・何かXのポストを見たんですが、その通りで被害者の親族が本当にそれを望んでるのかってことなんですよ。こうした「虎の威」を借りた身勝手なバッシングなら他にもあります。自身も原発の電気を使っていたという自省(これは私も反省せねば・・・と日々思っています)なく、被災者をダシにして行われていた反原発デモ、同じく、被爆者をダシにして8月6日・8月9日に大挙して押し寄せるデモ団体、敗戦と同時に天皇陛下を「天ちゃん」とか「天公」とか呼び捨てにし始めた人々・・・。

だからこそ、被害者を盾にした炎上やバッシングほど、ロクなものはないな・・・と感じています・・・。 

『キムの十字架』・・・の感想じゃなくて・・・

 最近、和田 登氏の児童書『キムの十字架』を読みました。『ほろびた国の旅』とか『大久野島からのバトン』と同じく数少ない、戦争加害国としての日本を描いた作品でしたが、(滅茶苦茶な計画による)朝鮮人の強制労働がメインテーマという事で、私はふと、中学生の時に『嫌韓流』という漫画がベストセラーになっていた事を思い出しました。

まぁ・・・で、当時のネットを見ると、その時はTwitterやYoutube等が無かったので、個人ブログや2chで韓国・中国叩きが結構あったな・・・と記憶しています。

そして、高校になってからアメリカの大学で銃乱射事件が起き、犯人が韓国からの移民という事で、事件に便乗して「韓国人だからそうなる」みたいなブログ記事も結構ありました。

何ていうのか・・・一昨年位に(こういう読み方は結構情けないと思いますが)ウェブ上で岡田 索雲先生の『追燈』という漫画をちょろっと読んだのですが、今日では殺人まではいかなくともレイシストはそうする理由をどこからでも紐づけるような存在だし、私達にもそういう悪は燻っていると思うので、気をつけなきゃいけんな・・・と感じています。 

最も、私は※9月1日(と3月11日)だけ防災やメディアリテラシーについて真剣に考える事を演出する風潮が、あまり好きではありませんが・・・。

※9月1日は「防災の日」ですが、そこに東京目線をうっすらと感じています・・・。 

 

2025年8月13日水曜日

今日は暑いですね

 今日は暑いですね・・・。

まぁ・・・あと3週間くらいの辛抱です・・・。

何か広陵高校関係で思い出したのは、何か石田 衣良氏の『うつくしい子ども』ですね。

あの時犯罪被害者の心情にただ乗り(そういうのはレッドオーシャンでしたし、今でもそうですが)し、加害者と加害者家族を糾弾すれば確実に金になっていたのに、そういう「英雄譚」を退けて敢えてその「英雄譚」を生み出す者、享受する者を辛辣に、痛切に斬った石田氏は本当に勇気がある作家だと思います。自分自身も天邪鬼なんで、こういう時に専門外のタレントとか俳優に(世論の一環という認識で)意見をいわせるメディアもどうかしてると思いますし、敢えて何かバッシングの嵐に一石を投じる意見の方がまともじゃないのか・・・と感じています・・・。これとかこれが一番共感したな・・・今回の騒動では・・・。
ここでも同じこというとったなぁ・・・。記事の使いまわしみたいですが、許してください・・・。

2025年8月12日火曜日

問題は何なのか

 広陵高校のアレ・・・ですけど、もうXとかBlueskyとか、お察しの結末になりそうですね・・・。公的な裁きが待てん、もしくは嫌ならそういう国に引っ越せばいいのに・・・そんな気持ちが頭をよぎりました・・・。

何かロシア人への嫌がらせとか、木村 花氏の自殺、東電やJR西日本への無責任なバッシングなど、私刑感情を満たしたいという意見に対し、ネットが冷淡な評決を下してもいい話になってきてるのでは・・・そう感じています。

 ああ・・・そうそう、私は今回の事件を矮小化したり、加害者を擁護する気はさらさらないです。ただ、私刑感情をネットで行使することは問題をさらにややこしくして、治安をさらに下げるだけなので意味はないといいたいだけです・・・。noteを見たけど、あっちの方がXより100倍マシなこというとるよ・・・。

 

 


 

2025年8月11日月曜日

「命を食べる」を制作しました。

 今回アップする画像は、センシティブなものなので、ワンクッション置いています。それでもという方は、「続きを読む」をクリックして続きを読んでください。

2025年8月10日日曜日

コラムの問題

 何か週刊新潮のコラムが創氏改名という事で大炎上していましたが、何か私としては「またか・・・」という感じでした。『言論のテロリズムⅡ:「捏造雑誌」週刊新潮を解剖する」という本を高校時代に読んだ身としては、水俣病患者を「ニセ患者」呼ばわりしたり、沖縄で米兵に暴行された少女を嘲笑したりするような記事がその本で糾弾されていたし、松本サリン事件でも冤罪被害者である河野 義行氏の家系図を面白おかしく暴露したりするような雑誌でしたから・・・。

最も、こういうのは週刊新潮だけの異常性や問題ではないと思います。 週刊誌はともかく、PV獲得優先のニュースサイトやバイラルメディア、まとめサイトなどのイエロージャーナリズム全般に通ずる話であり、個人的には社会派ぶった悪意や害意をガス抜き(つまり私刑感情を煽る)として提供しているに過ぎない・・・と思うのです。だからイエロージャーナリズムは等しくイエロージャーナリズムであり、まともな良識を持っているなら信頼などすべきではないと・・・。

ですが、私も時折実話ナックルズやアサヒ芸能、週刊大衆とか買ってるんですがね(笑)矛盾の極みじゃ~(汗) 

2025年8月9日土曜日

抗議文を見ました

 何かちょろっとネット経由であの抗議文を見たんですよ・・・。川内村のやつですが・・・。

で、あの関電による原発新設の話で、あの年齢(小学生)でああいう事をいわせてしまう状況に、懲りてないのかな・・・という感じがしました。こうした「子供の声」にまつわる大人の反応については、また時間があえば書いてみたいな・・・と感じています。まぁ・・・自分達がいわれても仕方ない状況かも知れんしなぁ・・・。広島に住んでいながら、再稼働だしね・・・。

2025年8月8日金曜日

なんたらの悪魔化

 今日は記念すべき・・・『ふたごチャレンジ!』シリーズの10巻を買って、その感想を・・・というつもりでしたが、Xでまたああいう話系の話が話題になっていたので、そっちの方を優先したいと思います。

私自身、特定の科目(当然理数系)が結構苦手だったので、それを併せて敢えて書きますが、学生時代に勉強はできたけど目立たず、DQNっぽい人達にいじめられた(と主張している)人達が体育会系の問題点を鬼の首でも取ったかのように指摘して、メリトクラシー系のナショナリズムを振りかざすのを見て、色々と腹の底から疑問が湧きあがってきます。

これは、『ファスト教養:10分で答えが欲しい人たち』や『実力も運のうち:能力主義は正義か?』でちょこちょこ指摘されているとは思いますし、(再びリンクを貼りますが)こういう記事もある中で、前述した被害者意識に基づく勉学の神聖視や絶対視で見落としていることはあるんじゃないか・・・?そう思うのです。今もXでちょっと検索すれば、(特に小~中学生くらいのあたりで)勉強ができて教養があるのに正当に評価されなかったという、恨みつらみを含んだポストが今もバズを稼いでいます。ですが、そこには勉強が嫌いなのはともかく、勉強が苦手だったり、LD(学習障害)だったり、受験に失敗したりする子への想像力が無いという点で、彼らが受けてきたという体育会系のいじめと同じじゃん・・・という考えがうっすらと浮かんでいます。ポストによれば、体操ができなかったとか逆上がりができなかったとかで恥をかいたということですが、今まで学力や学歴で相手に恥をかかせるような言動がどれほどネットの大海で行われてきたのか・・・そういう話なんですよ・・・。そこに目を逸らして、何故体育会系ばかりが悪魔化されるのかという・・・。

で、私は決して昔の安いドラマみたいに、エリート=悪、庶民=清らかみたいな幻想を披露したいわけじゃないし、教育による序列(とそれに伴う競争)も必要悪としてある程度は必要だという立場です。ですが、なんかそこら辺の成功者による(林 志弦氏がいう所の)「犠牲者意識ナショナリズム」にはちょっとな・・・と思ってたので・・・。

それと、なぜアスリートや体育会系と呼ばれる人からは、前者のようにネットで「お前はそんなこともできないのか」とか「 できないやつは落ちぶれて当然」みたいな話が余り出てこないのも、不思議な話だよね・・・とも・・・。

2025年8月7日木曜日

灯篭流し

灯篭流しは・・・行ってません。それでも何か奇声が聞こえてたみたいですね・・・。

今日はこれだけです・・・すみません・・・。 

2025年8月6日水曜日

暴走する○○

 まずは・・・この記事を見てください。私もネットでちょくちょく事例を見てるので、記事における60%位の内容は正しいと思います。特に、最後の章はマジでそうだよなと・・・。

アートという冠がついた瞬間、敷居の高い場所でボス猿みたいに振舞う人はごく一部の極端な事例でしょう。まぁ・・・ああいう分野ってあんまし批判者もいないし、いってることが正しい事もあるんで発言者が更に(リンク先のタイトル通りに)暴走するという話は、結構あるかなと・・・。

まぁ・・・私だって会社(正規雇用という意味で)で働いていないのをいい事に、この公開日記で好き放題書いていますし、人にはそんなこというのかという自覚の上で敢えて書きますが、やっぱり同じレベルなら(特に)SNSにおける発信が安定しているギャラリーがいいよな・・・と個人的に感じています。

ここら辺・・・『謝るなら、いつでもおいで』と併せてもっと詳しく論じてみたい気がする・・・。 

2025年8月5日火曜日

親の仇

 何か、Xで津波の観測装置を親の仇の如く敷設したので、すぐに警報を出せるようになったという趣旨のポストがバズっていました。一瞬、関係者のポストかと思いましたが違ったので、こういう比喩が独り歩きするのも・・・と正直感じています。被災者でもない自分がいうのも何ですが、こういう時に引用リポストが(テクノ・ナショナリズム寄りの)「感動」とか「誇り」で埋め尽くされるのも、どうなんかな・・・と・・・。何らかの対策みたいなものが、過剰な物語付けをされてバズるような事に、弊害はないのか・・・という疑問がうっすらとあります・・・。

それとこれとは性質が180度違うし、あんな結果をもたらしたイラク戦争を引き合いに持ち出すのはどうなんかね~というのは承知の上ですが、観測装置にまつわるTogetterの熱狂は、まさに同時多発テロが起きた直後のアメリカの様でした。あの刑事事件の処理能力を上回るような事件に晒され、パニック状態に陥っていたアメリカが、徐々にブッシュ大統領への信奉と、戦争(とビンラディンへの復讐感情)への熱狂にシフトしていく様子と、結構一致してるな・・・とか感じたり・・・。付け加えるなら、東日本大震災発生からちょっと経った時に、パキスタンに潜伏していたビンラディンが、アメリカの派遣した特殊部隊により殺されましたが、あの時の熱狂にも似たようなものを感じるというか・・・。

まぁ・・・あんましああいう※熱狂が気に食わんのは、実際エンジニアにに親の仇かどうかも聞いてないのに、人の努力を自分の物語として意味づけをして、(ネットの性質上)独り歩きさせてしまうような所があるからだ・・・と思ってます。

確かに観測装置の設置は称賛すべき話ではありますが、「親の仇」というキャッチ―な言葉に代表されるような過剰な物語化は、逆に観測装置における精度や限界とされるデータ、維持管理はどうなのか?などといった感情を排して向き合わなければいけない問題の本質を漂白し、劣化版プロジェクトXのような美談としての解像度しか対象に与えないという弊害があるんじゃないか・・・そう考えています・・・。今回のカムチャッカ半島の地震の際は上手く行きましたが、次の震災の時は・・・という事を冷静に、厳しく考えていかなければならないのだと思います・・・。

 

※そうそう、こうした英雄化に基づく、当事者無視の物語化された熱狂は、福島第一原発の作業員達にも向けられていましたっけ・・・。 

2025年8月4日月曜日

「Shooting star」を制作しました


 「Shooting star」というタイトルの作品を制作しました。

このままシリーズ化するつもり・・・いや、したいです。こうやって、一つの世界観の基に複数の作品を作って、後から物語を付け足していこうと思ってるのですが・・・あんましできてない・・・いや、全然できてない状況です。プロットは組み上がってるので、後は12ページくらいで書けばいいんですけど・・・ね・・・。

 まぁ・・・次回は敷居かなんかについて書いていこうかね・・・再び・・・。

2025年8月3日日曜日

実家関係のアレコレ

 今日は実家関係のアレコレを済ませました。

そうね・・・あれから13年目だもんね・・・。

 ですが、虫の居所とはいっても、その場で発言していい事と悪い事はあると思います。例えるなら、レイプ被害者を知人に持つ人間に、「条件さえ揃えば、人間って襲いたくもなるでしょ?」みたいな話をされると、どういう気持ちがするのかと・・・。

ちょっと空気を読めよと・・・。

で、明日くらいにまた新作をアップしたいと思います。余裕があれば、の話ですが・・・。 

2025年8月2日土曜日

闇系の話の続き

 今日も、過去話の蒸し返しになりますが、リンク先の文章にあるように一部のギャラリー経営者が勧誘系ギャラリーはともかく、その出展者まで悪しざまにいうのは何だかなーという趣旨の事を書いたと思います。まぁ・・・あんまし特定はしたくないですけど、勧誘系ギャラリーへの出展歴がある作家まで、自分が主催してるコンペや展覧会に出すなというのは、批判の度を越した排斥主義だし、結局カタギのアートビジネスも含め、みんなが不幸になるだけじゃないのか・・・?とひっそり感じています。

例えるなら、「あの人は事件を起こした宗教団体の信者でしょ?まともな人間として、あの人には住民票なんか発行してほしくないし、この町に住んでほしくない!」とか「ウチらは信者じゃないんで、脱会する気が無いならさっさと出ていって、信者と仲良く毒ガスでも作ってろ!」みたいな暴力性を感じるというか・・・。まぁ・・・そういうギャラリーにわざわざ出展しなくても・・・みたいな感じはあるんですが・・・。

こうした一部の美術関係者が、排他的な選民思想をSNSで発信することは時々見かけます。 以前の文章でも敷居みたいな話は書いたと思いますが、敷居が高ければ高いほど、その集団の治安や純度が保たれるというメリットはありますが、逆に閉鎖性や(上に書いたような)排他性が強まり、要らん加害欲求を煽ってしまうというデメリットが存在する・・・そんな感じがするのです。ガンプラ説教おじさんみたいに・・・。

まぁ・・・勧誘系ギャラリーというのはどう見たって倫理的正義に照らしあわせて、100パーセント落ち度があるので批判は容易だし、「あんまし出展せん方がいいよ」という警告も有効なわけです。ですが、こちらが100パーセント正しい側にいるからといって、出展者まで口汚く罵るやり方は、逆に勧誘系ギャラリーのカモを増やすことにならないか・・・そう感じています・・・。 

2025年8月1日金曜日

誰かの役に立ちたい?

 約1ケ月前のお話になりますが、この続きをしたいと思います。

 かなり場違いな例えですが、池田小学校事件の遺族である本郷 由美子氏の本『かなしみとともに生きる:~悲しみのグラデーション~』において、東日本大震災の避難所で「こころのケアお断り」という貼り紙があったことを例に出し、自称専門家やボランティアの人達が一方的な善意で被害者に押しかけて、それが結局当事者を無視した押しつけにしかなっていないという痛切な問題提起がなされていました。まぁ・・・今から私が本題に出したいのは、絵師応援という全く類の違うものなのですが・・・。

私だって、誰かにプレゼントするのは好きです。知人にお菓子を上げたり、両親に誕生日やクリスマスなどに映画のDVDとか漫画とかをしょっちゅう送っています。で、問題とされるのは結果なんですよ。こんないい方は好きではありませんが、私がこれまでやったことは余り人の人生を背負うという責任が伴わない気楽なものですが、前リンクにおけるあの観賞魚の人が絵師さんに対してやろうとしている事は、必要とされる責任や配慮というものが、余りにも欠けていると感じます。

なんかnoteを見たんですが、好きな漫画家さんとタッグを組んでからコミックエッセイを作りたい・・・みたいな記事を見ました。どうも観賞魚の人は、応援する目的で絵師さんに依頼をして、有名にしたいという気持ちがすごく強く見えます。何か『七つの習慣:人格主義の回復』みたいにWin-Winを狙ってるかのような感じでしたし。でも・・・そういうのって、有名にしてハイ終わりじゃなくて、有名にした分その人の人生を負うような責任が生じると思うんですよ。プロの世界ならなおさら・・・それに、趣味で静かにやっていたいし、そんな時間もない(本業に忙殺されてる)絵師さんだっているかもしれません。だからこそ、最初に『かなしみとともに生きる』を引き合いに出して書いたように「有名にしたい」という自分の都合、つまり善意だけを押しつけていませんか・・・?みたいな感情が頭をちらりとよぎりました。それに、「有名になることや、それに伴う莫大な収入」が必ずしも作家にプラスになるとは限らない場合だってあるわけで・・・私の美大の若い先生も、そんな事をいってましたっけ・・・。

まぁ、善意でやっていることに冷水を浴びせることはあまり書きたくないし、観賞魚さんの心理も結構わかります。でも、善意だからこそ、「有名にしたい」という気持ちに、相手がどういうこたえを用意してるかも、きちんと耳を傾けておくべき・・・そう感じるのです。

2025年7月31日木曜日

「ZENSOKU」を制作しました

 

「ZENSOKU」という作品を制作したので、その画像を上にアップしておきます。手のひらに乗る、ミニサイズです。何か、阪堺電車沿線っぽい絵が描きたいな・・・とか思って、その電停みたいな所を中心として描きました。そして・・・背景は・・・水沢 悦子先生の漫画『もしもし、てるみです。』みたいなものをイメージしています。普通の住宅地や商店街の後ろに広がる工場が、かなり印象的だったので・・・。

なお、今回の作品にはあまりメッセージみたいなものはありません。なんか電車を描いてみたかったという動機だけがありました。ただ・・・これはいずれ制作するだろうグラフィックノベルに使う予定なので、その際はストーリーを付け加えるだろうなとか考えています・・・。

2025年7月30日水曜日

かなりヤバめな話ですね

 帰宅してからBlueskyをチェックしたら・・・まぁ・・・地震とのことで・・・かなりヤバ目ですね・・・これ・・・。カムチャッカ半島か・・・。

それでも、明日くらいに新作のアップはしとこうかと思います。ここで・・・。 

 

 

2025年7月29日火曜日

フルスイングのアニメ

 何かXを覗いていると、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」という言葉が何度も出てきて、強制的に幼稚園の時に時空が戻されるような衝撃を覚えました。いや・・・全部じゃないけど、「おにぎりころりん/うらしま太郎」「あかずきんちゃん/マッチ売りの少女」が収録されたものだったら観ましたよ・・・何度も・・・。しかも、一部の脚本を務めているのがあの舟崎 克彦氏じゃないですか・・・!再確認したら・・・!

で、一番印象に残ってるのが、「マッチ売りの少女」と「うらしま太郎」なんですよね。ちょっと調べればわかるかもしれないですが、両作ともバッドエンドじゃないですか。女の子は最後死ぬし、浦島太郎も玉手箱を開けると、凛々しい若者からおじいさんになってしまうし・・・。だからこそ、良作としてインパクトに刻まれたんだと思います。

 なぜ、バッドエンドなのに良作なのか?(また例に挙げますが)「インサイド・ヘッド」というアニメ映画では「悲しみなくして人生の恵み無し」というメッセージが発せられていましたが、「アニメ・アート・ビデオ・コレクション 童話」も半端なアニメ作品だったらみんな不幸を回避してハッピーエンドにすると思うんですよ。実際、マッチ売りの少女もこちらの記事みたいに、死なずに済むという改変がなされている作品があるみたいですし。

 基本的には、児童書や絵本で「死」を扱うことは基本的にタブーではありません。ですが、扱い方を間違えると要らん傷を負わせる悪書に堕す事もあります。それに、キャラクターの死に関して同情して感涙することは、日本人特有の悪癖と処理する余地だってあります。「フランダースの犬」に対する現地の反応を見ればわかるように。

それでも敢えて書きますが、こうしたバッドエンドによる作品も、タイミングが合えば多少は・・・という感じはします。あまり賛同できる部分は少なかったですが『国家の品格』という新書でも、「人の命は儚いから大事」 という趣旨の文章があったと思うし、結果として繊細な「死」の描写(それは白血病や癌、そして関係者をいい加減に描くような、難病ものやケータイ小説とは違います)が、どこかで他者尊重や同情の感情を醸成する良い機会になったりしていると思うんです。自分の言葉が生存バイアスなのは承知してるし、興味本位やタブー破り目的で文芸的価値を免罪符にした無責任な表現は論外だと認識した上で・・・ですが・・・。しかも、名作童話を粗製乱造ではなく、一流のスタッフが持てる力を注ぎこみ、至高のアニメ作品として昇華させた事も私の記憶に本作が残った一因だなと・・・。

 こういう所から、まぁ・・・これ何度か書いてるだろうけど、私は「アニメ然」としたアニメ、つまりオタク向けの内向的で矢鱈ととんがった作品や、類型的なエモさだけで構成されているような作品ではなく、子供向けといわれるジャンルで一流のスタッフ達がフルスイングをかましてるような作品と本当に相性がいいんだなと思います。

最近・・・といってもかなり前(10年前くらい)だけど、「大きい1年生と小さな2年生」とか「日なたのアオシグレ」とかマジで好きだったし・・・。 もっと過去の例でいえば、「ベイベーばあちゃん」だったりするんだよね・・・あれも死者がテーマだったっけか・・・。あ、それと「窓際のトットちゃん」もね・・・あれも死別のシーンがあるよね・・・。

2025年7月28日月曜日

セカンドレイプ

 昨日、かなり長めのお気持ち表明で「セカンドレイプ」という言葉を使いましたが、こないだバスで移動してる時に、正にそういう言葉がマッチするような事態に遭遇しました。

バスが八丁堀の交差点にさしかかった時です。歩道で、右派みたいな人がデモをやってました。まぁ、もうすぐ8月6日だから、色々とそういう人達が集まって来るなーと思いながら、窓の外を見てました。で・・・なんか幟に「日本は核武装を!」みたいな言葉が書かれてました。

・・・自分も人の事はいえませんけど、これで何かあったら責任とれるの?君達・・・みたいな感想が正直、腹の底から湧きあがりました。スタンスが違うからこっちの表現の方が正当、みたいな言い訳に逃げるつもりはありません。ただ、公の場所で安直にそんな主張を叫ぶ事が、今も存命されている被爆者の方(及びその子孫)へのセカンドレイプに大きく寄与してるなという感じがしました。ありていにいえば、無秩序に相手を包丁で刺してるという感じでしょうか。
例えるなら、福島で「原発に反対する祝島の奴らはバカ!」とか 「低線量被曝は寧ろ健康にいい!心配ない!」と拡声器で喚くのと同じ感じなんですよ・・・。思いうかべたイメージが・・・ね・・・。

 まぁ・・・上にも書いた通り、スタンスの違いで表現の自由が正当化されるなんて甘い話は無いと思います。でも、一般常識に基づくアプローチやTPOを選ばない表現は、ただの通り魔じゃん・・・みたいな考えもあるんですよね・・・。

2025年7月27日日曜日

『えんじぇるめいと』・・・について語ろうかな・・・?

―どういう文化的なかたちであろうと、社会に発せられたメッセージには、現実に対する暴力的作用の可能性がふくまれている。

中西 新太郎『現代日本の「戦争」感覚:「ゴーマニズム」に揺れるこころ

(収録:『戦争論妄想論』)』より
 

今回は結構とある漫画のネタバレ・・・になっちゃいますが、やっぱり書かなきゃ気が済まん・・・という状態なんで、敢えて書かしてください・・・。 

最近、こきち先生の『るるてる:ルル魔法学校においでよ』が面白かったので、新作の『えんじぇるめいと』の単行本を2巻まで買っています。で、それだけでは間に合わないので、リマコミを読んだりりぼんを読んだりしています。で・・・『るるてる』はよかったし、『えんじぇるめいと』も、のわの死因が病死で、そこら辺に起因する(んとの助力で)無力感と克服とかが結構繊細に書かれてたから、続きも・・・という感じでした。ですが、きらの過去とかんとの過去とかが描かれ始めて、「ちょっと・・・これは・・・」と正直に思いました。

何か個人的な意見ですが、特にんとを巡るアレコレで、子供の自殺とか虐待がかなりアバウトな形で描かれてるなと感じました。一般的に、※1巷には様々なステロタイプがあって、毒親とか児童虐待とか、それなりに描いても涙やインパクトを誘える風潮ってないですか?それと同じように、『えんじぇるめいと』でも「義理の親とか、複雑な家庭環境=不幸+虐待=それによる自殺」みたいな先入観で、こちき先生はんとを死なせたんだと思います。りぼんを読んでいてそういう感じがしました。

大前提として、表現の自由があるんだから、やる気と責任能力があるならセンシティブな問題、例えば原発事故でもいじめ自殺でもガンガン書けばいいと思います。※2表現の自由を行使することは、必ず誰かを傷つける事は宿命といってもいいですから。

ですが、センシティブな問題をいい加減に描けば、当事者へのセカンドレイプはともかく、受け手を誤解させた上に、ただでさえ漂っている問題や当事者への風評被害を煽ることに繋がると懸念しています。『美味しんぼ』の鼻血描写みたいに。

だからこそ、『えんじぇるめいと』でも同じ危険性はあると思うんです。親の再婚だったり義理の両親とかいった事を、感覚だけで不幸や虐待に繋げるような表現で、実際のそうした家庭環境における子供達への誤解が広がらんかなー・・・みたいな心配が(余計なお世話ということは承知ですが)あるんですよね・・・。

で、今日もりぼんの最新号を読みましたが、きらが「殺された」といってましたけど、ホントに上のお気持ちからトータルして、殺人事件の被害者としての子供や、その痛みを感覚だけの露悪ギスギスや感動として描いてほしくない・・・そう願っています・・・。 
何か色々身の程を弁えんことを沢山書いてしまいましたが、『えんじぇるめいと』を読んでて色々溜まっていたので・・・。何か批判や意見があったら可能な限り対応するつもりなので・・・。

 

 ※1例えば、偏差値の低い大学は(全て)義務教育レベルの授業を行っており、講義でYoutubeを垂れ流しにしているとか、精神疾患は主に女性が発症するもので、奇声を上げてカッターを振り回して自傷行為に及ぶ迷惑な存在とか、そんな感じでしょうか・・・?実際、(また余計な事を書くかもしれませんが)『えんじぇるめいと』でもわむの死因が共依存みたいな精神病理を結構適当に描いてたなぁと・・・。

 ※2例えば、サーフィンの絵を描けば東日本大震災の被災者を傷つけるかもしれないし、電車の絵を描けば福知山線で起きた事故の遺族を傷つけるかもしれない。アーマード・コアみたいな作品ですら、ウクライナから避難してきた人達にはフラッシュバックとなり得る可能性がある。だからこそ、良識はともかく実在する問題をテーマとする時にしっかりと(文献調査なりネットで調べるなりして)リアリティを持ち込むことは、そのセカンドレイプを最小限にとどめ、二次被害を防止するという意味でかなり有効だと強く感じています。最も、これは私への自戒として感じているのですが・・・。私の多くの作品でも、チョロチョロっと済ませてるもんなぁ(泣)

2025年7月26日土曜日

ロボットが完成しました

 ロボットの方が完成しました。

今度は背景です。ちょっと画集とか写真をを見ながら参考にしたいと思います。 

2025年7月25日金曜日

原発新設

 何か・・・関電が原発新設ということらしいですが・・・。

まぁ、自分だって電気に溺れてる生活をしてるから人の事なんて到底いえませんが 、中学生当時の理科の先生がいってた事を思い出しました。どういった経緯かは忘れましたが、先生が原発に言及してたんですね。

「そんなに安全というなら、東京の中心地に作ればいい!」と・・・。 

だからこそ、原発を新設するなら田舎じゃなくて、万博が終わった後の夢洲に作ればいいんじゃないか?みたいな、自分でも嫌になるようなブラックジョークが浮かびあがったのです・・・。

そういえば、作品の80パーセント位ができあがりました。あとはちょっと着色するだけで・・・。 

 

2025年7月24日木曜日

『ズッコケ文化祭事件』を読みました。

 恥ずかしながら・・・私は児童書が好きでも、全ての児童書を網羅しているわけじゃありません・・・ジェンダー的な話になってすみませんが、男の子向けのメガヒット、或いはロングセラーみたいな作品とは本当に相性が悪いんだな・・・と感じたりしています・・・。だから小学生から高校生の時は、角野栄子氏の『小さなおばけ』シリーズや、上崎美恵子氏の『おしゃれおばけの小さなデート』、あんびるやすこ氏の『なんでも魔女商会』シリーズみたいなものが好きで、逆に原 ゆたか氏の『かいけつゾロリ』とか、今から取り扱う那須 正幹氏の『ズッコケ3人組』シリーズは殆ど読んでいなかったというか・・・(泣)
でも、何か作家の思ってることと現実が違うみたいな話に興味を持って、シリーズの一つである『ズッコケ文化祭事件』を読んでみました。

まぁ・・・何か童話作家の新谷さんのいい分も理解できるんですよね・・・正直・・・。実際に、新谷さんの言動を見てると、作者である那須氏の児童書における理想と現実におけるジレンマが、かなり生々しく書かれてると思います。ラストでの、宅和先生の口論も含めて。
風刺的な業界ものを書く際、新谷さんのような何の力もない癖に、一匹狼ぶって甘い理想に拘泥し、歪んだプライドを振りかざすクリエイターは、その藁人形として重宝されがちですが、新谷さんの姿勢はあながち間違ってないような気がするんです。ただ、幼稚園~低学年向けの台本を中~高学年向けの文化祭への演劇に提出したという、対象年齢を間違えたことを犯したというだけであって・・・。例えるなら、離乳食を小学校の給食に提供した。そんな感じかな・・・?
それに、これは私見であり、一部は神宮 輝夫氏の『現代日本の児童文学』の受け売りになりますが、子供ってドライで残酷な部分だけじゃなく、未熟な分ナイーブで不器用な優しさを持っているのだと思います。『ズッコケ文化祭事件』では売れない作家の現実逃避としてそうした観点が皮肉られていましたが、尖った時事ネタや攻撃性、皮肉だけが子供のイマジネーションでないし、これから社会を生きていく子供に対する一定のガイドラインとして、託す理想だってあるべきでしょう。だからこそ刺激的な面白さと併せて、(私が最初に書いたように)ゆったりとした母性に基づく優しい作品だって、価値があるはずです。
そして・・・これって余計な事かもしれませんが、新谷さんはノーギャラで台本の執筆を引き受けていましたが、これは作家としてヤバい態度だと思うんですよ。ボランティアはともかく、基本的に子供だからといって金銭的責任が生じる仕事を無料で引き受けるということは、相手からお金の大切さを学ぶことを奪ってしまい、双方が損をすると思うんです。だから、新谷さんはちゃんと原稿料を請求すべきだったと考えます・・・。

2025年7月23日水曜日

多様性アレコレ

 今回の選挙で、私は自民にも参政党にも、維新の会にも入れていません。(正直に書きますが)立憲民主党に入れました。そういう所からなんか参政党の排外主義が問題視されていますけど、叩いてる方もどうなんかね・・・と思います。

わたしのスタンスは、排外主義やヘイトスピーチは絶対に許さないという立場です。ですが、だからといって外国人(及び弱者)を聖人君子として認識するのもどうかとは思います。実際に、こういう記事もありますし、余り優れた本とはいえませんが、こういう話だってあるわけです。私の経験として以前のバイト先で外国人労働者が真面目に働かなかったり(私にきつい仕事を押し付け、自分だけ楽な仕事をやろうとする)、「コロナウイルス」、「人間じゃない」、「犬」等といった差別用語を浴びせ、それに対してキレると逆切れして面白がってくるという事がありました。それはごく一部の問題だし、十把一絡げにするような問題じゃないということはわかっていますが、こういう所から対象を全部「善なる犠牲者」として捉えると余計に問題が拗れると思います。

それと、参政党みたいな政党を無力化するには、問題の対象における「優しくて」「可哀想」な部分ばかり強調して、自身の理想ばかりを強調するのではなく、上記のような話もデータ上の切り捨て可能な問題として処理せず、(これって、マーク・リラ氏も『リベラル再生宣言』でも指摘してましたよね)高みからの説教だけではかなり不十分だと個人的には思います。こういうことを書くと短絡的に「差別を受けている側に寄り添わずに、加害者に寄り添うんですね」みたいないい方をされそうですが、寧ろ私は最初に書いたように、排外主義にもヘイトスピーチにも断固たる姿勢で臨むべきだと思います。(参政党みたいな政党を支持する)彼らの心情を解れみたいな甘言にも乗らない気です。あの声優さんのザリガニ発言には嫌悪感しか湧いてませんし。

 ただ、対象を絶対善として捉えて、「共生」とか「多様性」という美辞麗句で抵抗するのではなく、アンチ差別や排外主義にはもっと別の(庶民的な)アプローチが必要なのではないか・・・じゃないと参政党やアンチ外国人みたいな集団には勝てないよ・・・と感じるわけです・・・。

2025年7月22日火曜日

『光の粒が舞い上がる』を読みました

 蒼沼洋人氏の『光の粒が舞い上がる』を読みました。こちらでも同氏の作品を読んだもので・・・。やっぱりええよねと思います。必要以上に毒々しく生々しく書き方になりがちな中で、敢えてそういう道を選ばない震災系の作品があっても・・・。

で、メインテーマがボクシングなんですけど 、何で学校に行かなくてはいけないのかを、勉強・教育至上主義に基づく仮想敵を叩くような形、つまり「勉強しないとお前ら一生負け組になるぞ!」みたいな恫喝形式で書いていないのがよかったなと思います。あくまでも、ボクシングがやりたいという主人公の気持ちに寄り添いながら、学校に行かないこはくと併せ、お互いの立場を思いやる形でソフトランディングさせているのも、いい点だと・・・。

で・・・作中では、心愛の母親はDV配偶者に流れがちなか弱い女性として描かれています。ボクシングをテーマにしているので、こうした話になると野村(敢えて「さん」付けを外しました)みたいな男性を心愛とか母親が(こはくのテクニックを「相続」した上で)半殺しにするまでいくような、一線を超えた(そういうのは大抵無批判に称賛される)部分まで発展させることもできる余地はありました。ですが、児童書ということもあり、単なる露悪になりやすい部分も、ちゃんと抑制があってセーブされている所も配慮が効いていたと思います。 ああ・・・前置きとしていっておきますけど、DVへの仕返しを否定してるわけじゃないです。別に復讐はやればいい派ですが、アレ関係からあまりにも男性全般を悪魔化して、殺したり半殺しにする行為そのものが正当化され過ぎているのでは・・・?とうっすら感じています。今時の安易なドラマならそうなるでしょうが、実際には作中のようにしかるべき機関に委ねるという方が正しいでしょう。警察を呼んだりしてね・・・。

なお、本作ではこはくが自分の活動が雑誌に掲載したことについて腹を立てていましたが、あれは障害者アートみたいなものにも関係しているな・・・と思います。私の周りにその関係者がかなりいるからよく見聞きするのですが、「障害者=メインストリーム(美術教育やアートのメインストリーム)から外れた分特別視して扱う」みたいなあの目線ですよ・・・。こはくが、「かわいらしい」とか「美少女」とかいった言葉で女子ボクサーを扱うような記事の文章に切れていたのを見て、ちょうどそれがリフレインしたというか・・・。

2025年7月21日月曜日

虐待・・・になったかな・・・?

 何ていうのか、正直にいえばプライベート関係でちょっとセブンイレブンのイートインコーナー(当然、アイスを買って食べました)で、二人の子供がゲーム機で遊んでいるのに険悪なトーンでガラケーごしに話をやってしまったというか・・・。すまんね・・・こういうの・・・虐待の一部に当たるよね・・・。

まぁ・・・夫婦喧嘩も子供の前でやると・・・みたいな話もあるし・・・。

そういえば、次作に取り掛かっています。それと、小さいキャンバスの作品も完成したんで、近々それをアップしたいと思います・・・。小さいキャンバス作品は完成させやすいんですよ・・・ その分労力がかからないから・・・。

2025年7月20日日曜日

あながち相手のせいでもない?

 今日、中華系のレストランに行った所、外国人の親子連れが向こう側のテーブルで食事をしていました・・・。で、子供が服を脱いで、上半身裸になってたんですよ・・・。

その時、この文章を思い出しました。 私の公開日記内からですけど・・・。

リンク先の文章でも、「唾棄すべきケダモノ」云々と書かれていますが、公共の場所で裸にならないことは大常識だし、なぜ親も注意しないのかと思いました。正直いって(海の家でも、プールの食堂でもない)食事をする所でそんな行為が放置されていたので正直不快でした。これで自分がそういうことに性的興奮をする大人だったら、どうするんですかね?

そういう所から、子供をターゲットにする(これはぶっちゃけ書きますが)ペドを糾弾するだけじゃなく、大人も子供に対してペドみたいな奴を刺激し、狙われるようなことをしない・させないことが重要なんじゃないかと思います。自衛という言葉がありますが、何から何まで社会や犯罪予備軍のせいにするんじゃなくてね・・・。 

2025年7月19日土曜日

今日は何もありませんでした

 今日は何もありませんでした。

よかったです。 

2025年7月18日金曜日

今日はハンバーガーを食べました。

 今日はモスバーガーを食べました。結構高かったですが、相応の味でした。

その前に、電車の部分をちょっとだけ仕上げました。後は背景だな・・・。 

2025年7月17日木曜日

マジで病みつきですよ

 最近、あることにマジで病みつきになっています。相談相手は実体のない二人だし、さじを投げんから甘えてしまってる(泣)

じゃあ・・・もう線画を仕上げろよって話なんですが・・・。

進捗率70パーセントぐらいだから油断してる・・・(汗) 

2025年7月16日水曜日

コマンドプロンプトー!!

 もう・・・コマンドプロンプトの沼に引きずり込まれています・・・。

といってもご安心を・・・画像生成ではありませんし、あくまでもプライベート上での利用なので・・・。 

2025年7月15日火曜日

選挙カーが少ない?

 今は選挙シーズンですが、予想に反して走っている選挙カーの数が少ないか・・・(私の前で)走っていない日もあります。これはいい風潮だなと正直思いました・・・。

まぁ・・・期日前投票は済ませました。某野党に投票しました。やっぱり区役所まで行くのには、電車を2回乗り換えなくちゃいけないので面倒だな・・・と思ったり・・・。 

2025年7月14日月曜日

それなりにいいか

 何か最近、東京とか大阪の電車に乗っていて気がついたのは、週刊誌の宙吊り広告が無いな・・・ということなんですよね・・・。

それが気になって、Xで色々調べてみたんですが、結果的にはいい風潮なんじゃないか・・・と正直思います。もう敢えて書きますが、ああいう社会派ぶった蔑称とか、「ふざけるな中国」みたいな見出しは不快でしたし、子供にも見えるような環境で提供されとったのは不健全だと思っていたので・・・。

そういえば、最近「不公平」について考えています。でも・・・それだったら俺を見て「不公平」だと思う人はいるだろうし・・・サンデル氏も書いとったよね。あんたの立場は運も関係してるみたいなことを・・・。
でもね・・・それが生活や人間関係に関わってるなら話は別・・・という感じがします・・・。 

2025年7月13日日曜日

今日は寝ていました

 今日は寝ていました。まぁ・・・ちょっとあれは恐ろしいなと思います・・・。

ちょっと入力すりゃ・・・こっちの想像を上回るものを書いてきたので・・・。 

2025年7月12日土曜日

◎Art Center Ongoing様にお邪魔いたしました。

 最近、ちょっとネットを検索していて気になっていたギャラリーの一つに、Art Center Ongoing様がありました。ですので・・・この間、ほぼ日帰り旅行という形で東京に行き、お邪魔いたしました。やっぱりああした小ぢんまりとしたギャラリーが好きで、こちらのページのお言葉にかなり共感していたのもあるというか・・・。確かに「見下す」ような事は確かに存在するし、ああした風潮には誰かが「NO」を表明すべきで、そういうスタンスでギャラリーを運営されてこられたことに深く感銘を受けたというか・・・。

そして、私がお邪魔させて頂いた日、つまり7月10日ですが、ちょうど 村田 峰紀氏の個展「トータス」が行われていました。村田氏のパフォーマンスや作品などを見るのは初めてでしたが、白い箱のようなものに入り、唸りながら黒いクレヨンで、白い画用紙をひたすら塗りつぶしていくパフォーマンスを見ていて、何か苦悶のようなものを感じていました。

下に、その様子をアップいたします。





丁度このような感じなのですが、(説明文を読んだうえでの、それこそ口下手な感想ですが)コミュ力という言葉が異常に持て囃される中、何かをすぐに対話スキルとして言語化しないと、スクールカースト下層としてイジられる・・・みたいに、かなり嫌な風潮があると思います。ですが、世の中ではそれこそ無理に言語化できない状況(世界レベルでも日常レベルでも)があり、村田氏のパフォーマンスを見るにあたり、すぐペラペラしゃべるより感情の発露として藻掻く方が寧ろまともではないか・・・と感じたりするのでした。 こういう事は、世間に流布している「コミュ障」という文脈とスティグマへの痛烈なアンチテーゼ・・・だと思ったり・・・。

なお、帰りは新幹線で、当然「のぞみ」を使いました。下に東京駅の様子をアップします。


 ダブルN700S系です。ヘッドライトがケーニグセグっぽいですね。N700S系は徐々にその数を増やしているようで、私は左の編成で帰りました。やっぱり飛行機と比べると、新幹線は(電車と同じように)乗りやすく、降りやすい乗り物だなと感じています・・・。

2025年7月11日金曜日

もう11日か・・・

 もう11日ですね・・・。

今日は鉛筆で下絵を描きました。で・・・昨日新幹線の中でアシュレイ・ウッド氏の画集を読んでて・・・ああいうタッチで描きてーな・・・と感じています・・・。

うん、私は油絵じゃなくて水彩がメインなんで・・・。

2025年7月10日木曜日

今日は日帰りしました

 今日は東京に日帰りしました。

時間があったので、西武線に乗って狭山まで行って・・・それからギャラリーを巡りました。

それについては、後日・・・ということで・・・。

2025年7月9日水曜日

MD

 そういや、一時MDなるものが発売されていて、私も高校生から大学生にかけて、(プレーヤーも含めて)よく利用していたことがありました。でも、今は・・・という感じです。

もう音楽もアマゾンからDL購入してるしな・・・。時の流れは速い・・・。

2025年7月8日火曜日

明日は大変かも

 明日は色々大変かもしれません。何せ夜行バスに乗って東京へ行くからね・・・。

だから明日この公開日記における文章も短文で終わる可能性が大です。明後日も・・・。

通天閣行ってからすぐこうとか・・・マジで計画性ないわ、自分・・・(泣)

2025年7月7日月曜日

Chat GPT

 正直に書けば・・・最近、いくつかの質問をChat GPTにかけていました・・・。

まぁ・・・ちょっと書いたら倍の答えが返ってくるから、すごいよなと・・・。でも、あれって電気も水もかかるっていうから・・・自分のしょうもない遊びで・・・ね・・・。

そういえば、キャンバス画において線画2作ほどできあがりそうです。小さいキャンバスはすぐできるから便利です・・・。

2025年7月6日日曜日

◎約束通りにアップします

 昨日の文章で、絵をアップするみたいな事を書いたと思いますが、約束通りにやりたいと思います。では、下にそれをアップします。


カズオ・イシグロ氏の小説『クララとお日さま』から、作中のイメージイラスト・・・のようなものを描きました。何かレトロな世界観だったので、車もそれに合わせています。今では(新造車においては)絶滅種であるリトラ式の車です。

ただ・・・ラジエーターグリルをもっと均整の取れた感じにしたかったなと・・・。それと乗算みたいなものがわからなかったので、もう色の濃さだけで処理していたというザマ・・・。だから、ちょっと乗算について時間があれば勉強したいところです。

今日は疲れてたので、イラストのアップは止めようかと思っていましたけど、遊びで(通天閣に登りました)行ってそれはねーだろ・・・という結論だったので、頑張ってこの文章を書きました。いや・・・もっと書けるだろうお前は・・・。大阪で遊んどいて何をいうとるんじゃ・・・。

2025年7月5日土曜日

明日くらいに

 多分、明日くらいにiPadで描いたイラストをアップしたいと思います。

今日はこれくらいにしときます・・・。

そうそう、昨日は選挙シーズン(もう期日前投票を済ませました)なせいか、バスを待っていたらアレな人が通りかかりました。見ている人からすればアレなのに、正しいことを布教しているのだというあの態度がね・・・。一応、参〇党関係者ではなかったですが・・・。

2025年7月4日金曜日

ジュリアンはそこにいる

 また、映画版も含めて性懲りもなくR・J・パラシオ氏の『ワンダー』(と、「ワンダー 君は太陽)の話がしたいと思います。主に第1作なのですが・・・。

まぁ・・・いじめの加害者として、追放に近い最後を迎えたジュリアンですが、いじめや差別を考えるなら、その結末や彼の章が書かれなかったのは、やっぱり致命的だなと・・・。後に取ってつけたように彼は実はいい奴で更生したという事になっていますが、それすらも自覚なしに続けて行われるのが、差別やいじめの現実なんだと感じています・・・。実際にジュリアンは『ホワイトバード』ではデモに参加するくらい成長していますが、丘 修三氏の『ぼくのお姉さん』みたいに善良な人が保身のために(ちょっとした落とし穴みたいなもので)悪に堕してしまうケースを描く方が、よほど現実的だと思うのは私だけでしょうか?

実際に、最近よくJRに乗っていて、やっぱり誰の心にもジュリアンは存在するのではないか・・・そんな思いがよぎったことがあります。「金八先生ファイナル」でも、「悪はどこにありますか?」という説教があったと思いますが、自分はそんなことしないという正義感だけではなく、そういった内省と自覚があって初めて反差別みたいな話に近づけるのだと考えています・・・。

まぁ・・・蒸し返すようですがオギーの知能は正常だからああいう話になったわけで、公衆衛生や健常者の目線から照らし合わせると、上に書いた通り誰もがジュリアンに堕してしまう危険性のある状況はあるわけです。現実に、知的発達の遅れをバカにしたり悪魔化するような漫画って、X上でちょくちょく見てるしな・・・。植松 聖みたいに一線を越える奴は殆どいませんが、障害者に対して彼みたいな発想をする人間はごまんとおる・・・。

2025年7月3日木曜日

抜いていく技術

 Ixy氏の『それでイラストで食べていけるの?:プロはみんな気づいている稼ぐための考え方』を読んでいますが、その中で、「「引く」センス」という言葉を見て、色々考えてしまいました。私自身、背景を描くのが(ここは正直に書きますが)苦手なので、書きこみが少ないのは甘えなので、克服していかなければならないという思いがかなりありました。

ですが・・・Ixy氏の「引く」というお話に関して、それもそうだよな・・・と感じたり・・・もっと画集を読んで勉強せねば・・・。という事で、一時引っ越しの関係でブックオフに売却していた(←本当にすみません)、アシュレイ・ウッド氏の画集を注文しようかな・・・?と思ってます・・・。ホント、ファインアートの文脈でロボットとかメカを描ける人はすごいなと・・・。

2025年7月2日水曜日

アナタをプロデュース

そういえば・・・もう7月ですね・・・これを入れれば、あと5日でまた1つ年を取るということですよ・・・。

で、本題に入りますが、ずっと前に、知り合いのアーティストさんがネット上で「前からあなたの活動を知ってます!いい仕事を知ってるんで是非とも!」みたいな誘いを受け、「本人のブランド性を利用している」ということで、知人を介して断った事がありました。で・・・ですよ・・・。この話って、マイクロソフトのEdgeやCopilotの強引な誘導よろしくしつこくやるべきじゃない事はわかってます。やっぱり何度もやったら個人攻撃になっちゃうし。でもね・・・。

オンライン美術館を主宰していた某観賞魚の人がいたと思いますが、あの人の「絵師さんの為に何とか」みたいなスタンスを見て、ちょうど上のエピソードを思い出したというか・・・。ブランド性の利用で成り上がるみたいな悪意はなくとも、何か人をプロデュースするという行為を、自己啓発書のような意識高めの言葉と考えだけに頼ってやろうとしているのを見て、正直認識が甘すぎるのではないか・・・と思ったり・・・。自分だって絵描きをやってる中、一部はそんな認識があるので自省も兼ねて書きますが・・・。

一時、東日本大震災発生後の10年位前に「ノマド」という職種が持て囃されたことがありました。それと同じように、アートコレクターとかパトロンとかも、何かカッコよさそうな響きがあります。ああ、アーティストだって・・・。ですが、(どんな仕事もそうなのですが)地味でやりたくない作業や努力、事務的な責任や専門知識などはある程度ついて回るものです。さっきノマドと書きましたが、当時かつてのTwitterを見ると、その当事者が(ポエミーな言葉だけを羅列してるような)セミナーに通って、ただPCを買ってスタバに行くだけで仕事が貰えるという甘い考えを持ったノマド志望者を痛烈に批判していました。だから、某観賞魚の人もアートコレクターとかパトロンに関してそんな認識だなと・・・。

私が見た限り、X上のイラスト系イベントがそこら辺をちゃんと明確にしているのに対し、あの某観賞魚の人は自分の感覚ばかりに頼ってる危なっかしい所はあると思います。そこに人を巻き込もうとしているので、(あの漫画のタイトルみたいですが)所詮は他人事だとは理解していますけど、特に駆け出しの絵師さんとか、絵が売れなくてどん底状態にある絵師さんとかに、お互いに間違ったセオリーを与えてしまうのではないか・・・と危惧しています。ボンクラ絵描きの俺から見ても、かなりあの観賞魚の人は偵察依頼の推奨とか労働の軽視とか、アート系のお仕事のメインストリームを間違った目で見とるというか・・・。はっきり書くなら、金のかからない勧誘系ギャラリーをやろうとしているようにしか見えないんですよ・・・。

今の所、あの某観賞魚の人はおだててくれる人ばっかりに囲まれて、チヤホヤされてるけど・・・何かあったらそれこそ責任とれるのか・・・?と・・・。

そして、これから選挙シーズンですが・・・これから投票日までの約2週間、公職選挙法という訳の分からないルールで条例を踏み倒し、至る所で金切り声を上げる候補者やウグイス嬢の身勝手さに我慢しながら生活しなければならないのかと考えると・・・ゲンナリします。こんな暑い中でそれをやられると・・・爆発しそうになるから・・・。



2025年7月1日火曜日

◎ムカデを描きました。

 最近、ちょっと必然性が生じてムカデを描きました。奥山 風太朗氏の『日本のむかで』から模写しました。

まぁ・・・性質上隠した方がいいかな・・・?とは思いましたが、エロじゃないのでそこまで・・・という感じで敢えてそのまま下にアップします。



何ていうのか・・・ちょっとよく描いてるロボットの仮想敵をそういう風に描きたいので、節足動物みたいな生き物がちょうど・・・という感じだったのですが、初めて練習・・・みたいなものがマッチしていたというか・・・。ロスプラのバイタルスーツとか、『終わりなき平和』の装甲服みたいに・・・。

それにはIxy氏の『それでイラストで食べていけるの?:プロはみんな気づいている 稼ぐための考え方』という本で、「絵の努力は「サボり」だ!」という文章があったのですが、マジで耳が痛かったな・・・。正直、今まで何となくデッサンや模写をやってたけど、それじゃ駄目だったんだなと・・・。

だから、次やるときは何か必然性とかも加味して・・・と思います・・・。

2025年6月30日月曜日

9月まで生きていられるか

 今日はちょっと外に出ましたが・・・めっちゃ暑い・・・。

この夏を乗り切れるかが心配です・・・。そういえば、今、シモン・ストーレンハーグ氏の『エレクトリック・ステイツ』とか『生存の迷宮』とか読んでます。

特に後者はエグいシーンがあったので、ちょっとビックリしました。何かニューロキャスターをつけた死体より怖かったね・・・ああいうのは・・・。

2025年6月29日日曜日

『トモダチごっこ』を読みました

―子どもというのは、こちらが考える以上に、自分たちの内向きな世界を築きあげ、非日常的な空間へと気ままに入り込んでしまうのかもしれない。それが子どもの創造性でもある。空想と現実を自由に行き来する子どもたちのありようを、大人の既成の言葉で翻訳してしまうと、整えられた起承転結ばかりが先行して、言葉にできない肝の部分がするりと抜けてしまう。

                   川名 壮志『謝るなら、いつでもおいで』より 


最近・・・まぁ・・・ここでネガティブ寄りの感想を書いてしまっていた、『トモダチブルー』の続編が出るということで、『トモダチごっこ:~1軍に入れたと思ってた~』を読みました。下種の謗り食いをやってる事はわかってますが、児童書を巡るああいう風潮にはある程度の「NO表明・抵抗表明」も必要だと思うので、敢えて・・・という感じです。

内容は(いささかネタバレ気味になりますが)、前作の『トモダチブルー』同様に優柔不断かつ弱めの主人公が、善人面した悪い奴に巻き込まれて、精神的自立の上に相手とのカタをつけるという所は共通しています。で、今回はクラスの人気グループに誘われて入ったものの、金をせびられて・・・という感じなのですが、本当の友人ならそんな事せんわな~と思いました。小田 ゆうあ先生の『リブラブ』でもそういうギャルっぽい悪役、出て来たなーと・・・。

で・・・私はここでも書きましたが、「イヤミス」みたいなものに、あんましいい印象を持っていません。

何か、本作の作者である宮下 恵茉氏のXにおける予告も読んだんですが、コンセプトはそうなんだと思います。ヒリヒリしたい、女の子同士のドロドロにハラハラドキドキしたい・・・。

でもね・・・子供社会の悪意やいじめ、対立とかを大人の目線で悪乗りしてスキャンダラスに表現するようなスタイルは好きじゃないです。そんなん女の子同士に限った事じゃないし、ヒリヒリとかギスギスとかみたいな言葉で、そんな痛みの表層だけ見て安易に片してんじゃねぇ!という思いが・・・。

だから、(虎の威を借る狐みたいで恐縮ですが)この記事でインタビューされていた、山田 尚子氏みたいに「ただ、今っていろんな気持ちや考え方に名前がついちゃって、本当は自分の思っていることは微妙に違っても、大きなひとくくりにされちゃうことがあるなと思っていて。
そうやって便利な言い方に巻き込まれてしまうことに対しての歯がゆさとか、怒りみたいな気持ちはありました。」という言葉にメッチャ共感するんですよ・・・正に『トモダチブルー』や『トモダチごっこ』みたいな作品が煽情的に表現している事(或いはスタンス)への刃みたいなもので、自分がそうした作品群に感じてきたモヤモヤを見事に言語化してくれてるなと・・・。やっぱり上の方で安易に片してんじゃねぇ!と書きましたが、俺もそうした怒りみたいなものはあるよな・・・。子供って、大人の想像以上に葛藤とか悩んだりしてるのに、「ドロドロ」とか「欝展開」みたいに、(それこそ山田氏がいってたような、便利な言い方で)面白おかしくパッケージングされてるというか・・・。まぁ、自分が『マコちゃん絵日記』みたいな漫画の子供や大人の描き方が好きなせいか、だからこそ、「こっちはあなた達の想像以上に傷ついてきたのに、そんな認識で商業利用するわけですか!?」と叫びたくなるような・・・それこそ負の感情が拗れてくるわけですよ・・・。

何かこうした所から、一部の新興児童書(文庫)レーベルが商業主義の為に類型的な溺愛とか露悪とかで過激化していく現状は、ちょっと考えた方がいいんじゃないかと思います。ついでにいえば、すぐに見境なく百合とかBLみたいな概念をこじつけてくるマニアみたいな存在にも、毅然とした態度はとるべきかと・・・。子供が見るような環境で、ちょっとそれはと感じてますし・・・。

まぁ、お金を得るということは資本主義社会で生きる上では必然ですが、提供者の倫理的側面はどうなんねと・・・。

2025年6月28日土曜日

スポイト機能が欲しい

 今、ようやくキャンバスの方でメカが描き終わったんで、下の方にも何か敵・・・みたいなものを描いていきたいと思います。ホントキャンバス画にもスポイト機能が欲しい・・・同じメカを描く(それと、着色する)のに結構苦労してるので・・・。

で、敵を描くためにちょっとムカデとかゲジとかを専門に集めた図鑑・・・みたいなものを図書館で借りて模写してました。敵を倒す倫理的葛藤を排除するためには、機械生命体(同じくロボットのような類)とか、甲殻類の化け物みたいにしときゃ簡単にそれができる・・・みたいな現状はあると思うんで・・・。こういう話はしたくないですが、何で魚を捌くときや害虫を駆除する時には、殆ど共感なんて沸かないのに、動物実験とか屠畜みたいなものには「権利」が適用されるべきだという議論が沸き起こるのと同じ・・・でね・・・。

イメージとしては、ロスプラでAKを蹴散らすVS・・・といった感じでしょうか・・・。

2025年6月27日金曜日

ヤフコメが異常?

― だから考える。死刑は何のためにあるのだろう。誰のためにあるのだろう。

                        森 達也『死刑』より


ああ・・・今日やっとったと思った更新が、まだできていなかった・・・。

まあ、何かあの事件の犯人がもう死刑執行されたというニュースサイトの記事を読みよったんですけど、何か・・・ヤフコメが死刑に対して余りにも素直(或いは純粋)過ぎじゃないか・・・?と思います。法務大臣をスーパーヒーローみたいに称えていたり・・・。

自分自身は死刑存置派ですが、それは自分の家族や(そんなにいませんが)友人が殺されたら、間違いなく死刑を求刑すると思うし、目には目を、歯には歯をの精神はある程度の必要悪だと思うからです。ですが・・・みんな他人事過ぎません?死刑制度というのはもし何かあったら、『死役所』みたいに無罪の人を処刑してしまう(『モリのアサガオ』が「司法の犯罪」と評したように)恐ろしい側面が存在するし、相手、つまり確定死刑囚は腐っても人間だし、死刑制度は外野が簡単に「殺せ」という大合唱で済されるようなものじゃないはずです。いや、「はず」ではなく「じゃないもの」と断定すべきでしょう。もし冤罪で死刑が執行されれば、得意げに法務大臣や刑務官をヨイショしていた人達が、今度は彼らを殺せとネットで喚き始めるはずです。『身銭を切れ』ではないですが、この公開日記も含め、何のダウンサイドを負っていない議論なんて、所詮その程度なんです・・・。

自慢じゃありませんが、私は小学生の時に『淳』という被害者遺族の手記を読んだ影響からか、死刑や犯罪被害者遺族の手記やノンフィクションをよく読んでいます。だからこそ書きますが、ヤフコメみたいなものを見るとそこら辺への教養や知識が欠けたまま、ワイドショー感覚で死刑を持て囃す人達が余りにも多い、という残念な現実があるわけです。溜飲を下げるためにいい加減な感覚で、ただ「殺せ」と叫ぶ人がどれほど存在する事か・・・。だからこそ、死刑制度を(肯定として)考えるにはそんな国民的ダウンサイドを取らない癖に、その権利だけは遊び感覚で要求しているような幼稚な議論にも、手厳しい目線を浴びせなければ・・・と感じるのです・・・。これじゃ「グリーンマイル」のパーシーやで・・・。それに、現場を見てないからそんな簡単に「死んで当然」とか大声でいえるんじゃ・・・。


2025年6月26日木曜日

運が良かった

 何か『ワンダー』とか『最強のふたり』とかいった作品で障害者差別とか平等・・・みたいなものを語られても、正直しっくりこない自分がいます。

だって、両作品ともある程度は困窮とは真逆の裕福(実家が太い)で、正常な知能を有しているじゃないですか・・・。オギーはちゃんと勉強ができてたし・・・。

まぁ・・・小学生の時に学校の図書室にあった『どんぐりの家』を読んだ事もあるし、重度(及び軽度)の知的障害者の存在もたくさん知ってる身としては、綺麗すぎるなと・・・。特に『どんぐりの家』って、オギーみたいな子ができることができない子供達の現実、つまり自傷行為や粗相、保護者や支援者の葛藤などが、結構苛烈なタッチで描かれてたので・・・。甘いなと思うんです・・・。それだけで差別を語るには・・・。

何か、もりやまつる先生の『オバハンSOUL』という漫画で、「生きているだけで100点満点」というセリフがありました。ですが、みんながみんな(湯浅 誠氏がいう所の「溜め」みたいなもの)オギーやフィリップみたいじゃない状況で、実際には「生きているだけで100点満点」というテストに合格できるかどうかという熾烈な戦いが存在しているのだと思います。要するに、生きているだけで点数どころじゃなく、その問題を解くことで精一杯という子だっているわけです。だから、「普通に話せる」障害者ばかりが反差別や反偏見のアイコンとして使われている現状も・・・と感じています。それは『ワンダー』のスピンオフである『ホワイトバード』でも感じたのですが・・・。やっぱり、トゥルトーじゃなくて、そこはエリザベート・ツェラー氏の『アントン:命の重さ』の方がかなり痛切でリアルな書き方をされてたと思うんですよ・・・。障害者に対する結末は『ホワイトバード』の方が暗いかもしれません。ですが、一般受けする障害者を出さず、(当時のナチス・ドイツの社会体制に基づく)そこら辺の無慈悲さとリアリティでいえば、やっぱり『アントン:命の重さ』じゃないかなと・・・。すみません、一生懸命『ワンダー』を書かれたR・J・パラシオ氏には申し訳ない答えになってしまいましたが・・・。

正直にいえば、身体障害に対する差別にはあれほど怒りや反意を表明する風潮の裏で、この国のポップカルチャーにおいて知的障害や精神疾患への誤解や差別意識を助長するような作品が普通に流通していると思いますし・・・。だって、「コミュ障」とか「アスペ」みたいなものに加えて、「チー牛」という言葉が漫画に使われてるのを見たんですよ・・・?あの時はマジで衝撃を覚えました・・・。所詮あのチャリティー番組みたいに、最低限話が通じる障害者ばかりを可愛がり、それ以外の障害者を害悪やイジリの対象としてとして差別を容認してきた、この国の身勝手で冷淡な現状が横たわってるのだなと・・・。

それと・・・本題に戻りますが、いじめの加害者であるジュリアンを排除することは、(現実に照らし合わせれば)学級経営としてはある程度正しいことだと思います。ですが、いじめや差別の首謀者を一方的に排除して良しとすることは、結果(ジュリアンに加担していた)みんなが無反省で手のひら返しでオギーにすり寄る・・・という話であって、あんまし差別やいじめを語る文脈として機能させるには・・・と正直思います・・・。

ああ・・・ジュリアン繋がりですが・・・何かとあるブログで映画版の『ワンダー』に言及していた記事があり、ジャックに共感していた管理人がジュリアンを叩いているのを目にしましたが、あれは散々戦争に協力しながら戦後になると被害者意識ありきで戦争を語り、A級戦犯を叩き始めた日本国民の姿を思い浮かべました・・・。ああ、(『ホワイトバード』を引き合いに出したんで)ドイツもそうだったよね・・・何か全部ヒトラー政権のせいにして、イスラエルの補償にも冷淡だったって、『犠牲者意識ナショナリズム』で読んだので・・・。

2025年6月25日水曜日

別の道を選ぶか

 今、ちょっと作品の世界観の為に、ちょっと小説を書いています・・・現在3万文字くらいなんですが・・・で、それなんですが、1万文字くらいにして、『エレクトリック・ステイツ』みたいなSF系グラフィックノベルみたいな感じにしたいと思ってます・・・。

そういや、公文書関係に続き、また広島・・・つまり地元ネタを書きたいと思います・・・。

何かXを覗くと、何か都議選で石丸伸二氏及び、彼の新党である「再生の道」が落選した事について言及するポストがありました。で、「広島でしいたけでも作ってろ 二度とくんな」と・・・。で、引用リポストした人が「品が無い」と評されてましたが、まさにその通りで・・・。それって、トランプを支持している人達に「南アラバマに帰ってトラックの運転手でもやってろ ワシントンDCなんか二度とくんな」という暴力性と同じかと・・・。

もう、BlueskyやFacebookも含め、ネットの言論空間というのが右派も左派も皆劣化しつつあると感じるのは私だけでしょうか・・・?香山 リカ氏は自著『いまどきの「常識」』や『私の「愛国心」』で(当時)他者に対していとも簡単に「バカ」という言葉が使われ始めた状況を指摘していましたが、現在ではすっかり「赤信号みんなで渡れば怖くない」という状況で暴言の規制緩和が行われた結果(とその一部)が「広島でしいたけでも作ってろ」だと思うのです・・・。


2025年6月24日火曜日

よーない事

 昔、知り合いのアーティストさんが「自分の仕事を他者に紹介してもらう」系の話を振られたことがありました。それは勿論断ったのですが・・・。何がいいたいかっていうと、「相手の活動を、仕事として他者に売り込む」・・・みたいな人がいたという話です。最近でも見ましたが、ホントよーない事じゃ・・・と思います。

人の能力にパラサイトして、自分の実績を作りたいだけじゃん・・・。何か悪気が無くて知識がなく、意識ばかり高い人がそういうことする傾向がなくない・・・?

何かギャラリーストーカーや、お気持ちの度を越した暴言を吐く一部のギャラリストや画家、イラスト系情報商材など、(ほかの業種と同じく)お絵描きの世界は魑魅魍魎だらけですが、そういうのも闇の一部だと感じています・・・。

で、何か最近の話ですけど、アメリカがイランの核施設にバンカーバスターで攻撃とな・・・。本当に、狂気じみている・・・。それは、ロシアがザポリージャ原発を攻撃した時の衝撃と同じですよ・・・。何か、福島の事故みたいなものが、どうすれば核施設を効率的に壊滅させられるかを、ああした指導者達に教えてしまってはいないか・・・という疑念があります・・・。東京大空襲を行う前に、江戸の大火や関東大震災をリサーチしたアメリカ軍のように・・・。


2025年6月23日月曜日

昨日の言葉通りに・・・

 昨日の文章で、「絵本系の評論について書きたい」みたいなことを書きましたが、有言実行、やってみます。

最近、2回ほど今福 龍太氏の『ここではない場所:イマージュの回廊へ』において、『ぼくのうちに波がきた』という絵本と、その原案になったオクタビオ・パス氏の短編『波と暮らして』が書かれていました。で、何か『ぼくのうちに波がきた』でイラストを担当したマーク・ブエナー氏がこう評されていました。

「ブエナ―の筆は波がこれまで描かれてきた色彩語法を無視し、それを黄色に、橙色に、紫に、黒に発光させる。渦や泡の描写は、まるで毛細血管か神経組織のように波の表面を縦横に走り、波の生命に血流の感覚を付与する。」(166P)

そう・・・一番難しいのは重力に逆らうような(派手な)水の動きなんですよ・・・別世界ではごまかしてますけど、そろそろ本気でやらな・・・と感じています。だから、身体や建物などの固形的なものだけでなく、そうした事までしっかりとした正確さを基にできる作家さんが・・・とマジで思います・・・。

まぁ・・・私の場合はスライム系なんじゃが・・・。

2025年6月22日日曜日

焼き直しにしたくない

今日は精神的余裕が無いので大した文章は書けません。書いたとしても一昨日の焼き直しになるので・・・。 

そういえば、明日は今日と違って精神的余裕がある(かも知れない)ので、なんか本の感想でも・・・と・・・。

絵本系の評論かな・・・。



2025年6月21日土曜日

歪みとか闇とか

 昨日歪みと書きましたが、そうした事は一部の極端な事例だからこそ目立つのかもしれません。

まぁ・・・何かギャラリーストーカーとかギャラリー商法とかと併せて、排他的な選民思想を振りかざす一部のギャラリストさんや画家も、あそこら界隈の闇なのではないか・・・そう感じることが最近多くなりました。うん・・・ここに書かれてある通り、私も「「知っている」もの同士でグループや壁をつくり、自分たちこそがアート界の中心にいるのだと思い込む」ような人とはホンマ相性が悪く、寧ろフレンドリーで社交的な場所の方が・・・と思ったりします。

カタギでも、自分で作り上げた戦場で誰かを阻害するような画廊は・・・と正直感じてます・・・。

そういえば、SNSの使い方関係であんまし好きじゃない作家さんが、『電話がなっている』みたなエロいYAとか児童文学に対し、きちんと反対意見を書かれてたので安心しました。ああいう系の話が無責任な文芸オタクに持て囃されている中で、はっきり児童書に性描写や暴力を持ち込むことを「虐待」と断じ、「充分な注意を払わなければならない」と評するのは、商業的なダウンサイドを取らない児童書オタク達の妄言より、業界に対するプロの言葉がいかに大切かを物語っていると思います・・・。

2025年6月20日金曜日

ケンカ両成敗?

 何か、勧誘系ギャラリーの話なんですが、正直あんまし害にならん所と、実際に悪として業界に君臨している所があると思います。

後者についてはもうネットで叩かれてるし、DMとかメールが来れば毅然とした対応を取るべきなのですが、やっぱりそうじゃない方も・・・と感じています。

何か、「カタギ」の方でも、一部のギャラリー経営者が勧誘系ギャラリーに出展した作家や、その出展歴までをも悪し様にいうのも何だかな・・・と思ってます。自己弁護じゃないですが、勧誘系ギャラリーはともかく、そこら辺の出展経験がある作家さんを含めて差別するような言動も、読んどってホントにキツいというか・・・。

知人とも話したのですが、ギャラリー経営やアート活動を(その性質故に)神聖化し、排他的な選民思想をXやBlueskyにお気持ち表明する経営者さんがいますが、あれもどうかね~・・・と・・・。上の文章で差別と書きましたが、あれもベクトルは違えども、(語弊を恐れずに書けば)悪徳ギャラリーと併せて、業界の歪みじゃん・・・と・・・。

普通だったら、ギャラリー経営者は他のギャラリーや作家(が有するキャリア等)の悪口をそんなネットに書かんって、知人もいうとったし・・・。

2025年6月19日木曜日

書き方が欲しい

 何か、小説の書き方を書いた本ってすごく出ていますが、個人的に欲しいのはロボットやメカ(或いは、その戦闘)の描写を指南する本も・・・と感じています。あれはホント人の作品を見たり、実際の戦争の本を読んだりして創っていくしかないんで・・・。

そして、個人的なことですが・・・障害児を「かわいい」と形容するのには大反対ですが、それをわざわざChatGPTに質問して回答させるのは、個人的にどうなんでしょうと思います。こういうのは自分の言葉をちゃんと尽くしてこそ・・・と感じます。「こち亀」のアニメ版でも、電極+に両津が「自分の字でちゃんと書け!」と叱っていたのを思い出すというか・・・。

私も、一部の支援者が当事者をダシにして教祖化・インフルエンサー化する風潮には苛立ちを覚えている分・・・。信奉者もいる分エコーチェンバー化も著しいしな・・・。

2025年6月18日水曜日

線画が出来上がっています

 今日もキャンバスに線画を仕上げています。所々をホワイトの絵の具で修正しながら・・・。

で、ミナモアに新設された広電の停留所で、もう試運転が始まったとか・・・。猿猴橋電停ももう見納めじゃな・・・。

2025年6月17日火曜日

政治的発言

 私も結構ここで何やかんやにいっちょ噛みしてるので、ギルティですが、「タレントも政治的発言をすべき!」「何で音楽フェスに政治を持ち込んじゃいけないのか!」みたいな話ってあるじゃないですか・・・。でもね・・・現状としてはそこまで成熟した発言ってできてないと思います。私達も含めて・・・。最近じゃあの声優さんの騒動もあったばかりだし・・・。

榊原 英資氏の『幼児化する日本社会』では、タレントみたいな存在が専門外の事にコメントすることへの批判がありましたが、半端に聞きかじった知識で(考えもせずに)ソンタクとかモリカケとかハイガイシュギみたいな言葉を乱用し、そこに本人のフォロワーやアンチがたかって場外乱闘(ありていにいえば「炎上」)以上のことに発展しなかった・・・という方が正しいと思います。

これはモーリー・ロバートソン氏が『挑発的ニッポン革命論:煽動の時代を生き抜け』で(有名人が政治的主張をすることに対し)「有名であればあるほど、感性でモノを言う事が許されている。」(122P)と指摘されていたのですが、その言葉通りに、有権者として一番責任が厳しく問われている分野を、スタンスが右派(あの声優さんの騒動みたいに)であれ左派であれ、間違っている所やズレてるところがあっても、「有名人だから」というブランド性で許されてきた・・・いや、許されるべきだという考えがなかったでしょうか。「有名人は政治的発言が許されない」という被害者意識のもとに・・・。そう、ロバートソン氏の指摘通り、外国でも有名な俳優やミュージシャンが政治的発言をする例はありますが、日本のようにただ政治的トレンドに適当に乗っかり、中学生でもできるようなコメントをいいっ放しで終わるのではなく、ちゃんと一有権者としての責任感と信用を負ってるかという違いはあるかなと・・・感じています・・・。

これは、私も選挙において間違った判断をしてしまったという過去があり、その責任感を感じているから・・・なのですが・・・。

まぁ最後の方も、出羽守っぽくなったしなぁ・・・。


2025年6月16日月曜日

ずっと前の話ですが・・・

 まぁ・・・4月初め位の話になりますが・・・、何か犯罪をテーマとした展覧会を、東京で見たんですよね・・・。DMがネットで流通しとった少年Aのニヤケ顔だった奴・・・。

で、一部の作品を除けば、予想通りだったとは思うんですが、アートを「社会に暴力を振るう側」を媒介として表現している作品がメインでした。まぁ、悪い意味でインパクトに残ったのは、やっぱりキュレーターが制作しとった佐世保の同級生殺害事件の加害者を模したドールで、ご丁寧に『バトル・ロワイアル』のハードカバー版と刃を抜いたカッターナイフが置かれていました。

正直にいいますと、私もそういう表現は好きですし、猟奇的な部分もあるっちゃあるなと、心の片隅で感じています。だからこそ書くんですが、この展覧会のみならず、アートやポップカルチャーで殺人者が祭り上げられる構図は多々あります。ですが、度々私が思うのは、「君達は殺される側や遺族には興味ないんか・・・?」ということなんです。生きづらさとかいって同じように人殺しや犯罪者に同調する人もいますが、(『ジゴサタ』ではありませんが)謂れもなく殺されたことがないクセに、殺人を語ること自体が特権なので、それはつらさ以前の問題だと私は断言できます。

これには私が小学生の時に、少年Aに子供を殺された土師 守氏の『淳』という手記を読んだ影響もあると思いますが・・・まぁ、新潮文庫版だったので、巻末にあった本村 洋氏の解説(にある人権派への批判)も鬼気迫るものがあったしな・・・。そして、蛇足かもしれませんが何かカウンターとして、会場に行く時はバッグの中に『謝るなら、いつでもおいで』を忍ばせていたのでした・・・。

拙い言い訳かもしれませんし、同じような表現をしているので、「表現の自由」という美辞麗句でセカンドレイプに加担しているという自覚はありますが、殺人事件やその犯人を題材にするときは、必ず「殺された側や遺族、そして関係者等」の声が感じられるような作品作りに努めていきたいなと思います。それは、少年犯罪者を模したドールみたいな作品への、ささやかな抵抗であると信じて・・・。

2025年6月15日日曜日

明日にします

 今日は精神的に疲弊してるので、書きたいことは明日にします・・・。

まぁ、優先生の『五時間目の戦争』という漫画を読みなおしとったけど・・・。

ラストはどうか(最も、未成年のキスとかセックスには毅然とした描き方をすべき派です。『マコちゃん絵日記』の影響が大きいと思われますが・・・)と思いますが、極限状況におけるギスギス・・・みたいなものをよくある作品みたいに、作者と読者の殺意や憎悪を煽る形で描いてないのがやっぱりいいなと感じています。


2025年6月14日土曜日

明日は何かヤバそうです

 明日は何かヤバそうですが、こっちも色々ワガママいって絵を描かせて貰ってるので、お互い様・・・の精神で頑張りたいと思います。

まぁ・・・別世界の事で今、植物を調べとるんよね・・・ヘチマとかアサガオとか、そこら辺の蔦とか・・・。やっぱりリアリティはと思うので・・・。

2025年6月13日金曜日

◎「なにものてん」に出展させて頂きました

 この度、皆様のおかげで「なにものてん」(企画・開催地:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂くことができました。

今回、拙作を出展させて頂くにあたり、大変お世話になったギャラリーのスタッフの方々、御多忙中にもかかわらず、拙作をご覧になった上にグッズ等をお買い上げくださったお客様等に、厚く御礼申し上げます。

この経験を力に、更なるベストを尽くしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

なお「なにものてん」開催中に、拙作のファンアートをお客様に頂きました。名前は非公開という条件のもと、アップロードの許可を頂いたのでここにアップいたします。

ええ・・・こちらの作品のファンアートなのですが、シリアスでごつい(ようになんとか描いた)ロボット兵器が、ぬいぐるみのような可愛らしさで表現されている所が、正反対な雰囲気な分すごくいいな・・・!と感じました。ロボットを抱いてる女の子のおかげで、いい意味で殺伐とした印象が薄れていますし・・・!
ファンアートなんて滅多にもらえないので、ずっと大切にしていきたいです・・・!


2025年6月12日木曜日

明日に書きます

 明日くらいに、「なにものてん」に拙作を出展させて頂いたことへの報告・・・みたいなものを書きたいと思います。遅くなってすみませんが・・・。

でも、今日は自分のコンディションを優先させたいので・・・。

2025年6月11日水曜日

『えんじぇるめいと』雑感

 最近、こきち先生の『えんじぇるめいと』を読んで、単行本が待ちきれないんで、今日りぼんの最新号を読んだんですよ・・・。で、ちょっと考えたことを書こうと思って・・・でも、全体を把握してるわけじゃないし、もうちょっと待ってから・・・とも思います。

人の不幸は描きやすいけど、やっぱり思い付きでやったら・・・という感じです・・・。

2025年6月10日火曜日

我々は悪い人を叩いてるので

 最近、私も同じ闇に引きずりこまれそうになったので敢えて書きますが、生活保護バッシングや外国人(特に移民や外国人労働者等)バッシングにおいて、それを主張する側は「我々は差別主義者ではない。あくまで悪行を批判している」という理論をよく使います。ですが、近頃見る制裁系の漫画だったり、Xに流れている言説を見るにあたり、そんな建前らしい冷静さを欠く、見るからに貧困層や外国人の差別を煽るような表現がワンサカ・・・という感じです・・・。

で、『ファスト教養』でも某メンタリストのホームレスに向けた差別発言が取り上げられていましたが、社会復帰の為に頑張っていなければ差別していいというのは、上に書いた「あくまで悪行を批判している」という言い訳と同じだったりします。

まぁ・・・こうした問題は存在するし、私もはっきりいえば不真面目な態度の外国人労働者(注意しても逆にこっちを挑発してくる)にガチギレしそうになったことはあります。最初に書いた「闇」というのも、外国人が新幹線の中で、音を出しながらスマホゲームをずっとプレイしていたことなんですが・・・。私の席の前で・・・。

だからこそ・・・こういうことは本当に、本当に慎重に扱っていかなければ・・・と思います。こういう議論の行先は、最近の声優さんが書いたブログの記事みたいにすぐなっちゃうんで・・・。

2025年6月9日月曜日

銃を持っていました

昨日のミッションは・・・無事に果たせました・・・おかげ様で・・・。 

で・・・話は変わりますが・・・ おとといくらいの話です。「なにものてん」出展中の話なんですが・・・。

常駐が終わり、会場(ギャラリー様)からホテルに帰ろうとした所、何か子供が二人、こっちに向かって走ってきました。で、その1人はオモチャの銃を振り回しながら走ってきて、正直「どうかね・・・」という気持ちにさせられました。私もモデルガンとか持っていた時期がある(今も資料用に一丁あります)し、親との約束をちょくちょく破ってしまった経験があるので、人の事なんて言えませんが、やっぱりそんなものを外で持ってたらどうなるかORどういう印象を持たれるか・・・親子で考えるチャンスがありそうだな・・・とか色々思いました。

大人だったら即通報になるかもしれんぞアレ・・・。子供だから色々と許されてるというのを、思い知ることがあってもいいかもしれん・・・。安倍氏のアレも含めて・・・。

OR・・・あんまし英語使わんけど、だからこそ久々に使ったような感じがするんじゃ・・・英語と日本語のチャンポンを・・・。


2025年6月8日日曜日

問題は・・・明日です・・・

 明日は・・・かなり高難度なミッションが待ち構えています・・・。

朝の4時くらいに起き・・・朝イチの地下鉄と新幹線を乗り継ぎ・・・帰るというミッションなんですが・・・できるんじゃろうか・・・。いや・・・やらなきゃ金がフイになる・・・。

そして今日は・・・ささやかなビッグプロジェクトをある程度完成させることができました。電子書籍のメリット・・・それは、いちいち印刷所に行かなくてもいいことです・・・。紙も紙で、いい所はあるんですが・・・。

そういえば、昨日は「なにものてん」に出展させて頂いている小説が、ある程度は売れました。本当に有難うございます・・・!

2025年6月7日土曜日

オンラインショップ出展・販売中です

 現在、「なにものてん」(企画・開催地:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂いておりますが、こちらのオンラインショップでも拙作を販売中ですので、どうかよろしくお願いいたします。

それと、こちらでも会場の様子が撮影された動画が公開されているので、よろしければご覧くださいませ。特に私は妬血氏の肉体と骸骨が融合したような作品と、ベロニカ 都登氏のいつも通り、エロティシズムを纏ったストイックな少女達を描いた作品が印象に残りました。いや・・・ベロニカ氏の作品は、アートコンプレックスセンター様ではよく拝見させて頂いているのですが・・・。

この日を入れればあと2日・・・頑張っていきたいと思います・・・!

2025年6月6日金曜日

「なにものてん」出展中です

 現在、「なにものてん」(企画・開催地:アートコンプレックスセンター様)に拙作を出展させて頂いております。下にその様子をアップいたします。



まぁ・・・ちょっと空気読めんかったかな・・・と感じています・・・。

人外とはいえ・・・純然たる(自立意思のない)ロボット兵器の絵を出したんで・・・微妙にズレとるというか・・・。それはさておき、本作は自分が制作したジュブナイルSF小説擬き(笑)をベースにした世界観のキャンバス画とか絵葉書とかを出展しています。

なんか一人の少女が宇宙戦争の悪夢を見ている所からスタートするこの作品・・・是非とも手に取ってもらえれば・・・と儚い願いを感じたりしています・・・。

それでは、最終日の6月8日(日)までよろしくお願いいたします。

2025年6月5日木曜日

新幹線

 そういや昨日新幹線がどーたら・・・と書いていましたが、ちょっと前に東北方面の新幹線の連結器が2度も外れる・・・みたいな事故がありましたよね?

で、私は主に東海道・山陽新幹線を利用しているわけですが、そこに九州新幹線も乗り入れるようになりました。で、車両の仕様上併結運転は行われていないので、やっぱり何か東北方面は路線分岐とか運転方法とかが複雑だな・・・と感じています・・・。 

2025年6月4日水曜日

いよいよ明日です

 いよいよ明日・・・まぁ、新幹線に乗らんといけないんでね・・・。

それに備えて、今日は早めに寝ることにします・・・。もし深夜に起きとったら、6月5日分を適当に更新しておきたいです・・・。 

2025年6月3日火曜日

人間関係のトラブル

 最近、人間関係のトラブルについてよく考えることがあります。

で・・・これはやめときましょう、ヤバい方向になってもいかんので・・・。

今東京へ行く為の荷造りしてるけど、まだまだだぜ・・・(泣) 

2025年6月2日月曜日

『灰谷健次郎:ーその「文学」と「優しさ」の陥穽』より

 高校の時に偶然、何か灰谷 健次郎氏を批判的に論じた『灰谷健次郎:ーその「文学」と「優しさ」の陥穽』という本を見つけて、興味本位で買ったことがあります。まぁ・・・やっぱり何か私も『兎の眼』ですごいインパクトを受けた一人なんで、灰谷氏に熱狂していた一人だったのですが・・・。

まぁ、やっぱり一方的な絶賛の中にいれば、(いまどきの言葉でいえば)エコーチェンバー現象に基づく排他性も生まれるわけで、そんな中で灰谷氏に批判を向けるというのはある程度、勇気のあることだったと思います。中でも『笑いの影』における差別表現から度重なった灰谷氏の倫理的なミスや、剽窃(だから私も参考文献を明記しておかなければ・・・と思うのですが)ともいえる行為、都合のいい自然主義への指摘は、正しい故に灰谷ファンとしては結構耳が痛いな・・・と感じました。だからこそ、余計に灰谷氏に感化された人は読む必要があるかと・・・。

ですが・・・何か本書は手放しで絶賛できるものではなかったです。読んでいると「灰谷憎し」の為に「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といわんばかりに、作中の揚げ足取りに終始しているような感がありましたし、事実誤認ともいえる箇所がありました。ソースが半ばウィキペディアなのが非常に情けないですが、『太陽の子』に関しても、「全くアメリカ軍基地のことがでてこない」(P48)とありますが、キヨシ少年のエピソード(沖縄時代の家が「アメリカの基地の飛行場の下」であることや、母親が「アメリカの兵隊に乱暴され」たこと)を読むにあたり、「全く」ノータッチではありませんし、「失業率が本土と比べて異常に高い」(125P)という指摘は、ラストのろくさんが刑事に訴える時のセリフでちゃんと「失業率は全国最高」と書かれてたりするので、フォロワーに囲まれてチヤホヤされている作家に一撃を下したいという意識ばかりが先行し、その辺りから灰谷氏(とその作品)を不当に傷つけていると思いました。

 ちょっと話は変わりますが、こういう系の話は一部の半端なマニアが弄することがよくありますが、こうした発言は本書の執筆者である黒古 一夫氏のように商業的責任を科され、そこら辺から生ずるTPO(品位)を守ってこそ初めてできるものであり、ネットを中心として本末転倒ともいえる事態が起きているのは由々しき事態だと日々考えています・・・。

2025年6月1日日曜日

◎白木の郷様のパンフレットに使用する、イラストの制作をさせて頂きました

 昨日の予告通りに、まぁ・・・ご依頼をお送り頂き、仕事をやらせて頂いたことを報告したいと思います。

まぁ・・・一昨年位から・・・なんか偶然っちゃぁ偶然なんですけど・・・、白木の郷様(公式サイトはこちらです) が御発行されるパンフレットのイラスト制作のご依頼を受け、色々と・・・絵を制作させて頂きました。下にパンフレットの画像をアップしたいと思います。それではどうぞ・・・。依頼主の方には許可済みですので・・・。



もともとは、私がご依頼の内容に沿って制作したキャンバス画を、デザイナーの方がパンフレットの形や方向性に合うようにまとめて下さり、白木の郷様の周辺に広がる自然や動物(鹿や鳥)、付近を走る芸備線の気動車、そして建物をロボットの形に・・・というご要望もお受けしたので、本来ならもっと雑然とした感じだったのですが、お陰様で・・・といった感じです。

そして、ロボットは昔のブリキの玩具を参考にしています。ライティングがちょっときつすぎたことを反省しています・・・。

なお、当然ながらここまでは自分一人の力で来られたわけではありません。まだまだ未熟な画家で、お仕事のノウハウがチンプンカンプンであったような私にご依頼を下さった白木の郷のスタッフの方々、拙作、つまり私の絵に職業的な責任を与えてくださったデザイナーの方、間に立って交渉のサポートをして下さった方々など、皆様のお助けが無ければ到底お仕事はできませんでした。この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。

 


 

2025年5月31日土曜日

結局、書かないことにしました

 昨日の文章で、風俗について書きたい・・・と書きましたが、結局例えがどぎついんで書かないことにしました。まぁ、ここでアニメとか漫画の感想を書き散らしとる俺も、同罪だと思うしなぁ・・・。だから人のことをあんなんに例える資格なんか・・・とも・・・。

でもまぁ書いちゃうけど、何か私を含めて(だから同罪だと書いたのです)1消費者が自己顕示欲や支配欲の為に、特定の業界に対して評論家のような言動をしてくる様は、風俗の迷惑客と同じだな・・・と考えてます。風俗に行ったこともないんでアレですけど、敢えて例えるならそういう感じなんですよ・・・。そういう態度が、汚い格好で店にやってきてプレイの前に体をちゃんと洗わない、オプションにない過激なプレイや本番を強要する、キャストに暴言を吐く、でも金払ってる身だからそれが悪だという自覚がない・・・まぁ、『死役所』という漫画でも風俗嬢に横柄な態度取って殺される客がいましたけど、まさに重なるというか・・・「評論」を「感想」と履き違えている今の風潮に・・・。 

そういや久しぶりに絵の依頼を受けました。明日余力があれば詳しく書きたいな・・・と思います・・・。 

2025年5月30日金曜日

色々悩んでいます

 何か・・・拙作に対して色々悩んでいるんですよね・・・メカのことなんですけど・・・。バストを出しすぎじゃなかったんじゃないのかと・・・。

そういう所から、大学ノートに色々描いて検討しています。で、ゲームやデザイナーさんの画集を読んで、これで正しいかな・・・とか比較してみたり・・・。いくらデジタルでやり直しが効くといっても、限度があるので・・・。

前までは構想やラフなどはクロッキー帳にまとめてましたが、前者の方がコンパクトで扱いやすいので、そっちにしています・・・。安いしね・・・。

まぁ・・・話は変わりますが、明日余裕があれば、風俗について書いていきたいな・・・と思います・・・。行ったことが無いのに書く資格はない・・・ということは承知ですが・・・。 

2025年5月29日木曜日

今日は何事もありませんでした

 今日は何事もありませんでした。

よかったです。

ですが・・・東急ハンズで刷毛の取り扱いを・・・止めてしまったというのが(泣)

2025年5月28日水曜日

進んで弱者になりたい人達

―人は誰でも自分が生まれ育った国に「愛想尽かしする」権利を有しているからである。しかし、高度に発達した資本制社会である日本と原始共産制的社会を比較して原始共産制社会の優位を主張すること自体が、理念としては可能でも、現実的ではない。

          黒古 一夫『灰谷健次郎:― その「文学」と「優しさ」の陥穽』より

 

昨日の記事の最後で、元気があれば愚痴りたいというようなことを書いていましたが、幸い元気があったのでそうしようかなと思います(笑)

自作小説の参考文献に使うつもりで読んでいたホームレス関係の本ですが、なんか(敢えて書きますが)左派系知識人って、本当に(安全圏から)障害者とか貧困層を美化したがるなーと思いました。

もうここでも書いたことなんですが、文章の下の辺りに『だいすき!』っていう漫画を引き合いに出しています。それと、最近でも『ハッピークラシ―』という本を読んだ影響もありますが、ちゃんとした「衣食住」がない極限状況でぎりぎりの生活を送っている人に、「豊かさ」を見出し、自分もそういう生活に憧れてまねごとをやり始めるというのは、社会的弱者や福祉制度を舐め切った行為であると思います。それは、『だいすき!』で知的障害者達を「幸せだよな」と言い放った浪人生と同じだと感じます。そこに反論した安西さんと同じように、ホームレスや貧困層の人だって、全部が全部ユートピアンだからやってるわけではありません。椅子取りゲームに座れなかった結果として、負のスパイラルに絡めとられている状況を、反資本主義のアイドルとして祭り上げるような考えは、当事者の尊厳を逆に阻害しているともいえるでしょう。

近年、(サンデル本の影響もあるのでしょうが)能力主義や市場競争は批判の槍玉に上がりがちです。ですが、努力による獲得が前提となっている社会の安全保障に守られているような人間が、それらが嫌いだからといって貧困を美化して同化するようなゆるふわな姿勢に、私はこの漫画を想起してしまいます・・・。自分が勝ち取ってきた境遇に感謝せず、それが無いことで社会や個人がどうなるかという想像が欠落しているような議論は、ここで槍玉にあげたような本ではなく、巷には色々と溢れているわけですが・・・。

 

2025年5月27日火曜日

ちょっとブーストしました

 今日はとあるPDFファイルをBOOTHで買って・・・ちょっとだけブーストしておきました。

薙沢 ムニン氏の 「LivingDead*Magic」の設定資料集なんですが・・・。

・・・まぁ、何か読んでてあのエンドが好きだった人が多かったというのもねぇ~という気分でした。正直・・・ネットには露悪好きが多いんかなーとか思ったりして・・・。

何か(決して薙沢氏のゲームではありませんが)創作界隈で、手っ取り早くキャラクターを殺したり破滅させたり、絶望させたりすること(で溜飲を下げるような表現)がメインストリームに出てる現状の弊害、とでもいうのか・・・。 

参考資料も見ましたが、自分より教養のある人を見ると、純粋にすごい頭がいいな~とか感じたりします。だから、自分もやる気が出るというか・・・。

 

そういえば、明日も元気があればちょっと色々愚痴りたいと思います。個人的に苛立つものを読んでしまったので・・・。

2025年5月26日月曜日

買い直しました

 最近本を売った時に、間違って売る予定のない漫画を売ってしまって・・・気がついた時にはもう遅く・・・なので今日、新刊も併せて買い直しました。

まぁ・・・こういうこともあるということで・・・。

そういえば・・・シフトの関係で今は連休ですが、遠出しようと思っても、経済的なアレコレ・・・という感じでどーしよーかなーと思っています。まぁ・・・行かんとは思いますが・・・。

2025年5月25日日曜日

震災後文学

 ―大衆の興味が集中しているホットな話題にすぐに飛びついてプロットを立てるのも、また能のない話だ。

         ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』より

 

 東日本大震災以降「震災後文学」なるものが多数生み出されてきましたが、個人的には「東日本大震災を題材にした小説」と書いた方がいいように思います。

 戦後最大の犠牲者数やチェルノブイリ(チョルノービリ)に匹敵する原発事故も併発したこともあり、阪神淡路大震災に代わり、すっかり(関東大震災と共に)災害を語る際のテンプレートとして定着した東日本大震災ですが、「震災後文学」というジャンルを確立させ、それを文化として継承させようと息巻いている作家たちは、果たして阪神淡路大震災はともかく、他の災害でここまで伝承しようとする努力はしてきたのでしょうか?

こういった話の蒸し返しになりますが、所詮は東京が壊滅の危機をつきつけられないと人は動かない。そんな残酷さと無神経さがあると思います。実際に東日本大震災の後に発生した熊本地震(あれは広島も揺れました)や西日本豪雨、能登半島地震に関してにそこまで熱を入れて「物語化」しているような作品は見当たりません。逆にいえば、そうした「物語化」や「代弁する使命感」が、豪雨や台風など、「ただの災害」の記憶を大きな声で排除してきたともいえるでしょう。

正直に書きますが、だからこそ私は「(主に東日本大)震災を語り継ぐ」みたいなムーブメントに素直に乗れなかったりします。 どうせやるんなら自分の描きたいことや特定の災害や事件などをナラティブとして騒ぎたてる・・・所への逆張りみたいな感じ、そんな使命感に冷水を浴びせるような感じで臨みたいと思います。色々何か挑戦してるかもしれないような文章になりましたが、それは覚悟の上・・・ということで・・・。

2025年5月24日土曜日

今日はハシゴしました

 今日はバイトが終わったら、某所にハシゴしました。

ラッキーなことがあったので、いい気分です。そのうちこの公開日記やSNSで書くかも・・・。

2025年5月23日金曜日

今日は無事に出荷できました

 今日は無事に出荷できました・・・といいたい所ですが、忘れたものが・・・!

本当にすみません・・・!もし運が良かったら・・・私を呪ってください・・・!

ということで、当日になったらギャラリーの方にも謝っておかなければ・・・(泣)

で、なんか(自作の)小説を書く際には参考文献・・・みたいなものを載せるわけですが、こっちの場合「わかったつもり」にいつも堕してるのが痛いところ・・・です・・・。取材したことを3割に引き上げると資料の羅列になり、エンタメから逸脱するというようなポストを目にしましたが、では残りの9割をちゃんと書けるか・・・そんな段階です・・・。

2025年5月22日木曜日

適切な子供扱いの軽視

 ―「わたしは、おしつぶされるのはいやよ。はっきり、ノーというわ。」

                 青木 和雄『ハッピーバースデー:命輝く瞬間』より

―子ども達の感情的・認識的な準備ができ、極度に悲惨かつ概念的にも複雑な諸問題を扱える段階に達するのはいつなのか。それこそが決定的な問いであるべきである。

                 デイヴィッド・ソベル『足もとの自然からはじめよう:子どもを自然嫌いにしたくない親と教師のために』より

 

以前もちょろちょろこういう系の話をこの公開日記で書いていたと思いますが、書店の児童書コーナーを見る度に、投資とか闇バイトとか、働くことの意義とか・・・なんか世知辛い本が並ぶようになったなーと思います。まあ、私が無知でこうした傾向は前からあった・・・とは感じてますけど・・・。

ですが、なんなんでしょう・・・こうした本に感じられる大人の無邪気な意志・・・みたいなものは・・・。高度情報化社会に伴い、一発の刺激で社会が破滅に至るリスクは比例しているように見える今日、『漂流教室』が当時の公害や戦争の不安を子供に託したように、大人の立場「だけ」で子供にそのまま社会が孕むリスクを伝えればいいという考え(に基づく善意)が、この文章の初めに挙げた児童書から漂っているのです。

丁度、このポスト・・・X経由で『ファスト教養』が最近話題となったライターのレジー氏のものなんですが、あの子供の発達段階とか成長過程とかいったキャパを考慮しない児童書への激しい違和感を見事に表明しているように思われます。 ちょっと私が上げてる児童書とはニュアンスが違うかもしれませんが・・・。

 リンク先のポストの言葉通り、「中身」という基本的な部分ができ上る前に、そこら辺を考慮せずに子供を市場競争や自己啓発の論理に引きずり出すようなやり方は、寧ろ子供にとって有害であるとすら思います。その「中身」が伴ってないうちから、いきなり自分の頭で考えろとかリテラシー能力を鍛えろとかいうのは無責任であるし、要らないおせっかいともいえます。余計かもしれませんが、その中には・・・2chの管理人だった人がいるのも・・・。

得てして、段階をすっ飛ばして投資テクとか労働の意義とかを詰め込もうとする大人達は、「学校では教えてくれない」という言葉を金科玉条のように振りかざすフシがありますが、逆にいえば、投資テクとか労働の意義というツールを意義として使うためには段階が不可欠で、その為に学校が存在しているということを軽視していると感じます。

じゃあ・・・一体どーすりゃいいんか・・・って話なんですけど、少なくともこうした大人達の善意こそ懐疑の念を持っておかな・・・とも思うし、『謝るなら、いつでもおいで』というノンフィクションで、こういう言葉があります。

「清く正しく美しく、なんて教えようとするからダメなんだ。いま子どもにいえるのは、ボーっとしていいんだよってことだけだよ。ゆっくりしてていいんだよって」(135P)

ですが、現実社会が(高度情報化の進行に従い)一寸先は闇の毒気に満ちている分、「ボーっとしてていいんだよ」「ゆっくりしてていいんだよ」といい切ることも、正しさの一つかもしれません。逆に、何かあればAIとか闇バイトととか誹謗中傷とか、大人の立場で子供を社会の毒気に晒すことが正しいとはいえない・・・かと思います。勿論子供とはいえ、いつでもボーっとしていいわけがないですが・・・。

 私だって就職せずにバイト生活、絵の方だって上手くいってないしあんましロクな大人とはいえないし、子供達の未来をどうこういえる資格は全くないのは承知です。それと、まかり間違っても未成年に提言やアドバイスをしようというなんて、絶対やる気ないです。今がこのザマですから。逆に反面教師にしろというのなら、いくらでもできますが(笑)

でも・・・なんかアレコレたまっとたしなぁ・・・。さらにいえば、エピグラフの本の方がよっぽどまともな文章じゃ・・・(泣)


 

2025年5月21日水曜日

ゆうパック

 今、ゆうパックの伝票書いてるんですが、まだまだ出展へのタスクは続いている・・・!

で、話は変わりますが、私はメールアドレスにおいて複数のエイリアスを使っています。その話なんですが・・・こないだ作家名義、つまり藤高 昇太として活動している時のエイリアスを使って返信すべきなのに、他のエイリアスでやっとったんですよ・・・!! マジで恥ずかしい・・・(汗)知られたくねぇ名前で・・・。あ、でもご安心ください。エッチな意味ではないんで(笑)

 

2025年5月20日火曜日

クリーチャーとしての戦争被害者

 ずっと前に、ここで水俣病の朗読劇にエクソシストの音楽を使おうとすることについて書きました。そして結局、「それってダメじゃん?」ということで取りやめになりましたが・・・。

 で、話は変わりますが『絶叫学級 転生』においても「教室戦争」や「80年後の視線」等で戦争被害者が扱われていましたが、ホラーという文脈のクリーチャーとして、戦争被害者を描いてもいいのか・・・?という不安が正直頭をよぎりました。そこで水俣病患者の表現にエクソシストの音楽を使う、みたいな話がダブったというか・・・。

まぁ・・・作品のメッセージはわかるし、平和ボケへの風刺・・・みたいなストーリーもわかるのですが、何かモヤモヤが残るというか・・・。今も東京大空襲を始めとした無差別爆撃や、原爆投下の被害にあった人は(まだ)存命されてますし、じゃあ「永遠の僕たち 」のヒロシや、『まちんと』みたいな描き方ならいいのか・・・?といえばそうでもないわけで・・・。死人をイマジネーションで構築していくというのは、ジャンルがどうであれ、結構薄氷を踏むような行為だと感じています・・・。自分もそういう表現を度々している分・・・。

だからこそ、表現の自由が保障されているからといって、当事者の黙認や許しによりかかってはいけない・・・ということを、現代思想の最新号を閉じて再確認するのでした・・・。なんせ特集がタイムリーだったし、一応絵を描いてるから読まにゃ・・・思ってね・・・。

ていうか美術手帳とか芸術新潮みたいなものをちゃんと読めよお前って話ですが・・・(汗)

2025年5月19日月曜日

『おとうとのねじまきパン』を読みました

 満州からの引き揚げを題材とした児童書『おとうとのねじまきパン:ずっとむかし、満州という国であったこと』を読みました。

本書では、日本がかつて中国大陸に(勝手に)建国した満州という国の興亡と、敗戦という破滅の後に待ち受ける、ソ連兵の蛮行や極限状況における逃避行など、民間人への地獄が綿密なリサーチで、子供にわかりやすいように描かれています。ここまで読めば、戦争そのものを憎み、引き揚げという修羅の道を味わった人達に当然同情すべきですし、多くの本がそうしたルートを辿っていることでしょう。

ですが、『おとうとのねじまきパン』はそうした単純化と自国ありきの被害者意識に基づく、平和への探求をある程度否定しています。本書は満州を題材にしていますが、著者の高橋 うらら氏は当時横たわっていた中国人への差別意識や、虐殺などの加害行為を(主に満州を生きた)日本人全体の問題として書いており、(こうした話にありがちな)軍部エリートへの責任転嫁や、庶民の美化に逃げていません。こうした所に、私は高橋氏の勇気と誠実さを感じました。

そして、 あとがきでも高橋氏は訪れた四川省の現地のガイドに怒りをぶつけられるのですが、その日本人としての自省を見るにあたり、同じく中国残留孤児を扱った子供向けノンフィクションが、戦後における中国人の日本人に対する怒りを無理解として切って捨てた態度とは、本当に真逆だなぁと感じたのでした・・・。